アネンサードの人々

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サジシーム

第110話 カプトルの宿

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「ロンゴバルトの匂いがしたので、教会を抜け出してきた」

 彼らは顔を見合わせた。匂い? 匂いなんかあるのか? だが、フリースラントはすぐに続けた。

「いいか? すぐ、この街を出る」

「教会を助けなくていいのですか?」

「どうやって?」


 ロジアンとトマシンは黙った。

「ロジアンの言う通り、ロンゴバルトは港から入って教会を包囲している。目的はわからない。だが、多分、計画的なものだ。貴族と王室を狙ったのだ」

 フリースラントは続けた。

「王室は軍を形骸化してしまった。今、ダリアには、戦える者がいない」

「そんなことはありません! レイビックの者は……みんな訓練を受けているし、軍備も十分です。このまま、ロンゴバルトの進入を許すのですか?」

 トマシンが叫んだ。フリースラントはトマシンの顔を見た。

「だから、レイビックに戻らなくてはならない。まずは無事に戻らなくてはならない。話はそれからだ」

 亭主は最上階の部屋に上がったままだった。

「どうだ? なにか見えるか?」

 フリースラントは亭主に声をかけた。

「わかりません。でも、警備兵が、教会の正面の大扉を開いたようです。逃げ出している者もいます」

 警告の矢が、役目を果たしたのかもしれない。

「ルシアとシューラ、用意はできたか?」

 二人は、宿の女中の服を借りていた。
 誰も何も言わなかったが、宿の女中が着ていたみすぼらしい服を、この二人が着ると、全然違った風に見えるのは驚きだった。みすぼらしくて地味なのに、この二人だと、まるでわざわざ制服をあつらえて着ているようだ。かわいい。
 反対に、下男の格好になった男連中の方はと言うと、年配のゾフはとにかく、服が簡単なだけに逆に体格の良さが引き立ってしまっていた。服が肩と胸に引っ掛けられているように見える。こんな時なのに宿の女中が見て驚いていた。

 六人は急いで普通の馬車と馬で出て行った。

「出来るだけ目立たないように。しかし、早く出よう」

 フリースラントは指示した。

 首都で何が起きているのかわからない
 フリースラントには、喧騒と何かが燃えている匂いがどんどん強くなっていくのか感じ取れた。ロンゴバルト兵の匂いも。

「急ごう! 早くレイビックへ!」

 明らかに結婚式を狙ったものだった。
 王族と大貴族……この国の支配階級を狙い撃ちしていた。
 彼らを人質に取るつもりだったのだろうか? それとも一網打尽に、全員殺すつもりだったのか。

 フリースラントとルシアも、狙われたうちの一人に間違いなかった。

「ならば、逃げた方がいい」


 今はたった四人の男(もし、ゾフをその中に入れるならだが)と足手まといな女二人だった。

 ロンゴバルトは三百人くらいいたのではないだろうか。

 万一、教会の中の人々が全員死んでしまったら、この国の支配階級はめちゃくちゃになってしまうだろう。

 式を狙ったのは、支配階級が一堂に会する上、密室状態になるからだ。

 披露宴だとそうはいかない。

 給仕や料理人の出入りが多く、貴族たち本人も自由に出入りできる。まさか宴に武器は持ってこないだろうが、従者や護衛もいるので、人数は何千人になるだろう。僅か三百人のロンゴバルト兵では手に余るだろう。

「うまく仕組みやがった」

 フリースラントは状況を理解した。なにか怒りのようなものを感じた。

 ロンゴバルトの誰が仕組んだのかわからないが、うまいやり方だった。少人数で、王国の頭を押さえたのだ。フリースラントの目の前にはサジシームの、人をバカにしきった顔が浮かんできた。

「何でも知っているような、小狡そうな顔をした男だったな」

「誰のことでございますか?」

 ロジアンが丁重に尋ねた。

「いや、ロンゴバルトの誰が指揮を執ったのか、気になったのだが、ロンゴバルト人と言えばサジシームしか知らないので……。私はあまりいい印象は持たなかったが」

「それは仕方ございません。何しろ、サジシーム殿はハブファン殿のご紹介で来られたのですから。ハブファン殿は陰で人身売買をしていると言う噂がございます」

「そうだったな」

 ハブファンが式に参列していたかどうか、思い出そうとしたが、あの式場は暗かったうえ、人が多すぎたので全然わからなかった。もし、彼が来ていなかったとすれば、事前に情報を得ていた可能性がある。ハブファンは、ロンゴバルトと結びつきが強い。
 出席していたかどうかと言えば、元気よく出席の返答を送ってきていたルストガルデ殿の出欠も気になった。
 もし、出席していなかったとしたら、やはり、ほんとうに幽閉されているのだろう。

「急ごう。レイビックやベルブルグ近郊の領主たちのうちにも、死んだ者がいるかもしれない」

「大変なことになりました」

 ゾフが顔色青ざめてそう言った。
 その通りだ。いや、それどころではないのだ。
 備えなければならないのだ。
 首都を押さえられてしまったら、次はどこだ。

 だが、まだ、南の地方都市ヌーヴィーと首都カプトルしか押さえられていない。その間はダリアの手に残っている。補給線が切れている状態だ。

「その間の街道沿いの領主は誰だろう?」

 フリースラントは考えた。
 大領主の名前くらいは知っていても、それぞれの領地の正確な区割りまで知っているわけではなかった。

 フリースラントだって、事ここに至って初めて、国防上、どこの地域が大事なのかということを考え始めたのだ。
 十五年前の戦争に参加していた者たちなら、そう言った知識も自然と身についていたろうし、軍の配置も出来ていただろう。
 だが、ロンゴバルトも多数の死傷者を出した割には、得るものが少なく、面白くなかったようで、それ以降全く動きがなかった。逆に、積極的な貿易が始まり、こちらの方が利益になっていた。

「それが、なぜ、今頃、攻め寄せてきたのだろう?」

 理由はわからなかったが、ロンゴバルトが、今の状況のまま何もしないとは考えにくかった。次の手を考えているに違いない。そして、まず、ヌーヴィとカプトルの間の街道を支配下に置こうとするだろう。
 ロンゴバルトから、大軍勢が進撃できるように、体制を整えるだろう。

「だが、各領主の生死のほどが不明だ」

 フリースラントは歯ぎしりした。

 領主を人質に取られた領地の管理人はロンゴバルトの通行と食料品等の提供を許すだろう。

 式に出席した領主は、大貴族が多く、したがって裕福な街道沿いに領地を持つ者が多いはずだ。

「しかも、死んでいれば防衛に徹することができるが、生死が不明となると……」

 今、この瞬間にフリースラントの領地自身も何らかの脅しをかけられているのかもしれなかった。

 レイビックには金鉱がある。ロンゴバルトが、最も興味を持ちそうな資産だった。

 レイビックは、最北に近い町なので、最も安全なはずだが、ベルブルグに近い。

 ベルブルグの権力者はハブファン伯爵だった。

 ハブファンが、サジシームと気脈を通じていることはわかっていた。

 あまり、安心できる状態ではなかった。


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