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第14話 アランソン姉妹による襲撃事件

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王子様が、女子寮に出現するとは世も末だ。

あれ以来、見目麗しく、この上なく高貴な身の上のルーカス殿下が、すごく気安げに、「オハヨー」とか言いながら、やってくる。

どこから侵入してくるのだろう? そして、側近はどうした? 何してんだ。

「今日はクロワッサンとカフェオレだけでいいや。夕べ、晩餐会だったから。正式の晩餐って、結構量がある上に遅くまでかかるんだ。胃にもたれるよね」

などとオーダーする。泥棒魔法、もとい生活魔法を駆使するのは私なのに。

「ねえ、どうして君はサンドイッチなの? 朝からサンドイッチってどう言うこと? サンドイッチはお昼じゃないの? それにいっつも僕とは違うものを頼むよね。同じものを楽しめば、会話も弾むと思わない?」

十分会話は弾んでいると思う。一方的に。

「食堂で側近の方々と同じものを、会話しながら召し上がればいいではありませんか」

まだ見ぬアランソン姉妹は危険そうなので、私は食堂も廊下も避けていた。

ルーカス殿下は役には立つ人物で、彼女たちの時間割を手に入れてくれた。おかげでアランソン姉妹を効率的に避けることが出来た。

ルーカス殿下同様、彼女たちも食堂を重点的に監視していたらしいが、どうにも信憑性のある噂が流れてしまったため、食堂での遭遇は諦めたらしい。私が厨房が捨てた残飯を、見逃してもらって拾って食べているらしいと言うまことしやかな噂である。

「なんで、そんな噂が流れるかな? 大体、食堂の食事は無料なんだからおかしいだろ」

殿下は憤懣やる方なさそうだったが、この地味な見かけの上、平民蔑視が根強いこの学園では仕方ないだろう。



だが、その結果、相手の方が私の授業に飛び入り参加するという事件が起きてしまった。

例の、殿下が超イラつくイチャラブ授業を敢行した文法の時間に、犯行は行われた。


突然、大柄なご令嬢がふたりやってきて、私の両隣に席を占めたのである。

先生が来る前の教室は、いかに貴族のご子弟ばかりとはいえ、ザワザワと賑やかだ。
そこへ威圧感あふれるお二人が、堂々と入室してきたのである。

全員が、ピタリと話を止めて、闖入者を凝視した。


どちら様? と聞きたかったが、多分、聞くまでもなくアランソン姉妹だろうな。

二人とも大柄で、特に右側の令嬢は縦横揃って大きい。

あまりに胸が大きいので、机の上に乗って広がっているくらいだ。肩が凝りそう。

顔は、生徒である関係上、アランソン姉妹と私は同じく教壇の方を向いているため、よく見えなかった。敢えて顔をのぞき込むなどと言う荒業に及ぶ気はない。怖いじゃない。

どっちがどっちだかわからないが、謎の威圧感がものすごいんだもん。


どうしよう。

どうしようもないけど。

私は冷や汗をかいた。

クラスの他の皆様も冷や汗をかいていたらしい。全員、押し黙るとコソコソと自分の席についた。

最も困惑したのは、私の隣の席の住人だろう。隣だけでなくその隣もそのまた隣も、ドレスに占拠されてしまったので、座るところを求めてウロウロしていたが、どうやらアランソン姉妹の視線がそちらを向いたらしい。
急に気配が消えて、多分どこか箱の上か、誰かと半分づつ座るようにでもなったのだろうか。とりあえず視界から消えた。

そして教室は静まり返った。


そんな中、侵入者の令嬢がつぶやいた。

「臭いわ」

……いやがおうにも高まる緊張感。

「下賎な匂い。平民臭いわ」

次は何を言われるのだろう?
クラス全員がピシリと固まって、私語のひとつも出ず、緊張感ハンパない教室に、先生がドアをガチャリと開けて入ってきた。

「あらあ? 今日はみんな静かねー?」

先生も、真ん中あたりの席に、三人分くらい場所を取る真紅のドレスと、同じく三人分くらい場所を取るオレンジ色のドレスが繰り広がっているのを見ると、さすがに黙った。

「ええと、あの?」

「同じ授業なら、受けても構わないとうかがいましたので」

右側の令嬢が発言した。

「あなた方、文法は修了しましたわよね?」

先生が心もとなげに確認したが、本人は、ぐいっと私の方を向いた。

目が大きい。確かに。

「あなた、どういうつもりなの?」

あまりに驚き過ぎて、固まってしまった。

「平民のくせにどう言うつもりなの? 命が惜しくないの?」

突然、命?

「臭いのを我慢して、こんなところまで、足を運んでいるのよ。誠意は尽くしたわ」

誠意?

「もう二度と殿下のそばをウロつかないと天に誓いなさい」

驚きすぎて、返事できなかった。

「どういうつもりなの?」

反対側の令嬢が、突然鉄扇を取り出した。

武器だ!

私がビビったのを見て、彼女は真っ赤な口紅を塗った唇をゆがめてニヤリと笑った。
迫力がありすぎる。

「殿下のそばをうろつくだなんて、身の程知らずにもほどがあるわ。きっと、何年か前の公爵家の令息の話でも聞いたんでしょうけど」

もちろん、それは聞きました。山羊先生からくれぐれも粗相しないよう、高位貴族のご子息には近寄らないよう厳重注意されております!

が、しかし声にならなかった。

「で、殿下のおそばに行ったことなどありません」

向こうが来るんです!

……とは言えないかも。それ言ったら命がないかも。

「この大ウソつき。許せないわ! 私たち、婚約者候補を差し置いて!」

「こんなブスが! 平民が!」

そしてついにヒュンッと言う音がして鉄扇が空を切った。

鉄扇は額に当たり、皮膚が破れて血が滴った。

「ギャアアア!」

叫んだのは私ではない。教室にいた誰かである。

「いい気味よ!」

教室中がざわめき、そして揺らめいた。

そして、全員がアランソン姉妹ではなく、私を見つめた。

「あなた……?」

アランソン姉妹が驚愕の目を向ける。気持ちが悪いくらい、どんぐり眼の大きな目だった。

え? 何? 何? 何が起きたの?

そこは、クラス全員が、アランソン公爵令嬢を見つめる場面じゃないの? そして、アランソン姉妹が、高笑いする場面じゃないの?

全ての人の目が、先生を含めて、私を見つめていた。私の顔を。

後から懇意になった子爵令嬢から聞いた。
その時、血を額から滴らせた、ほっそりと美しい容姿の美女が、驚きあきれたというように目を見開いてアランソン姉妹を見つめていたという。

だが、それは一瞬だったらしい。

「何よ! 幻術かと思ったわ!」

次の瞬間、恨みがましい目つきが反抗的だと、もう一度、ヒュッという鉄扇が空を切る音が聞こえたが、私は勘も運動神経もいい方だ。すっと体を逸らせて逃げた。

……胸がないと、こういう時は便利である。身軽。

「そんなご心配には及びません!」

私は叫んだ。

「私のような平民に、殿下が興味を持つわけがないではありませんか。持たれても困ります。皆さまからどのように思われることかと思うと。身の程は心得ております。万一、お目にかかるようなことがありましたら、アランソン様の魅力を語り続け、殿下のおみ足をアランソン様の下に向けるよう、必ず説得いたします」

「あら」

アランソン嬢のうちのどっちかが言った。

「話が分かるようじゃないの」

「もちろん! もちろんです!」

私は必死で言った。

「命は大事ですから。今この瞬間から、アランソン様のために働きます」

「まあ。ふーん」

「どこまで信用できるかしら」

鉄扇で口元を隠しながら、どっちかのアランソン嬢がジロリと見た。

「裏切ったら死が待っているわよ」

「私は退学したいです!」

私は絶叫した。彼女達は乗り気になった。

「すればいいじゃないの」

「でも、山羊先生がダメだって言うんです。この前、退学願を書きました! 怖すぎてここにはいられません。早く退学したいです」

「山羊先生て誰?」

しまった。いつも山羊先生呼ばわりしているので、つい、出てしまった。

「担任の! 平民の面倒を嫌々見ている先生です」

山羊髭だって、アランソン姉妹と関わりになりたくないだろう。平民の面倒を喜んでみているとなったら、面倒くさい事態になりそうだ。教師の風上にも置けないとか言われそう。嫌々面倒を見ているのは、本当だし。

「なんで退学願を止めたのかしら?」

「多分、私には行くとこがないからでしょう」

「あら。意外に温情派ね」

違うと思います。

「ここを離れたら、食べていくことが出来ないので」

「そう言えば、皆様の残飯を漁って、口にしているって聞いたわ」

誤解を解くのは後だ。どうでもいいし。

「もう少しだけ、授業を聞くことを許していただけたら、町で家庭教師くらい出来ると思います……」

出来れば、ポーションの授業の見学させてください。あと、王都で売ってるポーションのリサーチをさせていただければ。行商でも何でもしますんで。

ポーションの話はしなかったが、なぜか本気度は伝わったらしい。

「まあ、確かにこんなにみっともないブス女にこだわるはずもないわよね?」

「残飯を主に食べてるなんて、ネズミみたいねえ」

「そうねえ。灰色のドブネズミよね」

「ホホホホホ。じゃあ、帰りましょうか」

ふたりは傍若無人にも、先生にさえ挨拶せずに勝手に部屋を出て行ってしまった。


しばらくして先生は怒鳴った。

「ポーシャ!」

我に返ったのだろう。手がワナワナ震えていた。緊張したのだろう。

「あんたがいるばっかりに、この授業はいつもめちゃくちゃになるわ。出て行きなさい」

私は立ち上がった。血が床に滴った。

公爵家の権威は怖い。逃げて当たり前だ。逃げないなんて逆に危険だろう。

だが、文法の先生にそんな権威はない。私を追い出す権利も力もないはずだ。

弱い者にかんしゃくを起こす。当たり散らす。今、先生がしていることは、八つ当たりなだけだ。

そんな人間に用事はない。私だって感情はある。

私は文房具や本を袋に詰めた。そして、そのまま何も言わず部屋を出て行った。
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