29 / 97
第29話 偽アランソン公爵の悪行
しおりを挟む
私は偽アランソン公爵を見たことがなかった。
広間の入り口がザワザワしたかと思うと、中肉中背のパッとしない容貌の男が、騎士に付き添われて部屋に入って来た。
多分、あれが偽アランソン公爵だ。
豪奢な服を着ているが、足取りもせかせかしていて、隠していても不機嫌な様子が垣間見えた。
そして、怯えていることがわかった。
人によっては威厳がある人物だというかも知れない。でも、私は威厳云々より先に、なんとなく知り合いになりたくない人物だという印象を持った。
「ジョン・スターリン、公爵領に関する報告書を全部作って、屋敷を引き払いなさい」
おばあさまは簡単に、ジョン・スターリンに今すぐ王都にあるアランソン邸を明け渡すよう命じた。
それだけ?
私は固唾をのんで、アランソン公爵こと、ジョン・スターリンがなんと言うのかを待った。
その場には、十名くらいの侍従たち……多分全員何かの役職の貴族だと思うけど、そのほかに無表情で待機している同じくらいの数の騎士たちがいた。
全員が沈黙していた。
「奥様」
長時間の沈黙の末、彼が絞り出したのは、主人に対する言葉だった。
「本邸にお住まいになるなら、このまま私が管理した方がよろしかろうと……」
「それは他の者にしてもらいます。気にしなくていいわ」
おばあさまはそう言っただけだった。
アランソン公爵を名乗るジョン・スターリンは、アランソン公爵の遠縁で、長年の間、領地や屋敷の総責任者だったらしい。
「では、私どもは王都の別邸の方に……」
「いいえ。元のスターリン家へお帰りなさい」
「しかし、奥様。私を外すと領地管理に支障が出ることはよくご存じのはず……」
ジョン・スターリンが喰い下がった。額には玉の汗が浮かんでいる。
おばあさまは、ホホホと声高く笑った。
「往生際の悪い」
私と殿下とセス様は背筋がピーンと伸びた。
あれは、おばあさまが猛烈に怒っている時の声である。
ジョン・スターリンの方を見ると彼の背筋もビンと伸びていた。
「衛兵」
おばあさまは、勝手に王宮の騎士に命令した。
「その男を毒殺犯の疑いで拘束しなさい」
「毒殺? 証拠もないのに? 被害者なんか誰もいないのに?」
ジョン・アランソンが叫んだ。
おばあさまは彼をにらみつけた。
「証拠なら山ほどあるわ。ポーシャに贈られたお誕生日プレゼントのナッツ入りクマさんチョコレートから大量の毒が発見されたこと、まさか知らないとは言わないわよね」
ジョン・スターリンが真っ青になった。
ついでに私も真っ青になった。
あれ、とってもおいしかったのに。思わず、わざわざ送ってくれた公爵領の管理人に、また送って欲しいとお礼状を書いてしまったくらいなのに。
「それから、領地の名産の蜂蜜からは致死量の毒キノコ由来の毒が……」
まさか、毎夏送ってきていたオレンジの花の蜂蜜に、そんなものが? お気に入りだったのに。
私はますます青くなった。
「外国産の香水の中身は青酸カリで……」
素敵な香りに感動して、胸いっぱい吸い込んだのに?
「どこにそんな証拠があるのですか? 絶対に証拠はない」
顔はこわばっているけど、ジョン・スターリンは言い募った。
「どうしてそんなことが言えるのかしら?」
おばあさまがいかにも見下げ果てたように、なおかつ妖艶に微笑んだ。
我がおばあさまながら、もうお年だというのに、よくわからない色気だわ。いや、色気じゃないわ、迫力だわ。
「絶対にありえない。はばかりながら、証拠がございますか? 証拠がなければ冤罪になりますが」
ジョン・アランソンが震え声で喰い下がった。
さすがは公爵家の総管理人。主人のおばあさまの性格をよく把握してらっしゃる。
おばあさまに、証拠の保存とか、記録なんてマネできっこない。どうしよう。絶対、どっかにほったらかしだ。私は毒だなんて夢にも思わなかったから、何もしていない。と言うか毒なんてもらったことあるんだろうか。
私は額に汗が滲むのを覚えた。
ハイ……とその場で手を上げた人物がいた。
セス様だった。
「セスの発言を許します」
おばあさまがすまして言った。
「全部、証拠は私が持っております」
「ホーホッホッホッ!」
おばあさまが突然高笑いした。
セス様は、情けなさそうな顔をしていた。ジョン・スターリンは、予期せぬ伏兵の出現にあっけに取られていた。
「お前は誰だ?」
ジョン・アランソンはドスの利いた声で尋ねた。
あら。さすがはベアトリス様のお父様……。そんな声も出せるのですね?
「まあ、私はマーシャ大魔術師様の弟子でしてね。大魔術師をしております」
セス様は気乗りのしない調子で自己紹介した。
「完全に部外者の私が言うことではないかも知れませんが、よくも、あんなにこまめに毒だのなんだの見つけてきて送りつけられるものですね」
セス様には、ジョン・スターリンの圧は全く効かなかったらしい。怯えるどころか、むしろ恨みがましくジョン・スターリンに向かって言った。
「しかも、ポーシャ様は食い意地が張っているので、取り上げると怒りますしね。ポーシャ様は保護魔法のせいで、どんな毒も効かないんです。まるきり平気で食べるわ、触るわ、他の使用人に分け与えて、殺しかけるわで、私はもう大変でした」
使用人? 私とおばあさまは二人暮らしだったし、セス様なんか見かけたこともなかった。
「使用人を殺されてはたまらないので、全員解雇しました」
セス様がため息をつきながら付け加えた。おばあさまも不満そうに言った。
「そうよ。侍女もいないだなんて、ポーシャには不自由させたわ。貴族の令嬢に侍女は必需品なのに、一人もつけられなかったのよ?」
え? そうなの? お金がないから、使用人がいないのだとばかり思ってた。
「さすがに、この子が毒入りクッキーを侍女全員にふるまって大量殺人事件を起こした時には、震え上がったわ」
「公爵夫人、人聞きの悪いことを言わないでください。誰も死んでいないのに殺人事件だなんて。あの時は本当に大変だったんですから」
セス様がいらだったように訂正したが、ジョン・スターリンは半目になってうめいていた。
「死ななかったのか……音沙汰がなくなったので、てっきり……」
「あなたはアホですか、ジョン・スターリン」
おばあさまが声を大きくした。
「死ぬわけないでしょう! 私を誰だと思っているの? 大魔術師なんですよ? そしてセスはその一番弟子なんです。あなたが送りつけてくる毒なんか、薬にもなりませんよ」
少量の毒が薬になると言ったのは誰だろうか。
「それがわかっているので、あれだけ各種取り揃えて回数多く送ってみたのに」
ジョン・スターリンがぼやいた。
「私たちは良くても、ポーシャは優しい子なんですよ? 侍女と毒クッキーでお茶会したり、毒の入ったペンダントを村の仲良しに貸してあげてたり、村の年寄りに毒リンゴを持って行ったり……」
「その都度、私が尻ぬぐいを……解毒剤を飲ませたり、途中で飛び入り回収したり」
セス様がため息交じりに解説した。
おばあさまは尻ぬぐいなんかやらない。そんな気はする。
「あまりに面倒くさいので、ポーシャ様の周りから人をなくして、誰もいなくしたんですよ。ポーシャ様が七歳くらいの時かな?」
ジョン・スターリンは黙って目だけギラギラさせていたが、何も言わなかった。
「使用人がいなくなり、保護魔法でポーシャ様がお姿を変えてしまえば、誰にもポーシャ様の行方はわからない。それでようやく毒物攻撃が止まりました。噂が届かなくなったので、あなたは、ポーシャ様が死んだのだろうと思ったのでしょう」
セス様が言った。
「あなたが有罪だという証拠は私が持っています。ベリー公爵夫人ではなくて」
セス様はおばあさまを指さした。おばあさまは偉そうにフフンと言った。
「私が証拠を収集したわけじゃないから、毒殺事件の証拠は完璧ですよ」
部屋には、私たちのほかに殿下を始めとした十人くらいの貴族たちと、同じく十人くらいの騎士たちが部屋の外に控えていて、この会話を漏れ聞いていたが、なんだかみんな気まずそうな妙な顔をしていた。
そして殿下が合図すると、騎士たちがアランソン公爵こと、ジョン・スターリンを事務的に囲み始めた。
「不死の巨大ドラゴンに、万が一の僥倖をかけて特攻した勇敢な騎士が罪を問われるのか? おかしいだろう」
ジョン・スターリンは訳の分からないことをわめきつつ騎士に回収されていった。
広間の入り口がザワザワしたかと思うと、中肉中背のパッとしない容貌の男が、騎士に付き添われて部屋に入って来た。
多分、あれが偽アランソン公爵だ。
豪奢な服を着ているが、足取りもせかせかしていて、隠していても不機嫌な様子が垣間見えた。
そして、怯えていることがわかった。
人によっては威厳がある人物だというかも知れない。でも、私は威厳云々より先に、なんとなく知り合いになりたくない人物だという印象を持った。
「ジョン・スターリン、公爵領に関する報告書を全部作って、屋敷を引き払いなさい」
おばあさまは簡単に、ジョン・スターリンに今すぐ王都にあるアランソン邸を明け渡すよう命じた。
それだけ?
私は固唾をのんで、アランソン公爵こと、ジョン・スターリンがなんと言うのかを待った。
その場には、十名くらいの侍従たち……多分全員何かの役職の貴族だと思うけど、そのほかに無表情で待機している同じくらいの数の騎士たちがいた。
全員が沈黙していた。
「奥様」
長時間の沈黙の末、彼が絞り出したのは、主人に対する言葉だった。
「本邸にお住まいになるなら、このまま私が管理した方がよろしかろうと……」
「それは他の者にしてもらいます。気にしなくていいわ」
おばあさまはそう言っただけだった。
アランソン公爵を名乗るジョン・スターリンは、アランソン公爵の遠縁で、長年の間、領地や屋敷の総責任者だったらしい。
「では、私どもは王都の別邸の方に……」
「いいえ。元のスターリン家へお帰りなさい」
「しかし、奥様。私を外すと領地管理に支障が出ることはよくご存じのはず……」
ジョン・スターリンが喰い下がった。額には玉の汗が浮かんでいる。
おばあさまは、ホホホと声高く笑った。
「往生際の悪い」
私と殿下とセス様は背筋がピーンと伸びた。
あれは、おばあさまが猛烈に怒っている時の声である。
ジョン・スターリンの方を見ると彼の背筋もビンと伸びていた。
「衛兵」
おばあさまは、勝手に王宮の騎士に命令した。
「その男を毒殺犯の疑いで拘束しなさい」
「毒殺? 証拠もないのに? 被害者なんか誰もいないのに?」
ジョン・アランソンが叫んだ。
おばあさまは彼をにらみつけた。
「証拠なら山ほどあるわ。ポーシャに贈られたお誕生日プレゼントのナッツ入りクマさんチョコレートから大量の毒が発見されたこと、まさか知らないとは言わないわよね」
ジョン・スターリンが真っ青になった。
ついでに私も真っ青になった。
あれ、とってもおいしかったのに。思わず、わざわざ送ってくれた公爵領の管理人に、また送って欲しいとお礼状を書いてしまったくらいなのに。
「それから、領地の名産の蜂蜜からは致死量の毒キノコ由来の毒が……」
まさか、毎夏送ってきていたオレンジの花の蜂蜜に、そんなものが? お気に入りだったのに。
私はますます青くなった。
「外国産の香水の中身は青酸カリで……」
素敵な香りに感動して、胸いっぱい吸い込んだのに?
「どこにそんな証拠があるのですか? 絶対に証拠はない」
顔はこわばっているけど、ジョン・スターリンは言い募った。
「どうしてそんなことが言えるのかしら?」
おばあさまがいかにも見下げ果てたように、なおかつ妖艶に微笑んだ。
我がおばあさまながら、もうお年だというのに、よくわからない色気だわ。いや、色気じゃないわ、迫力だわ。
「絶対にありえない。はばかりながら、証拠がございますか? 証拠がなければ冤罪になりますが」
ジョン・アランソンが震え声で喰い下がった。
さすがは公爵家の総管理人。主人のおばあさまの性格をよく把握してらっしゃる。
おばあさまに、証拠の保存とか、記録なんてマネできっこない。どうしよう。絶対、どっかにほったらかしだ。私は毒だなんて夢にも思わなかったから、何もしていない。と言うか毒なんてもらったことあるんだろうか。
私は額に汗が滲むのを覚えた。
ハイ……とその場で手を上げた人物がいた。
セス様だった。
「セスの発言を許します」
おばあさまがすまして言った。
「全部、証拠は私が持っております」
「ホーホッホッホッ!」
おばあさまが突然高笑いした。
セス様は、情けなさそうな顔をしていた。ジョン・スターリンは、予期せぬ伏兵の出現にあっけに取られていた。
「お前は誰だ?」
ジョン・アランソンはドスの利いた声で尋ねた。
あら。さすがはベアトリス様のお父様……。そんな声も出せるのですね?
「まあ、私はマーシャ大魔術師様の弟子でしてね。大魔術師をしております」
セス様は気乗りのしない調子で自己紹介した。
「完全に部外者の私が言うことではないかも知れませんが、よくも、あんなにこまめに毒だのなんだの見つけてきて送りつけられるものですね」
セス様には、ジョン・スターリンの圧は全く効かなかったらしい。怯えるどころか、むしろ恨みがましくジョン・スターリンに向かって言った。
「しかも、ポーシャ様は食い意地が張っているので、取り上げると怒りますしね。ポーシャ様は保護魔法のせいで、どんな毒も効かないんです。まるきり平気で食べるわ、触るわ、他の使用人に分け与えて、殺しかけるわで、私はもう大変でした」
使用人? 私とおばあさまは二人暮らしだったし、セス様なんか見かけたこともなかった。
「使用人を殺されてはたまらないので、全員解雇しました」
セス様がため息をつきながら付け加えた。おばあさまも不満そうに言った。
「そうよ。侍女もいないだなんて、ポーシャには不自由させたわ。貴族の令嬢に侍女は必需品なのに、一人もつけられなかったのよ?」
え? そうなの? お金がないから、使用人がいないのだとばかり思ってた。
「さすがに、この子が毒入りクッキーを侍女全員にふるまって大量殺人事件を起こした時には、震え上がったわ」
「公爵夫人、人聞きの悪いことを言わないでください。誰も死んでいないのに殺人事件だなんて。あの時は本当に大変だったんですから」
セス様がいらだったように訂正したが、ジョン・スターリンは半目になってうめいていた。
「死ななかったのか……音沙汰がなくなったので、てっきり……」
「あなたはアホですか、ジョン・スターリン」
おばあさまが声を大きくした。
「死ぬわけないでしょう! 私を誰だと思っているの? 大魔術師なんですよ? そしてセスはその一番弟子なんです。あなたが送りつけてくる毒なんか、薬にもなりませんよ」
少量の毒が薬になると言ったのは誰だろうか。
「それがわかっているので、あれだけ各種取り揃えて回数多く送ってみたのに」
ジョン・スターリンがぼやいた。
「私たちは良くても、ポーシャは優しい子なんですよ? 侍女と毒クッキーでお茶会したり、毒の入ったペンダントを村の仲良しに貸してあげてたり、村の年寄りに毒リンゴを持って行ったり……」
「その都度、私が尻ぬぐいを……解毒剤を飲ませたり、途中で飛び入り回収したり」
セス様がため息交じりに解説した。
おばあさまは尻ぬぐいなんかやらない。そんな気はする。
「あまりに面倒くさいので、ポーシャ様の周りから人をなくして、誰もいなくしたんですよ。ポーシャ様が七歳くらいの時かな?」
ジョン・スターリンは黙って目だけギラギラさせていたが、何も言わなかった。
「使用人がいなくなり、保護魔法でポーシャ様がお姿を変えてしまえば、誰にもポーシャ様の行方はわからない。それでようやく毒物攻撃が止まりました。噂が届かなくなったので、あなたは、ポーシャ様が死んだのだろうと思ったのでしょう」
セス様が言った。
「あなたが有罪だという証拠は私が持っています。ベリー公爵夫人ではなくて」
セス様はおばあさまを指さした。おばあさまは偉そうにフフンと言った。
「私が証拠を収集したわけじゃないから、毒殺事件の証拠は完璧ですよ」
部屋には、私たちのほかに殿下を始めとした十人くらいの貴族たちと、同じく十人くらいの騎士たちが部屋の外に控えていて、この会話を漏れ聞いていたが、なんだかみんな気まずそうな妙な顔をしていた。
そして殿下が合図すると、騎士たちがアランソン公爵こと、ジョン・スターリンを事務的に囲み始めた。
「不死の巨大ドラゴンに、万が一の僥倖をかけて特攻した勇敢な騎士が罪を問われるのか? おかしいだろう」
ジョン・スターリンは訳の分からないことをわめきつつ騎士に回収されていった。
応援ありがとうございます!
6
お気に入りに追加
1,761
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる