アネンサードの人々

buchi

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レイビック伯

第94話 危機に際して、王室、孤立する

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 主だった貴族たちのうち、何人かは全く王宮に来なくなってしまった。王太子の結婚式の話は何とはなしに棚上げになった。

 王妃の国防はレイビック伯にお願いしましたという、突飛な申し出は、まずは当のレイビック伯に伝えられるべき事柄であった。
 王妃は気の利いたいいアイデアだと考えたらしいが、王妃以外でそう解釈する者は誰もいなかった。
 王ですら懐疑的であった。

 したがって、お使いを引き受ける者は誰もおらず、結局、王の侍従のうちで最も身分の低かったギジオラ殿が嫌な役目に当たってしまった。

 王宮からレイビックまでは、結構な距離がありその意味でも大変だったが、この依頼を受け取るレイビック伯の反応を考えると、こんなにまで面白くない、まずいお使いもないくらいだった。



 しかもギジオラ殿は、間の悪いことにレイビック伯が盛大に武芸大会を催している最中にレイビック城に到着する羽目に陥った。

 遠くからも、にぎやかで楽しそうな様子は聞こえてきたし、宴会の横を通り抜ける時も屈託のない楽しそうな人々の様子は目にしみた。

 王宮のとんちんかんな王と王妃から醸し出される、失意と陰気な雰囲気とはまるで違っていて、活気があって前向きな雰囲気だった。

 この陽気で明るい行事の最中、当主だって上機嫌に決まっている。そんなところへ、全く無責任で、いい加減な王家の勝手な言い分を持っていくことを考えるとギジオラ殿は、ますます気が重くなった。どう考えても歓迎されないだろう。

 待たされている間、彼はレイビック伯の城を見回した。
 最近建てられたばかりの城は年代を経た城の趣などはなかったが、どこもここも見事に整えられ、そして、合理的な建物だった。
 王と王妃とペッシが一生懸命建てている宮殿や礼拝堂が、どれもいびつで使い勝手が悪いことを思うと正反対だった。

 ビクビクしながらレイビック伯にお目通りを願い、初めてその顔を見た時、ギジオラ殿は、実は驚きで固まった。

 でぶでぶ太った醜い中年男を想像していたのだ。
 王妃は、レイビック伯がフリースラントだということを認識していた。だが、王宮の人々の誤解を解く気など、まるでなかった。関心がなかったのだ。したがってギジオラ殿も彼がどんな人物なのかなんの知識もなかった。

 イケメンと言う言葉がぴったりくる。
 ギジオラ殿は若くないし、男に興味はなかったから本来どうでもよかったのだが、すらりと背の高い若い男が、鋭い目つきでギジオラの顔をいささか不機嫌そうに見つめた時、彼はルシア様は大変なところにお嫁ぎ遊ばしたものだと感じた。この男は金持ちなだけではない。

 レイビック伯爵に会って手紙を渡し用向きを伝えると、彼は静かに笑い出した。

「国防の件はお引き受けくださるか?」

「いや、全く意味が分からない。なぜ、私にそんなことを期待するのだ」

 ギジオラ殿は胸をかれた。
 レイビック伯爵の言うことはもっともだった。

「ええと、ルシア王女のご夫君であらせられれば……」

「まあ、まだ式は挙げていないし、たとえ王女の婿であっても国防は王がべるものだ。違うかね?」

 ギジオラは黙るしかなかった。

「インゴットの件は?」

「まだ、式を挙げていない」

「では、早めに式をお上げくださるよう」

「だから、王室からの発表を待っているのだ。ルシア元妃を王女と認め、それを公表していただきたい。でないと、ヴォルダ家の兄妹が結婚することになってしまう。それがインゴットの引き換え条件だ」

 ギジオラはお使いに来ただけの中流の貴族だった。このお使いに当たるまで、レイビック伯爵の結婚にもルシア様のご降嫁にもありきたりの関心と知識しかなかった。だが、レイビック伯爵に、こう解説されると事態の理由にはっきり気が付いた。

 レイビック辺境伯が、四十本のインゴットを後払いにしたのには、理由があったのだ。

 王家が嫌がることはわかっていた。王家のスキャンダルだ。だが、事実は事実、ルシアは王女だった。王位継承権と、生まれながらの高い身分がついてくる。レイビック伯は、それを織り込み済みで、あんなに執拗にルシア元妃との結婚を求めたのだ。
 そして、王家がこの発表を行うよう、最後にインゴット四十本を残していたのだ。
 王家がルシアを王女だと認めるだけでは不十分なのだ。王家はこの事実を公表し、世の中に認めさせないといけないのだ。
 この発表がなければ、王家にインゴットは届かない。
 インゴット引き渡しの条件は結婚ではない。結婚するためには、ルシアの王女の身分を王家が発表しなくてはならないのだ。

 田舎者の、貴族の身分にあこがれる、軽くあしらえるバカな成金ではなかった。『食えない男』だった。

 果たして、王と王妃にこの意味がちゃんと伝わっているのか、ギジオラは不安になった。ファン島の意味さえ分かっていない。

「国防をなんと心得ているのだ」

 ロドリックがつぶやいた。
 それはそのとおりだった。
 宮廷の誰もが、それを一番、気にしていた。同時に、恐怖を覚えていた。

 ギジオラは、武芸大会そのものを見たわけではないので、鋼鉄の騎士が参加していたことは知らなかったが、この大柄な騎士はザリエリ侯爵と同様、十五年前の戦争に参加した騎士に違いないと思った。

「わたしも、そう思うよ。インゴットを妙な建物の建築費に使われるのは残念だな。国防に使ってもらえたら、民人が安心して暮らせると思う」

 ギジオラは悄然と王宮へと道を戻っていった。
 バルコニーへ続く窓から、フリースラントとロドリックはその後ろ姿を見送った。

 暗澹たる気持ちだった。

 せっかく、武芸大会で楽しい思いをしたところだったのに。

「ベルブルグの副院長に連絡を取ろう。そして、川沿いの領主連中と話をしてみたい」
 フリースラントが言った。

「副院長に連絡をするのは必要だろうが、川沿いの領主に何の用事があるのだ」

「この話、ただではすむまい。万一、ロンゴバルトが軍勢を派遣するとしたら、街道沿い、川沿いは必ず被害を被る。北側の領主は、軍勢を派遣しようと言う話には気乗り薄だろう。彼らは、少なくとも当分は安全だからだ。だが、街道沿い、川沿いは危険を感じているだろう」

「まさか、一緒に兵をあげるだなんていうんじゃないだろうな? そんなことしても誰も乗ってこないし誰にも感謝されないぞ?」

「そんな真似はしない。ただ、知り合いになっておこうと思っただけだ。知っているだろう、この前、武術大会をしたときに大勢の領主が見物に来たし、彼らの自慢の家来も参戦した。義理堅い連中から、お返しの招待状をいただいているんだ。この際だから社交を深めるのもいいだろう」

「へえ。社交ねえ」

 フリースラントは何を考えているんだろう。
 ロドリックは幼いころ、父の屋敷でよく泊りがけのパーティが催されていたことを思い出した。
 この前、フリースラントが開催したパーティに比べるとずっと規模は小さかったが、彼は参加するのが嫌で仕方なかった。
 父と全く気が合わなかったせいか、父の知り合いの領主とも気が合わなかったのである。
 酒乱ともいうべき父はそのパーティが大好きで、しょっちゅう催したり、出かけて行って迷惑をかけていた。


 フリースラントはゾフに表敬訪問の手紙を書かせ、商用ついでに門前でご挨拶だけしたいと前触れを出した。

 そして自分はベルブルグの僧院へ出かけた。




「そんな馬鹿な話があるのだろうか」

 副院長は、静かな僧院の静かな応接室で思わず大きな声を出した。

「ファン島を借金のカタに売ってしまっただなんて」

 フリースラントの説明を聞いているうち、副院長は自然と陰気な表情になった。

 ベルブルグの修道院は全国で二番目に規模が大きかった。
 もちろん一番大きいのは、学校が付随している、森に囲まれた総本山だったが、金の動き、モノの動きでいえば、ベルブルグの修道院が、最も活発で規模も大きかった。

 狙われる可能性はあった。

 一方で、レイビックは北の果てだったが、金鉱があり、これまた、狙われる危険が皆無とは言えなかった。

「金があると目立ちますからなあ……」

 国で一番金持ちの僧院と国有数の富豪は顔を見合わせてため息をつき、対策を練った。練らざるを得なかったのである。


「おそらく北側の領主は非協力的だろう。影響を受ける可能性が低いから」

「教会だって、同じことだ。そのうえ、北にある修道院や教会は総じて貧乏だ」

「誰か犠牲者が出ない限り、本腰を入れる者が出ないだろうし」

「川は補給ルートになる。補給路の領主や教会と、連絡が取れるよう体制を組まないと、万が一の時困ったことになる」

「危機感がないと思う。十五年前の戦争に行っていた連中はともかく、若い連中にはピンとこないだろう」



 そこへ、若い修道僧が副院長へ来訪者がやって来たことを伝えに来た。

「これは長居し過ぎました。失礼いたします」

「いや、待ってくれ、フリースラント。ちょうどいい機会だ。実は、一度、ぜひ紹介しようと思っていたのだ」

 急に、副院長が晴れやかで優しい表情に変わったので、フリースラントは不思議に思った。

「レイビック伯を紹介して欲しいと、意外な方から頼まれていたのだ」

「どなたですか?」

「素晴らしい方だ。慈悲の家の尼僧でフィニスと申し上げるお方だ。聞いたことはあるだろう?」

 聞いたことはあっても、フリースラントは尼僧だの慈悲の家だのにはあまり関心はなかった。その施設は有名で、責任者は徳の高い優しい女性なので誰からも敬愛されていると言う噂だった。

「フィニス様から一度会ってみたいとおっしゃられてな。そんなことをおっしゃられたのは初めてなのだ。だが、なかなか紹介する機会がなくて」

 副院長はフィニス尼の為なら、どんなことでもやりそうな勢いだった。若くもないのに、かなりの勢いで走っていった。その後ろ姿をぼんやり眺めながらフリースラントは、そのフィニス尼とはどんな方なのだろうと思った。

 尼僧を紹介されるとは珍しい。自分は世俗の人なのに。フリースラントは僧院の廊下の方をぼんやり眺めていた。やがて足音もさせずにその尼僧は部屋へ入ってきた。

「こちらです。どうぞお先に」

 フィニス尼は、意外に背の高い、細い女性で、フリースラントがぼんやり想像していた太って背の低い女性ではなかった。

 ベールをしていたが、室内に入ると、それを取ってフリースラントを見つめて、にっこりした。

 フリースラントはその顔を見つめた。
 彼は思わず立ち上がっていた。

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