アネンサードの人々

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フリースラント

第16話 謎の僧

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 フリースラントは、相手の粗末な黒い衣につくづく目を凝らした。この僧は誰だろう。本当に、僧なのだろうか。高僧は、こんな粗末な格好はしない。この前見た総主教様なんて、真紅と黄金の素晴らしい衣をまとっていた。

「だから、私は待っている。歴史に風穴があくかもしれない。開かないかもしれない。彼の旅は、真実を求めると言うより、角のある自分を納得するための旅みたいなものだ。何か見つかっても、見つからなくても、私たちの生活に変化はない。なぜなら、そんな種族が、今、存在していないと言う事実に違いはないからだ」

 フリースラントは、その旅に出たという人が、もしかすると、その種族なのではないか、だとしたら今でも存在しているのではないかと思ったが、僧は、その矛盾を無視して言葉を続けた。

「だから、重要性はないけれど、知りたいだろう?」

「知りたいです!」

 フリースラントは熱を込めて叫んだ。

「でも、フリースラント、君はダメだ。君がそんな旅に出ることは許されない」

 フリースラントはちょっとびっくりした。その僧侶にまだ自分の名前を告げていなかったからだ。

「ぼくの名前をご存じだったのですか?」

「だって、君は有名だからね。何しろ、あのヴォルダ家の御曹司だ。でも、それだけじゃない」

 僧は続けた。

「フリースラント、君は、学校内では有名だ。学業だけじゃなくて、その抜きんでた武術の才能のせいで。
 ダンスパーティの晩は、ひどく美しい貴公子が参加したので、大騒ぎになった。それもここまで聞こえてきた」

 フリースラントはちょっぴり苦い顔をした。ダンスパーティの晩の評価については良く分からなかった。

「君の家系は、王家の補佐に携わってきた。そう言ったことをするのには頭がいる。君には十分その素質がある。君は優秀で、きっと父上の後を継いで有能な政治家になるだろう。でもね、私は今、君について、気になることが一つあるのだ」

「……気になること……ですか?」

 フリースラントはさっぱり意味が分からなくて繰り返した。何が一体気になると言うのだろう。

「そうだ。君ほどの名門の子弟で、優秀な人物……。その人の中に住んでいるのだ、小さなドラゴンの卵がね」

「ドラゴンの卵?」

 おかしなことを言い出した……と思った。

 何を言っているんだろう、この人は。

「その卵は孵るかもしれないし、孵らないかもしれない。もともと、持っていない人もいる。例えばさっきの彼なんかはそうだ」

 さっきの彼とは、旅の途中の修道僧だろう。

「ええと、僕はドラゴンの卵なんか持ってません」

 僧はおかしそうに笑った。

「いいや。持ってるよ。まだ、卵だから、君にはわからないんだよ。そして、一生孵らないかもしれない。でも、持っているんだ。ひそかにね」

 フリースラントは、訳が分からないので黙っていた。僧は話を続けた。

「君の妹は国王陛下と結婚することに決まり、もはや逃れようもない。君もそろそろ何らかの道を決めなくてはならないだろう。まだあと16歳までには1年ある。さて、どうする?」

 僧は微笑んでいた。フリースラントは、父でさえ彼にこんな話をしなかったことを思った。

「どうするって……まだ何も考えていません」

「選択肢はいくつもある。まず、君は学校に来た。ここで学んだことは大きかったろう?」

 フリースラントは、頷いた。
 彼が学んだことは、学業だけではなかった。
 最も、大きかったことは、思い知らされたことは、彼の立ち位置だった。

 フリースラントは、普通じゃなかったのだ。それも、努力の結果ではない。生まれつきだった。
 身分にせよ、裕福さにせよ、抜きんでていたが、そのことは学校に来る前から知っていた。学校へきて、初めて知って、最も衝撃的だったのは、武芸の能力だった。

 人より優れていると言うことは素晴らしいことだ。

 だが、彼の場合……自分で思いたくなかったが、抜きんで過ぎている。彼自身、異様だと感じたのだ。

「友達もできた。次はどうする? ここで勉学をつづけることも出来るし、外の世界を見に行くこともできる。君には勉強はもう十分じゃないか? 学校以外の選択もあるかもしれないね」

 学校に通い始めてから、まだ1年も経っていなかった。
 だが、学校が最終目的地だとは、フリースラント自身も考えていなかった。
 フリースラントは、自分は、何を目指しているのだろう。

 フリースラントは不思議な僧を見つめた。

「いいかい、フリースラント。この庭がなぜ立ち入り禁止になっているか知ってるかい?」

 フリースラントは、あわてて首を振った。入ってはいけないことは知っていた。

「立ち入り禁止なんかじゃないんだ。誰も禁止なんかしてない。入ったってかまわない。だけど、入れないんだ」

 僧は少し楽しそうだった。

「この崖はきつい。切り立っていて、ジャンプして塀の端に手が届く者しか入れない。人間は決して入れない高さだ」

 フリースラントは顔が青ざめるのを覚えた。

 今さっき、そんな種族はいないと言ったばかりではないか。それなのに、人間はこの崖を越えられないと言うのか。じゃあ、越えられた自分と、さっきの話の修行僧は何者なのだ……

 もう、終わってしまった過去なのか、まだ、現在進行している事実なのか……?

「そういう素質を持った者しか入れないのさ。君と……それからまだ帰ってこない彼と。私が知っているのはこの二人だけだ」

 フリースラントは、僧に聞いた。

「その方は……ここから出て行ったというその人は、誰ですか?」

「誰って……どんな人かはもう聞いたろう。それに名前なんかに意味はないよ。今は違う名を名乗っているかもしれない。でも、もし会うことがあったら、必ずその人だって、わかる。それは保証する」

「……ぼくは、どうしたらいいんですか?」

 本当はそんなことを聞きたいのではなかった。フリースラントは、僕はその種族の一人なのですかと聞きたかったのだ。だが、そんなこと聞けなかった。
 わからないと言ってもらえれば、まだいい。だが、もし、肯定されたら……どうしたらいいんだろう……

「自分を信じることだ。なかなか難しいぞ。惑わされることは多い。でも、何が欲しくて、何をしたいのか、見極めないと間違える」

「そんな抽象的な……」

「今にわかるよ」

 僧は軽く言った。

「それにやり直せばいいんだよ。ピンチの数だけチャンスはある」

 彼はこの言葉を反芻した。しばらくしてから、彼は尋ねた。

「あなたは誰ですか?」

「わたしか。私はここで彼を待っているんだ。私の後を継いでもらおうと思ってね。帰ってこないかもしれないが……」


 その時、庭に面した小さな建物に人影が現れた。

 数人の僧が慌てた様子で、庭を見透かし誰か探しているようだった。

「おお、誰か来たようだ。ではフリースラント、これでお別れだ」

 総主教様の庭は、(僧はああ言ったものの)立ち入り禁止と認識されているので、フリースラントはあわてて姿を消した。

 庭を離れるとき、大仰に驚く僧侶たちのざわめく声が切れ切れに彼の耳まで届いた。

「…さま」
「……主教様」
「総主教様、こちらにおいででしたか」

 フリースラントは、芝の上で方向を変え、素早く木の陰に隠れた。
 木々の葉の間から覗いて見ると、黒衣の粗布の僧の周りを、豪奢な僧服をまとった幾人かの僧が這いつくばるようにして、取り囲んでいた。
 彼らは、まるで神様にでも対するように粗衣の僧に恭しく話かけ、やがてゆっくりと建物の中へ入っていった。

「総主教様……」

 フリースラントはつぶやいた。まさか、そんなことなんて……

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