アネンサードの人々

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レイビック伯

第103話 波乱の舞踏会、参加者暴走

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 やがて、当日を迎えた。

 舞踏会は盛会で、招待した数より、実際の参加者の方がはるかに多かった。無理矢理参加を頼み込んできたクチが大勢いた。
 ゾフは頭を抱えた。予定が狂う。

 招待客はそれぞれが精一杯着飾って、そして、できるだけ儀式ばって、会場に入って来た。

 フリースラントとルシアは、並んで客を迎え入れ、笑顔を振りまく。
 誰もが思わず彼らに見入った。高い身分と金と美貌だ。思わず緊張した。


 やがてダンスが始まった。

 硬い表情のルシアの手をフリースラントが取り、ダンスの先頭に立った。
 次々に、ダンスの組が続いていく。

 ルシアは城内の噂をよく知っていたから、外向けには、にこやかな笑顔で客たちを迎え入れたが、フリースラントの顔を決して見なかった。
 フリースラントも、滅多にない笑顔で客たちの話にうなずいたり、来訪に謝辞を述べたりしていたが、ルシアの無視にだんだん気分がしぼんできた。

「ルシア」
 ルシアが宝石のような目をあげた。
「ルシア、僕はいまだに君の兄なんだろうか?」

 ルシアは、とっさに答えが出なかった。

 フリースラントはルシアを引き寄せた。ルシアは固くなった。
「デラをお茶会に誘ったと……」
「誘いたかったのは、ルシア、君だ」

 婚約破棄するつもりなのに、なぜ、私をお茶会に誘いたかったなどとと言うの?

 ルシアはダンスが終わると、フリースラントの腕の中から逃げ去った。


「なにしてるんだ、フリースラント」
 むりやり駆り出されてやむなく夜会服に身を固めたロドリックは、なんとなく仲の悪そうな二人の様子にイライラした。

「うまく伝えられないにしても、抱きしめてみるとか、ベッタリくっつくとか、なんかやりようがあるだろう」



 騎士のマルドアンは、物憂げなイケメンで女子に大人気だった。
 彼が今晩の舞踏会の相手に誰を選ぶかは注目の的だった。と言うのもあれほどもてはやされているのに、彼には浮いた噂が全くなかったからだ。

「まさか、踊らないのかしら?」

 だが、彼の薄い色の目はじっとルシアを追っていた。

 ルシアがフリースラントを振り切ると、彼は動いた。
 マルドアンは巧みだった。彼はルシアの逃げ去った場所に先回りして待機していた。

「ルシア様、冷たいお飲み物でも?」
 彼は用意よくレモネードを準備していた。狙っていたのだ。

 ルシアは顔が真っ赤だった。

 マルドアンは、やさしく話しかけた。
「会場が少し暑いようですね、ルシア様。ちょっとお休みになられては」

 マルドアンは適度な距離を取って、ソファに掛けたルシアをうやうやしく見下ろした。
 身近で見ると、何と言う美しさだろう!
 これまで、そばに近寄ることなんか許されなかった。
 顎の線、高くて細い鼻、みずみずしい唇、何よりその目だった。
 少し潤んで、ちょっと困っているようだった。

「侍女を呼んで参りましょうか?」

「いいえ。大丈夫です」

 ルシアの返事を聞いた彼は微笑んだ。ふたりきりだ。侍女なんかいらない。

 ルシアは、自分のことで夢中で、誰がそばにいようと気にならなかった。
 

 フリースラントがルシアをすぐに追いかけられなかったのには訳がある。
 ルシアの避難先の反対側で、フリースラントはデラの襲撃を受けていた。

「お茶会に誘っていただくはずでしたのに……」

 こいつが女でなかったら、首を引っこ抜くところなんだが……とフリースラントは殺意を含んだ目つきでデラを見た。

「できれば、ぜひ、一曲」
 デラは恥じらうように甘えた口調でにじり寄った。

 ところが、そこへ精一杯着飾った田舎貴族の娘たちが、何人も「お見知りおきを」と叫びながら、突進してきた。
 みんなフリースラントが目当ての娘たちだった。

 この光景には、フリースラントのみならず、デラも仰天した。
 舞踏会の席で、呼ばれもしないのに、大勢の女が我先に押し寄せる光景なんか宮廷では見たこともなかった。
 しかも、どいつもこいつも、トンデモブスばっかりだ。そもそもドレスと化粧がなってない。デラは舌打ちしそうになった。
「しかも、女からダンスを要求するって、どう言うことなの?」



「レイビック伯爵は、女性に大人気ですね」

 離れたところでは、マルドアンがルシアに向かって物憂げな様子で言っていた。

「あれはベルブルグの近くの大領主コージー子爵の一人娘ですね。美人だと有名な。レイビック伯爵のお気に召したのでしょうか」

 根負けしたのか、何人かと踊っておかねばならないと考えたのか、フリースラントが一人の令嬢の手を取ってフロアへ出てきた。

「ルシア様はレイビック伯爵をお好きですか?」

 ルシアは思わず、マルドアンの光るようなグレイの目を見た。

「すでに気に入った侍女がいて、その侍女のために茶会を催すと聞きました……そして、婚約を破棄すると」

 まだ、決まっていないのに、みんなが噂している。心が痛む。私のことは、ほっておいて。

「結婚する前から噂が絶えない。きっと、レイビック伯は、結婚後も浮気の機会には不自由しないでしょう。今日だって、あんなに着飾っておられる。大勢の女性が周りを囲んで…」

 その言葉には真実と毒があった。言われてみれば、フリースラントは珍しく気合の入った格好をしていた。

「誰かたった一人の人に、心から愛されたいとは思いませんか? あなただけを大切にしてくれる人に」

 マルドアンの口ぶりは何気なさげだったが、その言葉は心に刺さった。どこかに悪意があった。

 ルシアがマルドアンに話しかけられている様子は、たとえ柱の影だったとしても人目に付いた。フリースラントと地元の自称美人の組み合わせより、こちらの方が密かに注目の的だった。

「お美しい……」

 誰かがつぶやいた。


「悔しい」
 マルドアン狙いの侍女のマデリーは、本気で悔しがっていた。
 ルシアに毒でも盛りそうな勢いである。

 騎士たちの方は、たとえば、ロジアンなどは眉をしかめていた。
「俺なら、あんなこと、絶対にしない」
 彼は、主人のフリースラントをよく知っていた。
「俺は命が惜しい」



「あなたを大事にしてくれる人を知らないだけです」

 マルドアンは、彼の言葉の意外さに驚いているルシアの瞳を見つめて言った。

「あなたを愛して、一生大事にする。あなただけを大切に」

 彼は身をかがめて、ルシアの目をのぞき込んだ。

 イケメンで有名な男の中には、資産や身分の高い女を好んで食い潰す男もいる。高位の伯爵令嬢が、馬丁に惚れ込んで、父の伯爵が泣く泣く知人にその馬丁を養子にしてもらい、貴族の格好を付けて、結婚した話なんかもわんさかある。

 だが、ルシアをのぞき込むマルドアンの目に、打算や計算があるわけではなかった。
 むしろ狂気だ。

「手に入らなければ、あなたを殺して、私も死ぬ」
 不意に彼は言った。
 ルシアは引きつった。どこかで一度聞いたことがある。
 ルシアは彼から離れようとした。マルドアンは、無理に笑った。
「冗談ですよ」
 だが、彼はルシアの動きを制した。

「お兄様を愛しているのですか? 妹だったのでしょう?」

「え?」

「そんな想いはあってはならない……神に背く。許されざる思いです」

 ルシアは、無理矢理、目の前に立ちふさがるマルドアンを押しのけた。彼女は逃げて行った。彼女の夫は父だったのだ。



 フリースラントが釣りたいと切望している女子はたった一人だった。
 そのために自分の魅力が最も発揮されるよう腐心したのだ。魅力的なのかと言われれば、実は自分では良く分からなかったが、それはとにかく努力はしたつもりだ。

 努力は予期せぬ大量の女子と言う形で報われ、一方で仕掛け人のデラはイライラして、爪を齧っていた。

「なにをしてるんだろう、俺は……」

 家格などを考えると一人と踊ると他の女性を断りにくい状況が発生した。どいつもこいつもドングリの背比べだ。いや、ルシアに比べたらジャガイモの羅列だ。
 だが、目を輝かせて、次は自分だと信じている田舎娘は拒否すると泣き出すかもしれない。
 そばには、お招きしなかったはずの彼女たちの父や母、おじおばなどが、万が一の玉の輿を狙ってウロウロしていた。
 フリースラントがやむなく片っ端から、もはや誰が誰だかわからない令嬢たちと踊り狂っている間に、見てくればかり美しい男が、しっぽりとルシアの手を握っているのである。


「令嬢がたに大人気ですわね」
 怒り狂ったデラが声をかけてきた。お前に独占欲を発揮されるいわれはない。ルシアならとにかく。


「ルシア様はどこへ行かれたのでしょう? 先ほどまでマルドアン様とご一緒でしたのに」
 ルシアをほったらかしにするから、マルドアンが誘惑されたのだと考えたマデリーが忌々しそうにフリースラントに毒を注ぐ。


 断っても断っても、一曲お相手をと迫りくる田舎者のおっさん貴族にうんざりした母の女伯が、早々に舞踏会の終了宣言を出した。
「ダンスは、もう十分ですわ。皆様お疲れでしょう」

 踊り足らんとフリースラントは切実に願った。彼の体力は無尽蔵である。余力は十分ある。ルシアとまだ1回しか踊っていない。

「最後にもう一度」
 彼はゾフに目で命令した。
 もうお開きにしたかったゾフだったが、ご主人様の意向には逆らえない。
 やむなく彼は楽団に合図した。


 フリースラントはルシアを探した。返事を聞かねばならない。

 ルシアは、目を輝かせた若い貴族にダンスを申し込まれているところだった。
 身の程知らずもいいところだ。元王妃に申し込むだなんて、とんでもない。これだから、ちょっと目を離すと……

「最後のダンスは、婚約者の私と……」

 フリースラントは有無を言わせぬ調子で、その若い男を威嚇した。

「もう、疲れましたから……」
 ルシアは心なしか、元気がなさそうだった。

「どうしたの? ルシア?」
 彼女が気にしたのは、マルドアンが投げつけた毒を含んだ言葉の数々だった。
 確かにフリースラントは悪い容姿ではない。あのマルドアンより。でも……

「誰か、お気に召した方はございました?」

 フリースラントは、むかっとした。
 それどころではない。
 まるで遊園地の回転木馬みたいだ。
 次から次へと、希望者を乗せて走っただけだ。
 今度こそ、自分自身の希望を叶えたいのに…

「そっちこそあのアッシュブロンドと、一体何の話をしていた?」

 ルシアはむかっとした。
 好きで喋っていたわけではない。
 そのアッシュブロンドは、たまたまルシアの避難先にいただけだ。

「そりゃ、狙われていたんだ。僕が注意していなかったら、ルシアは、今頃周りを男に取り囲まれている」

「婚約破棄しましたからね」

 ええ、何言ってんだ、そんなわけないだろう。どうして、ルシアには違うってことがわからないんだろう。だが、それより今は気になることがあった。

「あの男に何を言われていたの?」
「えっと、それは……」

 恋人ポジをどうしても取れないなら、この際、兄ポジでいい。兄らしい昔の調子で彼は命じた。

「母上も心配しておられた。後で、僕の書斎に来なさい。母上と一緒に話を聞くから」



*************************************

 ちなみに……そして全くの余談だが、ダンスフロアの真ん中ではなく、壁周辺では、奇怪な光景が広がっていた。

 何もできないゾフが気をもんでいる前で、おっさん貴族と若い貴族、執拗な侍女が、本来なら、年齢オーバーで、立派な壁の花になるはずだったロドリックと女伯をそれぞれダンスフロアに誘い込もうと、熱弁を振るっていた。

 奥方様は特に気の毒で、母上として君臨していればいいだけのはずだったのに、通りすがりにハッとして振り返る男どもが後を絶たなかった。

 あの奥方様にダンスの申し込みなど!
 身の程知らずにも程があると、ゾフは、身震いするほどカンカンだった。

 ロドリックも困惑していた。筋肉好きの男と言うのは、どういうわけかどこにでも一定数存在するらしい。ロドリック狙いの侍女との相性は最悪で、お互いにお互いを蛇蝎だかつのように嫌いあって、彼の前で言外にたっぷりと毒を含んだ皮肉の応酬を始めるに至っては、もはや手が付けられなかった。

 しかし、酔っ払って、詰め寄る老若男女・自称『名門貴族』どもは手強く、ラストダンスが宣言されると攻勢はさらにヒートアップした。

 ついに苛立ちの色が隠せなくなった女伯と目があったロドリックは、なんと、女伯の手を取ると、さっとフロアに進んでしまったのである。

 フリースラントとルシアは同じラストダンスのためにフロアに出ていたので、この有り様に気付いていなかった。

 この取り組み合わせは、ゾフの度肝を抜いた。
 あいにく、ダンスもうまければ背格好も頃合いで、見た目は大変立派な組み合わせだった。
 しかし、踊りながら、ふたりは、猛烈に気まずそうだった。
 後日、その話は全く出なかったので、結局、フリースラントとルシアは、知らずじまいで終わった。

 このこともあって、種々くさぐさの伝説を残した『レイビック城の舞踏会』は、二度と開催されることがなかったのである。



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