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第71話 ジャニス・スコットの妻

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 そのまますたすたとレッドのほうへ戻った。良かれ悪しかれ、仕事だけはしなければならなかった。こんなことで動揺している様なんて、人に見せられない。
 
 コッティとシュマッカー、ハイディは、ジョウの好奇心を絞め殺してしまったらしかった。別な話をしてくれた。ありがとう。

 私達は予定を組み、必要な打ち合わせをした。

 シルバーの誰かが、ひそひそと私を見て、指差しているのに気がついた。
 私達はごく平静に仕事を済ませ、糧食を集め、明日の準備を完璧にした。
 ブラック隊でさわぎが起こっていた。ロウ曹長が、まっかになって誰かを怒鳴りつけていた。

「あれは……」

 ハイディがつぶやきかけて、口元を覆った。

 どうやら、私のことが原因らしかった。ロウは多分、悪いうわさを口にした誰かをどやしつけていたのだろう。切れ切れに「そんなこと、ノルライドに何の関係があるっていうんだ」というフレーズが聞こえてきた。

 ジェレミーが目を異様に光らせて身を乗り出していた。仲裁に乗り出すつもりなのだろう。だが、私は知らんぷりを決め込んだほうがよさそうだった。

「さあ、準備は出来たから、明日、7時に集合しよう。」

 私はさりげなく隊員全員に言った。

「私は、明日から別の作戦に参加しなくてはならない。」

「まさか、それは……」

 ハイディが目に涙をためて聞いてきた。

 私はあわてた。

「違う、ハイディ。私が監視されるとでも? 別な作戦を組んだだけだ。でも、今はいえないんだ。詳細が詰まっていないんでね。それだけだ。心配するな」

 ここで、屈託なく笑えたらどんなに良かったことか。でも、絶対に無理だった。ひん曲がった笑いよりも、まじめな顔の方がまだましだろう。

「その間はシンに頼んである。ここへ来て早々に、シンには迷惑をかける」

「わかりました」

 シンの返事は簡潔だったが、覚悟みたいなものを感じた。

「頼むよ」

 私はシンの肩をたたいた。それから、レッド隊は解散した。なんだか、葬式みたいな気分だった。

 出来るだけ早く基地から出て行ったほうがいいことはわかっていた。みんな、好きなことを話せるだろう。それに私は何も聞きたくない。

 急いでいるように見られたくはなかったので、ごく普通に基地を出て行った。少なくとも本人のつもりでは、だ。

 こんなことになるのは、実は目に見えていた。誰がどう説明しようと、ジャニスの妻はそれ相応の好奇心の的になるのだ。
 好奇心ならまだいい。私はパレット中佐やキム少佐の家族を思った。
 私に直接罪があるとは考えないかもしれないが、彼らはどんな思いでこの話を聞いていることだろう。

 彼らは知らないだろうが、私がここにいるからジャニス・スコットは軍を狙ったのかも知れない。その可能性はゼロではなかった。
 スコットの場合、私怨と言うより、単なる示威運動のような気もする。自分が、どれほどのことをできるかを世界に知らしめたかったのかもしれない。

 この分では、軍の施設内から一歩も出るわけにはいかなかった。万一、報道でもいたら、ずたずたにされてしまう。

 もう、夕食の時間だった。軍の食堂で食べ物を調達し、私は自室へ戻った。この方がいい。とにかく人目に触れないことだ。

 自室へ戻り、ドアを開けようとして私は人影に気づいた。

「誰だ」

 思わず鋭く叫んだ。
 私はその時まで思い至らなかったが、軍の中でも、私を恨んだりあるいは好奇心から近づく者が出てくる可能性はあった。私は短銃を握り締めた。

「ぼくです」

 暗闇をすかしてみると、それはギルだった。

「ああ」

 体の大きさで気がついてもよさそうなものだった。安堵の声が出た。

「ギルか。なにか用?」

 今の私には余裕がない。ギルに用事がないのはわかりきったことだった。もっとやさしい言い方があるはずだった。それが出来ない。

 彼は相当戸惑ったようだった。なにか言いたいことがあったのだろうが、うまく切り出せないでいた。
 
 普段の私ならこんなことはしない。私は彼の話は必ず聞いたし、うまく切り出せない話でも待って聞いた。でも、今日は出来ない。

「明日が早いから、なにかあるなら、また今度ね」

 私はできるだけやさしく言った。自分に出来るだけ、という意味だ。ギルは口ごもった。

「少尉、できれば、僕にできることがあれば……」

 それはなにもない。

「ギル、帰りなさい。今、私たちができることは何もないのだから。」

 私は言った。そして、ドアを開けて部屋に入ろうとしたら、ギルがそばによって来た。彼はついに覚悟を決めたらしい。

「少尉、今は、あなたのそばにいたい。あんな話を聞かされて……」

 ところで、それはどんな話なんだろうな。かなり皮肉な気分になった。さぞ愉快な話を聞かされたんだろう。

 私はギルに向かって突進した。私にだって感情はある。ギルときたら感情だらけだ。たまにはキレる権利があるなどというヤツは、ずっとバカだと思っていたが、今日という今日は、こんな押し込み強盗みたいな振る舞いには、付き合っていられない。

 私は短銃をギルの顎に押し付けた。暗い中で、ギルの白目が光った。顎に突きつけられたものを確認しているのだ。

「悪いな。今日はダメだ」

 私は続けた。

「そんな愉快な話とやらを聞く余裕がない。明日になれば、どんな話でも受け流してやる。でも、今日はダメなんだ」

 ドアの間にはさまっていたギルの靴先が撤退してくれた。私はするりと自室に入り込むとドアを閉め、鍵を音がしないようにかけた。

 私のプライバシーに土足で踏み込むヤツには銃をお見舞いしてやる。今日だけは、私はいっぱいいっぱいだ。


**************


 そして翌朝、私は後悔した。
 ギル、本当にごめんなさい。
 私は、興奮してました。
 あんなに感情的になる必要はなかった。

 自分では冷静な人間のつもりでした。間違ってました。
 いろいろあり過ぎて、キレました。(言い訳になってない)

 オスカーに相談したら、非難されて、ギルが本当にかわいそうだと言われた。
 ジェレミーに解決策を相談したら、メールをしておけと言われたので、素直に謝りメールを入れてみた。メールは、自分では何をどう書いたらいいのかわからなくなったので、ジェレミーに添削してもらった。
 
 いよいよやばい感じに追い詰められてきた。何も考えられない状態になっている。
 ジェレミーに添削してもらうだなんて、ほんとにどうかしてるけど、全然頭が回らなかった。
 頭の中が、スコットでいっぱいだった。

 ちなみにハイディは、ギルのことで頭がいっぱいだった。
 彼女はギルに夢中だった。それはわかる。だって、ギルはかっこいいもの。
 そのギルはなぜか私に夢中だった。
 そして、ハイディは別に私をやっかむではなく、不思議と尊敬している感じだった。

 やっぱり、世の中は恐ろしい。そして、良く分からない。
 どこかに安全な場所はないだろうか。
 今度、どこかに逃げるとしたら、人間のいないグリーンランドあたりが適当なんじゃないだろうか……
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