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第十八話

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「……今までのとは少し違うよ。漏れ出る魔力が桁外れだ」
「ふん」

 黒魔導士の言葉もどこ吹く風で先に動き出したのはやはり勇者だった。圧倒されるほど大きくいびつな魔物の姿に顔色一つ変えることなくアレスは剣を振った。
 パアン、と雷が走る。同時に魔法攻撃をしたのか。だが、魔物はうるさげに棍棒を振って、アレスの攻撃をはねのけた。
 召喚士の少年がなにかを呟いている。詠唱だ。すぐさま現れた黄金の獅子が、鬣を揺らしながら地を蹴った。
 黒魔導士は呪文を唱えることもなく、無詠唱で魔法を放った。白魔導士は俺たちに防御魔法を唱え、数少ない攻撃魔法を魔物に向けた。剣士は巨大な魔物を取り巻く雑魚をなぎ払い、騎士は俺たちを狙う魔物を斬っていく。
 瞬く間に戦場と化したその場で、俺たちはただ立ち竦んでいた。
 俺はこんな時、自分の無力さをまざまざと思い知らされる。βであること、魔力が無いこと。それは幸運だったはずなのに、ここでは不運に転じる。
 でも、無い物ねだりはどの種族にもある。αのような能力を、Ωのような機能を、きっと誰しもが望んだし同時に諦めてきた。
 それは誰かになりたいという出口のない願いで、見当外れのものだから。

「……ミュレ、大丈夫?」

 熱いよ、とクロヴィスが囁いた。
 いつの間にか強く握っていたクロヴィスの手のひらがしっとりと汗ばんでいる。
 あれ? と手を放す。なんだかわけのわからないことが思い浮かんでは消えていく。

「なんか……暑くないか?」
「ミュレ? どうしたんです」

 クロが訝しげに首を傾げた。顔色が……と言われ、その瞬間にガクンと膝から崩れ落ちた。
 頬が熱い。首の下がドクドクと脈打って、身に覚えがある渇きが襲いかかる。

「まさか……」

 これはまさか。
 まさかまさかまさか。

「今はまずい……、今はまずいぞ」

 思わず後退しながら、どこか逃げ道はないかと探した。
 鼻の下がやたら熱くて、自分の吐息で火傷しそうだった。ぶれていく視界に、風に乗って甘い香りが鼻孔にもぐりこんでいく。
 やばいやばいやばい。
 こんな、こんなときに。
 意思とは反対に、しっとりと身体が汗ばんでいくのがわかる。俺を包むように纏わりつく極上の香りは、無我夢中で繋がり合ったあいつのものだ。
 どくん、と下腹部に熱が溜まる。あの甘い香りに今すぐにでもその元へ辿りたい衝動が走る。
 だが、こうしている間にも魔物との戦闘は勢いを増している。それに、俺がこれだけあいつの匂いに反応するって事は、あいつも……。
 匂いがあいつに届く前に、ここを出なければ。
 必死だった。
 熱くて、胸が痛くて、その上疼く下腹部が俺に渇きを訴えてくる。
 でもここにいては駄目だとそれだけはわかっていたから、反射的にここがどこなのかも忘れて踵を返した。
 なのに、一歩前に踏み出した脚に、思うように力が入らずふらついた。傾ぐ身体を支えようとなにもない空間に腕を伸ばす。
 だめだ。転ぶ──。
 覚悟した次の瞬間、物凄い力で片腕を引っ張られた。
 どうして。
 驚きその強烈な香りに昏倒しそうになりながら、支えた男を見上げる。
 アレスだ。
 先頭で戦っていたはずの男が瞬時に俺の元へ移動して、険しい顔つきで俺を見下ろしている。そうしていつものように眉間に深い皺を刻みながら、呟いた。

「ふざけるなよ」
「……アレス」

 そんな勇者の行動にいち早く気付いたのは黒魔導士だ。

「冗談だろ! このタイミングでかい?!」
「どこまでも不運すぎて笑えますね、ミュレ!」
「仕方がない、勇者よ後は我々に……!」
「ああ、奴がいなくともこの程度の魔物、いくらでも倒せるぞ」
「僕は魔物とは相性が悪いんだ! 召喚獣だって嫌がるからな! だからといって勇者が抜けたくらいで負けるわけがないが!」

 叫んだ仲間達は瞬時に何が起きたのか悟ったようだが、アレスはその言葉に更に不機嫌そうに唇を引き締めて、俺の腕を掴みながら魔物に向かって剣を一振りした。
 ドオン、と爆音と共に炎と雷が混ざり合って魔物に衝突した。その勢いは今まで見たどの魔法より大きく強力で、ぐわんぐわんと耳の奥が轟音でおかしくなったほどだ。
 悲鳴が聞こえる。
 燃やされ、痛みに苦しむ、魔物の声だ。
 ぼんやりとした意識の向こうでそれが無性に悲しくて、思わずアレスの腕を縋るように掴んでしまう。
 しかしアレスはそうなることがわかっていたかのように間髪入れず更に剣を振りかざした。
 ぶわ、と強風が髪を浮かせる。
 鋭い風が一閃し、一瞬の沈黙の後、魔物のいびつな丸い頭がゴロリと地に落ちた。

 だが、俺はそれよりもアレスに釘付けだった。
 大剣を易々と片手で振る勇ましさと、同時に魔法攻撃も繰り出せるその能力。今にも倒れ込みそうになっている俺を腕一本で掴みあげる圧倒的な強さは、確かに誰よりも恰好良い。
 そりゃこんなα、周りが放っておかない。種族を抜きにしても同じ男としても憧れる。
 でも、そんなものはどうでもよかった。
 どくどくと心臓がうるさい。
 むせかえるようなアレスの匂いと布越しに伝わる高い体温。
 激しく脈打つ鼓動の下で汗に濡れ、逞しい裸体を惜しげもなく晒し無我夢中でくちづけをしてくる本能に屈したあの。
 そうだ。俺はそれが欲しい。
 戦って魔法を放つ、勇者のアレスじゃない。
 俺は、俺を組み敷いて腰を振る、獣のようなアレスが。
 それだけが、欲しい。

 ハアハアと息が上がる。
 途轍もなくいい香りがするアレスの胸にすがりついて、怒ったような眼差しで見つめるその青い瞳に焦がされるような疼きを覚えながら。


「して、アレス」


 俺を今すぐに、抱いて。

 逞しい腕が腰に回されて、甘く痺れるような悦びが背を通っていく。
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