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サジシーム
第117話 ハブファン、めちゃくちゃに動揺する
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その頃、ハブファンは不安で押しつぶされそうになっていた。
最悪だった。
そもそも彼は全然この襲撃事件に加担したくなかったのである。
脅迫されて、やむなく場所や金を提供しただけで、計画そのものを聞かされたのも、実行日のわずか二日前だった。
融通が利かなさそうな、かなり頑固者そうなギャバジドに有無を言わさず参加を強要されたのである。
彼は、失敗したらどんな運命が待っているのだろうとビクビクしながら、ギャバジドからの連絡を今や遅しと待っていた。
なぜ、まだ連絡がないのだろう。どう考えてもおかしかった。
ベルブルグからレイビックまではゆっくり行っても4日ほど、早いウマなら1日半くらいで行けるはずだった。
4日経っても、何の音沙汰も無しと言うのは、おかしすぎる。
よしんば、ハブファンのもっとも恐れる「失敗」だったとしても、生き残った誰かが、駆け付けてくるはずだった。
まるで、突然の嵐のような、サジシームからのサインもない手紙と、ギャバジドに率いられた屈強そうな百人の兵士の世話と食料や宿の手配に追い回され、深く考える時間がなかったが、彼らが出陣し、結果を待っている間、ハブファンはようやく、この計画についてゆっくり考えをめぐらすことができた。
彼が、一番心配していたのは、レイビック城攻略後の運営だった。
城の攻略そのものは成功すると信じていた。
レイビック伯爵が軍力を集めているらしいことは知っていたが、大した規模ではないとハブファンは思っていた。(レイビック伯が自慢しなかったせいで)噂にさえなっていないくらいだから、たかが知れているに違いない。
それに、当主は留守で、守るべき対象がいない。城の中には兵力はないはずだ。
レイビック伯ご自慢の兵力は(そんなものが、もし形成されていたとしても)金の値打ちを考えれば、城なんかより金山の防衛を一番考えるのは当然だろう。
無防備なレイビック城が、実戦経験が十分な奴隷兵に勝てるはずがなかった。
ハブファンは金山の管理をせよと指令されていたが、彼はそれを考えると、そわそわした。
金山の支配は、それはそれは魅力的な話だった。
ハブファンはレイビック伯爵がどんな風に商売を回しているのか良くは知らなかったが、自分の方が利益を上げられると確信があった。
彼なら直接ロンゴバルトに金を持ち込んで売ることができる。
ロンゴバルトでは、金の価格は一・五倍から二倍の値で売れるのだ。
「あんな若造より、わしの方が経験は豊富だ」
彼はフリースラントが大事にしている信用や信義則なんか気にしちゃいなかった。まどろっこしいと感じていた。
「力のない貧乏人なぞどうでもよかろう」
だが、問題はいったい何の権利があって、ハブファンが金山を支配するのかという点だった。
ギャバジドによると、サジシームは王太子の結婚式が行われる礼拝堂で、ダリアの貴族どもを一網打尽にすると計画していると言う。
特にレイビック伯爵は必ず殺し、妹のルシアは人質に残す。そして、残されたルシアが金山の管理をハブファンに委託することにより、ハビファンが金山を支配する理由が生まれるのだと言う。
ハブファンは、誰にも好かれていなかった。人々が彼と交遊を結ぶ唯一の理由はカネだけだった。
一方で、新興貴族のはずのレイビック伯爵は不思議なことに、知り合いになればなるほど、友人や知己が増えていった。
重労働の金山の鉱夫たちは、普通なら豪勢に遊んで暮らす雇い主を憎むところだろうとハブファンは思うのだが、どういうわけか彼を殿様と呼んで納得していた。尊敬していると言ってもよかった。甘い男ではないので、さぼった鉱夫には結構容赦なく鞭を振るうことをハブファンは知っている。
「公平性だな。さぼりにはそれなりに。本人はさぼってないしな。みんな、わかってる」
いつだか、ベルブルグの知り合いの商人に、そう諭されたことがある。
「筋が通っているってことですよ、ハブファン様。なかなか真似できない」
領民たちは、なぜか彼をすばらしい領主だと自慢に思っている。ほかの領地の農民にレイビック伯のことを自慢げに語っていた。自分のことではあるまいし変だろうと思うのだが、聞かされた方の農民がうらやましそうにため息をついているのを見たことがある。
貴族の生まれの騎士たちが、最近叙爵したばかりの元平民に仕えるなど屈辱以外の何ものでもない筈なのに、連中は彼を崇拝しているらしい。
成り上がりと見下していたはずの近隣貴族たちからさえ、最近では仲間として認められ、敬意を集めていた。ハブファンは、爵位を取って何年も経つのに、未だに成り上がり者と蔑まれているのに!
レイビック伯爵が殺されて居なくなったところで、自分が後釜に座るのは、どう考えても無理があった。
「ロンゴバルト兵がついておりますゆえ、誰も反対できません」
ギャバジドは泰然自若として宣言した。
「力の問題でございます」
サジシームは間違いのない男だった。ハブファンにはわからない読みと実行力を持つ男だった。彼が言うなら、この計画は成功するのだろう。ハブファンは不安を押し殺して、朗報を待っていた。
だが、何の連絡もなかった。
こんな場合の指示を受けていなかったし、彼には軍事的な問題はさっぱりわからない。不安ばかりが募る。迷いに迷ったが、結局、腹心の者に言いつけて様子を探らせることにした。レイビックの親戚を訪ねると言う名目で。これなら誰にも、何の疑いも持たれないはずだった。
「マジソン、確かレイビックの伯母が病気だと言っていたな?」
ハブファンは、家令のマジソンを呼び出した。何度か、ギャバジドにも会っているはずだ。
「はあ。でも、先週治ったと手紙が参りまして」
「だが、見舞いに行かんと言うのは不義理だろう」
「わたくしとは疎遠でございましたから」
「そう言わずに、レイビックにまでひとっ走り行ってこい。ロンゴバルトから連絡が来んのだ。百人もの兵が消えうせるわけがない。もう城を占拠していて、わしのことなど忘れているのかもしれぬ。途中で、万一、レイビック伯の手の者に会って何か尋ねられたら、伯母の見舞いだと返事しなさい」
事情を知らぬ者が出かけても、ギャバジドのことだ。おそらく会ってもくれないだろう。それどころか、追い返されるくらいならとにかく、使いの者の首を刎ねるくらいやりかねなかった。
「全く……。何があったのか知らないが、面倒なことよ。王宮を同時に襲撃するとか言っていたが、そちらの方も、まだ、何の連絡も来ないしな」
その頃、フリースラントは荷馬車にはあるまじきスピードで馬車を走らせていた。
ウマを付け替え、たいして頑丈でない荷馬車が次々とダメになる勢いで街道を爆進していた。
中身の人間の方は、もはや半死半生だったが、馭者台のフリースラントだけは平然として夜昼構わずウマに鞭を振るっていた。目立たないようにと、せっかく宿の下男の服を借りて変装していたのに、まるで逆効果で、狂気のスピードが目立ちまくっていた。こんな御者は頭がおかしい。街道筋の連中はあきれ返っていた。
その結果、彼は途中でハブファンの使いも追い抜いてしまったのである。
そのため、ハブファンのこのお使い(スパイ)は逆効果になってしまった。
マジソンは街道を移動するほかの誰とも同様に、捕まって尋問を受け、レイビック城へ連れて来られたのだった。
レイビックで噂を集めるなどと言う、まだるっこしい真似をせずとも、ある意味首尾よく直接レイビック城へ入れたマジソンだったが、応対したのが当のレイビック伯本人だったため、見ただけで歯の根が合わなくなった。
「ああ、お前はハブファン殿のところの……」
フリースラントは言いかけて、詰まった。ハブファンの家の召使の誰かだということは思い出したのだが、名前を知らなかったので、それから先が言えなかった。
「名は何という?」
「マ、マジソンでございます」
マジソンは震え声で切れ切れに答えた。顔を知られている以上、偽名でも使おうものなら、話が余計ややこしくなることは目に見えていた。
「マジソン、お前はハブファン殿のところの執事か何かをしていたな? ハブファン殿は息災か?」
「はい、おかげさまで」
「今日は何用で、この城に参った?」
「わたくし、わたくしは、あの、こちらのお城に伺ったわけではございません。伯爵様のご家来衆にここまで連れられてまいりましたわけで。本当の目的は、レイビックの伯母が病気でございまして見舞いに」
「ほう。それは気の毒をした。何しろ、この城が数日前賊に襲われてな。警戒しておるのだ」
「さ、左様でございましたか」
「驚くだろう」
「あっ、え、ええ、もう、びっくりでございます」
マジソンは、ここは驚かなくてはいけない場面だったと気づいて、あわてて驚いて見せた。
「それはとにかく、賊の仲間の誰かが様子を探りに来るだろうと思ったので、街道を通る者全員をこうやって尋問しているのだ」
飛んで火にいる夏の虫とは自分のことだとマジソンは焦った。額に脂汗がにじんできた。
「まあ、マジソン、襲われはしたものの、大した人数ではなかったので、被害もほとんどなかったがね」
「大した人数ではなかった? ございませんでしたか……そ、それはようございました……」
「しかも真昼間きたらしい」
「え?」
マジソンはびっくりして顔をあげてフリースラントを見た。夜中の襲撃だったのでは?
「台所のドアを開けて、入ろうとしてきたのだ」
「ロンゴバルトがですか?」
フリースラントはニヤリとした。誰もロンゴバルト兵が来たとは言っていない。
「そうだ。料理番の女にフライパンで滅多打ちにされたのさ。弱いな、あの連中は」
それから彼は手で合図して、マジソンに尋ねた。
「会ってみるかい? ハブファン殿にはいい土産話になるだろう。一人しか生き残っていないんだがね」
マジソンは話がおかしいので必死になった。
「残りの、あとの連中は?」
「言ったろう。滅多打ちにされたって」
「一人の料理番にですか?」
「料理番一人じゃおかしいかな?」
「一人が、百人全員をやっつけたと言うのですか?」
あからさまなビンゴに、フリースラントは思い切り笑った。
「そんなに来るわけないだろう。レイビックみたいな田舎に。そりゃお前の想像だよ。なんの話をしてるんだ」
それからフリースラントは付け加えた。
「じゃあ、残りの連中はきっと、山の魔王にでも食われちまったんだろう」
マジソンは夢でも見ているような気持ちになった。だが、彼ははっとしてフリースラントを見た。
間違いない。本物のフリースラントだ。フリースラントが彼の顔を覚えていたように、マジソンも何回もハブファンに付き従って、レイビックのこの城に来たことがあり、フリースラントの顔をよく知っていた。
だが、ギャバジドは、王宮の礼拝堂で必ずフリースラントを殺すと言っていた。ルシアは拘束すると。
「ルシア様もご息災であらせられますか?」
彼は震え声で聞いた。彼のような家来が聞くことではなかったのだが、どうしても聞いてみたくなったのだ。この話は、一刻も早く主人のハブファンに伝えなければならなかった。
「むろん。自分の部屋にいることと思うがね」
「主人に申し伝えます。お二方様ともお元気でいらっしゃると。手前どもの主人もさぞ喜ぶことでございましょう」
マジソンは辞去した。
フリースラントは、例の三人の騎士に合図した。
「あいつだ。つけろ」
最悪だった。
そもそも彼は全然この襲撃事件に加担したくなかったのである。
脅迫されて、やむなく場所や金を提供しただけで、計画そのものを聞かされたのも、実行日のわずか二日前だった。
融通が利かなさそうな、かなり頑固者そうなギャバジドに有無を言わさず参加を強要されたのである。
彼は、失敗したらどんな運命が待っているのだろうとビクビクしながら、ギャバジドからの連絡を今や遅しと待っていた。
なぜ、まだ連絡がないのだろう。どう考えてもおかしかった。
ベルブルグからレイビックまではゆっくり行っても4日ほど、早いウマなら1日半くらいで行けるはずだった。
4日経っても、何の音沙汰も無しと言うのは、おかしすぎる。
よしんば、ハブファンのもっとも恐れる「失敗」だったとしても、生き残った誰かが、駆け付けてくるはずだった。
まるで、突然の嵐のような、サジシームからのサインもない手紙と、ギャバジドに率いられた屈強そうな百人の兵士の世話と食料や宿の手配に追い回され、深く考える時間がなかったが、彼らが出陣し、結果を待っている間、ハブファンはようやく、この計画についてゆっくり考えをめぐらすことができた。
彼が、一番心配していたのは、レイビック城攻略後の運営だった。
城の攻略そのものは成功すると信じていた。
レイビック伯爵が軍力を集めているらしいことは知っていたが、大した規模ではないとハブファンは思っていた。(レイビック伯が自慢しなかったせいで)噂にさえなっていないくらいだから、たかが知れているに違いない。
それに、当主は留守で、守るべき対象がいない。城の中には兵力はないはずだ。
レイビック伯ご自慢の兵力は(そんなものが、もし形成されていたとしても)金の値打ちを考えれば、城なんかより金山の防衛を一番考えるのは当然だろう。
無防備なレイビック城が、実戦経験が十分な奴隷兵に勝てるはずがなかった。
ハブファンは金山の管理をせよと指令されていたが、彼はそれを考えると、そわそわした。
金山の支配は、それはそれは魅力的な話だった。
ハブファンはレイビック伯爵がどんな風に商売を回しているのか良くは知らなかったが、自分の方が利益を上げられると確信があった。
彼なら直接ロンゴバルトに金を持ち込んで売ることができる。
ロンゴバルトでは、金の価格は一・五倍から二倍の値で売れるのだ。
「あんな若造より、わしの方が経験は豊富だ」
彼はフリースラントが大事にしている信用や信義則なんか気にしちゃいなかった。まどろっこしいと感じていた。
「力のない貧乏人なぞどうでもよかろう」
だが、問題はいったい何の権利があって、ハブファンが金山を支配するのかという点だった。
ギャバジドによると、サジシームは王太子の結婚式が行われる礼拝堂で、ダリアの貴族どもを一網打尽にすると計画していると言う。
特にレイビック伯爵は必ず殺し、妹のルシアは人質に残す。そして、残されたルシアが金山の管理をハブファンに委託することにより、ハビファンが金山を支配する理由が生まれるのだと言う。
ハブファンは、誰にも好かれていなかった。人々が彼と交遊を結ぶ唯一の理由はカネだけだった。
一方で、新興貴族のはずのレイビック伯爵は不思議なことに、知り合いになればなるほど、友人や知己が増えていった。
重労働の金山の鉱夫たちは、普通なら豪勢に遊んで暮らす雇い主を憎むところだろうとハブファンは思うのだが、どういうわけか彼を殿様と呼んで納得していた。尊敬していると言ってもよかった。甘い男ではないので、さぼった鉱夫には結構容赦なく鞭を振るうことをハブファンは知っている。
「公平性だな。さぼりにはそれなりに。本人はさぼってないしな。みんな、わかってる」
いつだか、ベルブルグの知り合いの商人に、そう諭されたことがある。
「筋が通っているってことですよ、ハブファン様。なかなか真似できない」
領民たちは、なぜか彼をすばらしい領主だと自慢に思っている。ほかの領地の農民にレイビック伯のことを自慢げに語っていた。自分のことではあるまいし変だろうと思うのだが、聞かされた方の農民がうらやましそうにため息をついているのを見たことがある。
貴族の生まれの騎士たちが、最近叙爵したばかりの元平民に仕えるなど屈辱以外の何ものでもない筈なのに、連中は彼を崇拝しているらしい。
成り上がりと見下していたはずの近隣貴族たちからさえ、最近では仲間として認められ、敬意を集めていた。ハブファンは、爵位を取って何年も経つのに、未だに成り上がり者と蔑まれているのに!
レイビック伯爵が殺されて居なくなったところで、自分が後釜に座るのは、どう考えても無理があった。
「ロンゴバルト兵がついておりますゆえ、誰も反対できません」
ギャバジドは泰然自若として宣言した。
「力の問題でございます」
サジシームは間違いのない男だった。ハブファンにはわからない読みと実行力を持つ男だった。彼が言うなら、この計画は成功するのだろう。ハブファンは不安を押し殺して、朗報を待っていた。
だが、何の連絡もなかった。
こんな場合の指示を受けていなかったし、彼には軍事的な問題はさっぱりわからない。不安ばかりが募る。迷いに迷ったが、結局、腹心の者に言いつけて様子を探らせることにした。レイビックの親戚を訪ねると言う名目で。これなら誰にも、何の疑いも持たれないはずだった。
「マジソン、確かレイビックの伯母が病気だと言っていたな?」
ハブファンは、家令のマジソンを呼び出した。何度か、ギャバジドにも会っているはずだ。
「はあ。でも、先週治ったと手紙が参りまして」
「だが、見舞いに行かんと言うのは不義理だろう」
「わたくしとは疎遠でございましたから」
「そう言わずに、レイビックにまでひとっ走り行ってこい。ロンゴバルトから連絡が来んのだ。百人もの兵が消えうせるわけがない。もう城を占拠していて、わしのことなど忘れているのかもしれぬ。途中で、万一、レイビック伯の手の者に会って何か尋ねられたら、伯母の見舞いだと返事しなさい」
事情を知らぬ者が出かけても、ギャバジドのことだ。おそらく会ってもくれないだろう。それどころか、追い返されるくらいならとにかく、使いの者の首を刎ねるくらいやりかねなかった。
「全く……。何があったのか知らないが、面倒なことよ。王宮を同時に襲撃するとか言っていたが、そちらの方も、まだ、何の連絡も来ないしな」
その頃、フリースラントは荷馬車にはあるまじきスピードで馬車を走らせていた。
ウマを付け替え、たいして頑丈でない荷馬車が次々とダメになる勢いで街道を爆進していた。
中身の人間の方は、もはや半死半生だったが、馭者台のフリースラントだけは平然として夜昼構わずウマに鞭を振るっていた。目立たないようにと、せっかく宿の下男の服を借りて変装していたのに、まるで逆効果で、狂気のスピードが目立ちまくっていた。こんな御者は頭がおかしい。街道筋の連中はあきれ返っていた。
その結果、彼は途中でハブファンの使いも追い抜いてしまったのである。
そのため、ハブファンのこのお使い(スパイ)は逆効果になってしまった。
マジソンは街道を移動するほかの誰とも同様に、捕まって尋問を受け、レイビック城へ連れて来られたのだった。
レイビックで噂を集めるなどと言う、まだるっこしい真似をせずとも、ある意味首尾よく直接レイビック城へ入れたマジソンだったが、応対したのが当のレイビック伯本人だったため、見ただけで歯の根が合わなくなった。
「ああ、お前はハブファン殿のところの……」
フリースラントは言いかけて、詰まった。ハブファンの家の召使の誰かだということは思い出したのだが、名前を知らなかったので、それから先が言えなかった。
「名は何という?」
「マ、マジソンでございます」
マジソンは震え声で切れ切れに答えた。顔を知られている以上、偽名でも使おうものなら、話が余計ややこしくなることは目に見えていた。
「マジソン、お前はハブファン殿のところの執事か何かをしていたな? ハブファン殿は息災か?」
「はい、おかげさまで」
「今日は何用で、この城に参った?」
「わたくし、わたくしは、あの、こちらのお城に伺ったわけではございません。伯爵様のご家来衆にここまで連れられてまいりましたわけで。本当の目的は、レイビックの伯母が病気でございまして見舞いに」
「ほう。それは気の毒をした。何しろ、この城が数日前賊に襲われてな。警戒しておるのだ」
「さ、左様でございましたか」
「驚くだろう」
「あっ、え、ええ、もう、びっくりでございます」
マジソンは、ここは驚かなくてはいけない場面だったと気づいて、あわてて驚いて見せた。
「それはとにかく、賊の仲間の誰かが様子を探りに来るだろうと思ったので、街道を通る者全員をこうやって尋問しているのだ」
飛んで火にいる夏の虫とは自分のことだとマジソンは焦った。額に脂汗がにじんできた。
「まあ、マジソン、襲われはしたものの、大した人数ではなかったので、被害もほとんどなかったがね」
「大した人数ではなかった? ございませんでしたか……そ、それはようございました……」
「しかも真昼間きたらしい」
「え?」
マジソンはびっくりして顔をあげてフリースラントを見た。夜中の襲撃だったのでは?
「台所のドアを開けて、入ろうとしてきたのだ」
「ロンゴバルトがですか?」
フリースラントはニヤリとした。誰もロンゴバルト兵が来たとは言っていない。
「そうだ。料理番の女にフライパンで滅多打ちにされたのさ。弱いな、あの連中は」
それから彼は手で合図して、マジソンに尋ねた。
「会ってみるかい? ハブファン殿にはいい土産話になるだろう。一人しか生き残っていないんだがね」
マジソンは話がおかしいので必死になった。
「残りの、あとの連中は?」
「言ったろう。滅多打ちにされたって」
「一人の料理番にですか?」
「料理番一人じゃおかしいかな?」
「一人が、百人全員をやっつけたと言うのですか?」
あからさまなビンゴに、フリースラントは思い切り笑った。
「そんなに来るわけないだろう。レイビックみたいな田舎に。そりゃお前の想像だよ。なんの話をしてるんだ」
それからフリースラントは付け加えた。
「じゃあ、残りの連中はきっと、山の魔王にでも食われちまったんだろう」
マジソンは夢でも見ているような気持ちになった。だが、彼ははっとしてフリースラントを見た。
間違いない。本物のフリースラントだ。フリースラントが彼の顔を覚えていたように、マジソンも何回もハブファンに付き従って、レイビックのこの城に来たことがあり、フリースラントの顔をよく知っていた。
だが、ギャバジドは、王宮の礼拝堂で必ずフリースラントを殺すと言っていた。ルシアは拘束すると。
「ルシア様もご息災であらせられますか?」
彼は震え声で聞いた。彼のような家来が聞くことではなかったのだが、どうしても聞いてみたくなったのだ。この話は、一刻も早く主人のハブファンに伝えなければならなかった。
「むろん。自分の部屋にいることと思うがね」
「主人に申し伝えます。お二方様ともお元気でいらっしゃると。手前どもの主人もさぞ喜ぶことでございましょう」
マジソンは辞去した。
フリースラントは、例の三人の騎士に合図した。
「あいつだ。つけろ」
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