アネンサードの人々

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サジシーム

第119話 人質事件の後始末

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 ルストガルデ殿の居城は、港と町全体を見下ろせる高台にあった。執務室は最上階の快適な部屋で、さすがヌーヴィーの総括官の部屋だけあって豪華なしつらえだった。
 だが、今、その部屋の真ん中の椅子に支配者として座っていたのはサジシームだっだ。彼は、憂鬱そうに次の手を考えていた。

 賢そうな若者が、何枚かの紙を届けにきた。

 サジシームは不愉快そうにざっと目を通した。

 一枚は、今人質になっている連中の人数と名前、それぞれの領地の場所と位置だった。

 いくつかの名は興味を引かないこともなかったが、サジシームが全く知らない名前も多かった。

「殺すのはいつでもできるが、一旦殺すと、利用したくなっても生き返らせるわけにはいかないからな。使い道がわかるまで、ファン島に住まわせておくしかあるまい」

 もう一枚は、礼拝堂で見つかった死体の数についての報告だった。

「少なすぎる……」

 サジシームは心底がっかりした。

 かなりの人数が、礼拝堂から逃げ出したようだった。

「何処からともなく、一本の矢が放たれ、礼拝堂の正面の扉に突き刺さりましたのでございます」

 使者が説明した。

「矢に驚いた衛兵たちが、多くの仲間を正面の扉の所へ呼び集めたので、ロンゴバルト兵が扉の警備の兵を倒して、正面の大扉を締め切ることができなくなってしまったのです。
 中から扉を開けろと声がして、大扉も脇の扉も開け放たれてしまい、最初は衛兵どもが、次に貴族たちが我先にと逃げ出し、結局、おそらく、三分の一程度は脱出したのではないかと思われます。
 礼拝堂の中には百名ほどの死体が数えられたとの報告が来ております。ただ、この中には僧侶たちが含まれており、現在のところではまだ、正確な情報はわかりません」

 誰だ? その矢を放ったのは?

 サジシームは、思い出したくもない彼の父の死にざまを思い出した。

 勇敢で、誰からも将来を期待されていた父のすべてを断ち切ったのは、一本の矢だった。

 彼は頭を振った。不吉な思い出なんか、たくさんだ。

「レイビックからの使者はまだだな?」

 レイビック城の乗っ取りは重要な問題だった。

 礼拝堂の破壊や、王家や大貴族の連れ去りは、確かにダリアの中枢に、大きな打撃を与えるだろうが一時の問題に過ぎない。
 首都カプトルを永続的に支配するのは、もっとずっと後にならないとできないだろう。

「だが、その前に金山を手に入れる。無限の富だ。そして最初の楔だ」

 サジシームは思った。

 レイビック城の乗っ取りは、まず、最初の第一歩であり、サジシームの財政面の独立した基盤を支える予定だった。ベルブルグのハブファンが彼の傀儡になって実行するのだ。

 レイビック伯が死ねば、主を失った城と金山は動揺するだろう。
 ルシアは、必ず手元に残す。相続人のルシアの名でハブファンを代理人に任命すれば、金山はハブファンの管理の下で営業されていくだろう。無理も無駄もない。

 城は正直どうでもよかった。それよりも金山だ。
 そのためにはレイビック伯とルシアは、絶対に必要な駒だった。

「レイビック伯の親族はみんな死んでいる。あの国王が殺したのだ。国中が知っている。ルシアだけが相続人だ」

 知られていない親族がいたところで、ルシアさえ押さえておけば蹴散らすことができる。

「文字通り、黄金の娘だ」

 サジシームにも、ルシアが兄を愛しているらしいことは薄々見当がついた。
 それはサジシームに余計な敵愾心をもたらした。

 レイビックからベルブルグまで、それからここヌーヴィーまでの日数をサジシームは指折り数えた。報告が着くまで、最短であと丸三日もあった。

「まずはメフメト様にお目にかかろう。その間にレイビックから使いが来たら、すぐに俺のところへよこせ。それから、ダリアの人質連中がおかしなことを企てたりしないように、厳重に見張るように」

 サジシームは急ぎメフメトの前に参上した。いずれにせよ、彼はメフメトから兵を借りている。それに見合うだけの成果を上げなければならなかった。

「ダリアの王と王妃、王太子夫妻、主だった貴族が捕虜と言うのは十分な成果だろう」

 だが、それだけでは終わらない。

「ヌーヴィーからダリアの首都カプトルを繋ぐ街道を制覇したい」

 もっともっと兵を借りたい。

 彼が借りた兵は、今のところ無傷だった。兵たちも、彼らの成し遂げたことの意味を分かっていて、意気軒高だった。

「メフメト様よりサジシーム様だ」

「大変柔弱で女ばかり追いかけておられると噂だったが……」

「そんなことはないぞ。サジシーム様の命令は明確ではっきりしていた。賢いお方だ。それに、ダリアの王族全員が捕虜になったのだ。どれだけ、身代金が取れることやら」

 この噂は問題だった。

 サジシームは柔弱で、女に弱く、軍事に疎い人物でなければならないのだ。サジシームが有能でメフメトを凌ぐ頭脳の持ち主とばれた時が、サジシームの最期になるかも知れなかった。メフメトは保身に長けている。自分より優秀な人物は生かしておかない。

「誰よりも先にメフメト様にお目にかからねば」

「戦果を報告いたしましょう! サジシーム様のご活躍はすばらしいものでございます!」
 マシムが嬉しそうにそばで言った。

 ちがう。
 自慢するために、伯父の元へ急いでいるのではなかった。



 メフメトは相変わらず後宮の気に入りの涼しい居室に陣取っていた。

 もちろん彼はサジシームの戦果を心待ちにしていた。

 サジシームにしてみれば、誰かから余計な感想や間違った事実がメフメトに伝わることはどうしても避けたかった。

「メフメト様!」

 サジシームは大声で叫びながら、部屋に入った。
 メフメトはうるさそうにサジシームを見た。

「なんだ。騒がしいぞ」

「メフメト様、思いがけず、変なモノがたくさん釣れてしまいました」

 メフメトは水たばこをゆっくり元の場所に戻した。

「うるさいぞ。ダリアはどうなったのだ。ファン島で釣りをしていると噂になっとったが、釣りの成果なんぞ聞いても仕方がないぞ?」

「そうではありません。大変なことになりました」

「大変なこと?」

 メフメトは心配そうな顔になった。虎の子の兵三百を貸したのである。まさか、全滅だの、ダリアに有利なことになったりしたわけではないだろうな?

「私には、どういう経緯か、よくわからなかったのですが、お貸しいただいた兵たちが、ダリアの王家の一族を生け捕りにしました」

「え?」

 メフメトは、口をあんぐり開けた。ダリアの王家の一族を生け捕り?

「ハイ、生け捕り」

「魚の話ではないのだな? ファン島とかの」

「人間です。王と王妃と王太子、それに主だった貴族たち」

 メフメトは目を見張った。

「どうしてなんだ。いや、つまり、なんでそんなことが出来たんだ」

「たまたま結婚式だったらしいのですよ。それで、全員が集まっていました。警備は、全部、国王の護衛ではなく、見物に来た群衆を押さえるのに駆り出されていたので、王一家や大貴族を捕まえてそのまま馬車に乗せて連れてきたそうです」

「誰が?」

「ハイ、メフメト様の部下のハシム殿が」

 実のところ、メフメトはハシムが誰だか知らなかった。それはロンゴバルトの奴隷兵の頭の名前だった。

 メフメトは感激した。ハシム! なんと優秀な奴なんだ。

 サジシームは、王宮の礼拝堂を焼き払ったこと、人質以外の多くの貴族が、おそらく焼死しただろうことなどを、淡々と語った。
 目を見張るようなすさまじい成果だった。たったあれだけの奴隷兵だけで!

「それが全部ハシムの手柄か!」

「礼拝堂の焼き討ちは私めが。ハシムは人質の捕獲の責任者でございます」

 ……。

 それはつまりサジシームの手柄だろう。ハシムは単なる手先だ。
 毎度のことだが、メフメトはサジシームの話を聞いていると混乱をきたした。しかも、目の前の男は、戦果を誇るどころか、なにやらしょんぼりしている。

「ルシアを取り逃がしました」

 そんな女一人を取り逃がしたって、どうだっていいじゃないか。これだから、お前はダメなんだと言いかけて、メフメトははっと我に返った。

 今、ダリアには王も王妃もいない。
 主だった貴族もいない。

 彼の野望がその瞬間ぐんと広がった気がした。

 素晴らしい偶然だ。

「困ることはあるまい。素晴らしいチャンスだ。このまま、ダリアへ攻め寄せるのだ」

 偶然ではない。緻密な計画と綿密な打ち合わせに基づく、究極の奇襲攻撃だった。
 そうでなければ、成功するはずがない。偶然で、こんなことになるわけがなかった。

 だが、メフメトは、サジシームに偶然でと言われると、それを信じた。


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