アネンサードの人々

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レイビック伯

第66話 レイビック伯爵の求婚

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 王家は出入りの商人たちや、王家との縁が深く断れなさそうな貴族に借金をしていた。

 商人はまだおとなしかったが、貴族たちは自分たち自身、手元不如意の者が多かったので、王や王妃からの借金の申し込みは極めて不評だった。

 王家は、支払う金がなかったので、来年や再来年の領地からの上りや税金を担保にするしかなかった。

 商人たちは、利率をあげてきていた。支払こそ猶予してくれたが、その代わり、返済しても返済しても、元本はちっとも減らなかった。

 それでも、王家は借金をしなくてはならなかった。多くの建築を続けていたからだった。

 商人たちに、新たに借金を申し込んでも、さすがに最近はいい顔をせず、婉曲に断る者が増えてきた。
 王家は彼らの求めに応じて、昔から王家に伝わるいくつかの財宝を彼らに渡さざるを得なかった。そうでもしなければ、身近に迫った借金の返済が不可能になる。
 それどころか、毎日使う品々にも不足が生じるようになってきていた。


 王太子は引き裂かれたルシアを思っていた。

「会いたい」

 その真実の心には、ほろりとさせられるものがあったが、誰一人としてルシアの居所を知るものはいなかった。
 かき消すようにいなくなった、永遠の恋人……

「ルシアもどんなに、切ない思いをしているだろうか……」

 それはない。

 ファルロを始め、お付きの全員が思った。

 様子を見に来たウェルケウェ伯爵の顔にも、それはないと書いてあった。

 しかし、彼らは必死で慰めた。

「ま、王太子様、ルシア妃は、おじいさまのお后様だった方でございます」

「そうそう。神様がどう思われますことか」

 しかし、何の慰めにも、あきらめも出来なかったらしく、王太子はお付きすら遠ざけて、一人物思いにふけっていた。


「陰気くさい」

「そもそもルシア妃は最初から相当嫌がっていた」

「当たり前だ」

 おつきの若い貴族たちは、陰でこっそり文句を言った。彼らは、もともと王太子のお気に入りと言う以外、宮廷での地位も身分もない連中なので、王太子が引きこもると何の出番もなかった。なので、王太子に早く浮上してもらって、宮廷に復活したかったのである。

 彼らも、ペッシや王妃の意向を受けて、若い良家の令嬢たちをこれ見よがしに王太子に紹介した。
 しかし、王太子は、王とは違って、一度思い込むと、なかなかそこから立ち上がれないタイプらしく、陰気くさく沈み込んでいた。


 一方、王妃はインゴットのことが忘れられなかった。

「4千5百万フローリン……」

 相手が誰なのかはよく聞かなかったが、それだけあれば、王太子の結婚式だって、差し迫った利子の返済だって、簡単だ。
 あのいけ好かない商人どもの文句たらたらな顔も見なくて済む。
 逆に、今、中断している工事を再開すると言えば、渋面が、愛想のよい笑顔と取り入るようなお世辞へ変わることは目に見えていた。


 そんな時、彼らの元へ、例の求婚者の使いを名乗る若い騎士が、何人かの従者を連れてやって来たのだった。

「バーラン家のロジアンと名乗っております。例のインゴットの家臣だそうです」

 バーラン家と言うのは聞いたことがなかった。

「田舎の、没落した貴族の息子でございますよ。大した家柄でもございません」

 ひそひそと誰かがささやいた。

「何用じゃ」

 偉そうに応対した侍従に、ロジアンは答えた。

「我が殿、レイビック伯爵からの最初の贈呈品をお届けに上がりました」

 侍従は怪訝な顔をした。

「最初の贈呈品?」

「王妃様にお目通りを」

 何を田舎の小貴族が生意気な……と言いかけて、侍従は、ロジアンが差し出した手の中のきらきら光る小さな粒に目を奪われた。

「これは?」

「ただの金でございまする」

 若者は答えた。
 彼の服は派手ではなかったが、上等だった。
 お付きは三人ほど従っており、うち一人の中年の男は商人のようだったが、他はいずれも若く、明らかに教育のある貴族の子弟だった。
 そして、みな、新品で値段が張りそうな服や帽子、靴を身に着けていた。連れてきたウマも毛並みの良い駿馬だった。

「まずは、王妃様へのお近づきのしるしに……。このほかにご検討いただきたいものを持参しております」

「それは……金目のものなのかな?」

 侍従は思わずはしたないことを聞いてしまった。若者は頷いた。

「レイビック伯爵から、金塊をお預かりしております」



 王妃は、さすがに、すぐ出て行くのはためらわれて、侍従に様子を聞きに行かせた。

「とりあえず、前向きにご検討いただけるようであれば、インゴットを一本お預けしたいとのことでございます」

「お預けしたい?」

 王妃もペッシも首をひねった。真意が良く分からない。

「お目通りをと申しております」

 王妃とペッシは顔を見合わせた。

「ま、まあ、会ってみるだけなら……」

「そうでございますね。私どももご一緒しておりますゆえ」

「見たところ、普通の貴族の子弟のようでございます。平民ではありませぬ。その点は安心かと」

 王妃とペッシと侍従は、この一団を控えの間に通した。

 若者たちは、出来るだけ落ち着いて中に通り、出来るだけ冷静に説明をした。
 みな、若く、器量もよく、派手でないが上等の服を身に着け、正直そうな目つきをしていた。これは王妃とペッシを安心させた。

「王妃様に申し上げます」

 代表の若者が言った。

「我が殿、レイビック伯爵は、ルシア妃との結婚を望んでおられます」

 そう言いながら、彼は革包みを取り出した

 いかにも重そうだった。金に違いない。

 話よりも、そのモノの方に、人々は気を取られた。

 包を解いた。

 そして、中からはうわさに聞く、そして王妃が夢にまで見たあのインゴット……黄金の塊が出てきたのだった。

「いかほどするものなのでございましょう」

 ペッシが口を滑らせた。

「この大きさのものなれば、おおよそ五十万フローリンほどいたします」

 王妃とペッシは驚いて、思わず顔を見合わせた。彼らの心づもりよりも五万フローリンほど高かったからだ。

「これをどうされようと言うのかな?」

 努めて冷静になりながら、ペッシが尋ねた。

 金の塊には魔力がある。

 それは美しく、そして、人を惹きつけた。王妃もペッシも夢中になった。これほど価値あるものを、こんなにも無造作に、他人の目の前に置くとは!

「我が殿とルシア妃殿下との結婚をお許しいただければ、王家に残りのインゴット九十九本をお持ち致しましょう」

 王妃とペッシは顔を見合わせた。二人とも、声には出さなかったが、現実に黄金の塊を目の前にすると、その九十九倍の黄金がどれほどの価値と、輝きを持っているのか、空恐ろしいような思いを抱いた。

「それでは、このインゴットは?」

「真剣にご検討いただくための証でございます」

「どういう意味かね?」

「我が殿が本気だということを証明するために、まず、このインゴットをお持ちいたしました」

 別の一人がうなずいて語を継いだ。

「決して、少ない金額ではございません。この一本だけでも、駿馬百頭が買えまする。それほど、真剣だということでございます」

 ほかの一人も言った。

「もし、ご検討いただけないということでございましたら、ご遠慮なく、お返しくださいませ。王家の意志でございます。お受けいたします」

 ご遠慮なくと言われても、返さなくてはいけないなら、ここで受け取ると後で未練が残りそうだった。

「いかがでございましょう。ご検討いただけると言うお返事がちょうだいできれば、さらに、再度、王宮へお邪魔させていただき、残りのうちの九本をお持ちいたします」

 キラキラする黄金を目の前にして、王妃とペッシは、混乱した。

 何か、昔の、おとぎ話を聞いているようだった。

 親切にしてやったカエルに教わった場所へ行き、教えられたとおりにすると、粗末な革袋が突然金貨でいっぱいになる物語、虐げられた貧しい娘が、親切にしてやった老女からもらった包みを開けると、あれほど欲しかった王子様とのダンスパーティ用のドレスが出て来る物語、呪文を唱えるとテーブルがおいしそうな食べ物でいっぱいになる物語……。

 決まったことをすると、決まった数のインゴット、莫大な金額の黄金の塊がプレゼントされる不思議な魔法の物語だった。

「ご検討いただけるのであれば、その旨おっしゃってくださいませ。まず、次のインゴットをお持ちいたしましょう」

 使いの若者は畳みかけた。

「一週間後にもう一度参ります。その時にお返事をお聞かせくださいませ」


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