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サジシーム
第143話 ロンゴバルトの反応
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翌朝、砦から兵は去り、空になった。
サジシームが狙っていた瞬間だった。
彼らは王の好意により、様々な補給を受けながら、街道をゆっくりたどっていた。
メフメトの棺を乗せた馬車だけは、ウマを付け替えながら、出来る限りの速さで走っていた。
川まで出て、船に乗せる予定だった。その方が早いからだ。
だが、軍勢そのものは、道中の王の施設や領主から、食料などを分けてもらいながら、のろのろと進んでいた。
「レイビック伯の隊が砦を離れました」
カプトル在住のロンゴバルト人の商人が、急ぎ伝えてきた。
「よし!」
サジシームは笑った。その手にはダリア王直筆の丁重なお悔やみ文が握られていた。息子の命を気遣う王夫妻は、事の次第を丁寧に説明し、メフメトを歓待した様子も交えて、ロンゴバルトに最大限配慮した手紙をサジシームに託したのだ。
「こんなもんは要らん。さあ、全軍カプトルへ引き返すのだ!」
その夕刻、何の変哲もなさそうな船がロンゴバルトの港に着岸し、急いで荷が降ろされた。
ロンゴバルトではあまり見かけない立派な馬車が待っていて、すごい勢いでメフメトの屋敷に向かって走って行った。
早馬が知らせを屋敷にもたらし、凶報を知った人々が驚き怪しみながら次々に訪れた。
棺は、大きな音を立てながら屋敷の敷地内に運び込まれ、待ち構えた大勢の奴隷たちが、棺を担ぎ上げ屋敷の広間に安置した。
「おお、なんてことに」
多くの後宮の女たちは、棺に取りすがって泣きわめき、メフメトの使っていた奴隷たちや召使、親族は、突然の死に呆然としていた。
翌朝には、知らせを聞いた首長たちが次々にやって来た。
「なぜ、そのようなことに」
「サジシームはどうした?」
棺の安置された広間に、男たちが急ぎ足で入ってくると、妾妻たちは物陰にひそみ姿を消した。
外の熱を少しでも遮るため、明り取りには黒い布が張られ、石畳の広間は暗く陰鬱だった。
彼らは、ダリアから棺に付き添ってきた使者の周りを取り囲んだ。
使者は、首長たちの真ん中でひれ伏した。
「まるで、突然……悪霊か死神が舞い降りてきたかのような。直前まで、お元気であらせられました。まるで、無音の雷に当たられたかのような倒れ方でございました」
首長たちは、悪霊とか呪いには、めっぽう弱かった。
彼らは身震いした。
サジシームは手紙を書いていた。
『メフメト様は身代金代わりに、ダリア王から領土の移譲を受けた。ダリア王はメフメト様を自城へ招いたが、ダリア城内にて、メフメト様は突然倒れ亡くなられた。驚愕の極み。急ぎ、ご遺体を送り申す。ダリアの医者は、外傷なく死因不明と述べるが、甚だ不審。ダリアに責あるなら、ダリアは伯父の敵、戦に備え、ダリア国内に留まる』
嘘は書いていないが、それは悪意と疑いの心に満ちた手紙だった。彼らは顔を見合わせた。
年よりの首長たちの中には字の読めない者や老眼のひどい者もいた。
「なんと書いてあるのじゃ。年寄りには読めぬわ。説明せい」
使者は、まず手紙文を読み上げ、そのあと何人もの首長たちに取り囲まれ、何回も同じ話を聞かれた。
「本当に意味が分かりませなんだ。突然、倒れられ、亡くなられたのでございます。一瞬の出来事でございました」
使者はメフメトの死を悲しむ風だったが、首長たちは違った。
「メフメト殿は、サジシームを引き連れ、ダリア王の身代金の受け取りに出かけたのだったな」
「さようで」
「それが、どうして領土の割譲になったのだ」
首長たちの頭が一斉に動いた。目に物欲しそうな光が宿っていた。
「ダリア王家が思いのほか、金に窮しており、身代金代わりに領土の引き換えを申し出られたのでございます」
悪霊には弱いが、計算は強い。
「それは、捨て置けぬ」
背の高い、黒いひげが特徴的なザイードの首長は立ち上がった。
「わしは、メフメトの縁者じゃ。メフメトの敵討ちじゃ。サジシームに加勢せねば」
メフメトは死んだ。
だが、彼が遺したダリア王領は今、宙に浮いている。
「軍備を急ぐので失礼」
「待て、葬儀はいかがする?」
「ダリア王の首を手向けよう。それが何よりの供養になろう」
「葬儀は、女どもと聖職者に任せよ。男どもはウマに乗れ」
彼らの陰鬱な雰囲気は、一瞬にして消え去り、あわただしくなった。広間を大股で出て行くと、一族の者や奴隷を大声で呼び出すだみ声が響き渡った。
「いかがされた?」
「これから、ダリアへ攻め込む」
早くも馬上の人となったサイードの首長は答えた。
「攻め込む? なぜ?」
「メフメトは、身代金代わりに、ダリア王から領土を移譲されたのだ。だが、ダリアに殺された。ダリア王は、領土を取り返すために、メフメトを殺したのだ」
横から別の首長も言葉を添えた。
「かたき討ちは神に許された正当な戦いである」
「ダリア王と戦うのじゃな?」
「そのとおり。サジシームが今、ダリア王と戦っておる。だが、あやつは軟弱者だ。戦いの仕方を知らぬ。負けたらいかがする。せっかく、ダリアの領土を手にするチャンスだと言うのに!」
いろいろと間違っている。そもそもサジシームはダリア王と戦っているとは一言も書いていなかった。
あっけにとられ、ザイードの首長の後ろ姿を見つめていた、後から到着した首長たちだったが、事情を聴くと彼らも動き始めた。
「この戦いに手柄を立てれば、ダリアの領土が手に入る」
「サジシームなど! あのような頼りにならぬ軟弱者に任せてはおけぬ」
使者は呆然としていた。
つい数か月前、同じような熱に浮かされ、出陣し、大敗北を喫したばかりなのだ。今回は敵討ちと大義名分はあるかもしれないが、結果は同じだろう。
「神のご加護を!」
誰かが叫び、大勢が呼応していた。
「神のご加護を!」
「これはいかん。サジシーム様にお知らせせよ」
使者は我に返るとあわてて部下に命じた。
サジシームの一族は、(メフメトの一族でもあったわけだが)ロンゴバルトの中でも最も裕福で、商業が発展し、文化も豊かな地域の首長であった。
そのため、辺境の地に住む頑迷で迷信深く、宗教に凝り固まった首長たちとは、かなり考え方に差があった。
彼らは勇猛果敢だったかもしれないが、合理性はあまりなかった。
直情怪行で、今、ダリアに新天地が開けたと考えると、いてもたってもいられなかったのだ。
ザイードの首長やその一族のハザの首長は、急ぎに急いだが、例によって手際が絶望的なまでに悪かったので、船に乗り込むまでに十日ほどかかった。
彼らがむちゃくちゃに張り切って、むやみな準備に必死になっている熱気は、黒の衣装に身を固め、葬儀のためにやって来たはずの他の首長たちに次々に伝染した。
連中も、事情が分かると、途端に黒の衣装など脱ぎ捨てた。
「敵討ちじゃ」
「急げ!」
その間に、サジシームの使者はダリアの早馬の制度を使って(何しろ、サジシームは王から特別の好意を受けていたのだから)、ロンゴバルトの戦闘準備の様子をサジシームに伝えた。
サジシームが狙っていた瞬間だった。
彼らは王の好意により、様々な補給を受けながら、街道をゆっくりたどっていた。
メフメトの棺を乗せた馬車だけは、ウマを付け替えながら、出来る限りの速さで走っていた。
川まで出て、船に乗せる予定だった。その方が早いからだ。
だが、軍勢そのものは、道中の王の施設や領主から、食料などを分けてもらいながら、のろのろと進んでいた。
「レイビック伯の隊が砦を離れました」
カプトル在住のロンゴバルト人の商人が、急ぎ伝えてきた。
「よし!」
サジシームは笑った。その手にはダリア王直筆の丁重なお悔やみ文が握られていた。息子の命を気遣う王夫妻は、事の次第を丁寧に説明し、メフメトを歓待した様子も交えて、ロンゴバルトに最大限配慮した手紙をサジシームに託したのだ。
「こんなもんは要らん。さあ、全軍カプトルへ引き返すのだ!」
その夕刻、何の変哲もなさそうな船がロンゴバルトの港に着岸し、急いで荷が降ろされた。
ロンゴバルトではあまり見かけない立派な馬車が待っていて、すごい勢いでメフメトの屋敷に向かって走って行った。
早馬が知らせを屋敷にもたらし、凶報を知った人々が驚き怪しみながら次々に訪れた。
棺は、大きな音を立てながら屋敷の敷地内に運び込まれ、待ち構えた大勢の奴隷たちが、棺を担ぎ上げ屋敷の広間に安置した。
「おお、なんてことに」
多くの後宮の女たちは、棺に取りすがって泣きわめき、メフメトの使っていた奴隷たちや召使、親族は、突然の死に呆然としていた。
翌朝には、知らせを聞いた首長たちが次々にやって来た。
「なぜ、そのようなことに」
「サジシームはどうした?」
棺の安置された広間に、男たちが急ぎ足で入ってくると、妾妻たちは物陰にひそみ姿を消した。
外の熱を少しでも遮るため、明り取りには黒い布が張られ、石畳の広間は暗く陰鬱だった。
彼らは、ダリアから棺に付き添ってきた使者の周りを取り囲んだ。
使者は、首長たちの真ん中でひれ伏した。
「まるで、突然……悪霊か死神が舞い降りてきたかのような。直前まで、お元気であらせられました。まるで、無音の雷に当たられたかのような倒れ方でございました」
首長たちは、悪霊とか呪いには、めっぽう弱かった。
彼らは身震いした。
サジシームは手紙を書いていた。
『メフメト様は身代金代わりに、ダリア王から領土の移譲を受けた。ダリア王はメフメト様を自城へ招いたが、ダリア城内にて、メフメト様は突然倒れ亡くなられた。驚愕の極み。急ぎ、ご遺体を送り申す。ダリアの医者は、外傷なく死因不明と述べるが、甚だ不審。ダリアに責あるなら、ダリアは伯父の敵、戦に備え、ダリア国内に留まる』
嘘は書いていないが、それは悪意と疑いの心に満ちた手紙だった。彼らは顔を見合わせた。
年よりの首長たちの中には字の読めない者や老眼のひどい者もいた。
「なんと書いてあるのじゃ。年寄りには読めぬわ。説明せい」
使者は、まず手紙文を読み上げ、そのあと何人もの首長たちに取り囲まれ、何回も同じ話を聞かれた。
「本当に意味が分かりませなんだ。突然、倒れられ、亡くなられたのでございます。一瞬の出来事でございました」
使者はメフメトの死を悲しむ風だったが、首長たちは違った。
「メフメト殿は、サジシームを引き連れ、ダリア王の身代金の受け取りに出かけたのだったな」
「さようで」
「それが、どうして領土の割譲になったのだ」
首長たちの頭が一斉に動いた。目に物欲しそうな光が宿っていた。
「ダリア王家が思いのほか、金に窮しており、身代金代わりに領土の引き換えを申し出られたのでございます」
悪霊には弱いが、計算は強い。
「それは、捨て置けぬ」
背の高い、黒いひげが特徴的なザイードの首長は立ち上がった。
「わしは、メフメトの縁者じゃ。メフメトの敵討ちじゃ。サジシームに加勢せねば」
メフメトは死んだ。
だが、彼が遺したダリア王領は今、宙に浮いている。
「軍備を急ぐので失礼」
「待て、葬儀はいかがする?」
「ダリア王の首を手向けよう。それが何よりの供養になろう」
「葬儀は、女どもと聖職者に任せよ。男どもはウマに乗れ」
彼らの陰鬱な雰囲気は、一瞬にして消え去り、あわただしくなった。広間を大股で出て行くと、一族の者や奴隷を大声で呼び出すだみ声が響き渡った。
「いかがされた?」
「これから、ダリアへ攻め込む」
早くも馬上の人となったサイードの首長は答えた。
「攻め込む? なぜ?」
「メフメトは、身代金代わりに、ダリア王から領土を移譲されたのだ。だが、ダリアに殺された。ダリア王は、領土を取り返すために、メフメトを殺したのだ」
横から別の首長も言葉を添えた。
「かたき討ちは神に許された正当な戦いである」
「ダリア王と戦うのじゃな?」
「そのとおり。サジシームが今、ダリア王と戦っておる。だが、あやつは軟弱者だ。戦いの仕方を知らぬ。負けたらいかがする。せっかく、ダリアの領土を手にするチャンスだと言うのに!」
いろいろと間違っている。そもそもサジシームはダリア王と戦っているとは一言も書いていなかった。
あっけにとられ、ザイードの首長の後ろ姿を見つめていた、後から到着した首長たちだったが、事情を聴くと彼らも動き始めた。
「この戦いに手柄を立てれば、ダリアの領土が手に入る」
「サジシームなど! あのような頼りにならぬ軟弱者に任せてはおけぬ」
使者は呆然としていた。
つい数か月前、同じような熱に浮かされ、出陣し、大敗北を喫したばかりなのだ。今回は敵討ちと大義名分はあるかもしれないが、結果は同じだろう。
「神のご加護を!」
誰かが叫び、大勢が呼応していた。
「神のご加護を!」
「これはいかん。サジシーム様にお知らせせよ」
使者は我に返るとあわてて部下に命じた。
サジシームの一族は、(メフメトの一族でもあったわけだが)ロンゴバルトの中でも最も裕福で、商業が発展し、文化も豊かな地域の首長であった。
そのため、辺境の地に住む頑迷で迷信深く、宗教に凝り固まった首長たちとは、かなり考え方に差があった。
彼らは勇猛果敢だったかもしれないが、合理性はあまりなかった。
直情怪行で、今、ダリアに新天地が開けたと考えると、いてもたってもいられなかったのだ。
ザイードの首長やその一族のハザの首長は、急ぎに急いだが、例によって手際が絶望的なまでに悪かったので、船に乗り込むまでに十日ほどかかった。
彼らがむちゃくちゃに張り切って、むやみな準備に必死になっている熱気は、黒の衣装に身を固め、葬儀のためにやって来たはずの他の首長たちに次々に伝染した。
連中も、事情が分かると、途端に黒の衣装など脱ぎ捨てた。
「敵討ちじゃ」
「急げ!」
その間に、サジシームの使者はダリアの早馬の制度を使って(何しろ、サジシームは王から特別の好意を受けていたのだから)、ロンゴバルトの戦闘準備の様子をサジシームに伝えた。
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