アネンサードの人々

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レイビック伯

第101話 今度は侍女が誤解を始める

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「フリースラントのところに行ってきます」

「でも、私のことは黙っておいてください。ショックを受けるかもしれません。アネンサードの話も」

「言いません」

 ロドリックは真面目に請け負った。
 部屋を出しなに後ろを振り向くと、女伯はドアに背を向けてうつむいていた。顔は見えない。
 もっと聞きたいことが山のようにあったが、今はフリースラントとルシアだった。そして、そのあと、彼はきっと女伯を問い詰めるだろう。
 知りたい。

 でも、まず、フリースラントに伝えなければならない。ロドリックが余計なことを言ったせいで、フリースラントは迷走している。
 ロドリックは、一家の主な住まいである南翼に急いだ。




 だが、南翼に入ると、どこかから、若い娘たちの声が聞こえてきた。

「今度、私、レイビック伯爵様とお茶会をすることになったの」

「え?!」

「本当なの?」

 ほかの誰かが真剣に驚く様子がうかがえた。

「本当よ。お誘いいただいたの」

 控えめにと心がけながらも、得意そうな様子が隠し切れない調子で、誰かが答えた。

「こんなことを言ってはいけないんでしょうけれど……ついにルシア様が嫌になったんじゃないかしら」

「あんなにお美しいのに?」

「だって、最近、伯爵様はルシア様のお部屋に全然お越しにならないじゃないの」

「そう言えばそうね。結婚式の話も聞いたことがないわ。確かにおかしいわね」

「ご身分も高いし、おきれいだし、怜悧な方ですわ。でも、あいにくあの性格じゃねえ。残念だわ。それを鼻にかけてツンケンしてらっしゃるようじゃ、いくら婚約者でも、そりゃ鼻につくわよね。私たちのような者の方が心が休まるのよ。仕方ないわよね。トーナメントの時に、伯爵に話しかけられたの。私を招待したいって」

「まあ! すごいわ、デラ」

「今のところは秘密よ?」

 ふふふ……と誰が得意そうに笑う声が聞こえた。

 残念ながら、彼女たちの会話はロドリックには丸聞こえだった。南翼にいるどんな召使や騎士たちの私語も、聞こうと思えば、聞こえるのである。

 話の内容から、きっとあれはルシアの侍女の誰かだ。


 フリースラントがデラとか言う娘を招待するだなんて考えられない。何の話なんだろう。

 とても急いでいるところだったが、ロドリックは、ヒョイとその会話が聞こえた一隅をのぞき込んだ。

 かわいらしい娘たちが、三人ほど固まっていた。かわいらしかったが、ロドリックは急いでいた。お話に加わって事情を聞くのは面倒だった。こいつらの話の要旨はわかっている。

「デラと言うのは誰?」

 唐突に彼は名指しで聞き、娘たちは犯罪の現場を見つかったようにビビった。
 彼女たちは顔を見合わせながら、恐る恐るロドリックの顔を見た。

 今、何の話をしていたっけ?
 お茶会の話だわ。あ、でも、ルシア様の悪口も混ざっていたような……
 大丈夫、絶対聞こえていない。
 そんな大声ではなかったし、話をしてからずいぶん経つもの。

 絶対、聞こえていないと思うと、この城の中でフリースラントに次いで権力者のロドリックから、珍しく声をかけられたので彼女たちは舞い上がった。
 特にデラは舞い上がった。名前を覚えてくれていただなんて、どうしてかしら?
 ロドリックは確かに若くなかったので、彼女たちの候補には含まれていなかった。しかし、声をかけられた途端、侍女たちは素早く反応した。
 関心があるんだわ! 直ぐにそこに思い至った。

 ロドリックはとても人がよさそうな顔をしていた。優しそうだ。力は強くても、悪いことなどしそうにない。

『心優しい巨人て感じよね』
『悪くないわ!』

「デラは、わたくしです」

 ロドリックはじっくりデラを観察した。こいつか。
 背は低めで豊満な体形、つやのある茶色の長い髪、茶色の瞳、なかなかの美人だ。

「そう」

 ロドリックは顔だけ確認するとそのまま行ってしまった。


「デラ、あなたを見つめていたわ!」

「意外に照れ屋さんなのね? 名前だけ聞いて、ほかに話もしないで行っちゃうなんて」

「名前を聞かれるなんて!」

「でも、デラ、すごいじゃない? 二人から声がかかるなんて!」

「レイビック伯も、ついにとうとう婚約破棄ね。ルシア様があの調子じゃねえ」

「デラ、伯爵様がフリーになったら、お茶会の件もあるし最有力者じゃない」

「素晴らしいわ。お金持ちだし、冷たい感じがするけど顔を見るとうっかりみいってしまう」

「ロドリック様との結婚もいいかもね。やさしくて誠実そう。武芸に秀でていらっしゃるけれど、乱暴なことは絶対なさらないと思うわ」


 ロドリックには丸聞こえだった。
 それはない、とロドリックは思った。ここの侍女たちには妄想癖があるのか。別にどうでもいいが、ここまでかけ離れた人物評も珍しい。
 それに俺と結婚するだなんて……ロドリックは、たちまち暗くなった。せっかくフリースラントに朗報をもたらせると思って、気分的に明るくなっていたのに。
 フリースラントはOKでも、自分はダメなのだ。それは変わっていない。


「フリースラント!」

 彼はフリースラントの部屋に入った。

 フリースラントは自分の書斎で地図を並べて、ファン島とロンゴバルト、首都カプトルの位置関係と距離を確認しているところだった。
 こんなことをしている男がお茶会って……。

「フリースラント、今度、侍女を招待してお茶会をするんだって?」

 フリースラントは我にかえり、かなり気まずそうだった。

「いや、それはあの……」

「別に、俺は止めないが……」

 止めない。なぜなら、フリースラントが、どこの女と結婚しようと問題はなくなったからだ。
 しかし、あれだけ執着していたルシアのことが嫌になって、ほかの女に目移りするとは信じられない気がする。もっとも、そんなことはフリースラントの自由だから、ロドリックの口出しすることではなかった。

「今、母上に聞いたんだが……」

「何を?」

「お前は1/8らしい」

 フリースラントは眉をしかめた。すぐには何の話か意味が分からなかったらしい。

「俺は、クォーターだ。ワンエイスなら、妻は死なない」

 自分で言いながら、心がちくりと痛んだ。
 フリースラントは、ロドリックの顔を見つめたままだった。

「大丈夫だ。誰と結婚しても」

 元来、フリースラントは顔の表情が少ない。それでも、驚きから違う表情に変わっていくのがわかった。

「フリースラント」

 ロドリックは言葉を継いだ。

「すまなかった。俺と同じ目に合わせたくなかった」

 それでも、何も言わないのでロドリックは続けた。

「母上はご存じだった。ヴォルダ家にアネンサードの血を引く者がいないなら、お前の母上こそが真実を知る人に違いなかった。でも、よく考えたら、お前の母上は学校のダンスパーティに将来の結婚相手候補のリストを送ったと……」

 ガタンとフリースラントは、席を立った。

「そうだ。ロドリック! その通りだ。どうして今まで気が付かなかったんだろう」

「どこへ行くんだ? フリースラント?」

「父じゃなかったら、母の方に関係がある。母上が、そんな無茶をするはずがない。大丈夫だとわかっていたから、結婚相手の候補のリストを作ったんだ!」

 フリースラントは、部屋を出て行こうとしていた。

 どこへ行くんだろう?
 ロドリックは、ニヤリとした。
 決まっていた。ルシアのところに決まっていた。


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