アネンサードの人々

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レイビック伯

第91話 メフメト、金山の夢に釣られる

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 大いに結構である。

 他人がせっせと作り上げたものをいただくのは、非常に効率的で頭のよいやり方だと、メフメトは常々信じていた。ましてや金山である。精錬など技術的なことは、よく分からなかったが、工場まで建ててあるなら、引き続き運営すればよいだけだろう。

 問題は他国の中にあることだった。

 いくらロンゴバルトが狩猟民族で、戦争には圧倒的に有利な国民性だったとしても、十五年前の戦争の時に隣国全体を占領するのは難しいことだと身に沁みてわかっていた。

「時に、そのレイビック伯はいかほどの武力を持っているのだろうな?」

 サジシームは知らなかった。

「わたくしは、そう言った方面は疎くて……」

 仮に、サジシームが軍事に通暁していたとしても、メフメトの前ではサジシームは軟弱なふりをしていなくてはならなかった。疑われたくなかった。彼は、彼ほど賢くなかった何人かの従兄弟たちの運命をよく知っていた。

 メフメトの顔にチラと不満の色が浮かんだ。

「サジシーム、亡き父上が見ていたら、不肖の息子と泣くぞ。女ばかり追いかけよって。まあ、お前の父は猪突猛進で命を失ったが」

「そうそう! ハブファンがおりまする!」

 サジシームは話をさえぎった。父が悪く言われるのを聞いていたくなかった。

「ハブファン殿なら、レイビック伯のことをよく知っておりまする。金が出始めた最初のころは、ハブファン殿が、レイビックの金を独占的に取り扱っておりました。今でもかなりの分量の取り扱いをしているはずです」

「それは、なかなかよさそうな商売じゃの?」

 伯父は、何か舌なめずりするような感じに興味を示した。

「奴隷を密かに売買している、ダリア国内唯一の商人でございます。大事にしなくてはなりませぬ。ダリアの国の中では、奴隷売買は表向き許されませぬゆえ」

「それそれ。それがわからぬ。奴隷の売買は、神に許された商売である。奴隷に対する扱いは心せよと言う掟を破っておいて、奴隷売買は禁止する、この考え方がわからぬ」

 よその神様なので、教える中身も違うのである。

 奴隷売買を禁じないで扱いに制限をかます方がよいのか、奴隷売買を禁止したため奴隷がいない前提でなんでもありになってしまう方が罪深いのか、単に方法論に過ぎないのではないかとサジシームは思ったが、それはとにかく彼はこう言った。

「では、ハブファンに命じて、武力を調べさせましょう」

 メフメトは楽しそうだった。

「そうじゃな。うまくいけば、金を直接取引できるかもしれぬ」

 直接取引! なんと肝の小さな男よ、とサジシームは思った。
 サジシームが狙っているのは、そんな小さなことではなかった。

 しかし、サジシームは、伯父から、ファン島に住まい、船を使う許可を得、さらに奴隷兵3百を手にした。

「命令一下、忠実に動く精鋭だ。神の教えを深く信じ、命を投げ出すことを名誉と心得る奴隷兵たちだ。お前にうまく扱えるか、実は心配なくらいだ。このくらいの兵でファン島が手に入るなら、願ってもないこと。うまく立ち回るがよい」

 深く感謝の意を表して、出て行きながら、伯父の見立てによると軍事に疎く野心が全くない女好きの甥は、顔はニコニコとほほえんでいたが、頭の中では鋭く計算していた。

 彼の金山への野心は、メフメトどころではなかった。


 あのフリースラントが、ロンゴバルトと直接取引をするとは考えにくかった。
 フリースラントは堅物だった。
 頭が回らないのである。
 神の掟だ、教えだなどと言ったことを尊守していては、欲しいものは手に入らない。

「まぬけで気の利かない頑固者だ」

 だが、一方で、彼はフリースラントが用心深く、万一を考えて動く慎重で計画的な男であることを知っていた。
 おそらく、金にモノを言わせて武器なども集めていることだろう。金山経営など物騒なものだ。野心的かもしれなかったが、決して無理や冒険はしそうに見えない。抜かりはなさそうだった。

「攻めにくい……」

 欲しいものはレイビックだ。だが、あまりにも北にありすぎる。

 レイビックは魅力的だった。
 伯父のメフメトにはわからないだろうが、連なる山々の青い影、濃く生い茂る緑の森、ふさふさした毛の動物たち、冬の雪や暖かい炉辺、それらは暑い砂漠に育った彼には魅力的だった。

 南では、女を太らせることは、男の甲斐性とされ、部屋部屋にいる女たちはできるだけたくさん食べて夫の名誉を傷つけないように気を使った。
 メフメトに言わせると、北の女たちは貧相で青白く痩せていて自分の意見を述べるので閉口させられるらしい。男の意見に口答えするなど論外だ。

「そんなことはない」

 ルシアは、彼の言いたいことをしっかりと理解して、そのうえでほんのり微笑んで、返事をした。サジシームはそれがうれしかった。

 今まで見たこともない美貌で、彼を魅了した。

「サジシーム様、そんな痩せた北の女など、どうなさるおつもりですか?」

 マシムが聞いた。
 マシムはサジシームの叔父にあたり、まるで影のようにサジシームに付き従っていた。今はメフメトが占めている地位をサジシームが継げば、生母の一族は重用されるに決まっている。母の一族は力のある一家ではなかったから、彼らにとってサジシームは大切な存在だった。

「コレクションに入れるのだ」

「コレクション?」

 マシムには何のことだかさっぱりわからなかった。

「そうさ。女のコレクションだ。いろんな見目形の、いろんな種類の女を集めるのだ」

 その中に、ルシアは欠かせない。彼女は特別だ。全く異なる姿かたちだ。
 ルシアを迎え入れることを考えると、サジシームの顔の表情が少し変わった。
 ここへ連れてこられるのを、きっとルシアは嫌がるだろう。
 それがたまらない。
 嫌がっても、彼の手元に繋いでおくのだ。絶対に彼の手の中から外には出さない。

 彼は、彼の後宮に入れる女は慎重に選んできた。まだ身分が低いのでと首長たちの娘を断っていたのだ。

 マシムには、サジシームの趣味がまるで分らなかったが、そんなことは、これからはできないだろうと感じていた。

 メフメトは、サジシームのことを、一風変わった女好きで優秀ではないと考えているようだが、マシムの評価は全然違っていた。
 ロンゴバルトの将来を支えるのはサジシームだと信じていた。

 そう感じているのは、マシムだけではなかった。多くの首長たちもまた、サジシームに期待していた。

 側近のマシムのひそかな野心は、サジシームに、これまでロンゴバルトには存在しなかった権力を握らせることだった。

「これまでダリアに攻められ連敗しているのは、ロンゴバルトが統一されていなかったからだ。もし、圧倒的な力を持った人物が現れて、首長たちをまとめ上げ、命令一下、動かすことができるようになったら……」

 マシムは、サジシームの父が、もし、生きていれば、ロンゴバルトの夢がかなったかもしれないと思っていた。

「メフメト様より、ずっと勇敢でずっと意志のはっきりしたお方だった。亡くなられたのがあまりにも惜しい……」

 鋼鉄の騎士などと、いかにも強そうにあだ名された男の、はるか彼方から放たれた、たった一本の矢がその夢を打ち砕いたのだ。

 マシムは心の底から、強い憎しみがよみがえるのを覚えた。

「強くありさえすれば、ダリアの神は許すのかもしれないが、ロンゴバルトの神は決して許さないだろう、悪魔のような人間業ではないような、あのような行いは……」

 鋼鉄の鎧兜など、確かに安全だが、重すぎて身に纏うことなど、誰にもできなかった。
 だが、その騎士は、鋼鉄の鎧兜を身につけて、軽々と走ってきた。
 そして、その鎧兜のために、彼を全く傷つけることができないロンゴバルトの兵を、思うさま斬り、人間離れした力で殴り、首の骨を折って殺し、災いを逃れた者のところまで戻ってきて命を絶った。もう、すっかり勝敗は決していて、これ以上の殺戮は無意味だと言うのに……

「そして、あざ笑っていた。得意そうに」

 赤子の手をひねるほどに簡単だった。圧倒的な力の差を誇示し、見せつけるために殺していた。

「あの悪魔に殺されたのだ……」

 しかし、その悪魔は天罰を受けたのか、その後、杳として行方が知れなかった。噂では前非を悔い、修道士になったとも言われていたが、マシムは信じなかった。

「そんな寛容な神がいるものか……人殺しを助ける神など」

 今また、ロンゴバルトとダリアの間に、新たな戦いの機運が高まっていることを、マシムは感じていた。

 そして、今回の戦いの中心はサジシームだった。

 マシムは期待を込めてサジシームを眺めた。マシムには、サジシームの考えを予想することはできなかった。彼は独特なのだ。サジシーム様なら、何か他の方法でダリアを痛めつけることができるかもしれなかった。

 無論、たった三百のロンゴバルト兵では、ダリア全土を手にすることなど、出来るはずがなかった。今回のこのファン島の占領は最初の第一歩に過ぎない。サジシーム様は、この先、どうするのだろうか?

「ギャバジドに言って、ハブファンにこの手紙を届けるのだ」

 彼は叔父のマシムに言った。ギャバジドは、マシムの従兄弟で、サジシームの忠実な部下だった。

「よいか? ヤツに手兵百を与えるのだ」

「それで何をさせるのでございますか?」

 サジシームは含み笑いをした。

「レイビック城を手に入れる」

「たった百の兵でですか?」

「そうだ。それでも多すぎるくらいだ」

 それから彼は続けた。

「それが済んだら、次は、王宮だ」

「王宮……でございますか?」

 サジシームは、にやりとした。

「そうだ。あの国の王族と大貴族たちを人質にするのだ」


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