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第82話 魔力のない世界を見越して

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公爵邸に戻った私は、まず、命のポーションを立ち飲みでグイッといった。

念の為である。

「お嬢様、なんと言う飲みっぷり。令嬢のなさることではありませんわ! 何かあったのですか?」

メイフィールド夫人が大急ぎでやって来た。

「ええ。毒を飲まされて」

メイフィールド夫人の悲鳴が館を揺るがし、侍女を始め、下男たちも駆けつけて来た。

「お嬢様? そ、それで大丈夫だったのですか?」

「大丈夫よ。ポーションは念の為に飲んでるだけよ」

私は答えた。

アデル嬢の毒殺事件を聞くと、夫人は眉を顰めた。その後ろに勢ぞろいしていたウチの使用人たちも大激怒した。

事情があって、殿下の求愛部分は割愛した。

論点はそこではない。なんだか言いたくないしね。

「なんと言う……!」

「自分の野望のためには、人の命さえ簡単に犠牲にしようなどとは!」

「人間のすることではございません!」

「まあまあ。それで、今は、殿下を始めとして、セス様、騎士団長もお越しなられてリーマン侯爵家は封鎖されている状態なの」

おおーっと声が上がった。

「さすがは殿下」

ここで、殿下の株が上がると、余計殿下の思う壺……とは言うものの、誓約のキスまで交わしてしまった。

誓約のキスは、教科書で読んだけど、結構、恐ろしい魔術だった。
媚薬どころではなくて、愛する相手を永遠に縛る魔法。
離れても必ず再び相見あいまみえ、溺愛し、生涯仲睦まじく暮らす魔法だった。

聞いた女子生徒は「いいわあ~」とため息をついていたけど。

ただし条件がある。そもそも相手がある程度自分を好きでいてくれることが、最低条件。

嫌われていた場合や、相性が悪い時には、制約力は働かない。
キスが出来ないのだ。

「振り向いてくれない相手に、振り向いてもらうためには、使えないんですか?」

「ダメじゃ。効果ない」

「結局、相思相愛にしか意味はないと?」

「そう言うことじゃな」

「何の為の魔術かわかりませーん」

元々、相思相愛なら魔法なんか要らないだろう。究極の残念魔法である。


あと、キスした側の魔力に効果は比例する。

つまり、殿下みたいな魔力の化け物にキスされると、相手は大抵の場合、殿下にメロメロになる魔法だった。

学校の授業で詳細が明らかになるにつれ、特に男子生徒たちの興味は薄れていった。

「魔力が強くないとそもそも効かないなら、俺たちには関係ない。大貴族専用の勝手魔法じゃないか」

「金があればどうにかなるのと、同じ理屈だよな」

なにか、やさぐれた感想が耳に入って来た。

「魔力が強いってことは、大貴族よね」

「この魔法って、意味なくないか」


逆に女子生徒はワクワクしていた。

「しかも嫌いな人がキスしようと思っても効果ないのよね。つまり、玉の輿確定のキスって意味よね! しかも自分も相手を好きになる」

私と殿下の場合だと、玉の輿感はほぼないので、お得感もゼロだ。

「でも……生涯仲睦まじく暮らす……夢ですわ。それだけでも幸せだろうと思います」

小柄などこかの貧乏貴族の娘が言った。

……それは、どこの大貴族だろうと、貧乏平民だろうと、人間である以上同じだろうと私も思う。

そんなことが、誓約のキスとやらで実現すると言うなら、媚薬なんかよりよっぽど意味がある魔法ではないだろうか。幸福の魔法だ。
でも、ポーションで増幅させて、配ることは出来なさそうだった。残念。


「だが、誓約のキスまで行使するとは、殿下、本気だな」

しかしながら、見ての通り、殿下にメロメロになっていないのは、残念ながら私の方の魔力も殿下に拮抗するほどあって、誓約のキスの強制力をかなり打ち消しているからだ。多分だけど。

関係ないわーと聞き流していたあの時の自分!
もっと、真面目に授業を受けておけばよかった。


自分の部屋で、着替えを済ませると私は侍女たちを下がらせた。

ドキドキする。

今までいくら口説かれても、いつものことだと、あまり真剣にならなかったけど、今回のはこたえた。

殿下の唇の感触が残る。キスは成功した。それはつまり……

しかも、殿下は私が殿下を別に嫌いじゃないって、ちゃんと知っていた。それを相手に思い知らせる。
誓約魔法の本来の使用目的とはちょっと違った使用法なのかも。

グレイ様とデートした時、私は全く冷静だった。
なんなら退屈していたくらいだ。
変わった異国産の文物はとても魅力的だったけど、グレイ様が魅力的だったわけではなかった。

公爵邸に帰って、カンカンに怒った殿下を見た途端、気がついた。
この人はキラキラしている。
そして本気な事だけは最初からわかっていた。姿かたちが変わるとか、全然信用できないことを言っていた時だって、真剣に忠告していた。
だから、多分、今も本気なのだろう。

ダメだ。今度会ったらどんな顔をしたらいいかわからない。
婚約者だなんて、どうしたらいいかわからない。

どうしよう、どうしようと悶絶していたら、侍女のハンナがドアを開けた。

「バスター様がお見えです」

呼んどいたくせに忘れていた。

「客間にお通しして」

バスター君、グッドタイミング!

そうよ。まずは冷静にならなくちゃ。

熱い頭でものを考えてはダメよ。

そのためには、念願のポーションの大量生産はいい話題だわ。

殿下に媚薬として効いたのかと心配してたけど、実は芝居だったと判明したしね。

でも、もー、なんなの、それ。芝居って。

媚薬に酔ってフリして好き放題、あんなことやこんなことをされてしまった。殿下はわざとやったってことなのね。

ボッとか、音が出そう。

わあ、ダメだ。ハウエル商会の出現も、効果ないとは。きっと、頬が真っ赤でどうしたのですかと心配されるだろう。

「お嬢様? お早めに準備をなさってくださいませ。ハウエル商会の会長と副会長も、バスター様とご一緒に見えられています」

「ええ? バスター君だけじゃないのぉ?」

会長と副会長!

まあ、バスター君だけを名指しで呼んだわけではないけど、なんだか気合い入っているわね。

私は、階下に下りて行って、三人が待つ客間に入った。

「アランソン女公爵様」

三人とも、仰々しく頭を下げている。

「ついに、毒肉ポーションを大々的に売り出せる時が来たわけですなっ」

商機到来と言うわけで、頭をふさふさにして年齢不詳になった会長と、副会長が目をらんらんと輝かせている。

「ええ。唯一の懸案だった人体への悪影響がないと言うことが判明しましたので」

あれ、嘘だったらしいから。

思い出して、私は真っ赤になった。

「お嬢様、どうなさいました?」

バスター君があわてて声をかける。

「お顔が真っ赤でございます」

「あ、気にしないで。実は、今日はどうしてもと呼ばれてリーマン侯爵家のお茶会に出かけたのですが……」

「お嬢様、リーマン侯爵家のお茶会など行かない方がよろしかったのではないですか? アデル嬢は、お嬢様を敵視していると巷では噂になっております」

バスター君、どうしてそんなことを知っているの?

だが、会長と副会長も、一挙に心配そうな顔になった。

「ルーカス王子妃の座を狙うリーマン家が、なりふり構わず暗躍していると私どもの耳にさえ入ってまいります」

あ、そうか。出入りの商人を使って、噂をばらまいているって言ってたものね。

「リーマン家に関しましてはあまりいい噂を聞きませんので。ここだけの話に留めておいていただきたいのですが、一部の宝石商からは、支払いが滞っていると言う話が出ております」

「そうなのですか」

初耳だった。

アデル嬢は、自分の家の商売は、非常に成功していると言っていた。

そう言えば、お王子妃の座を金貨二十枚で勝ち取ろうとは、ケチ臭い。

「ポーシャ様は……いえ、コホン、アランソン公爵様は、私どもにとって大切な大切なお方。万が一、悪口でも浴びせられたらと心配でございます。私どもはたかが商家ではございますが、出来ることもあると存じます。ご心配の筋をおっしゃっていただければ……」

「そんな大げさな話じゃないのよ。致死量を超える毒を盛られただけで……」

三人は固まって、言葉を繰り返した。

「致死量を超える毒……?」

「出された紅茶にいれられたの。それで、顔色が悪いのよ」

顔色が悪いと言うか、真っ赤だけど。これで、殿下の話をして赤くなっても不審感を持たれずに済むわね。

「なんと言うこと!」

会長が、うっかりよく響くだみ声で絶叫した。

「それで! アランソン様、大丈夫なのでございますか? お加減が悪いなどと言うことは?」

私はあいまいに手を振った。

「大丈夫よ。命のポーションもあるしね」

思わずソファーから立ち上がっていた三人は、命のポーションと言う言葉を聞いて、空気が抜けた風船みたいにプシュンと椅子に座り込んだ。

「さすがはアランソン様。確かに命のポーションがあれば、何の問題もございませんな」

「いえいえ、問題だらけでございますよ、父上。我々も戦わなくては!」

副会長が眉間に深いしわを寄せて、イライラしたように宣言した。

私は現状を正しく伝える必要を感じた。なんだか、ややこしい事態になりそうだわ。

「今、リーマン家には騎士団長が入っています。証拠固めをしていると思います。毒の第一人者セス様もご一緒です」

「セス様もですか」

バスター君がつぶやくように言った。彼はセス様と一緒に仕事をしていたから、セス様の有能さをよくわかっているだろう。

「そうですか。それはよかった。でも、まあ、我々は我々も出来ることをやらせていただくだけですよ」

会長がニカアと笑ったが、よく見ると目がギラついていた。
うん。敵には回したくないタイプだわ。

これで頭がハゲてて脂ぎっていたら、すごくサマになるんだけどな。残念。
あいにく、本人の希望で髪はフサフサだ。ハゲ治療ポーションを作って渡したのは私なので、これは自業自得か。

リーマン侯爵家は、貴族社会と関係のなさそうなハウエル商会と何かまずいことでもやってしまったのかしら。

なんだか妙な力の入りようだわ。

「それはとにかく、アデル嬢のお話から、毒肉ポーションは人間に害はないことがわかりましたので、何の気兼ねもなく販売できますの。それでお呼びしましたのよ」

「それはまあ。商売的に我々は大歓迎です。正直、生産に入る許可を待っていたような次第でして、すでに体制は整っております。しかし、このようなお話を伺った以上は……」

会長は思うところがあるらしく、腕を組んで悩み始めた。
副会長のバスター君の兄上が言いだした。

「父上、私が販売と生産体制の方は担当しましょう。父上は顔が広い。商工会や付き合いのあるポーション会社から、この件に関して探ってみてはどうでしょうか」

「そうだな。我々民の力でも、アランソン様はお守りしなくてはならない、かけがえのないお方だ。毒肉ポーションだって、これさえあればどんな辺境に住んでいたって悪獣避けが可能になる。しかも、たいして元手はかからない。これまではせっかく農地を広げても悪獣が入ってくれば、開拓した土地を捨てて逃げ出すしかなかったのだから。悪獣相手に戦える、真に力のある魔法騎士様なんか、本当は国中探しても数人しかいないのだ」

その言葉は胸に刺さった。セス様が言った通りだ。きっと魔術師は減り続けて居なくなるのだろう。
魔法学校の生徒が大勢いても、十分に魔力が使える生徒なんか数人だった。そして、彼らのような目先の利く商人たちは、その事実を知っているのだ。

「魔力を使わなくても、毒肉ポーションは効果があります」

バスター君が最後に言った。

「アランソン様は、これまで私たちが研究し続けていても、なかなか回答にたどり着けなかった問題を、魔力で瞬時に見抜く力がおありです。毒肉ポーションがいい例です」

いやあ。
そんなに褒められても、照れちゃうな。
適当に混ぜ込んだだけなんだけど。

だが、バスター君は真顔だった。

「それこそが天才です。あなたがいれば……魔力を使わなくても、同じくらい便利なものを作ることが出来る。魔法がこの世から消え去っても、それは残ります。私たちは全力でアランソン様を守りたい」
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