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フリースラント
第47話 ベルブルグを去る
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ようやく陽が春めき、雪解け水で川が恒例の氾濫を起こし始めていた。
ロドリックとフリースラントはベルブルグを離れた。
ロドリックは傍らを進むフリースラントが心配だった。
彼はもう、十六歳になり成年だった。
しかし昨年の騒ぎで、彼は仕官の道を失った。軍に入ることも叶わなかった。それどころか、名を隠し、浪人の身となった。
華々しい日の当たる場所を歩むはずだったヴォルダ家のフリースラントが、猟師か酒場の用心棒として生きている。
どうする、フリースラント……
内心、彼が暴れたり、やけを起こすことが心配だったので、例年より早めに出立しようと考えた。
「そうよねえ。フリー目当てで、ややこしい女の子の移籍が多くて。もう、持ちこたえらないくらいだったし」
ドルマは理解してくれた。
しかし、ロドリックは、フリースラントとは別の店で働いていたので、フリースラントの店の女の子の数が増えたことは知らなかった。とは言え、その間の経緯は容易に予想がついた。
「いっくら、婚約者がいるって言ってもダメでしたねえ」
ロドリックはそう言ったが、ドルマは目をむいた。
「何言ってんのよ。そんな嘘、あっという間にばれちゃったわよ」
「はあ? 誰が嘘だって……」
「鹿とイノシシ肉の業者がレイビックから来たのよ。ジュリアに聞いたら、彼女、大喜びしてたって。婚約まで持ち込めたら、こっちのもんだって」
そりゃまずいことに……と、ロドリックは思った。
「だからねえー、あんたとフリーができてるってことにしといたのよ。だって、ほらね? 同じ宿でしょ?」
「できてる?」
「イヤだ、何言ってんのよ、裏の「筋肉旋風」の店長からは、あんたと話がしたいって、も、百回くらい頼まれてるんだけど、全部断ってあげてんのよ」
ドルマはコロコロ笑い出した。
「……え……?」
フリースラントは家の事情で頭がいっぱいで、女子の熱い視線に全く気付いていなかったが、ロドリックも国家の動静に頭がいっぱいで、不覚にも裏の店長の熱い視線に気が付いていなかった。
「フリースラント、今年は早めに帰ろう。不穏すぎる」
フリースラントは頷いた。
彼らは泥だらけの街道をレイビック目指して進んでいた。
「フリースラント、数日前のことだが、私は、修道院の副院長に手紙を託した」
めっきり、無口になったフリースラントが、ロドリックの顔を見た。
「総主教様宛だ」
フリースラントは何も答えなかった。
「私は総主教様をよく存じ上げている」
ウマを歩かせながら、ロドリックは続けた。
「お前のことを総主教様に申し上げた」
心配そうにロドリックはフリースラントの方を見たが、反応はなかった。
「教会は、秘密厳守だ。万一の場合、教会の中に入ることができる。修道院の一員として、神に仕える日々を送ってもよい。私は、自分から修道僧の道を選んだ」
「なぜ、修道僧になろうと思ったのですか」
ロドリックは詰まった。
「それは……個人的な理由からで、財産や地位を失ったからではない。私は、もともと次男で、たいした財産はなかったから」
「教会や修道院にとっても、負担でしょう。ぼくは」
ぽつりとフリースラントは言った。
「レイビックで暮らす限り、自分から名乗らない限り、問題はないでしょう。ましてや、ユキヒョウハンターです。どこかの御曹司ができる仕事ではない。また、冬場の酒場の用心棒など、貴族の子弟がやる仕事ではない」
「俺だって、どこかの貴族の子弟なんだが……」
「誰にも見つからないだろうから、教会にかくまってもらう必要はないだろうと言う意味です」
彼らは、黙って道を進んだ。
ロドリックは、フリースラントが何を考えているのかわからず不安だった。
ようやくレイビックに着き、それぞれが、それぞれの宿に戻ると、少なくともフリースラントの方は大騒ぎになっていた。
「フリー、ジュリアと婚約したって、本当かい?」
「そんなわけないでしょう!」
宿の亭主は、普段と違って、猛烈に機嫌の悪いフリースラントに怒鳴りつけられて、びっくりした。
「誰ですか? そんなデマを飛ばしたの」
フリースラントは、気色ばんだ。
(ロドリックである)
「ジュリアは知らないと言ってるんじゃないんですか? 僕はジュリアと絶対に結婚なんかしませんよ」
その足で、競り市に向かい、フリースラントは、ジュリア本人も含め、全員に、「デマであって、ジュリアとは絶対に結婚しない」を繰り返した。
この剣幕には、全員がビビった。
これが一通り済むと、ロドリックの準備が済むのを待たず、彼は山へ登ってしまった。
「猟に行ってくる」
「おい、ちょっと待ってくれ。食料品を買っておかないと……」
止めるロドリックを無視して、フリースラントは山へ行ってしまった。
一人になりたいんだ……
ロドリックは、そう解釈した。多分あっているのだろう。
ロドリックの方は、かなりの量の手紙や文書が来ていて、先に読まねばならなかった。
総主教様からの返事も来ていた。
ロドリックは、フリースラントの素性を知って、すぐに、総主教様に連絡を入れたのだった。
素性と言っても、ヴォルダ家の子息であることが重要なのではなかった。
おそらく、非常に低い確率が生み出した奇妙な偶然の結果だったが、彼ら二人には、明らかにアネンサードの血が作用していた。
『同じ道を歩む者同士。あなたが少しでも、彼を導くことができるなら、その苦しみを減らし、喜びを増やすよう努めることを希望します』
「ああ、でも、今は、そっちが問題じゃないんだよなあ……」
十六歳の少年に、政治的抹殺の問題は大きすぎた。
「ロド様、たった今、入ってきた知らせですが、摂政のヴォルダ公様が病死されたそうで……」
病死か。そうきたか。
ヴォルダ公は、五十歳を超えていた。
若者ではない。病死したとしても、さほど違和感はないだろう。
「だが、フリースラントは悲しむだろう……」
彼は荷物を背負い、山に入った。
フリースラントは、山で礼拝堂のそばの、V字型に切り込まれた山のふもとに立って、山を睨んでいた。
「おい、フリースラント。何してるんだ。手伝え」
ロドリックは彼を見つけると怒鳴った。
「食料品を地下の倉庫に入れるのを手伝ってくれ。お前だって食べるんだから」
フリースラントは、さっと身をひるがえすと、ロドリックのそばへ走って生きて、荷物を運び込むのを手伝った。
一体、何してたんだろう。
だが、遊んでいたわけではなさそうだった。貯蔵庫には、かなりの量の鹿肉とイノシシ肉があり、一部は保存処理が済んでいた。ハムになってぶら下がっているものもあった。
ロドリックは、ローソクに火を灯した。
背負って持ってきたばかりなので、まだ柔らかいパンなど、十分な食糧も日用雑貨もそろっていた。
「さあ、晩飯だ」
あまり、いい話ではなかったが、ロドリックは、今朝がたレイビックの町で耳にしたヴォルダ公病死の話を、フリースラントに聞かせた。
「うそだ」
フリースラントは言った。暗い中で目がらんらんと燃えていた。
「きっと、殺されたのだ」
「可能性はあるが、はっきりとはわからない」
ロドリックは言った。
「ルシアと母の消息は、何もないのだろうか」
「ないな」
ロドリックは答えた。
「ルシア王妃は絶対に無事だ。王妃に何かあったら、うわさにならないはずがない。何も聞かないので、王宮で王の看病でもしているのだろう。テンセスト女伯の噂は何もない。ただ、女伯は、王妃の生母でもなければ、ヴォルダ公の妻でもない。強いて言えば、王妃の女官のうちの一人だったと言うだけの人物だ。おそらく、何も起きていないだろう」
「ルシアと母上が……無事でありさえすれば……」
ルシアの無事は確実だった。
そもそもルシアは王妃だった。
王は身勝手だが、ルシアが絶対に安全なように、王妃の座に就けたのだ。
おそらく、ルシアには十分に財産なども確保されているに違いなかった。
ルシアが不幸せなのかどうかはわからない。
だが、王妃の座にあって、王自身が細かく気を配っているのだから、まずい状態ではないだろう。
フリースラントの母の方は、おそらく無事としかわからなかった。
ただ、重要人物ではないので、王太子が王位に就いてしまえば、誰も問題にしなくなるだろうと思われた。
「ルシアが母上を守ってくれるだろう」
ロドリックが仕入れてきた情報によれば、ルシアの生母アデリア王女は、ルシアがテンセスト女伯を敬愛するのを不満に思っているらしかった。
「なぜですか?」
と聞きながら、フリースラントには理由がわかっていた。
要するに、アデリア王女は、なんでも自分が一番でないと、気が済まないのだ。
ましてや、王妃に出世した我が娘が、もっとも敬愛すべきは自分だと言う自負があるのだろう。
「とはいえ、アデリア王女の再婚や遺産相続が絡むヴォルダ公に比べれば、テンセスト女伯の危険性は問題にならないと思うよ。それに、なにか罪を着せたくても、社会的に全く力のない女性だから難しい」
女性二人は、おそらく問題ないとして、今、一番問題なのは、フリースラント、お前だよ、とロドリックは心の中で呼びかけた。
まだ、山はとても寒く、彼らは大昔造られた石造りの暖炉に火を入れた。
「で、フリースラント、おまえはどうする?」
ロドリックは用心しながら、問いかけた。
「ルシアと母を助け出す」
ロドリックは目を丸くした。
「ルシアと母を助け出すって……正気かい」
「もちろんだ」
イヤ待て。
母は助けると言うか、一緒に暮らすことはできるかもしれないし、きっと母上も喜ぶだろう。
しかし、ルシアは助けられる必要もなければ、救助されたくもないのではないか?
「ルシアは王妃で、何不自由なく暮らしている……。今の境遇に、不満があるとは思えない」
ロドリックは、おそるおそる意見を言ってみた。
「ルシアは王宮が嫌いだった。アデリア王女が嫌いだった」
「しかしな、フリースラント、それは子供のころの話だろう」
「結婚前も嫌だと言っていた。まだ1年くらいしかたっていない」
「確かに1年も経っていないが、王妃ともなれば宮廷での扱いは圧倒的に異なるだろう。アデリア王女の方が、身分としては下になるんだぞ?」
「それだと、余計、アデリア王女は気に入らないに違いない。結婚式だって、ヴォルダ家側には座らなかった。王家側に座っていたほどだ」
それは確かに異常事態で、アデリア王女の性格をしのばせる十分なエピソードだったが、そこまで勝手な人物は、宮廷人たちから好かれているとは考えにくかった。王が代替わりした場合、逆に、仕返しに遭うんじゃないだろうか。
「ますますルシアが心配だ。アデリア王女のことだ、今度は実の娘に寄りかかって来るに違いない」
ありそうな話だったが、ロドリックは指摘した。
「王妃が拒絶すればいいだけだろう。そんなにおとなしい性格ではないと言ってたよな?」
「おとなしくはない。全然。結構すごい」
だから、ルシアに心配はいらないって、さっきから言ってるのに、何なんだ、お前は?
ふと見ると、フリースラントが笑っていた。思い出し笑いだろう。気持ち悪い。
「えーと、フリースラント、ルシアは……(君とは関係ないところで、十分幸せにやってけそうだから)心配いらないよ?」
だが、最後まで言い切れなかったのは、フリースラントが固く口を引きむすび、腕を組んで、ロドリックをにらみつけ、宣言したからだった。
「だから、僕は金を掘る」
ロドリックとフリースラントはベルブルグを離れた。
ロドリックは傍らを進むフリースラントが心配だった。
彼はもう、十六歳になり成年だった。
しかし昨年の騒ぎで、彼は仕官の道を失った。軍に入ることも叶わなかった。それどころか、名を隠し、浪人の身となった。
華々しい日の当たる場所を歩むはずだったヴォルダ家のフリースラントが、猟師か酒場の用心棒として生きている。
どうする、フリースラント……
内心、彼が暴れたり、やけを起こすことが心配だったので、例年より早めに出立しようと考えた。
「そうよねえ。フリー目当てで、ややこしい女の子の移籍が多くて。もう、持ちこたえらないくらいだったし」
ドルマは理解してくれた。
しかし、ロドリックは、フリースラントとは別の店で働いていたので、フリースラントの店の女の子の数が増えたことは知らなかった。とは言え、その間の経緯は容易に予想がついた。
「いっくら、婚約者がいるって言ってもダメでしたねえ」
ロドリックはそう言ったが、ドルマは目をむいた。
「何言ってんのよ。そんな嘘、あっという間にばれちゃったわよ」
「はあ? 誰が嘘だって……」
「鹿とイノシシ肉の業者がレイビックから来たのよ。ジュリアに聞いたら、彼女、大喜びしてたって。婚約まで持ち込めたら、こっちのもんだって」
そりゃまずいことに……と、ロドリックは思った。
「だからねえー、あんたとフリーができてるってことにしといたのよ。だって、ほらね? 同じ宿でしょ?」
「できてる?」
「イヤだ、何言ってんのよ、裏の「筋肉旋風」の店長からは、あんたと話がしたいって、も、百回くらい頼まれてるんだけど、全部断ってあげてんのよ」
ドルマはコロコロ笑い出した。
「……え……?」
フリースラントは家の事情で頭がいっぱいで、女子の熱い視線に全く気付いていなかったが、ロドリックも国家の動静に頭がいっぱいで、不覚にも裏の店長の熱い視線に気が付いていなかった。
「フリースラント、今年は早めに帰ろう。不穏すぎる」
フリースラントは頷いた。
彼らは泥だらけの街道をレイビック目指して進んでいた。
「フリースラント、数日前のことだが、私は、修道院の副院長に手紙を託した」
めっきり、無口になったフリースラントが、ロドリックの顔を見た。
「総主教様宛だ」
フリースラントは何も答えなかった。
「私は総主教様をよく存じ上げている」
ウマを歩かせながら、ロドリックは続けた。
「お前のことを総主教様に申し上げた」
心配そうにロドリックはフリースラントの方を見たが、反応はなかった。
「教会は、秘密厳守だ。万一の場合、教会の中に入ることができる。修道院の一員として、神に仕える日々を送ってもよい。私は、自分から修道僧の道を選んだ」
「なぜ、修道僧になろうと思ったのですか」
ロドリックは詰まった。
「それは……個人的な理由からで、財産や地位を失ったからではない。私は、もともと次男で、たいした財産はなかったから」
「教会や修道院にとっても、負担でしょう。ぼくは」
ぽつりとフリースラントは言った。
「レイビックで暮らす限り、自分から名乗らない限り、問題はないでしょう。ましてや、ユキヒョウハンターです。どこかの御曹司ができる仕事ではない。また、冬場の酒場の用心棒など、貴族の子弟がやる仕事ではない」
「俺だって、どこかの貴族の子弟なんだが……」
「誰にも見つからないだろうから、教会にかくまってもらう必要はないだろうと言う意味です」
彼らは、黙って道を進んだ。
ロドリックは、フリースラントが何を考えているのかわからず不安だった。
ようやくレイビックに着き、それぞれが、それぞれの宿に戻ると、少なくともフリースラントの方は大騒ぎになっていた。
「フリー、ジュリアと婚約したって、本当かい?」
「そんなわけないでしょう!」
宿の亭主は、普段と違って、猛烈に機嫌の悪いフリースラントに怒鳴りつけられて、びっくりした。
「誰ですか? そんなデマを飛ばしたの」
フリースラントは、気色ばんだ。
(ロドリックである)
「ジュリアは知らないと言ってるんじゃないんですか? 僕はジュリアと絶対に結婚なんかしませんよ」
その足で、競り市に向かい、フリースラントは、ジュリア本人も含め、全員に、「デマであって、ジュリアとは絶対に結婚しない」を繰り返した。
この剣幕には、全員がビビった。
これが一通り済むと、ロドリックの準備が済むのを待たず、彼は山へ登ってしまった。
「猟に行ってくる」
「おい、ちょっと待ってくれ。食料品を買っておかないと……」
止めるロドリックを無視して、フリースラントは山へ行ってしまった。
一人になりたいんだ……
ロドリックは、そう解釈した。多分あっているのだろう。
ロドリックの方は、かなりの量の手紙や文書が来ていて、先に読まねばならなかった。
総主教様からの返事も来ていた。
ロドリックは、フリースラントの素性を知って、すぐに、総主教様に連絡を入れたのだった。
素性と言っても、ヴォルダ家の子息であることが重要なのではなかった。
おそらく、非常に低い確率が生み出した奇妙な偶然の結果だったが、彼ら二人には、明らかにアネンサードの血が作用していた。
『同じ道を歩む者同士。あなたが少しでも、彼を導くことができるなら、その苦しみを減らし、喜びを増やすよう努めることを希望します』
「ああ、でも、今は、そっちが問題じゃないんだよなあ……」
十六歳の少年に、政治的抹殺の問題は大きすぎた。
「ロド様、たった今、入ってきた知らせですが、摂政のヴォルダ公様が病死されたそうで……」
病死か。そうきたか。
ヴォルダ公は、五十歳を超えていた。
若者ではない。病死したとしても、さほど違和感はないだろう。
「だが、フリースラントは悲しむだろう……」
彼は荷物を背負い、山に入った。
フリースラントは、山で礼拝堂のそばの、V字型に切り込まれた山のふもとに立って、山を睨んでいた。
「おい、フリースラント。何してるんだ。手伝え」
ロドリックは彼を見つけると怒鳴った。
「食料品を地下の倉庫に入れるのを手伝ってくれ。お前だって食べるんだから」
フリースラントは、さっと身をひるがえすと、ロドリックのそばへ走って生きて、荷物を運び込むのを手伝った。
一体、何してたんだろう。
だが、遊んでいたわけではなさそうだった。貯蔵庫には、かなりの量の鹿肉とイノシシ肉があり、一部は保存処理が済んでいた。ハムになってぶら下がっているものもあった。
ロドリックは、ローソクに火を灯した。
背負って持ってきたばかりなので、まだ柔らかいパンなど、十分な食糧も日用雑貨もそろっていた。
「さあ、晩飯だ」
あまり、いい話ではなかったが、ロドリックは、今朝がたレイビックの町で耳にしたヴォルダ公病死の話を、フリースラントに聞かせた。
「うそだ」
フリースラントは言った。暗い中で目がらんらんと燃えていた。
「きっと、殺されたのだ」
「可能性はあるが、はっきりとはわからない」
ロドリックは言った。
「ルシアと母の消息は、何もないのだろうか」
「ないな」
ロドリックは答えた。
「ルシア王妃は絶対に無事だ。王妃に何かあったら、うわさにならないはずがない。何も聞かないので、王宮で王の看病でもしているのだろう。テンセスト女伯の噂は何もない。ただ、女伯は、王妃の生母でもなければ、ヴォルダ公の妻でもない。強いて言えば、王妃の女官のうちの一人だったと言うだけの人物だ。おそらく、何も起きていないだろう」
「ルシアと母上が……無事でありさえすれば……」
ルシアの無事は確実だった。
そもそもルシアは王妃だった。
王は身勝手だが、ルシアが絶対に安全なように、王妃の座に就けたのだ。
おそらく、ルシアには十分に財産なども確保されているに違いなかった。
ルシアが不幸せなのかどうかはわからない。
だが、王妃の座にあって、王自身が細かく気を配っているのだから、まずい状態ではないだろう。
フリースラントの母の方は、おそらく無事としかわからなかった。
ただ、重要人物ではないので、王太子が王位に就いてしまえば、誰も問題にしなくなるだろうと思われた。
「ルシアが母上を守ってくれるだろう」
ロドリックが仕入れてきた情報によれば、ルシアの生母アデリア王女は、ルシアがテンセスト女伯を敬愛するのを不満に思っているらしかった。
「なぜですか?」
と聞きながら、フリースラントには理由がわかっていた。
要するに、アデリア王女は、なんでも自分が一番でないと、気が済まないのだ。
ましてや、王妃に出世した我が娘が、もっとも敬愛すべきは自分だと言う自負があるのだろう。
「とはいえ、アデリア王女の再婚や遺産相続が絡むヴォルダ公に比べれば、テンセスト女伯の危険性は問題にならないと思うよ。それに、なにか罪を着せたくても、社会的に全く力のない女性だから難しい」
女性二人は、おそらく問題ないとして、今、一番問題なのは、フリースラント、お前だよ、とロドリックは心の中で呼びかけた。
まだ、山はとても寒く、彼らは大昔造られた石造りの暖炉に火を入れた。
「で、フリースラント、おまえはどうする?」
ロドリックは用心しながら、問いかけた。
「ルシアと母を助け出す」
ロドリックは目を丸くした。
「ルシアと母を助け出すって……正気かい」
「もちろんだ」
イヤ待て。
母は助けると言うか、一緒に暮らすことはできるかもしれないし、きっと母上も喜ぶだろう。
しかし、ルシアは助けられる必要もなければ、救助されたくもないのではないか?
「ルシアは王妃で、何不自由なく暮らしている……。今の境遇に、不満があるとは思えない」
ロドリックは、おそるおそる意見を言ってみた。
「ルシアは王宮が嫌いだった。アデリア王女が嫌いだった」
「しかしな、フリースラント、それは子供のころの話だろう」
「結婚前も嫌だと言っていた。まだ1年くらいしかたっていない」
「確かに1年も経っていないが、王妃ともなれば宮廷での扱いは圧倒的に異なるだろう。アデリア王女の方が、身分としては下になるんだぞ?」
「それだと、余計、アデリア王女は気に入らないに違いない。結婚式だって、ヴォルダ家側には座らなかった。王家側に座っていたほどだ」
それは確かに異常事態で、アデリア王女の性格をしのばせる十分なエピソードだったが、そこまで勝手な人物は、宮廷人たちから好かれているとは考えにくかった。王が代替わりした場合、逆に、仕返しに遭うんじゃないだろうか。
「ますますルシアが心配だ。アデリア王女のことだ、今度は実の娘に寄りかかって来るに違いない」
ありそうな話だったが、ロドリックは指摘した。
「王妃が拒絶すればいいだけだろう。そんなにおとなしい性格ではないと言ってたよな?」
「おとなしくはない。全然。結構すごい」
だから、ルシアに心配はいらないって、さっきから言ってるのに、何なんだ、お前は?
ふと見ると、フリースラントが笑っていた。思い出し笑いだろう。気持ち悪い。
「えーと、フリースラント、ルシアは……(君とは関係ないところで、十分幸せにやってけそうだから)心配いらないよ?」
だが、最後まで言い切れなかったのは、フリースラントが固く口を引きむすび、腕を組んで、ロドリックをにらみつけ、宣言したからだった。
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