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第二十三話

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 無力な俺は、床に座り込んで茫然としているクロヴィスと同じように、ただそこに突っ立っていた。
 そんな俺を守るようにいつの間にか四方を固める仲間達は、黒王の近くにいるせいか常より強力となった魔物の相手に全力だった。歪な魔物は数を増やし休む暇もなく襲いかかってくる。
 持久戦になるのか。
 どこかでそんな思いが過って、ごくりと喉を鳴らす。
 黒王の強さは桁違いだ。たった一人で平然とアレスの相手をして、更にクロヴィスをしっかりと守って、それでも隙は無い。
 アレスの方も涼しい顔をして攻撃を繰り出しているが、ずっとそんな状態が続くわけじゃないだろう。
 しかも。
 これは殺し合いだ。
 両者とも、一度でも食らったら致命傷になりかねない。それは他の者もそうで、現に魔物達の中には力尽きて灰になったものもいる。
 こんな風に終わるのか。
 世界を救う結末は、こんな風に……。

「国が一体何を隠していたと思う? 私たちの能力を盾に下らぬ争いを繰り広げようとしている!」
「我々を駒に国が良からぬ企みをしているのは知っている! だが我等は人間だ! ただ意思のない玩具ではない! そしてこいつらのように、従うしか道のない無垢の塊でもない!」

 剣士の女が声を張り上げた。
 話の見えない俺は訳もわからず彼等を交互に見遣って、黒王が驚いたように目を見張ったのを目撃した。

「お前達はそれを知りながら私と違えるのか」
「貴様の目的に大義名分があろうとも、βを弄び他人の人生を左右する身勝手な行動だ。貴様がβに課せる呪いは、何よりも貴様自身が憎んだ呪いだろう……っ」

 アレスの声が響き、一瞬沈黙が降り立つ。
 口を開けてその様を見ていた俺は、次に黒王が悔しげに口を歪めたのを見逃さなかった。

「……そうか、それを知りながら私の邪魔をするんだな」

 黒王の細い指が俺の方を向いている。
 どくん、と心臓が脈打った。
 空中に何かを持ち上げるような仕草をした黒王の左手は、すぐにアレスの方を向いたが、俺の身体は一瞬で火が灯ったように熱く燃え上がった。

「……っ」

 ばくばくと心臓が脈打つ。
 一気に焦がれるような衝動が襲い、俺はそれに自身にかけられた忌々しい呪いが黒王によって発現したのを悟った。
 発情期だ。
 偽物のΩにされた、俺の呪い。

 甘い匂いが前方から漂ってくる。
 あの藍色の男を見るとどうしてもその衝動が抑えられなくなる。
 だから俺は咄嗟に後退った。
 いつだかとおなじ、安易な行動だ。

 鼻孔を突く甘い香りが脳内を支配して、早くあいつのそばに行って疼く身体を沈めて欲しいと思考が犯されていく。だが、アレスは俺を一度も見ようとはしなかった。
 あいつだって俺のフェロモン食らっているはずなのに、剣を握る手を緩めることもなく黒王に向かって強大な魔法を繰り出している。その表情は苦痛に顔を歪ませているようにも見えて、フェロモンの効果をうかがい知れる。

「……っ、運命さだめだ呪いだ、など、どうでもいい……っ」
「背負わずともいい責任を押しつけられ、自由を奪われてもまだそんなことを言うなど……っ」
「お前は尤もらしい御託を並べているが、それはただの言い訳だ」

 ドン! と空気が震える。
 粉々になった地面が黒王を襲い、取り巻きの魔物が悲鳴を上げる。
 だがアレスは躊躇わずに腕を振るった。剣に纏った青光りした炎を操り、その美しい男に渾身の力を振り絞って。

「好きなように生きて好きなように死ね。それは何者からも邪魔されぬ、人の唯一の権利だ! 他者が邪魔をするな──!」

 勇者が咆哮を上げる。
 ずくずく疼く身体が吸い寄せられそうになりながら、それでもアレスの見たこともない気迫に足を竦み、熱い吐息を上げながら俺はただ彼を焼き付くような目で見ていた。
 アレスの藍色の髪が揺れ、深い青の瞳が鋭く黒王を貫く。振り上げられた青い炎を纏った大剣と踏み出した太もも。瞬時に目前に立ったアレスに黒王が空に浮かばせた黒い渦を向けた。
 バリバリバリバリ、と二つの攻撃がぶつかり合った。
 凄まじい衝撃波が熱に浮く身体に当たる。今度こそ吹っ飛ばされた俺は、肩と脇腹を地に打ち付けながらも、あの甘い香りが途絶えていないことに安堵した。
 欲しい。
 欲しいんだ。
 この疼きを埋められるのはあいつだけ。
 あいつだけだ。
 よせ。
 今はそんなもの、どうでもいい。考えるな。
 でも欲しい。今すぐに、アレをぶち込んで俺をぐちゃぐちゃに犯して……。
 強烈な渇きで疼く身体が、勝手にあの狂おしい香りに近付いていく。

 ゴゴゴ、と地響きがしたのはその時だ。
 ガタガタと瞬く間に揺れ出した地と、ダンジョンの壁が剥がれ落ちてあちこちで石壁が転がっていった。

「ミュレ!」

 慌てたような召喚士の声がして、我に返った俺は巨大な石壁が頭上に迫り来ているのに気付いた。
 どうやらあまりに強力な二人の戦いのせいでダンジョンがもたなかったのだ。
 だがふらふらとアレスに近付いていた俺の傍には誰もいなくて、どうすることもできなかった。
 駄目だ。間に合わない。
 押しつぶされる!
 そう思ったのに、黒魔導士と白魔導士の女が咄嗟に両手をかざし石壁の動きを止めた。
 見れば揺れが小さくなり、あちこちで転がり落ちていた石や壁の破片も今は至極ゆっくりと地面へ近付いている。
 魔法だ。
 まるで、時間の流れを変えたような、そんな不思議な光景。
 はっとアレスの方を見た。
 アレスの剣の炎は既に尽きているが、今にも黒王の首に掛かりそうな距離だ。だがその黒王は既にアレスに向けて手をかざし魔法をかける寸前だった。
 また、二人の攻撃が同時にぶつかり合った。だが魔法を得意とする黒王と近距離の物理攻撃も難なくこなすアレスとでは幾分か黒王の分が悪かったのか、遂には彼が後ろに倒れた。
 あ、と誰かが声を上げた。
 倒れ込んだ黒王に容赦なくアレスの剣がふるい落とされる。
 だがそこで俺は黒王が左手に鈍色のナイフを掲げたのを見逃さなかった。
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