アネンサードの人々

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フリースラント

第32話 ヴォルダ公家

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『フリースラントへ。
 お父様は監督不行き届きだと、グルダのことを大層お怒りでした。
 あなたのことですから、ベルブルグで遊び惚ける計画など面白くなかったのだろうと思いました。

 ルシアの結婚の日取りが決まりました』

(フリースラントはどきりとした)

『今年の七月十日です。あなたは列席しないといけないので、六月半ばまでには戻ってきなさい。礼服の仕立てに間に合わないからです。式が終われば、レイビックに戻って構いません』

 母の手紙はいつも通り短かった。
 それにしても、今年の七月十日とは……
 早すぎるのではないか。ルシアはまだ十二歳のはずだ。最初の約束ではもっと大きくなってからのはずだったのに、何か事情が変わったのだろうか。

 彼は山に登り、ロドリックに約束の買い物を渡した。

「ありがとう」

「ゾフと言う人に会いました」

「ゾフ?」

 ロドリックはすぐに思い出したらしかった。

「ああ。レイビックで剣を教えた男だな。なかなか筋が良かった。私のことを覚えてくれていたのか」

「会えるものなら、また会いたいと言っていました」

「気のいい男だったな。やつが猟に出ていないときに、町に行ってれば会えるかもしれないな」

 どうも、感想が違うので、フリースラントは切り出しにくくて黙っていた。ゾフに言わせると、ロドリックは、何か重大な悩みを抱える沈み込んだ男のはずだが、フリースラントと話すときの彼は、気楽で、どんな噂でも、全く気にしていない様子だった。

「お前は、これからどうするのだ」

 ロドリックが荷物を片付けながら尋ねた。

「もし差し支えなかければ、しばらくここでロドリックさんの弟子にしてほしいのですが……」

「弟子?」

「弟子と言っても1年くらいです。ぼくは、十六歳になったら父の元に戻って仕官の道を探さねばなりません」

「貴族の子弟の決まりきった宿命だな。俺もそうだった」

 ロドリックがつぶやいた。

「その前に僕は、学校を切り上げて、修行の旅に出たのです。十六歳までの1年間、好きにやっていいと父が言ったので」

「卒業はしたのか?」

「家で勉強はしていたので、本科は試験だけで卒業して高等科に入りました。そこでもっと勉強を続けるか、諸国修行の旅に出るか、考えていた時、総主教様に会ったのです。そこで、学校を離れて、詩編の話をもっと調べてみようと思ったのです」

「普通、諸国漫遊の旅とか言いながら、たいていのやつはベルブルグあたりで遊んでるがなあ」

「僕の家庭教師も、僕をベルブルグへ連れて行きました。時間を潰すのがもったいなかったので、急いでレイビックに来ましたけど」

「家庭教師はどうなったんだ? まさかレイビックについてきたわけじゃないだろう」

「ベルベルグが恐ろしく気に入った様子だったので、連れて来るには忍びなく、置いて出ましたよ」

 思い出して、フリースラントは思わず笑顔になった。

「おい、そんなことしちゃ、父上が激怒するんじゃないか? 家庭教師がかわいそうだろう」

 荷物を片付けたロドリックが言った。

「そうですね」

 フリースラントはニヤニヤしていた。

「おまえはどこの家の子なんだ? 総主教様が、俺の話をしたくらいだから、似た者同士は間違いないだろうが、お前からは、どこかの大貴族の御曹司の匂いがプンプンするぞ?」

「え? 大貴族の御曹司の匂いってあるんですか?」

 フリースラントは自分の袖を嗅いでみた。

「ない」

 ロドリックは言った。

「どの御曹司も、人間の匂いしかしないよ! 俺が言ってるのは、立ち居振る舞いだよ。王宮に出入りしている家だな」

「僕の父はヴォルダ公爵です」

 ロドリックは、本当に驚いて、びっくり仰天して、フリースラントの顔をのぞき込んだ。

「ヴォルダ公家……」

 フリースラントは、ロドリックの反応には慣れっこな様子だった。ヴォルダ公家と聞けば、誰でもこうなるのだ。

「よく一人でここまでこれたな。人さらいにでも捕まったら、莫大な身代金を要求されるだろうに……」

「だから、レイビックではベルブルグ出身の、苗字もないただのフリーって名乗っています。家の名前なんか誰にも言ってません」

「ああ。確かにその方が正解かも知れないが……」

「途中で、人さらいには捕まりましたよ」

「え? どうしたんだ?」

「あっ、えーと……」

 人一人殺したばっかりに、真剣に悩んでいる男の前で、この告白はまずいかも知れない。

「いや、切羽詰まって、殺してしまいました」

「あ、そう」

 なんかイヤにあっさりしていた。

「そりゃ仕方ないなー。いや、ちょっと待てよ?」

 ロドリックは何か思い出したらしかった。

「一月ほど前、隣の嫌われ者の領主、マックオン殿が、表向きは関係ないふりをして、こっそり手下にしていた盗賊団が、一晩で壊滅させられたって話があったけど、まさかそれがお前なの?」

「ええと、名前は知りませんが……人さらいの集団でした」

「何人くらい殺しちゃったのよ?」

「ええと、よくわかりませんが……」

 ロドリックが腕組みをして目の前に立っていた。ここで嘘をついてはいけない。

「ええーっと……二十人くらいかな……」

 ロドリックがさすがに怒った顔になった。

「なんでそんなにたくさん殺しちゃったの」

 フリースラントは、母に怒られている気分になった。

「だって、一人でも生き残ってたら、追いかけられると思って……」

「ちょっと、聞くがね、ちゃんと昼間、旅していたんだろうな? お前が捕まるだなんて、夜中、旅行してたわけじゃあるまい」

「夕方……夜だったかな……」

 フリースラントは、ロドリックにさんざん説教された。
 ルシアが母に説教されていたのを思い出した。

「順調に抜け出したかったのはわかるが、そんなに殺す必要があったのか? 逃げるだけなら、もっと他に方法があったろう、そうバカでもあるまいに」

「ちょっと、テンパってたかもしれません……」

「殺されたやつにも、妻や子がいただろう」

 そいつらも人殺しを生業にしてたんじゃ……

「あ、そいつらも人殺しをやらかしてたんじゃないかって、今、思ったろ。顔に出てたぞ。しょうもない人殺しなんか、ああいうやつらはしてないぞ。恨みは怖いぞ。わかってるから、身代金を取ったり、百姓どもから通行税とか言って小銭を巻き上げたり、ありとあらゆるつまらん商売で生きていってたんだ。領主の気に入らない坊主を脅したり、商人の家に言いがかりを付けにいったり……」

「……ロドリックさん、妙に詳しいですね……」

 ロドリックが、突然、黙った。

「ロドリックさん……なんで黙るの?」

 ロドリックは、ちょっと都合が悪そうに横を向いて、短く答えた。

「ええと、あのー、ちょっと3日間だけ、捕まってやらされてたことがあって……」

 フリースラントは、疑ぐり深そうに、ロドリックを見つめた。

「剣の勝負を持ち掛けて……勝ったら逃してくれるって言うから」

「それで勝ったんですか?」

「普通、勝つよね?」

「普通、勝つかどうか知りませんが……勝ったんですね?」

「いや、お前とか俺は、普通、勝つよね? 大体。うん。勝ったけど、逃がしてくれなかったんだ。仲間になれって言うんだ。でも、こっちはレイビックに急いでるんで……」

 自分と全く一緒だと、フリースラントは思った。

「せっかく剣を握らせてもらったので、ちょっと使って逃げた」

「ちょっとって、何人くらい?」

「いや、ちょっとテンパってたかも。数は数えてない」

「何人殺したんですか?」

 フリースラントは詰め寄った。さっきの説教は何だったんだ。

「五人か六人くらいかなあ。なんせ、追っかけて来るもんでね」

「殺してるじゃないですか」

「だって、お前とは数が違うだろ。四倍くらい違う」

「三倍ですよ」

「ずっと少ないだろ。それにこっちは闇討ちじゃないぞ? 全員、剣を持ってたんだ。人の腕前を信用しないから、余計な殺生をしなきゃならなくなって」

 結局、ロドリックは、名を知られてしまい、件の盗賊団から命を狙われる羽目に陥ったらしい。

「町にいられなくてさ。山なら盗賊団は来ないだろ? 来たってこっちの庭だしな。だけど、今度は、お前がやらかしてくれたから、先月くらいからは、俺のこと、きっと忘れてると思うんだ」

 あえて強調する必要はないから黙っていたが、ロドリックのことを覚えている連中は、もう、この世にいないかもしれなかった。

 ゾフのロマンチックな設定と全くかけ離れた真実だ。まあ、世の中、そんなもんだろう。

 ほら見ろ。やっぱり、めんどくさいから、全滅させた方が効率的じゃないかとフリースラントは思った。フリースラントは合理的な男なのである。

「じゃあ、町に戻りますか?」

「いや? 町に何の用事があるんだ。行かないよ」

 予想された結論だった。
 とりあえず、フリースラントは、妙に似たところがあるこの男としばらくの間、山で暮らすことになった。

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