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第37話 男二人の独断
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フィオナはセシルの顔を見つめた。
彼女の心は決まっている。
セシルに惹かれるのだ。もうどうしようもなく。
「私が恐れおののいているのは、私の判断が正しいのかどうかということ」
そう、彼女はジャックのことは客観的に見れるのに、セシルのことになると客観的になれないのだ。
「では、僕の判断を信じてくれ。君がいないと生きていけない。だからここまで来たんだ。まるで馬鹿みたいだ。仕事を残してきているのに。でも、会いたかった」
彼はフィオナの手を取り、床に跪いて真剣な表情で聞いた。
「私は私の心臓をあなたに捧げる。その代わり、あなたの生涯を私にくださいますか?」
こんな瞬間でさえ、セシルを美しいと思ってしまう。
そして、あなたと一緒に生きたいと思う。
「はい……」
答えは最初に出会った時から決まっていたのだろう。どうしても彼しかいないのだ。
「結婚という絆で、あなたを我がものとしてよろしいか? 生涯……」
「はい」
即答だった。
外は嵐で、薄暗い部屋の中の求婚だった。ロマンチックな場所ではない。だが、フィオナもセシルも全然気にならなかった。この先、二人は助け合い、その生涯をお互いのために捧げるのだ。
「ジャックになんて言えばいいかしら……」
セシルがニヤリとした。
「好きな人が出来ました。正直にそう言えばいいんじゃないかな」
急に食堂のドアがバタンと開いて、真っ赤になったクリスチンをマークが引きずるようにして居間に戻ってきた。
「花嫁を紹介しよう。クリスチン・ロックフィールド夫人だ」
マークは髪を振り乱し、目がキラキラと輝いていた。
「クリスチンは僕が行動に出るのを十年もの長きにわたって待っていてくれたんだよ」
「マーク、そんなこと言ってないわ!」
「同じことだ。それで来春早々に結婚式を挙げる」
「準備期間が足りないわ! もう少し後にして。それに父も……」
「その手は食わない。君の父上はすでに会ってきた。君みたいなじゃじゃ馬を乗りこなせる男がいるんだったら、大いに結構だと言っていた」
マリアが台所からこっそりのぞいていた。
「まあ、クリスチンお嬢様」
マリアは泣いていた。
「良かったですわ。マーク様なら安心です。ほんとはもっと前に結婚しているはずだったのに、お嬢様が変なことばかりなさるから。妙な画家に入れあげたり、突然スイスの学校に入校してみたり」
「マリア、悪いがここで晩の食事を頼む。それから僕たちは出ていくから」
マークが陽気に言った。
「え? どこへ? もう、汽車はございませんよ?」
「独身の若いお嬢様と同じ家には泊まれないよ。マークは僕の館に泊るんだ」
セシルが口を挟んだ。
「館?」
クリスチンが目を丸くした。
「そう。あの塔のある屋敷さ。雨も小降りになって来たしね。グレンフェルの館だ」
え? とクリスチンが口の中でつぶやいた。
四人は楽しそうに食事を囲んだ。
外は相変わらず雨だが、そんなこと全然気にならなかった。
外が悪天候なら、家の中の明るさがより一層引き立つだけだ。
この時が永遠に続けばいいのに。
だって、フィオナには、帰るところがないのだ。
フィオナはこれまでも、あまり家族に歓迎されてこなかった。家族に遺産は渡らず、家では冷遇されていた彼女に莫大な遺産が遺されたのだ。家族の反応が不安だった。
マークはしかめつらをした。彼は一番年上で、事情をよく知っていた。
「どんなに若い方のダーリントン夫人が頑張っても、遺言は変わらないだろう。だが、それだけに恨まれるかもしれないな」
「ああいう噂は広がるのが早い。正直に言うと、僕も心配している」
セシルも渋々口にした。遺産の話が表沙汰になった以上、大勢の求婚者やパーティの招待状が、ダーリントン家にはそれこそ山のように届いているだろう。セシルは実は気が気でなかった。
フィオナはうつむいた。彼女はそんなことを心配しているのではなかった。
「マルゴットに会いたいわ……」
知らない間にマルゴットの存在はびっくりするほど大きくなっていた。
マルゴットになんて言おう。マルゴットは、この婚約を喜んでくれるだろうか。
「ああ、私もマルゴットに会ったよ」
マークが言った。
「え?」
「まさか、マルゴットが、あなたにこの場所をしゃべったの?」
クリスチンが叫んだ。
「違うよ。僕は君の家の執事に口を割らせたのさ。三日目くらいだったかな」
クリスチンが憤懣やるかたないと言った表情でマークを睨んだ。
「だって、彼は、お嬢様を迎えに行ってくださいませと僕に言ったんだぜ? 住所のメモまでもらった。クリスチンお嬢様は素直になれない方で、実はマーク様を愛しているのに……」
急にナプキンがマークめがけて飛んできたが、マークは器用にヒョイとそれを避けた。
「とにかく僕は君を探し当てた。セシルはマルゴットに場所を教えてもらった」
「マルゴットが? セシルに?」
「マルゴットは、ジャックならクリスチンの居場所を探せると思ったらしい。弟だからね。でも、もちろんセシルには無理だ。フィオナの選択を平等にしたかったんだろうな。結果、ジャックには不利に働いたんだが」
フィオナは、この狭い居間でジャックとセシルがにらみ合っているところを想像した。
ぞっとする。
クリスチンの晩餐会の時だけで十分だ。
マークは、クリスチンに向かって言った。
「それで、クリスチン、君はパーシヴァルの本邸に戻ったらどうかな?」
「なんですって? いやよ。好きにさせてくれないもの」
「両親待望の結婚式を挙げるんだ。上も下も君の言う通りに従うよ。式を挙げるんだから、準備に人手がいるだろう。それに、去年みたいにカザリンを連れて犬ぞりレースに出るんだと言われたら、僕が困る。去年の冬、それをやって凍傷になるとこだったね」
「人手をアパルトマンへ持ってくればいいのよ」
「それと、まことに申し訳ないが、結婚衣装は白が好みなんだ。緑の地色にピンクの点々みたいなのは斬新かも知れないけど、刺激が強すぎてつらい。婚約指輪も出来れば誕生石とダイヤくらいでOKしてほしい。この間、前衛の宝飾デザイナーに紹介してもらったけど、彼の作品は遠慮したいんだよ。ダメかな?」
「男のくせにドレスにまで口を出す気なの?」
マークは、ポケットから絹のベルベットの箱を取り出した。
黙ってクリスチンの前で開けると、中には目を見張るように美しいエメラルドと大ぶりのダイヤの指輪が入っていた。息を呑むほど美しく、そしておそろしく高価な品に違いなかった。
「受け取って欲しい」
彼は立ち上がると、クリスチンの左手の薬指に指輪をはめた。
こんなものまで、準備してくるとは!
フィオナは、その様子をうっとりとして見ていた。
二人が愛し合っていることは、傍目にもよくわかった。
あの冷静なマークが饒舌で、興奮して動き回り、クリスチンを離さない。
クリスチンも、口では抵抗しているが、本当に嬉しそうだ。
「誰か証人の前で渡したかったんだ。それを一度嵌めたら、死ぬまで外せない。外すと呪いがかかる仕様だ」
クリスチンは思わず笑ったが、マークは真剣だった。
「一体、どんな呪いなの?」
「僕以外と再婚できない呪いなんだ。わかった?」
あまりのつまらなさにクリスチンとフィオナが笑った。マークは続けた。
「そして、君のアパルトマンをフィオナに貸してやってくれないか?」
「費用は僕が持つ」
セシルが口を出した。
「男が借りたアパルトマンだと誤解が多すぎる。あなたの家なら安心だ。フィオナを伯爵邸に帰したくない」
うっかり指輪に見入って、話を半分しか聞いていなかったクリスチンだったが、あわててセシルたちに目を戻した。
「ええと、フィオナのためにパーシヴァルの家に戻れと言うの?」
「まっすぐ、僕の家に来てくれて構わないよ、クリスチン。すぐに部屋を用意しよう。シーツや枕の好みがあったら教えて欲しい」
マークが言うと、セシルも続いた。
「僕もだ。大歓迎するよ、フィオナ」
彼らは嬉しそうに笑っていた。
「「ダメに決まっているでしょう!」」
「うんうん、わかってるよ。だから、僕たちの家に来るまでの短い間…(マークは『短い』を、やけに強調した)……外聞のためだけに、家を移って欲しいんだよ。それとフィオナの安全のためにね。マルゴットも一緒に移る。フィオナ嬢の専属侍女なんだから当然だよね」
彼女の心は決まっている。
セシルに惹かれるのだ。もうどうしようもなく。
「私が恐れおののいているのは、私の判断が正しいのかどうかということ」
そう、彼女はジャックのことは客観的に見れるのに、セシルのことになると客観的になれないのだ。
「では、僕の判断を信じてくれ。君がいないと生きていけない。だからここまで来たんだ。まるで馬鹿みたいだ。仕事を残してきているのに。でも、会いたかった」
彼はフィオナの手を取り、床に跪いて真剣な表情で聞いた。
「私は私の心臓をあなたに捧げる。その代わり、あなたの生涯を私にくださいますか?」
こんな瞬間でさえ、セシルを美しいと思ってしまう。
そして、あなたと一緒に生きたいと思う。
「はい……」
答えは最初に出会った時から決まっていたのだろう。どうしても彼しかいないのだ。
「結婚という絆で、あなたを我がものとしてよろしいか? 生涯……」
「はい」
即答だった。
外は嵐で、薄暗い部屋の中の求婚だった。ロマンチックな場所ではない。だが、フィオナもセシルも全然気にならなかった。この先、二人は助け合い、その生涯をお互いのために捧げるのだ。
「ジャックになんて言えばいいかしら……」
セシルがニヤリとした。
「好きな人が出来ました。正直にそう言えばいいんじゃないかな」
急に食堂のドアがバタンと開いて、真っ赤になったクリスチンをマークが引きずるようにして居間に戻ってきた。
「花嫁を紹介しよう。クリスチン・ロックフィールド夫人だ」
マークは髪を振り乱し、目がキラキラと輝いていた。
「クリスチンは僕が行動に出るのを十年もの長きにわたって待っていてくれたんだよ」
「マーク、そんなこと言ってないわ!」
「同じことだ。それで来春早々に結婚式を挙げる」
「準備期間が足りないわ! もう少し後にして。それに父も……」
「その手は食わない。君の父上はすでに会ってきた。君みたいなじゃじゃ馬を乗りこなせる男がいるんだったら、大いに結構だと言っていた」
マリアが台所からこっそりのぞいていた。
「まあ、クリスチンお嬢様」
マリアは泣いていた。
「良かったですわ。マーク様なら安心です。ほんとはもっと前に結婚しているはずだったのに、お嬢様が変なことばかりなさるから。妙な画家に入れあげたり、突然スイスの学校に入校してみたり」
「マリア、悪いがここで晩の食事を頼む。それから僕たちは出ていくから」
マークが陽気に言った。
「え? どこへ? もう、汽車はございませんよ?」
「独身の若いお嬢様と同じ家には泊まれないよ。マークは僕の館に泊るんだ」
セシルが口を挟んだ。
「館?」
クリスチンが目を丸くした。
「そう。あの塔のある屋敷さ。雨も小降りになって来たしね。グレンフェルの館だ」
え? とクリスチンが口の中でつぶやいた。
四人は楽しそうに食事を囲んだ。
外は相変わらず雨だが、そんなこと全然気にならなかった。
外が悪天候なら、家の中の明るさがより一層引き立つだけだ。
この時が永遠に続けばいいのに。
だって、フィオナには、帰るところがないのだ。
フィオナはこれまでも、あまり家族に歓迎されてこなかった。家族に遺産は渡らず、家では冷遇されていた彼女に莫大な遺産が遺されたのだ。家族の反応が不安だった。
マークはしかめつらをした。彼は一番年上で、事情をよく知っていた。
「どんなに若い方のダーリントン夫人が頑張っても、遺言は変わらないだろう。だが、それだけに恨まれるかもしれないな」
「ああいう噂は広がるのが早い。正直に言うと、僕も心配している」
セシルも渋々口にした。遺産の話が表沙汰になった以上、大勢の求婚者やパーティの招待状が、ダーリントン家にはそれこそ山のように届いているだろう。セシルは実は気が気でなかった。
フィオナはうつむいた。彼女はそんなことを心配しているのではなかった。
「マルゴットに会いたいわ……」
知らない間にマルゴットの存在はびっくりするほど大きくなっていた。
マルゴットになんて言おう。マルゴットは、この婚約を喜んでくれるだろうか。
「ああ、私もマルゴットに会ったよ」
マークが言った。
「え?」
「まさか、マルゴットが、あなたにこの場所をしゃべったの?」
クリスチンが叫んだ。
「違うよ。僕は君の家の執事に口を割らせたのさ。三日目くらいだったかな」
クリスチンが憤懣やるかたないと言った表情でマークを睨んだ。
「だって、彼は、お嬢様を迎えに行ってくださいませと僕に言ったんだぜ? 住所のメモまでもらった。クリスチンお嬢様は素直になれない方で、実はマーク様を愛しているのに……」
急にナプキンがマークめがけて飛んできたが、マークは器用にヒョイとそれを避けた。
「とにかく僕は君を探し当てた。セシルはマルゴットに場所を教えてもらった」
「マルゴットが? セシルに?」
「マルゴットは、ジャックならクリスチンの居場所を探せると思ったらしい。弟だからね。でも、もちろんセシルには無理だ。フィオナの選択を平等にしたかったんだろうな。結果、ジャックには不利に働いたんだが」
フィオナは、この狭い居間でジャックとセシルがにらみ合っているところを想像した。
ぞっとする。
クリスチンの晩餐会の時だけで十分だ。
マークは、クリスチンに向かって言った。
「それで、クリスチン、君はパーシヴァルの本邸に戻ったらどうかな?」
「なんですって? いやよ。好きにさせてくれないもの」
「両親待望の結婚式を挙げるんだ。上も下も君の言う通りに従うよ。式を挙げるんだから、準備に人手がいるだろう。それに、去年みたいにカザリンを連れて犬ぞりレースに出るんだと言われたら、僕が困る。去年の冬、それをやって凍傷になるとこだったね」
「人手をアパルトマンへ持ってくればいいのよ」
「それと、まことに申し訳ないが、結婚衣装は白が好みなんだ。緑の地色にピンクの点々みたいなのは斬新かも知れないけど、刺激が強すぎてつらい。婚約指輪も出来れば誕生石とダイヤくらいでOKしてほしい。この間、前衛の宝飾デザイナーに紹介してもらったけど、彼の作品は遠慮したいんだよ。ダメかな?」
「男のくせにドレスにまで口を出す気なの?」
マークは、ポケットから絹のベルベットの箱を取り出した。
黙ってクリスチンの前で開けると、中には目を見張るように美しいエメラルドと大ぶりのダイヤの指輪が入っていた。息を呑むほど美しく、そしておそろしく高価な品に違いなかった。
「受け取って欲しい」
彼は立ち上がると、クリスチンの左手の薬指に指輪をはめた。
こんなものまで、準備してくるとは!
フィオナは、その様子をうっとりとして見ていた。
二人が愛し合っていることは、傍目にもよくわかった。
あの冷静なマークが饒舌で、興奮して動き回り、クリスチンを離さない。
クリスチンも、口では抵抗しているが、本当に嬉しそうだ。
「誰か証人の前で渡したかったんだ。それを一度嵌めたら、死ぬまで外せない。外すと呪いがかかる仕様だ」
クリスチンは思わず笑ったが、マークは真剣だった。
「一体、どんな呪いなの?」
「僕以外と再婚できない呪いなんだ。わかった?」
あまりのつまらなさにクリスチンとフィオナが笑った。マークは続けた。
「そして、君のアパルトマンをフィオナに貸してやってくれないか?」
「費用は僕が持つ」
セシルが口を出した。
「男が借りたアパルトマンだと誤解が多すぎる。あなたの家なら安心だ。フィオナを伯爵邸に帰したくない」
うっかり指輪に見入って、話を半分しか聞いていなかったクリスチンだったが、あわててセシルたちに目を戻した。
「ええと、フィオナのためにパーシヴァルの家に戻れと言うの?」
「まっすぐ、僕の家に来てくれて構わないよ、クリスチン。すぐに部屋を用意しよう。シーツや枕の好みがあったら教えて欲しい」
マークが言うと、セシルも続いた。
「僕もだ。大歓迎するよ、フィオナ」
彼らは嬉しそうに笑っていた。
「「ダメに決まっているでしょう!」」
「うんうん、わかってるよ。だから、僕たちの家に来るまでの短い間…(マークは『短い』を、やけに強調した)……外聞のためだけに、家を移って欲しいんだよ。それとフィオナの安全のためにね。マルゴットも一緒に移る。フィオナ嬢の専属侍女なんだから当然だよね」
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