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第78話 毒茶
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来なけりゃいいのにと思っていた招待状は、きっちり翌日にはついた。
そして、驚くべきことに、招待主はルーカス王子殿下ではなく、なんとアデル嬢だった。
「え?」
私は、そもそもなんでアデル嬢から手紙が来たのか検討がつかなかった。
お使いがわざわざやって来たから、やむなく手紙は見た。お使いが持って来なかったら、その辺に積ん読になってるところだった。
けど、行きたくない。
『……光栄にもリーマン侯爵家邸にて、ルーカス殿下とアデル嬢お二人のお茶会が催されることとなりました。このようなしっぽりした個人的な会に、アランソン嬢が参加されるなどと言うことは、万が一にもないことと承知しておりますが、どうしても当家を来訪されるのであれば、許可すると伝えよとの殿下のお言葉です』
なんか変な文章だな。しっぽりって何?
ちょっと紙を横に向けて読んでみた。
文面は同じだ。
要するに、リーマン侯爵家が殿下をお茶会に誘い、殿下は出席する代わりにアランソン女公爵も呼べと要求したとか?
完全な邪魔者じゃない、私。
『なお、来訪なき場合の責は当方にはないが、特段の事情がない限り、訪問は強制しないことを申し添えたいと存じます』
は?
来るなよ、来るなよ。そっちの責任になるけど、何があっても来るなよ。(意訳)
ムカついたので、その場で返事することにした。
「ご招待、ありがとうございます。喜んで出席させていただきます」
通信魔法がもったいないわ。
お仕着せを着て、返事を持って帰ろうとかしこまっているリーマン侯爵家の使いに、口頭で答えた。
お使いは変な顔をして、確認した。
「ご出席でございましょうか?」
「も、ち、ろ、ん」
私は力を込めて答えた。
「念の為、アデル嬢からのご招待状、殿下に転送しておきますわ」
通信魔法がもったいないくらいだが、よく考えたら、アデル嬢の手下などに任せて、殿下に変な情報が流れても困る。
お使いの目の前で、アデル嬢の招待状を殿下宛てに飛ばしてやった。
アデル嬢が私に来るな(意訳)と書いた招待状を送ったのを知って、もう私の参加なんかどうでもいいやになったら殿下から連絡してくるだろう。
この手紙、割と失礼だし。
「なんでことをなさいます!」
焦ったお使いの目が血走っていたが、知ったことじゃねーわ。
大体、なんでこんな訳のわからない会に出なくちゃいけないのよ。
主催者(アデル嬢)は真剣に出て欲しくないみたいじゃないの。
「元々アデル様は、このお茶会を予定されていたんですの?」
「えっ? あ、えーと、私はお使いでございますれば、そのようなことは存じません?」
「いいから、答えなさいよ」
私は高額商品であるハウエル商会の二日酔い止め三本でこのお使いを買収した。
赤い鼻から想像できる通り、かなりの酒好きで胃薬より二日酔い止めの方がありがたいらしい。
「もうねー、何回行ったかなー? 殿下のところにお手紙届けまくったんですよね? でも、返事もらえたことがなかった。翌日とかに返事きてたのかもしれませんけど、そこまではわかんないしね。お茶会? 殿下なんか来ますかって。ウチのお嬢様は性格キッツイですからねー。外ではネコ被ってるんでしょうけど、基本わがままバレバレだと思いますよ。ウチの嫁さんが、侍女してたんですけど、子どもが出来て侍女外れたんで、大喜びでしたよ……」
まだ、いくらでもしゃべりたそうだったけど、ハウエル商会謹製の、子ども向けのキズ用軟膏と嫁さん用に美肌クリームを付けて、さっさと帰らせることにした。
凄く有り難がってくれて、また来ますと言ってたけど、二度と来ないでいいと思う。
そして、翌週、誰からも来るなとも来いとも言われなかったので、私は渋々令嬢風に着替えて、生まれて初めて、お茶会に出かけたのだった。
◇◇◇◇◇
「まあ、ご覧になって!」
「アランソン様よ!」
私が現れると、使用人たちがうるさい。
「お綺麗な方ねえ。びっくりしたわ」
正直な感想、大変よろしい。
ここの使用人は、是非はともかく正直者が多いんじゃないかしら。
侯爵邸は、うち(アランソン公爵邸)よりだいぶ小さかったが、家族が多いので、使用人の数も多く、したがってわちゃわちゃと賑やかだった。
殿下はまだついていないようだった。
私は話があるからとアデル嬢に小さな客間に招き入れられた。
私はアデル嬢の向い。
「本日は殿下のご要望で、やむなくアランソン様もお呼びしましたのよ?」
アデル嬢が説明した。
「でも、私も全く来たくなかったのですよ」
私は言わせていただいた。アデル嬢は薄青色の大きな目を見開いていた。
「殿下は、今日は私一人に会いにいらしたの。あなたに用事はないのよ」
「学校の噂で聞きましたわ。殿下にはもう心にお決めになられた方がいらっしゃるって」
殿下はかっこいいもんね。
縁がなくなったと思うと、素直に認めることができた。
殿下は素敵な人だ。
「殿下は、親切でお優しい方ですわ」
私は心から言った。アデル嬢なんかには勿体無いほどにね。
アデル嬢は一瞬変な顔をしたが、言い返すように言った。
「その通りですわ。でも、殿下は私のモノです」
「おめでとうございます」
他人の夫には心から優しくなれる私だった。
他人の二乗だもんね。
「夏の終わりの大舞踏会が、決め手になったのですか?」
私はぎくしゃくした動きの侍女が出す紅茶に目を目をむけながら、尋ねた。
「私は効かないと保証したのですが、あの毒肉ポーションを嗅がせた後、殿下は豹変されたとか?」
アデル嬢は気分を損ねたらしかった。
「あなたのあの偽ポーション、全然効かないじゃないの」
「え?」
私は目を見開いた。
「殿下は嫌な顔をされて、その妙なビンを近づけるなとおっしゃったわ」
「殿下が匂いをかがなかったのですか?」
「いいえ。揮発性だとわかっていたので、床にこぼしました」
ええ? 大胆だなー?
私なら絶対やらない。万一、効いたら、媚薬に酔う男性だらけになるかも知れない。いや、女性への効き目だってあるのかもしれない。こわいよー。
「全く効かなかったわ。給仕の若者が床の始末してくれたけれど、何の反応もなかった。もちろん殿下にもね」
殿下には効くかもしれないと思ったのに……?
多分、給仕の若者に魔力はないと思う。
「魔獣以外効かないとあれほど申し上げたではありませんか……」
「あなた、殿下の時だけ、人間用のポーションを使ったんじゃないの? それで殿下の好意を得ようだなんて、違法だってわかっているのでしょう?」
アデル嬢がなじるようように言い出した。
だが、私は答えず、手に持った紅茶のカップを見た。
ほんの僅か、違う味が混じる。
アデル嬢が微笑んだ。ニヤリとした。
「おいしい紅茶でしょ? 異国から輸入したものなのよ」
いや違う。
私にはわかる。
これ毒だ。毒だな。致死量の。
ずいぶんなことをするのね。
「あなたが違法な媚薬を使って、殿下を篭絡したことは、しかるべき筋を通して訴えたわ。言い逃れは出来ない。ところで……」
アデル嬢が薄気味悪い微笑みを深めた。
「その紅茶、フラフラしない?」
全然しない。アデル嬢は知らないだろうけれど、私には強い保護魔法がかかっている。
元の姿に戻ったからって、保護魔法を解く理由はないからそのままだ。
今日は特に強化してきた。だって、歓迎されていないことは、あの奇妙な招待状からもわかり切っている。
それから、高価すぎて普通は手に入らない最高級の命のポーション、それも持っている。
私はアデル嬢の顔を見た。
大胆だなあ。こんな直ぐに足のつくような真似を。
「その毒は遅効性なのよ。すぐに死ぬわけじゃない。あなたは殿下に会って、その後すぐ気分が悪くて家に帰るのよ。その頃には口もきけなくなっているわ。文字も書けない。神経性の毒ですからね。それから三日ほどしたら死ぬの。原因は何だか分からないわ。あなたは話せないし、記録も残せない。そろそろ唇や手がしびれてくる頃よ」
私は座ったまま、アデル嬢の顔を見つめていた。
結構邪悪な方だと思っていたけど、結構どころか大悪人だな、アデル嬢。
「あなたの冥土の土産に教えてあげる。その薬は、グレイ様の店で買ったものよ。グレイ様は、得意先になると、そんな都合も付けてくれるの。あなたに近づいているようだけど……新しいポーションに興味があるだけだと思うわ」
グレイ様、そんなことにも手を染めていたのね。
でも、私を殺すための毒薬だとわかっていたら、果たして融通したかしら?
やがて部屋の外がザワザワとにぎやかになって、殿下が来られたことがわかった。
アデル嬢が振り返った。
「残念ね。あんなに殿下を追いかけ回してきたというのに」
彼女は勝ち誇ったように言った。
いえッ! それだけは誤解です。
「ルーカス殿下に見合うような家格の娘はあなたと私だけ。あなたが死ねば、候補者は私だけしかいなくなる。せっかく殿下がお膳立てしてくれたのですもの、この機会を活かさなくてはね。今回、あなたを呼んだのは殿下。私とあなたが二人だけで会う機会なんか、今後とも絶対ないから、本当にいいチャンスに恵まれたわ、殿下に感謝ね。あら、殿下が来られたわ」
明るい声で彼女は殿下を迎えて、あいさつした。
「殿下、今日は本当に素晴らしい天気なので、外でお茶にするよう言いつけましたの」
「アランソン嬢は?」
「来てらっしゃいますわ。でも、今日は体調がお悪いようで……」
気づかわしげな表情を浮かべたアデル嬢がこちらを振り返った。
「アランソン様、大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫よ」
私はスッと立ち上がった。
アデル嬢は驚愕の表情を浮かべた。
「あ、あの、なんともないの?」
「全然? なんのお話かしら?」
私は殿下に向かって丁重に挨拶した。
「お招きいただいてありがとうございます」
いやあ、本当にありがたいわ。招いたのはアデル嬢だけども。
こんなことでもなければ、露呈しなかったであろうアデル嬢の悪意。
思いがけない毒薬の販売ルート。
教えてくれてありがとう。
「リーマン家の侍女の話だと、体調がすぐれないそうだが?」
「私がですか? なんのことでしょう?」
私は怪訝そうな顔を装った。
横でアデル嬢が真っ青になっている。
「庭に参りましょう。庭でお茶を楽しみましょうとおっしゃってらしたわね? アデル様」
アデル嬢はガタガタと震えているようだった。殿下は、私とアデル嬢の雰囲気が妙なのを察して、先に部屋から出て外で待っていた。
「アデル様、ご自分で言った冗談に怯えるだなんてどうかしてますわ。何にも感じませんでしたわよ。もう一口飲みましょうか?」
私は軽く笑った。
そして、紅茶に手を伸ばして、もう一口飲んだ。
うん。結構キツイ。だいぶ入れたな。ていうか、こりゃ入れすぎだ。
ただ、飲んでも魔力持ち以外は、気がつかないだろう。魔力持ちと言っても、中程度以上の魔力持ちでなければわからないかもしれない。
「ただの普通の紅茶ですわ。私の飲みさしで申し訳ないけど、飲んでごらんなさいな」
私は紅茶のカップを差し出し、アデル嬢に言った。
「飲めないと言うなら、さっきの言葉、本気にしますわよ。本当なら私はそろそろ気分が悪くなっている頃なんでしょう? これだけ飲んでも、全く影響はない。あなたこそ、グレイ様に騙されたんじゃございません?」
私は冷めた紅茶のカップを、もう一度差し出した。
「これでなんともなければ、あなたは無実よ。飲めないなら、有罪でしょう。殿下にも飲んでもらおうかしら」
「呼んだかい? 早く行こう。何をしているんだい?」
外から殿下の声がした。
「殿下、この紅茶について、アデル様が面白いことを言っていますのよ? 殿下も試してご覧にならない?」
「どんな話?」
殿下が部屋に戻ってきた。
アデル嬢がサッと私の手から紅茶のカップをもぎ取ると、飲もうとした。
最初の一滴が口に触れた途端に、私はカップをはたき落とした。
ガチャーンという音がして、カップは粉々に砕け、だいぶ残っていた液体がそこらじゅうに飛び散った。
「何をするの?」
「気が変わったわ」
私はニヤリとした。
アデル嬢は青くなって私の顔を見つめた。知らない生物を見つけたような顔だった。
私のことをマヌケでトンマな女だと思っていたのだろうな。
毒に関してはそうじゃないわ。あなたよりずっとエキスパートなの。
一滴くらいなら死なない? そんなことはない。少しづつ回るだろう。だいたい、象一頭でも処分できそうなくらいの濃度だ。
「さっきの侍女に始末をさせた方がいいわよ」
事情を知っているから、慎重に後始末するでしょう。
「さあ、殿下、アデル様、お庭に参りましょう」
そして、驚くべきことに、招待主はルーカス王子殿下ではなく、なんとアデル嬢だった。
「え?」
私は、そもそもなんでアデル嬢から手紙が来たのか検討がつかなかった。
お使いがわざわざやって来たから、やむなく手紙は見た。お使いが持って来なかったら、その辺に積ん読になってるところだった。
けど、行きたくない。
『……光栄にもリーマン侯爵家邸にて、ルーカス殿下とアデル嬢お二人のお茶会が催されることとなりました。このようなしっぽりした個人的な会に、アランソン嬢が参加されるなどと言うことは、万が一にもないことと承知しておりますが、どうしても当家を来訪されるのであれば、許可すると伝えよとの殿下のお言葉です』
なんか変な文章だな。しっぽりって何?
ちょっと紙を横に向けて読んでみた。
文面は同じだ。
要するに、リーマン侯爵家が殿下をお茶会に誘い、殿下は出席する代わりにアランソン女公爵も呼べと要求したとか?
完全な邪魔者じゃない、私。
『なお、来訪なき場合の責は当方にはないが、特段の事情がない限り、訪問は強制しないことを申し添えたいと存じます』
は?
来るなよ、来るなよ。そっちの責任になるけど、何があっても来るなよ。(意訳)
ムカついたので、その場で返事することにした。
「ご招待、ありがとうございます。喜んで出席させていただきます」
通信魔法がもったいないわ。
お仕着せを着て、返事を持って帰ろうとかしこまっているリーマン侯爵家の使いに、口頭で答えた。
お使いは変な顔をして、確認した。
「ご出席でございましょうか?」
「も、ち、ろ、ん」
私は力を込めて答えた。
「念の為、アデル嬢からのご招待状、殿下に転送しておきますわ」
通信魔法がもったいないくらいだが、よく考えたら、アデル嬢の手下などに任せて、殿下に変な情報が流れても困る。
お使いの目の前で、アデル嬢の招待状を殿下宛てに飛ばしてやった。
アデル嬢が私に来るな(意訳)と書いた招待状を送ったのを知って、もう私の参加なんかどうでもいいやになったら殿下から連絡してくるだろう。
この手紙、割と失礼だし。
「なんでことをなさいます!」
焦ったお使いの目が血走っていたが、知ったことじゃねーわ。
大体、なんでこんな訳のわからない会に出なくちゃいけないのよ。
主催者(アデル嬢)は真剣に出て欲しくないみたいじゃないの。
「元々アデル様は、このお茶会を予定されていたんですの?」
「えっ? あ、えーと、私はお使いでございますれば、そのようなことは存じません?」
「いいから、答えなさいよ」
私は高額商品であるハウエル商会の二日酔い止め三本でこのお使いを買収した。
赤い鼻から想像できる通り、かなりの酒好きで胃薬より二日酔い止めの方がありがたいらしい。
「もうねー、何回行ったかなー? 殿下のところにお手紙届けまくったんですよね? でも、返事もらえたことがなかった。翌日とかに返事きてたのかもしれませんけど、そこまではわかんないしね。お茶会? 殿下なんか来ますかって。ウチのお嬢様は性格キッツイですからねー。外ではネコ被ってるんでしょうけど、基本わがままバレバレだと思いますよ。ウチの嫁さんが、侍女してたんですけど、子どもが出来て侍女外れたんで、大喜びでしたよ……」
まだ、いくらでもしゃべりたそうだったけど、ハウエル商会謹製の、子ども向けのキズ用軟膏と嫁さん用に美肌クリームを付けて、さっさと帰らせることにした。
凄く有り難がってくれて、また来ますと言ってたけど、二度と来ないでいいと思う。
そして、翌週、誰からも来るなとも来いとも言われなかったので、私は渋々令嬢風に着替えて、生まれて初めて、お茶会に出かけたのだった。
◇◇◇◇◇
「まあ、ご覧になって!」
「アランソン様よ!」
私が現れると、使用人たちがうるさい。
「お綺麗な方ねえ。びっくりしたわ」
正直な感想、大変よろしい。
ここの使用人は、是非はともかく正直者が多いんじゃないかしら。
侯爵邸は、うち(アランソン公爵邸)よりだいぶ小さかったが、家族が多いので、使用人の数も多く、したがってわちゃわちゃと賑やかだった。
殿下はまだついていないようだった。
私は話があるからとアデル嬢に小さな客間に招き入れられた。
私はアデル嬢の向い。
「本日は殿下のご要望で、やむなくアランソン様もお呼びしましたのよ?」
アデル嬢が説明した。
「でも、私も全く来たくなかったのですよ」
私は言わせていただいた。アデル嬢は薄青色の大きな目を見開いていた。
「殿下は、今日は私一人に会いにいらしたの。あなたに用事はないのよ」
「学校の噂で聞きましたわ。殿下にはもう心にお決めになられた方がいらっしゃるって」
殿下はかっこいいもんね。
縁がなくなったと思うと、素直に認めることができた。
殿下は素敵な人だ。
「殿下は、親切でお優しい方ですわ」
私は心から言った。アデル嬢なんかには勿体無いほどにね。
アデル嬢は一瞬変な顔をしたが、言い返すように言った。
「その通りですわ。でも、殿下は私のモノです」
「おめでとうございます」
他人の夫には心から優しくなれる私だった。
他人の二乗だもんね。
「夏の終わりの大舞踏会が、決め手になったのですか?」
私はぎくしゃくした動きの侍女が出す紅茶に目を目をむけながら、尋ねた。
「私は効かないと保証したのですが、あの毒肉ポーションを嗅がせた後、殿下は豹変されたとか?」
アデル嬢は気分を損ねたらしかった。
「あなたのあの偽ポーション、全然効かないじゃないの」
「え?」
私は目を見開いた。
「殿下は嫌な顔をされて、その妙なビンを近づけるなとおっしゃったわ」
「殿下が匂いをかがなかったのですか?」
「いいえ。揮発性だとわかっていたので、床にこぼしました」
ええ? 大胆だなー?
私なら絶対やらない。万一、効いたら、媚薬に酔う男性だらけになるかも知れない。いや、女性への効き目だってあるのかもしれない。こわいよー。
「全く効かなかったわ。給仕の若者が床の始末してくれたけれど、何の反応もなかった。もちろん殿下にもね」
殿下には効くかもしれないと思ったのに……?
多分、給仕の若者に魔力はないと思う。
「魔獣以外効かないとあれほど申し上げたではありませんか……」
「あなた、殿下の時だけ、人間用のポーションを使ったんじゃないの? それで殿下の好意を得ようだなんて、違法だってわかっているのでしょう?」
アデル嬢がなじるようように言い出した。
だが、私は答えず、手に持った紅茶のカップを見た。
ほんの僅か、違う味が混じる。
アデル嬢が微笑んだ。ニヤリとした。
「おいしい紅茶でしょ? 異国から輸入したものなのよ」
いや違う。
私にはわかる。
これ毒だ。毒だな。致死量の。
ずいぶんなことをするのね。
「あなたが違法な媚薬を使って、殿下を篭絡したことは、しかるべき筋を通して訴えたわ。言い逃れは出来ない。ところで……」
アデル嬢が薄気味悪い微笑みを深めた。
「その紅茶、フラフラしない?」
全然しない。アデル嬢は知らないだろうけれど、私には強い保護魔法がかかっている。
元の姿に戻ったからって、保護魔法を解く理由はないからそのままだ。
今日は特に強化してきた。だって、歓迎されていないことは、あの奇妙な招待状からもわかり切っている。
それから、高価すぎて普通は手に入らない最高級の命のポーション、それも持っている。
私はアデル嬢の顔を見た。
大胆だなあ。こんな直ぐに足のつくような真似を。
「その毒は遅効性なのよ。すぐに死ぬわけじゃない。あなたは殿下に会って、その後すぐ気分が悪くて家に帰るのよ。その頃には口もきけなくなっているわ。文字も書けない。神経性の毒ですからね。それから三日ほどしたら死ぬの。原因は何だか分からないわ。あなたは話せないし、記録も残せない。そろそろ唇や手がしびれてくる頃よ」
私は座ったまま、アデル嬢の顔を見つめていた。
結構邪悪な方だと思っていたけど、結構どころか大悪人だな、アデル嬢。
「あなたの冥土の土産に教えてあげる。その薬は、グレイ様の店で買ったものよ。グレイ様は、得意先になると、そんな都合も付けてくれるの。あなたに近づいているようだけど……新しいポーションに興味があるだけだと思うわ」
グレイ様、そんなことにも手を染めていたのね。
でも、私を殺すための毒薬だとわかっていたら、果たして融通したかしら?
やがて部屋の外がザワザワとにぎやかになって、殿下が来られたことがわかった。
アデル嬢が振り返った。
「残念ね。あんなに殿下を追いかけ回してきたというのに」
彼女は勝ち誇ったように言った。
いえッ! それだけは誤解です。
「ルーカス殿下に見合うような家格の娘はあなたと私だけ。あなたが死ねば、候補者は私だけしかいなくなる。せっかく殿下がお膳立てしてくれたのですもの、この機会を活かさなくてはね。今回、あなたを呼んだのは殿下。私とあなたが二人だけで会う機会なんか、今後とも絶対ないから、本当にいいチャンスに恵まれたわ、殿下に感謝ね。あら、殿下が来られたわ」
明るい声で彼女は殿下を迎えて、あいさつした。
「殿下、今日は本当に素晴らしい天気なので、外でお茶にするよう言いつけましたの」
「アランソン嬢は?」
「来てらっしゃいますわ。でも、今日は体調がお悪いようで……」
気づかわしげな表情を浮かべたアデル嬢がこちらを振り返った。
「アランソン様、大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫よ」
私はスッと立ち上がった。
アデル嬢は驚愕の表情を浮かべた。
「あ、あの、なんともないの?」
「全然? なんのお話かしら?」
私は殿下に向かって丁重に挨拶した。
「お招きいただいてありがとうございます」
いやあ、本当にありがたいわ。招いたのはアデル嬢だけども。
こんなことでもなければ、露呈しなかったであろうアデル嬢の悪意。
思いがけない毒薬の販売ルート。
教えてくれてありがとう。
「リーマン家の侍女の話だと、体調がすぐれないそうだが?」
「私がですか? なんのことでしょう?」
私は怪訝そうな顔を装った。
横でアデル嬢が真っ青になっている。
「庭に参りましょう。庭でお茶を楽しみましょうとおっしゃってらしたわね? アデル様」
アデル嬢はガタガタと震えているようだった。殿下は、私とアデル嬢の雰囲気が妙なのを察して、先に部屋から出て外で待っていた。
「アデル様、ご自分で言った冗談に怯えるだなんてどうかしてますわ。何にも感じませんでしたわよ。もう一口飲みましょうか?」
私は軽く笑った。
そして、紅茶に手を伸ばして、もう一口飲んだ。
うん。結構キツイ。だいぶ入れたな。ていうか、こりゃ入れすぎだ。
ただ、飲んでも魔力持ち以外は、気がつかないだろう。魔力持ちと言っても、中程度以上の魔力持ちでなければわからないかもしれない。
「ただの普通の紅茶ですわ。私の飲みさしで申し訳ないけど、飲んでごらんなさいな」
私は紅茶のカップを差し出し、アデル嬢に言った。
「飲めないと言うなら、さっきの言葉、本気にしますわよ。本当なら私はそろそろ気分が悪くなっている頃なんでしょう? これだけ飲んでも、全く影響はない。あなたこそ、グレイ様に騙されたんじゃございません?」
私は冷めた紅茶のカップを、もう一度差し出した。
「これでなんともなければ、あなたは無実よ。飲めないなら、有罪でしょう。殿下にも飲んでもらおうかしら」
「呼んだかい? 早く行こう。何をしているんだい?」
外から殿下の声がした。
「殿下、この紅茶について、アデル様が面白いことを言っていますのよ? 殿下も試してご覧にならない?」
「どんな話?」
殿下が部屋に戻ってきた。
アデル嬢がサッと私の手から紅茶のカップをもぎ取ると、飲もうとした。
最初の一滴が口に触れた途端に、私はカップをはたき落とした。
ガチャーンという音がして、カップは粉々に砕け、だいぶ残っていた液体がそこらじゅうに飛び散った。
「何をするの?」
「気が変わったわ」
私はニヤリとした。
アデル嬢は青くなって私の顔を見つめた。知らない生物を見つけたような顔だった。
私のことをマヌケでトンマな女だと思っていたのだろうな。
毒に関してはそうじゃないわ。あなたよりずっとエキスパートなの。
一滴くらいなら死なない? そんなことはない。少しづつ回るだろう。だいたい、象一頭でも処分できそうなくらいの濃度だ。
「さっきの侍女に始末をさせた方がいいわよ」
事情を知っているから、慎重に後始末するでしょう。
「さあ、殿下、アデル様、お庭に参りましょう」
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なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
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