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第49話 ジャックの求婚
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「ようこそ。パーシヴァル家へ」
ジャックはいささか誇らしげだった。
フィオナは予定と全く違った事態に、文字通りガクブルだった。
どうしたらいいのだ。
この家に入るわけには行かない。
ジャックの母が在宅していると言うのなら、訪問してもまずくはないだろうが、こんなふうに、つまりジャックに引き入れられて訪問するだなんて、まるでまるで、ジャックが決まった相手であるかのようだ。
ジャックの母、パーシヴァル夫人は必ず誤解するだろう。それに、セシルはどう思うだろう? 自分の立場はどうなるのだ。
それに待っている人たち、マルゴットやクリスチンたちは、いつまで待ってもフィオナが到着しないので心配するだろう。
「ジャック、お願いだから、クリスチンのところに行かせて!」
迎えに来た女中の前で恥ずかしかったが、フィオナは低い声ではっきりと言った。
「私はここへ来るつもりはありませんでした。帰してください」
ジャックはフィオナの顔を見た。
ここはジャックのホームグラウンドだ。圧倒的に彼が有利だ。
「帰す? どこへ? ダーリントン伯爵邸へ?」
軽く眉をあげてジャックは言った。フィオナは、この当たり前の質問に唇をかみしめて黙った。
「ご両親のもとへ帰すのは当然だ。もちろん帰すよ。だけど、まだ時間がある。せっかくだから、ぜひ歓待したいな」
彼は女中に向かって言った。
「お茶の用意を。母上は御在宅かな?」
ああ、在宅していないで! 紹介されるわけには行かない。
女中が何事かジャックの耳にささやいた。
「そう。わかった。では、お茶を。サロンにいるから」
ジャックに夏らしい装いのサロンに案内された。
イスには白地に花柄の生地が張られ、その色目に合わせた緑のカーテンが風にそよいでいた。冬場にはきっともっと重厚な椅子や厚地のカーテンに替えられるに違いにない。ダーリントン家では考えられないくらいの贅沢だった。
即座に運ばれてきたお茶もお菓子も上等だった。女中は気が利いていて、ほとんど口を利かないまま部屋の外へ出て行った。
「さて」
向いあわせに座ったまま、ジャックはフィオナを見つめた。
その目は怖かった。フィオナが知りたくない、事実が書いてあった。
ジャックは本気だった。それはかけがえのない真実の愛だった。生涯に巡り合うことがないかもしれないくらい貴重なものなのだ。
その愛に応えられない。
フィオナは目線を合わせていられなくなって目を伏せた。ジャックを嫌いではない。だが、セシルが好きなのだ。
お茶が冷めて行く。
突然ジャックが立ち上がって彼女の横に場所を変えた。
「はっきりさせたい。結婚して欲しい」
「私はセシルと……」
その言葉は聞きたくない。いきなりジャックが肩を抱いた。
遠慮なく重みをかけられて、あの洒脱でいつでも軽いイメージのある男が、実はフィオナなんかでは全然太刀打ちできない、ずっしりと重い体重とはるかに強い力の持ち主であることを感じた。
フィオナはその腕の中では無力だった。
馬車の中では遠慮していたのだ。
彼はフィオナを力づくで抱きしめ、囁いた。
「どこまで行ったの?」
「ど、どこまで……?」
「グレンフェル侯爵とだ。抱かれたのか?」
キス以外していない。でも、そんなことジャックに言う必要はないとフィオナは思った。正直フィオナは知識不足だった。抱きしめられたことはあるけど、なんだか、違うことを聞かれているような気がする。それに、そんなことを気にする理由がわからない……
ジャックは甘い微笑みを口元に浮かべた。
全然わかっていない。
手付かずの可愛い人形。
どす黒い思いが胸に広がる。この人形をこのまま壊してしまったら……きっと、セシルは本気で怒るだろう。だが、それが何だと言うのだ。彼が本気なら自分だって本気だ。
「フィオナ、君は分かっていない。愛されることがどんなことなのか」
なにを言っているの。
「セシルを愛しているわ。子どもの頃一緒に遊んだの。とってもかわいい男の子だったわ。優しくて」
「だから何? 子どもの遊びかい? 侯爵は本気なのか? いろいろと噂のある男だ。外国に行っていた期間も長い。宮廷にも出入りしている。華やかな世界だ。しかも若くて美男子として有名だ。遊び慣れた貴族の令夫人のファンも多いらしいね。夫人たちの侍女たちもね。遊びでも構わない華やかな女たちが取り巻きになっている。君が知らないだけだ」
「私はセシルの本当を知ってるわ」
「僕は君を愛している。侯爵みたいな爵位付きの美男子でもない。宮廷に出ることもない。僕との暮らしは、ずっと気楽で重苦しい義務なんかない。好きなことをして過ごしても誰も文句は言わない。そして僕は君を知っている。積極的で生き生きとした知性が君の魅力なのだ。兄上のアンドルーが僕と結婚するよう強く勧めたのは、家格が高く家のしきたりに縛られる侯爵家なんかに嫁ぐより、ずっと自由で気苦労の少ない暮らしだとわかっているからだ。一人の男に一生大事にされる方が幸せだと知っているからだ」
ジャックの言ったことは真実だった。
マルゴットが、ためらったのも、多分これが理由だ。
フィオナが漠然とグレンフェル侯爵との結婚に不安を抱いていた理由をジャックは言い当てたのだ。
セシルが生きる世界は厳しい。
しきたりや厳しい礼儀作法に厳然と支配され、失敗は許されない。
高貴な身の上となれば、世間の注目も高く、そこで人並みと評価されること自体、ハードルが高い。
彼女の振る舞いも彼の評価に加算される。
「それに、あの男は野心家だ。君と仕事のどちらを取るかと言われたら、仕事を優先するだろう」
「そんなこと、ないわ」
弱々しくフィオナは反論したが、もし仕事が順調でどんどん出世していけば、そんな場面があるかも知れない。
「愛してるって言うのは魔法の言葉じゃない。それで全てが片付く訳じゃない。愛で君の世界の条件は変わらない」
フィオナがジャックの言葉を完全に理解して、怯え始めたことにジャックは気がついていた。
とても愉快だ。
「君のセシルが、大貴族の夫人と浮気した時、どうするのだ? あるいは一夜限りの相手を望む物慣れた侍女の罠に引っかかったら?」
フィオナは何も答えられなかった。
「僕が浮気したら……絶対浮気なんかしないけど……怒って鍋でも包丁でも投げつければいいさ。だけど、セシルの場合は、耐えるしかない。淑女はそんなことはできない」
フィオナは呆然とした。セシルが浮気?
「君みたいな深窓の姫君は知らないことが世の中には多すぎる。あなたのセシルは、本当のことを言わない男だ」
「違うわ。あなたは間違っている……」
「恋と結婚は違う」
女中が遠慮がちに部屋のドアをノックして、ジャックに告げた。
「ジャック様、ダーリントン伯爵家からお迎えが参っております」
「「え?」」
ジャックもフィオナもびっくりした。誰が来たのか? アンドルーか?
それに、ここがどうしてわかったのだろう?
ジャックはいささか誇らしげだった。
フィオナは予定と全く違った事態に、文字通りガクブルだった。
どうしたらいいのだ。
この家に入るわけには行かない。
ジャックの母が在宅していると言うのなら、訪問してもまずくはないだろうが、こんなふうに、つまりジャックに引き入れられて訪問するだなんて、まるでまるで、ジャックが決まった相手であるかのようだ。
ジャックの母、パーシヴァル夫人は必ず誤解するだろう。それに、セシルはどう思うだろう? 自分の立場はどうなるのだ。
それに待っている人たち、マルゴットやクリスチンたちは、いつまで待ってもフィオナが到着しないので心配するだろう。
「ジャック、お願いだから、クリスチンのところに行かせて!」
迎えに来た女中の前で恥ずかしかったが、フィオナは低い声ではっきりと言った。
「私はここへ来るつもりはありませんでした。帰してください」
ジャックはフィオナの顔を見た。
ここはジャックのホームグラウンドだ。圧倒的に彼が有利だ。
「帰す? どこへ? ダーリントン伯爵邸へ?」
軽く眉をあげてジャックは言った。フィオナは、この当たり前の質問に唇をかみしめて黙った。
「ご両親のもとへ帰すのは当然だ。もちろん帰すよ。だけど、まだ時間がある。せっかくだから、ぜひ歓待したいな」
彼は女中に向かって言った。
「お茶の用意を。母上は御在宅かな?」
ああ、在宅していないで! 紹介されるわけには行かない。
女中が何事かジャックの耳にささやいた。
「そう。わかった。では、お茶を。サロンにいるから」
ジャックに夏らしい装いのサロンに案内された。
イスには白地に花柄の生地が張られ、その色目に合わせた緑のカーテンが風にそよいでいた。冬場にはきっともっと重厚な椅子や厚地のカーテンに替えられるに違いにない。ダーリントン家では考えられないくらいの贅沢だった。
即座に運ばれてきたお茶もお菓子も上等だった。女中は気が利いていて、ほとんど口を利かないまま部屋の外へ出て行った。
「さて」
向いあわせに座ったまま、ジャックはフィオナを見つめた。
その目は怖かった。フィオナが知りたくない、事実が書いてあった。
ジャックは本気だった。それはかけがえのない真実の愛だった。生涯に巡り合うことがないかもしれないくらい貴重なものなのだ。
その愛に応えられない。
フィオナは目線を合わせていられなくなって目を伏せた。ジャックを嫌いではない。だが、セシルが好きなのだ。
お茶が冷めて行く。
突然ジャックが立ち上がって彼女の横に場所を変えた。
「はっきりさせたい。結婚して欲しい」
「私はセシルと……」
その言葉は聞きたくない。いきなりジャックが肩を抱いた。
遠慮なく重みをかけられて、あの洒脱でいつでも軽いイメージのある男が、実はフィオナなんかでは全然太刀打ちできない、ずっしりと重い体重とはるかに強い力の持ち主であることを感じた。
フィオナはその腕の中では無力だった。
馬車の中では遠慮していたのだ。
彼はフィオナを力づくで抱きしめ、囁いた。
「どこまで行ったの?」
「ど、どこまで……?」
「グレンフェル侯爵とだ。抱かれたのか?」
キス以外していない。でも、そんなことジャックに言う必要はないとフィオナは思った。正直フィオナは知識不足だった。抱きしめられたことはあるけど、なんだか、違うことを聞かれているような気がする。それに、そんなことを気にする理由がわからない……
ジャックは甘い微笑みを口元に浮かべた。
全然わかっていない。
手付かずの可愛い人形。
どす黒い思いが胸に広がる。この人形をこのまま壊してしまったら……きっと、セシルは本気で怒るだろう。だが、それが何だと言うのだ。彼が本気なら自分だって本気だ。
「フィオナ、君は分かっていない。愛されることがどんなことなのか」
なにを言っているの。
「セシルを愛しているわ。子どもの頃一緒に遊んだの。とってもかわいい男の子だったわ。優しくて」
「だから何? 子どもの遊びかい? 侯爵は本気なのか? いろいろと噂のある男だ。外国に行っていた期間も長い。宮廷にも出入りしている。華やかな世界だ。しかも若くて美男子として有名だ。遊び慣れた貴族の令夫人のファンも多いらしいね。夫人たちの侍女たちもね。遊びでも構わない華やかな女たちが取り巻きになっている。君が知らないだけだ」
「私はセシルの本当を知ってるわ」
「僕は君を愛している。侯爵みたいな爵位付きの美男子でもない。宮廷に出ることもない。僕との暮らしは、ずっと気楽で重苦しい義務なんかない。好きなことをして過ごしても誰も文句は言わない。そして僕は君を知っている。積極的で生き生きとした知性が君の魅力なのだ。兄上のアンドルーが僕と結婚するよう強く勧めたのは、家格が高く家のしきたりに縛られる侯爵家なんかに嫁ぐより、ずっと自由で気苦労の少ない暮らしだとわかっているからだ。一人の男に一生大事にされる方が幸せだと知っているからだ」
ジャックの言ったことは真実だった。
マルゴットが、ためらったのも、多分これが理由だ。
フィオナが漠然とグレンフェル侯爵との結婚に不安を抱いていた理由をジャックは言い当てたのだ。
セシルが生きる世界は厳しい。
しきたりや厳しい礼儀作法に厳然と支配され、失敗は許されない。
高貴な身の上となれば、世間の注目も高く、そこで人並みと評価されること自体、ハードルが高い。
彼女の振る舞いも彼の評価に加算される。
「それに、あの男は野心家だ。君と仕事のどちらを取るかと言われたら、仕事を優先するだろう」
「そんなこと、ないわ」
弱々しくフィオナは反論したが、もし仕事が順調でどんどん出世していけば、そんな場面があるかも知れない。
「愛してるって言うのは魔法の言葉じゃない。それで全てが片付く訳じゃない。愛で君の世界の条件は変わらない」
フィオナがジャックの言葉を完全に理解して、怯え始めたことにジャックは気がついていた。
とても愉快だ。
「君のセシルが、大貴族の夫人と浮気した時、どうするのだ? あるいは一夜限りの相手を望む物慣れた侍女の罠に引っかかったら?」
フィオナは何も答えられなかった。
「僕が浮気したら……絶対浮気なんかしないけど……怒って鍋でも包丁でも投げつければいいさ。だけど、セシルの場合は、耐えるしかない。淑女はそんなことはできない」
フィオナは呆然とした。セシルが浮気?
「君みたいな深窓の姫君は知らないことが世の中には多すぎる。あなたのセシルは、本当のことを言わない男だ」
「違うわ。あなたは間違っている……」
「恋と結婚は違う」
女中が遠慮がちに部屋のドアをノックして、ジャックに告げた。
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