アネンサードの人々

buchi

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サジシーム

第113話 ロドリックの矢

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「全員集合してから、まとまって襲撃する気だな?」

 おそらく、最後尾の者が着いたのだろう。後ろから伝令がゆっくり歩いて行って、一人だけ違った身なりの男に知らせ、伝令はまたゆっくり移動しながら攻撃の知らせを最後尾まで伝えに動いていった。

 暗闇なので、彼らはゆっくり移動するしかなかったのだ。

 だが、ロドリックには、伝令が動いていくと、知らせを受けた連中が全員城の方角に向き直り、剣を握りしめる様子が完全に見えていた。

 城の前の広場には、伝令の動きと同時に、さわさわとひそかな(ロドリックの耳にしか聞き取れないくらいの)小さな声がして、わずかな光が一斉に消されていった。

 ロドリックはゆっくり弓に矢をつがえた。

「さて、前の者から射るか、後ろの者から射るか」

 最後の小さな光が消えた時、彼はバルコニーの上から狙いを定めた。


 矢は音もなく放たれ、漆黒の闇を切り裂く。

 それはきれいで素早い一瞬の動きだった。なめらかで何のためらいもない、決まりきった機械のような動きだった。


 最初に倒れたのは司令官だった。

 真っ暗だったのが幸いした。

 お互いにお互いが見えないのだ。すでに小さな灯りも消された後だった。司令官が倒れたことも、すぐ近くの者さえ、その瞬間に気が付いたわけではなかった。

 矢は次から次から放たれていく。多くの人間が次々に倒れていった。
 混乱は、瞬時には広がらなかった。見えないのだ。
 矢だとわかるまでに時間がかかった。幸運にも矢を受けなかった者たちは、倒れた仲間を抱きかかえ、あるいはのぞき込み、仰天して、大急ぎで周りを見回した。
 だが、何も見えるはずがなかった。
 そして、次の瞬間、自分自身も射抜かれ命を落とした。

 彼らは暗闇では何も見えない。それがロドリックのつけ目だった。どこから矢が放たれているのかも全然わからない。
 軽い空を切る音以外、何の前触れもなく、どこからともなく矢が狙ってくるのだ。


 声を出すな、明りを灯すなとと厳命されていることは明らかだったが、誰かが悲鳴を上げ、それで、後ろの方にいた連中もようやく気付いた。だが、その頃まにでは、すでに数十本の矢が放たれていた。

 何人かが、大慌てで松明を灯した。叫ぶ声、悲鳴、あわてて火を点けて火傷する者、大パニックに陥っていた。

「バカ者。見えやすくなったじゃないか」

 ロドリックは、薄ら笑いを漏らした。松明を灯すと、その周りがさらに倒れ、それでも矢は規則的に放たれ続ける。

 バルコニーは真っ暗だった。
 絶対にロドリックの姿は見えないだろう。松明の光もそこまでは届かない。誰が、どこから矢を射ているのか、見えるはずがなかった。

 だが、街道へ逃げられてはならない。また、矢から逃れようと、城を襲撃されても困るのだ。

 ロドリックは、彼らの先頭と退路を集中して射た。矢だけでは足りない。パニックを起こしたい。例えば、あの中にのりこんでいって……
 それは、本当はしてはいけないことだった。
 昔、やってしまったことがある。闇夜を利用して、暗闇では全く見えない人間たちの間に割って入り、次から次へと惨殺していった思い出。二度とするまいと固く誓っていたが、それはこんな遠方から射るより、ずっとずっと……そう、手応えがあった。
 二度としないと誓ったのは、それが彼にとって魅惑的だったからだ。簡単に決着をつけられ、充実感があった。圧倒的なまでの力で、血飛沫もろとも敵を地に叩きつける。誰も彼に勝てない。絶対的勝利者だった。世界を支配しているような酔ったような勝利感と高揚感……
 

「バカなことを考えちゃいかん」

 ロドリックは、そんな誘惑は振り切った。
 彼は額に汗をかき始めていた。もう何本射たことだろう。超人的な彼にしても、無理な本数だった。額の汗を服の袖で拭った。



「ロドリック」

 後ろから突然、声をかけられロドリックは心底びっくりした。
 テンセスト女伯だった。

 彼女は、ロドリックのすぐそばに近づいた。

「だめです。出て行ってください」

 ロドリックは射続けていたのだ。邪魔になる。だが、彼女は出て行かなかった。素早い身のこなしで、逆にロドリックに近づき、射続けているロドリックの頬に、いきなり手を触れた。ロドリックはびっくりして、思わず矢を射る手が止まった。

 その手はひんやりと冷たく、心地よかった。火照った顔や体から、すうっと余分な熱が抜けていくようだった。

 次に、彼女に触れられた頬から、体中に、なにか温かいもの、心地よいものが広がっていく。

 たまっていた体の疲れがすっと消え去り、同じ動作ばかりを続けていたせいで凝り固まった筋肉が解きほぐされた。ぐっすり寝て、自然に目が覚めた時のすっきりした感触が残った。そして、頭は冴え体中に力がよみがえった。

 女伯が突然彼の頬から手を放した。

「城を守らないと。これでまた動けるわ」

 そう言うと彼女は手を放し、一歩下がった。

「城さえ守れれば……あとは逃げられても構わない。このうわさが広がれば、怖れて、この城を襲う者はもうでない」

 女伯は入って来たときと同じく素早く出て行き、代わりにペリゾンが入ってきた。

「お食事をお持ちしました」

 彼は椅子の上に簡単な食事を置いた。暗いので慎重な動きだった。

「奥方様が、是非にもお召し上がりくださいと」

 ロドリックは、もう矢を射ていなかった。彼は力を得た。みなぎるエネルギーを。

 下を見ると、矢を逃れた者たちが右往左往して大混乱に陥っているのが見えた。
 彼は、思わず笑いを浮かべた。

「ペリゾン、俺の部屋に急いで行って、部屋の真ん中の置いてある櫃から鎧兜を出してきてくれ。鍵はこれだ」

 ロドリックは首から掛けた鎖を取ってペリゾンに渡した。鍵が付いていた。

「ああ、そうだ。一人では運べない。誰かもう二、三人連れていけ。大急ぎだ」

 それから彼は食事をした。肉にかじりつき、温かいスープを飲むと胃から、さらに力が湧き出る気がした。

 女伯は彼から疲労を取って、代わりに活力を与えていった。

『これでまた、動けるわ』

 動ける。動けるどころではない。ロドリックは立ち上がった。体中に力がみなぎっていた。

「出来る」

 自然に笑いがこみ上げるようだった。誰にも見えなかったろうが、彼は気味の悪い笑いを浮かべ、目が光って見えた。

「皆殺しだ」

 ガラガラと音がして、ペリゾンたちが何かを台に乗せて、運んできた。

「急ぎました」

 彼らは息を切らしていた。

「重いです。これは重い」

 ロドリックは答えなかった。彼は、素早くその恐ろしく重い鎧と兜を身に着けた。(ペリゾンたちはあっけに取られていた)

「行ってくる」

 そして、傍らの剣を手に取った。

 若い騎士連中は、その姿に呆然としていた。

 なんと大きな騎士だろう。

 全身を覆う金属製の鎧兜は、大変な重量だった。その上、彼らでは持ち上げることすらできなかった剣を片手で軽々とつかんでいる。ロドリックは、まるで軽い革の鎧でも着ているかのように、走って出て行った。

 はっと我に返って、ペリゾンたちはバルコニーまで出て、目を凝らした。
 だが、城の周りは漆黒の闇で、彼らにはなにも見えなかった。

 だが、彼がどこかで活躍していることだけは確かだった。叫び声や、うめき声、ボキっとか、ザンっとか言う嫌な音が聞こえたからだ。
 敵方の悲鳴のような声や、ロドリックの低い声も聞こえたが、何を言っているのかはわからなかった。

 恐ろしい数時間が過ぎ、ようやく夜が白み始め、ペリゾンや従僕達にも淡い太陽の光で下の様子の判別がつくようになった時、彼らは、あまりに凄惨な光景に言葉を失った。

 全員が殺されていることは間違いなかった。
 背中や胸、顔に矢が刺さって倒れている者、剣で刺されて死んだ者、首を斬られた者、あたりは血まみれだった。
 ロドリックの姿はなかった。

「まさか……」

 だが、朝日がちょうど上るころ、彼は街道からの道を戻ってきていた。

「ああ、ロドリック様、ご無事で……」

 と、言いかけたものの、彼らは絶句した。

 ロドリックは数人の死体を運んでいた。彼の鎧兜は返り血で、血まみれだった。

 バルコニーで真っ青になって、様子をうかがっている連中を見ると彼は手を振って見せた。

 朝日が金属の兜に反射してキラリと光った。

「鋼鉄の騎士……」

 そうだった。鋼鉄の騎士の名の由来は、鋼鉄のような騎士などと言う意味ではなかった。

 身動きできないほど重い鋼鉄の鎧兜を着るから、その名が付いたのだ。

 そして、誰も知らなかったが、彼の部屋の立派な櫃の中身は、かつて彼が着用していた鎧兜、あだ名の理由になった恐ろしい重量の鎧兜だったのだ。


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