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第57話 その後のフィオナ
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フィオナとセシルが、グレンフェル侯爵の田舎の屋敷に行ったのは、結婚式の前、予定していたよりも数ヶ月早い早春だった。
彼の母が急に亡くなったためだった。
「朝、起きてこられないので、メイドが見に行ったところ、亡くなっておられました」
いつか会ったことのある執事が沈痛な表情で説明した。
「前の日まではお元気でしたのに」
セシルもフィオナも一言もなかった。
「フィオナ様のことをヘレン様だと思い込んでおられて、ようやく来てくれた、久しぶりにお茶ができたとたいそう喜んでおられました」
執事は、彼にしては珍しく、聞かれもしなかったことをつぶやくように言った。
「奥様は長らく妹のヘレン様から絶縁されたと思っておられたのです。あの事件のせいで」
「絶縁? 外聞をはばかって訪問しなくなったのですか?」
フィオナは尋ねた。
「いいえ。そうではありません。ヘレン様は病気でお亡くなりになられたのです。だから、奥様を慰めに来ることが出来なかったのです」
「でも、母は、説明されても妹の死がわからなかったのだ」
セシルは辛そうに言った。
「信じたくなかったのかも知れない。叔母とは本当に仲が良かったから」
「フィオナ様がお越しになられた時、ヘレン様が来られたと思われたようで。それで大変うれしそうにされていました。あの後、何日も何日も奥様はヘレンが来てくれたのと言って大喜びでした」
葬儀は地味なもので、牧師とその手伝い、村人が数名、あとはフィオナとセシルと使用人たちだけだった。
天気のいい日だった。
「おいで。フィオナ」
葬儀が終わると、セシルはフィオナを連れて、あの例の、とてもロマンチックだとクリスチンとフィオナが目指した灰色の塔に向かった。
塔の根元には小さな頑丈そうな木のドアがあった。
「もしかして、ここから入れるの?」
フィオナはちょっとドキドキしながら、セシルに囁いた。
セシルがうなずいて鍵を回すと、ギーときしむ音がして、古い木のドアが開いた。開けられたのは何年ぶりなのだろう。
中はらせん状の階段が付いていて、ところどころに明り取りの穴があり、そこから光が差し込んでいたが、それ以外の部分は真っ暗だった。
「おあがりになるのですか? 旦那様? お気をつけ下さいませ。何しろ古うございます。階段も所々抜けております」
後から執事が心配そうに声をかけてきたが、若い二人はそんな階段も気にせず簡単に上っていった。
最上階まで上ると、セシルはフィオナに一番上の窓を指した。
「兄はここから落ちたんだよ」
セシルは淡々と言った。
「母はずっと気にしていた。彼女は、その時、ここから見えるあの庭にいたんだ」
窓から下を見ると、そこはクリスティンとフィオナがお茶をした小さな庭が見えた。
「母はそこから兄に声をかけたんだ。危ないって。急に振り返った兄はバランスを崩してあの窓から落ちた」
それは不幸な事故だったとセシルは言った。
「母は自分のせいだと思い込んだ。自分が声をかけなければ、兄はあの窓から落ちなかっただろうと信じて自分を責めたのだ」
あの庭は、誰かの気に入りだったに違いないと、フィオナは思っていた。優しい手で世話をされていた形跡があった。あの夫人のものだったのだ。
「母はそれ以来、一度もあのベンチに座った事はなかった」
「どうして事故だと訂正しなかったの?」
フィオナは尋ねた。
「できなかったのさ。世の中は厳しいもんだね」
セシルの言葉は短かったが、表情は厳しかった。
諦観と恨みのようなものを感じた。
だから、この人は婚約を認められようと努力したのか。世評の難しさを知っていたのだ。
それに、と彼は付け足した。
「母自身が責任を感じてしまっていた。母は明確に否定しきれなかったのだ」
悔しそうだった。きっと、セシルの母は正直な人だったのだろう。それが裏目に出て付け込まれる隙につながったのかもしれない。
セシルはフィオナを抱いた。
「僕にはもう君しかいない。両親も兄も叔母も、もういないのだ」
フィオナは無理にでも笑って見せた。
「あら、違うわ。アンドルーや私の両親を忘れているわ」
二人はこれから結婚するのだ。
「それに親戚なんかいない方がよっぽど気が利いてると、思わせてくれるアレクサンドラもね」
きっと子どもも大勢生まれるだろう。あたたかな家庭を築くのだ。セシルは一人ぼっちなんかじゃない。
「いつか、この庭は昔の私たちみたいな子ども達であふれかえるようになるわ、きっと」
幸福な思い出が詰まったあの庭を、今に子どもたちが楽しそうに走り回り、笑う声でいっぱいにするのだ。
彼女はセシルにキスした。
「大丈夫。二人で幸せになるのよ」
だが、これは、あんまり、よくわかっていないフィオナの失言だった。
何を思ったのかセシルはフィオナを固く抱きしめると、「うん、その通りだね」と強く肯定した。
その後、セシルに忘れたとは言わせないと凄まれたフィオナは、そんなつもりではなかったと必死に弁解したが、他に方法はないからと返された。
「たくさんの子どもが君の望みなんだね。出来る限りお応えするのが僕の望みだ」
ものすごく悩んだフィオナは誰にも聞けなくて、ものすごく遠回しにスイスへの手紙で、先輩のクリスチンに尋ねてみたが、折り返しクリスチンから、苦渋の返答が来た。
わりと似たような羽目に陥っているらしく、最後にもうスイスは切り上げて帰ろうと思うと書いてあった。
「多分、夏には生まれると思うの。両親もマークも大喜びだし、嬉しいんだけどね」
仕方がないので、フィオナも白状するしかなかった。
「多分、三ヶ月違いくらいで生まれると思う。仲良くしてね、クリスチン」
*********
フィオナの結婚後、マッキントッシュ夫人はフィオナに内緒で、破格の待遇でマルゴットを引き抜こうとしたが、引退するからと断られてしまった。
マルゴットはフィオナ様が無事に結婚されたからには、暇を取って自分の妹のところで暮らすつもりだと宣言していたのだが、フィオナに泣きつかれた。
「それにアレクサンドラは、あなたがいるところへは絶対に近寄らないの。お願い!」
「そう言われては、お断りする訳には……」
と、マルゴットはむっつりと答えたが、まんざらでもなさそうに、上顎と下顎が引っ付いたままの微笑みをニタリと浮かべたのだった。
彼の母が急に亡くなったためだった。
「朝、起きてこられないので、メイドが見に行ったところ、亡くなっておられました」
いつか会ったことのある執事が沈痛な表情で説明した。
「前の日まではお元気でしたのに」
セシルもフィオナも一言もなかった。
「フィオナ様のことをヘレン様だと思い込んでおられて、ようやく来てくれた、久しぶりにお茶ができたとたいそう喜んでおられました」
執事は、彼にしては珍しく、聞かれもしなかったことをつぶやくように言った。
「奥様は長らく妹のヘレン様から絶縁されたと思っておられたのです。あの事件のせいで」
「絶縁? 外聞をはばかって訪問しなくなったのですか?」
フィオナは尋ねた。
「いいえ。そうではありません。ヘレン様は病気でお亡くなりになられたのです。だから、奥様を慰めに来ることが出来なかったのです」
「でも、母は、説明されても妹の死がわからなかったのだ」
セシルは辛そうに言った。
「信じたくなかったのかも知れない。叔母とは本当に仲が良かったから」
「フィオナ様がお越しになられた時、ヘレン様が来られたと思われたようで。それで大変うれしそうにされていました。あの後、何日も何日も奥様はヘレンが来てくれたのと言って大喜びでした」
葬儀は地味なもので、牧師とその手伝い、村人が数名、あとはフィオナとセシルと使用人たちだけだった。
天気のいい日だった。
「おいで。フィオナ」
葬儀が終わると、セシルはフィオナを連れて、あの例の、とてもロマンチックだとクリスチンとフィオナが目指した灰色の塔に向かった。
塔の根元には小さな頑丈そうな木のドアがあった。
「もしかして、ここから入れるの?」
フィオナはちょっとドキドキしながら、セシルに囁いた。
セシルがうなずいて鍵を回すと、ギーときしむ音がして、古い木のドアが開いた。開けられたのは何年ぶりなのだろう。
中はらせん状の階段が付いていて、ところどころに明り取りの穴があり、そこから光が差し込んでいたが、それ以外の部分は真っ暗だった。
「おあがりになるのですか? 旦那様? お気をつけ下さいませ。何しろ古うございます。階段も所々抜けております」
後から執事が心配そうに声をかけてきたが、若い二人はそんな階段も気にせず簡単に上っていった。
最上階まで上ると、セシルはフィオナに一番上の窓を指した。
「兄はここから落ちたんだよ」
セシルは淡々と言った。
「母はずっと気にしていた。彼女は、その時、ここから見えるあの庭にいたんだ」
窓から下を見ると、そこはクリスティンとフィオナがお茶をした小さな庭が見えた。
「母はそこから兄に声をかけたんだ。危ないって。急に振り返った兄はバランスを崩してあの窓から落ちた」
それは不幸な事故だったとセシルは言った。
「母は自分のせいだと思い込んだ。自分が声をかけなければ、兄はあの窓から落ちなかっただろうと信じて自分を責めたのだ」
あの庭は、誰かの気に入りだったに違いないと、フィオナは思っていた。優しい手で世話をされていた形跡があった。あの夫人のものだったのだ。
「母はそれ以来、一度もあのベンチに座った事はなかった」
「どうして事故だと訂正しなかったの?」
フィオナは尋ねた。
「できなかったのさ。世の中は厳しいもんだね」
セシルの言葉は短かったが、表情は厳しかった。
諦観と恨みのようなものを感じた。
だから、この人は婚約を認められようと努力したのか。世評の難しさを知っていたのだ。
それに、と彼は付け足した。
「母自身が責任を感じてしまっていた。母は明確に否定しきれなかったのだ」
悔しそうだった。きっと、セシルの母は正直な人だったのだろう。それが裏目に出て付け込まれる隙につながったのかもしれない。
セシルはフィオナを抱いた。
「僕にはもう君しかいない。両親も兄も叔母も、もういないのだ」
フィオナは無理にでも笑って見せた。
「あら、違うわ。アンドルーや私の両親を忘れているわ」
二人はこれから結婚するのだ。
「それに親戚なんかいない方がよっぽど気が利いてると、思わせてくれるアレクサンドラもね」
きっと子どもも大勢生まれるだろう。あたたかな家庭を築くのだ。セシルは一人ぼっちなんかじゃない。
「いつか、この庭は昔の私たちみたいな子ども達であふれかえるようになるわ、きっと」
幸福な思い出が詰まったあの庭を、今に子どもたちが楽しそうに走り回り、笑う声でいっぱいにするのだ。
彼女はセシルにキスした。
「大丈夫。二人で幸せになるのよ」
だが、これは、あんまり、よくわかっていないフィオナの失言だった。
何を思ったのかセシルはフィオナを固く抱きしめると、「うん、その通りだね」と強く肯定した。
その後、セシルに忘れたとは言わせないと凄まれたフィオナは、そんなつもりではなかったと必死に弁解したが、他に方法はないからと返された。
「たくさんの子どもが君の望みなんだね。出来る限りお応えするのが僕の望みだ」
ものすごく悩んだフィオナは誰にも聞けなくて、ものすごく遠回しにスイスへの手紙で、先輩のクリスチンに尋ねてみたが、折り返しクリスチンから、苦渋の返答が来た。
わりと似たような羽目に陥っているらしく、最後にもうスイスは切り上げて帰ろうと思うと書いてあった。
「多分、夏には生まれると思うの。両親もマークも大喜びだし、嬉しいんだけどね」
仕方がないので、フィオナも白状するしかなかった。
「多分、三ヶ月違いくらいで生まれると思う。仲良くしてね、クリスチン」
*********
フィオナの結婚後、マッキントッシュ夫人はフィオナに内緒で、破格の待遇でマルゴットを引き抜こうとしたが、引退するからと断られてしまった。
マルゴットはフィオナ様が無事に結婚されたからには、暇を取って自分の妹のところで暮らすつもりだと宣言していたのだが、フィオナに泣きつかれた。
「それにアレクサンドラは、あなたがいるところへは絶対に近寄らないの。お願い!」
「そう言われては、お断りする訳には……」
と、マルゴットはむっつりと答えたが、まんざらでもなさそうに、上顎と下顎が引っ付いたままの微笑みをニタリと浮かべたのだった。
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