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彷徨う舟と黒の使い
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で、夜まで港町を散策して買い物に散歩にと久々の一人での遠出に息抜きしまくってた俺は、騎士団の姿が徐々に増えた気がした辺りで、身を隠すようにこそこそと行動する羽目になった。
「ていうかなんでいるんだよ?」
長い金髪を黒いリボンで結び背に垂らしている男が、爽やかな笑顔で町の女に捕まっている場面を目撃し、咄嗟に近くの店に入って身を隠した俺。
朝俺にマフラーを巻いて出かけた男は、冬の港町でも相変わらず目立っていて遠くからでも一目で分かってしまった。
買い物に来ていた女たちが騎士団に世間話をするふりをしながら若い彼等を逆ナンパしている。エンリィは女の意図に気付いていないだろう。異性にモテるのは自覚しているが、直接的に言われない限りあいつは何も意識していない男だ。
色恋沙汰に疎いわけじゃないが、興味のない事にはまったく気づかないタイプというか……。
って、そんなことはどうでもいいな。
「……はぁ」
溜め息を吐いてエンリィが去ったのを確認して店を出ようと思ったが、何も買わないのもまずいか、と思い直して店内を見回す。良かった、ただのパン屋だ。
チーズ入りのパンを一つだけ購入して、薄暗くなった町を歩く。エンリィがいるって事は、第四部隊が来ているってことだ。
なぜだかバレたら良くない事が起こる気がして、俺はそれから騎士団員の制服を着た男達をみかける度に死角を探して見つからないよう紛れた。おかげで酒場に着くころには無駄に疲れて肩で息をしていた。
ていうかなんであんなゾロゾロいたんだ。
おかしい。おかしいぞ。
「おっさん、来てたのか」
「おう、遅かったな」
「まったくだ」
「……はっ?」
酒場の扉を開けてすぐのカウンターにおっさんの姿を確認し入れば、その隣から落ち着いた低い声が聴こえ、脚を組んで座っている男を見て固まる。
アジーズのおっさんは眉を上げてその男を振り返り、知り合いか?と目で問うてきた。
「なんでここに」
「仕事だ」
聞けば即答され、そうなの、と思わず目を逸らす。もうこいつがここにいる事自体が嫌な予感しまくりだが、それでも渇いた喉を潤したくて店主に麦酒を頼んだ。
「元同僚だ」
「ほう? おまえ騎士団員だったのか?」
「話せば長くなるから話さないけど端的に言えば、まあ似たようなもんだな」
とりあえずアジーズの隣に座り、出てきた麦酒を喉に押し込む。
アジーズとは事務員を辞めてからの付き合いなので彼は俺の過去を知らない。飲んだ勢いで話した内容は事務員での過去より見える人間としての話しかしていなかったので、意外だったのだろう。
精悍な顔つきの金髪の男と俺を交互に見比べ、アジーズは何かに気付いたような顔つきで一度頷いただけだった。
なにか察したのだろうか。
あちこちの国を行き来している商人だ。洞察力は人一倍あるはず。
「それを飲んだら行くぞ」
「いやだ!」
予想通りの言葉を放たれ、思わず即答する。
「サウレ軍は騎士団に協力を要請したわけか」
ぴく、とアーシュの眉が動いた。
アジーズは無言でじっと見つめてくるアーシュに、肩を竦めて続ける。
「俺は貿易船に乗っててな。騒ぎはなんとなく察してる」
「……そうか。船旅はさぞかし疲れただろう。今日はゆっくり休んだらいい」
「慣れてるからな、なんてことはない。今日はこの優男と飲む予定だったんだ」
「……彼の身柄は残念ながら騎士団が引き受ける事になっている。彼は騎士団公認の黒祓いだからな。悪いが仕事だ」
「そうか、なるほど、黒祓いね」
アジーズは頷いて、含み笑いを浮かべて俺を見た。
その視線に若干の気まずさを覚え、一気に麦酒を飲み干して、彼の分厚い肩を叩く。
「激しく行きたくないんだが恐らく拒否してもこの男に強制連行されるだけだ。なので大人しく従う事にするわ」
「そうか、そりゃ仕方ねえ。まあなんだ、あの猿の人形を引き取らなかった呪いだな。これに懲りてあれを買い取れ」
「アホかタダでも要らんわ! そもそも祟られるのは貰ったあんただろ!」
「はは、また今日の話を詳しく聞かせてくれよ。サウレ国は俺も興味があるんだ。あそこはうちと国交がなくて他とも取引もほぼしていないからな。一度は降りてみたいもんだ」
「おう、おっさんが帰るまでに土産話の一つや二つ持ってくるよ」
立ち上がったアーシュがカウンターに金を置き、その金額に俺は金を出す仕草をすることもなくアジーズに別れを告げる。
あの分じゃおっさんもそこそこ飲めるだろう。
酒場を出てすっかり暗くなった港町は、それでも人通りが多く賑わっていた。
かつて真我はこの世界の夜を牛耳っていたが、その数は年々減っている。大型の姿を滅多に見なくなり人々にも余裕が出てきたのだ。
だがそうなると自然と人間同士の犯罪が増える。つまり、討伐隊の出番が全くなくなったわけではない。犯罪が増えれば時折人が死ぬ。そして気付かぬうちに落とされた残留思念が集まり、黒の化け物となる。
結局の所一番怖いのは同じ人間だ。
「……で、幽霊船って本当なのか?」
「耳が早いな。サウレ国の船がうちの領海内で発見されたらしい。それはいいんだが、どうにも複雑な事情があるらしくてな」
「複雑な事情?」
「ナツを呼ばねばならぬ理由だ」
「へえ」
びゅう、と風が強く吹いて俺は首を竦めてマフラーに顎を埋めた。
港に近付くにつれ段々と人通りが少なくなり、船に着く頃にはそこにはすっかり軍装姿の人間しか見当たらない。
王国騎士団とサウレ軍人達だ。
アーシュは近寄ってきた部下の隊員に何かを言いつけると、ぼんやりと暗闇に浮かぶ船を見上げる俺を向いて口を開いた。
「件の船はサウレが二十年前から探していた船だと言う。何らかの事故で沈没したんだろうが、どういうわけか今になって浮かんできたと。最近になりシュライルが発見し、船がサウレの物だと分かり向こうに報せた。そしてサウレが船を調べていたんだが」
「……二十年前の沈没船が浮かぶ、ね」
普通に考えてあるわけがない。水に沈んだ重い塊が一体何の理由で浮上できると言うのだ。
そう誰しもが思ったんだろうが、実際に船は姿を現した。そうなった以上不可思議な現象に首を傾げてもそれは現実を前にして無意味な事だ。
その上俺が呼ばれた理由は一つ。
「真我がいる。それに伴い影の……黒の者たちの数も多く、協力して欲しいとサウレから正式に要請を受けた。向こうには黒使と呼ばれるお前と同じ立場の者がいるが、その方がうちの黒祓いにも来て欲しいと言っている」
「……なるほどな」
ここ数年で真我の原因を浄化できる者たちが世界中で認知され始め、それは独自の国の用語で名付けられ尊称で呼ばれるようになった。
例えばこの国では真我の原因の元となる負を救い祓う者、──黒祓い、と呼ばれる。同じ様にサウレ国では俺と同じ立ち位置の人間を黒使と呼ぶのだろう。
黒祓いと呼ばれるようになってからまだ二年と経たない。無論そう言って活動する人間は胡散臭い者も含めて少しずつ数を増やしてきているが、王国騎士団公認なのは今のところ俺だけだ。
かつては霊能者と呼ばれ、その能力を完全には信用されていなかった俺も今では着実に本物だと認められているのだ。
「第二と第四が来ているのは偶然?」
アーシュは頷いて俺を船へと促した。
「真我がいるなら第二の役割だ。第四はその他の警備と警戒を担う。他部隊は色々と都合がな」
「ふうん」
そんなこともあるのかと頷いて、先程見かけたエンリィを思い出す。もしかしてあいつが俺の居所を漏らしたんじゃないだろうな。
乗り込む船は砲門が見えるサウレ国の軍艦だ。タラップ前に黒い軍装の軍人達が見えて足を止める。
彼等はアーシュの姿を見て小さく頭を下げた。
「こちらが黒祓い殿ですか」
「ええ。黒祓いのサエキ殿です」
「サエキ殿、助かりました。よろしくお願いします」
少し高めの声がして、にゅ、と軍人の中から人が出てきて驚愕する。
長身の軍人に紛れて全く目に入っていなかったが、どうして気付かなかったと思うくらいその者は目立っていた。
白に近い髪、透けるような白い肌、それを縁どる睫毛も真っ白で、暗闇でよく見えないが瞳も色が薄い。
周りの軍人より少し背は低いが、俺と同じかそれ以上の彼は切り揃えられた髪を揺らし、俺の手を取った。
「私だけの力では到底あの者たちを還す事は無理だと思い、途方に暮れていたのです。貴方様のお噂はかねてから耳にしております。頼りにしています」
「は? へ? う、噂?」
ぶんぶんと両手で握られた右手を振られ、その勢いに目を白黒させながらたじろぐ。
「私、サウレ国の黒使をやっております、ソウツ・ミヤトイと申します。サエキ殿には一度お会いしたかったんです」
「は、はあ……。ナツヤ・サエキです。よろしく」
色素の薄い彼の顔を見つめ、戸惑いながらに名乗れば彼はにっこりと微笑んだ。
その髪型は正におかっぱと言っても過言ではないが、すべての色素が薄い彼には不思議と似合っていて綺麗な男だな、と素直に感心する。
金髪王族の美しさに慣れている俺だが、それとは違う少し女性的な美しさだ。決して女性に見えるわけではないが、軍人に囲まれていると余計にその細さと身に纏っている黒服が目立ち、対照的な彼の容姿が神秘さを強調していた。
「では、早速ですが」
横に立つ軍人がすっとタラップに踏み込み歩を進め俺もその後に続く。
アーシュは俺に頷いて先に行け、と目で促した。諸々の用を済まし後で乗り込むのだろう。
彼等に続いて船に乗り込み、案内役の軍人の言葉に耳を傾ける。
夜明けを待たずに出発し、夜の沈没船を巡回する。真我の姿を何度か確認し倒してはいるが、すべて日中に処理したので夜だとまた現れるかもしれないという。
「日中にも彷徨い人がかなりいたんですが、悪戯に私どもを脅かすばかりで……。こちらの話に耳を傾ける様子も無く、彼等も話をしてくれず……」
ソウツがそう言って困ったように眉を下げた。
甲板に立ち、暗闇の波を見ながら二人で話していると軍人達はそっと踵を返して仕事に戻ったようだ。
海風が吹き時間が経つとともに寒さが強くなるが、着物に似た前を左右に合わせた黒服から真っ白な首を剥き出しにしている彼は気にした様子もなく喋るので、見ているこちらが寒くて耐えられない。
堪らずに自分のマフラーを解いて、剥き出しの白い首筋を覆ってやる。
見るからに俺よりも若いし、その白さと細さが頼りなくてなんだか放っておけないというか……。
それはそうとサウレ国ってちょっと日本と似てるのかな。軍人達もなんというか独特の空気を出していて規律的というか冷たいというか、そんな感じがするのにいざ対面するとひどく丁寧に扱われる。
こういった空気感ってお客様をもてなすあの故郷を思い出してしまうんだけど、服もちょっと似通ってるし。
マフラーを巻く手を動かしながら考えてると、ふと我に返って視線を上げた。
ソウツは俺をじっと見つめて、目が合った瞬間にふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます。話に夢中で寒さにも気付いてなかった。……暖かい」
「いや、なんだ、その……気持ち悪かったよな、ごめん」
優しいその表情にぎょっとして、無意識の行動に何をやってるんだ俺は、と慌てて身を引く。
多分エンリィとそう変わらない見た目の青年だからと、ついいつもの癖が出た。
とは言え俺はもう四十近いおっさんだ。さぞかしソウツは気持ち悪かっただろう。
「お聞きしていた通り、優しい方だ」
「……その、噂ってなんなんだ。俺はそんな大層な立場じゃないけど」
「何を仰います、同業者には恐らく一番知れ渡っていますよ。サウレのような窮屈な国に住む私の耳にも入るくらいですから」
そう言ってソウツは少し寂し気に眉を下げた。
星灯りの元、波の音が絶え間なく耳を擽っている。冷たい風は頬を常に叩いていて、ゆっくりと動き出した船に俺たちは無言で前を向き直った。
「……沈没船は二十年前に行方不明となった軍船なんです。まさかシュライルの領海内で見つかるとはと彼等も大変驚いたようで」
「君は、サウレ軍に所属しているわけではないのか?」
「ええ。一応国に仕えている黒使ですが、元々は母が国家公認の偉大な黒使だったんです。その頃は黒使という名ではありませんでしたけどね。ですがその母がつい先日に亡くなり、今回は息子の私に白羽の矢が立ちました。……正直、いくら母と同じ黒使と言えども母と私では力量が違うので、途轍もなく不安で……」
「それは、責任重大だな」
「でしょう? 私はまだ若輩者で、大きな任務を一人で受けるのにはまだまだ未熟なんです。出来る限りの事はやると約束しましたが、案の定、件の船には沢山の……彷徨い人と」
「真我、か」
はい。
と柔らかな声がして俺たちは同時に口を噤んだ。
同じ能力がある人間と出逢うのは、実をいうと初めてだ。いや、元の世界でももしかしたらどこかで会っているのかもしれないが、そもそもそう言った発言をする機会がほとんどない。
大抵頭がおかしいと思われるだけなのでたとえ何かを見て何かおかしな出来事が起きても他人の前で表に出すことはなかった。霊能者として活動していても、それは変わらない。
だから、同じ能力者だと言われるとどういった態度で接すればいいのか正直わからない。
それでもなぜか嫌ではない不思議な感覚で、俺は揺れる船上で暗闇の海を眺める。
僅かな船の明かりが水面を照らして、無数の星空が反射して揺れていた。
「ていうかなんでいるんだよ?」
長い金髪を黒いリボンで結び背に垂らしている男が、爽やかな笑顔で町の女に捕まっている場面を目撃し、咄嗟に近くの店に入って身を隠した俺。
朝俺にマフラーを巻いて出かけた男は、冬の港町でも相変わらず目立っていて遠くからでも一目で分かってしまった。
買い物に来ていた女たちが騎士団に世間話をするふりをしながら若い彼等を逆ナンパしている。エンリィは女の意図に気付いていないだろう。異性にモテるのは自覚しているが、直接的に言われない限りあいつは何も意識していない男だ。
色恋沙汰に疎いわけじゃないが、興味のない事にはまったく気づかないタイプというか……。
って、そんなことはどうでもいいな。
「……はぁ」
溜め息を吐いてエンリィが去ったのを確認して店を出ようと思ったが、何も買わないのもまずいか、と思い直して店内を見回す。良かった、ただのパン屋だ。
チーズ入りのパンを一つだけ購入して、薄暗くなった町を歩く。エンリィがいるって事は、第四部隊が来ているってことだ。
なぜだかバレたら良くない事が起こる気がして、俺はそれから騎士団員の制服を着た男達をみかける度に死角を探して見つからないよう紛れた。おかげで酒場に着くころには無駄に疲れて肩で息をしていた。
ていうかなんであんなゾロゾロいたんだ。
おかしい。おかしいぞ。
「おっさん、来てたのか」
「おう、遅かったな」
「まったくだ」
「……はっ?」
酒場の扉を開けてすぐのカウンターにおっさんの姿を確認し入れば、その隣から落ち着いた低い声が聴こえ、脚を組んで座っている男を見て固まる。
アジーズのおっさんは眉を上げてその男を振り返り、知り合いか?と目で問うてきた。
「なんでここに」
「仕事だ」
聞けば即答され、そうなの、と思わず目を逸らす。もうこいつがここにいる事自体が嫌な予感しまくりだが、それでも渇いた喉を潤したくて店主に麦酒を頼んだ。
「元同僚だ」
「ほう? おまえ騎士団員だったのか?」
「話せば長くなるから話さないけど端的に言えば、まあ似たようなもんだな」
とりあえずアジーズの隣に座り、出てきた麦酒を喉に押し込む。
アジーズとは事務員を辞めてからの付き合いなので彼は俺の過去を知らない。飲んだ勢いで話した内容は事務員での過去より見える人間としての話しかしていなかったので、意外だったのだろう。
精悍な顔つきの金髪の男と俺を交互に見比べ、アジーズは何かに気付いたような顔つきで一度頷いただけだった。
なにか察したのだろうか。
あちこちの国を行き来している商人だ。洞察力は人一倍あるはず。
「それを飲んだら行くぞ」
「いやだ!」
予想通りの言葉を放たれ、思わず即答する。
「サウレ軍は騎士団に協力を要請したわけか」
ぴく、とアーシュの眉が動いた。
アジーズは無言でじっと見つめてくるアーシュに、肩を竦めて続ける。
「俺は貿易船に乗っててな。騒ぎはなんとなく察してる」
「……そうか。船旅はさぞかし疲れただろう。今日はゆっくり休んだらいい」
「慣れてるからな、なんてことはない。今日はこの優男と飲む予定だったんだ」
「……彼の身柄は残念ながら騎士団が引き受ける事になっている。彼は騎士団公認の黒祓いだからな。悪いが仕事だ」
「そうか、なるほど、黒祓いね」
アジーズは頷いて、含み笑いを浮かべて俺を見た。
その視線に若干の気まずさを覚え、一気に麦酒を飲み干して、彼の分厚い肩を叩く。
「激しく行きたくないんだが恐らく拒否してもこの男に強制連行されるだけだ。なので大人しく従う事にするわ」
「そうか、そりゃ仕方ねえ。まあなんだ、あの猿の人形を引き取らなかった呪いだな。これに懲りてあれを買い取れ」
「アホかタダでも要らんわ! そもそも祟られるのは貰ったあんただろ!」
「はは、また今日の話を詳しく聞かせてくれよ。サウレ国は俺も興味があるんだ。あそこはうちと国交がなくて他とも取引もほぼしていないからな。一度は降りてみたいもんだ」
「おう、おっさんが帰るまでに土産話の一つや二つ持ってくるよ」
立ち上がったアーシュがカウンターに金を置き、その金額に俺は金を出す仕草をすることもなくアジーズに別れを告げる。
あの分じゃおっさんもそこそこ飲めるだろう。
酒場を出てすっかり暗くなった港町は、それでも人通りが多く賑わっていた。
かつて真我はこの世界の夜を牛耳っていたが、その数は年々減っている。大型の姿を滅多に見なくなり人々にも余裕が出てきたのだ。
だがそうなると自然と人間同士の犯罪が増える。つまり、討伐隊の出番が全くなくなったわけではない。犯罪が増えれば時折人が死ぬ。そして気付かぬうちに落とされた残留思念が集まり、黒の化け物となる。
結局の所一番怖いのは同じ人間だ。
「……で、幽霊船って本当なのか?」
「耳が早いな。サウレ国の船がうちの領海内で発見されたらしい。それはいいんだが、どうにも複雑な事情があるらしくてな」
「複雑な事情?」
「ナツを呼ばねばならぬ理由だ」
「へえ」
びゅう、と風が強く吹いて俺は首を竦めてマフラーに顎を埋めた。
港に近付くにつれ段々と人通りが少なくなり、船に着く頃にはそこにはすっかり軍装姿の人間しか見当たらない。
王国騎士団とサウレ軍人達だ。
アーシュは近寄ってきた部下の隊員に何かを言いつけると、ぼんやりと暗闇に浮かぶ船を見上げる俺を向いて口を開いた。
「件の船はサウレが二十年前から探していた船だと言う。何らかの事故で沈没したんだろうが、どういうわけか今になって浮かんできたと。最近になりシュライルが発見し、船がサウレの物だと分かり向こうに報せた。そしてサウレが船を調べていたんだが」
「……二十年前の沈没船が浮かぶ、ね」
普通に考えてあるわけがない。水に沈んだ重い塊が一体何の理由で浮上できると言うのだ。
そう誰しもが思ったんだろうが、実際に船は姿を現した。そうなった以上不可思議な現象に首を傾げてもそれは現実を前にして無意味な事だ。
その上俺が呼ばれた理由は一つ。
「真我がいる。それに伴い影の……黒の者たちの数も多く、協力して欲しいとサウレから正式に要請を受けた。向こうには黒使と呼ばれるお前と同じ立場の者がいるが、その方がうちの黒祓いにも来て欲しいと言っている」
「……なるほどな」
ここ数年で真我の原因を浄化できる者たちが世界中で認知され始め、それは独自の国の用語で名付けられ尊称で呼ばれるようになった。
例えばこの国では真我の原因の元となる負を救い祓う者、──黒祓い、と呼ばれる。同じ様にサウレ国では俺と同じ立ち位置の人間を黒使と呼ぶのだろう。
黒祓いと呼ばれるようになってからまだ二年と経たない。無論そう言って活動する人間は胡散臭い者も含めて少しずつ数を増やしてきているが、王国騎士団公認なのは今のところ俺だけだ。
かつては霊能者と呼ばれ、その能力を完全には信用されていなかった俺も今では着実に本物だと認められているのだ。
「第二と第四が来ているのは偶然?」
アーシュは頷いて俺を船へと促した。
「真我がいるなら第二の役割だ。第四はその他の警備と警戒を担う。他部隊は色々と都合がな」
「ふうん」
そんなこともあるのかと頷いて、先程見かけたエンリィを思い出す。もしかしてあいつが俺の居所を漏らしたんじゃないだろうな。
乗り込む船は砲門が見えるサウレ国の軍艦だ。タラップ前に黒い軍装の軍人達が見えて足を止める。
彼等はアーシュの姿を見て小さく頭を下げた。
「こちらが黒祓い殿ですか」
「ええ。黒祓いのサエキ殿です」
「サエキ殿、助かりました。よろしくお願いします」
少し高めの声がして、にゅ、と軍人の中から人が出てきて驚愕する。
長身の軍人に紛れて全く目に入っていなかったが、どうして気付かなかったと思うくらいその者は目立っていた。
白に近い髪、透けるような白い肌、それを縁どる睫毛も真っ白で、暗闇でよく見えないが瞳も色が薄い。
周りの軍人より少し背は低いが、俺と同じかそれ以上の彼は切り揃えられた髪を揺らし、俺の手を取った。
「私だけの力では到底あの者たちを還す事は無理だと思い、途方に暮れていたのです。貴方様のお噂はかねてから耳にしております。頼りにしています」
「は? へ? う、噂?」
ぶんぶんと両手で握られた右手を振られ、その勢いに目を白黒させながらたじろぐ。
「私、サウレ国の黒使をやっております、ソウツ・ミヤトイと申します。サエキ殿には一度お会いしたかったんです」
「は、はあ……。ナツヤ・サエキです。よろしく」
色素の薄い彼の顔を見つめ、戸惑いながらに名乗れば彼はにっこりと微笑んだ。
その髪型は正におかっぱと言っても過言ではないが、すべての色素が薄い彼には不思議と似合っていて綺麗な男だな、と素直に感心する。
金髪王族の美しさに慣れている俺だが、それとは違う少し女性的な美しさだ。決して女性に見えるわけではないが、軍人に囲まれていると余計にその細さと身に纏っている黒服が目立ち、対照的な彼の容姿が神秘さを強調していた。
「では、早速ですが」
横に立つ軍人がすっとタラップに踏み込み歩を進め俺もその後に続く。
アーシュは俺に頷いて先に行け、と目で促した。諸々の用を済まし後で乗り込むのだろう。
彼等に続いて船に乗り込み、案内役の軍人の言葉に耳を傾ける。
夜明けを待たずに出発し、夜の沈没船を巡回する。真我の姿を何度か確認し倒してはいるが、すべて日中に処理したので夜だとまた現れるかもしれないという。
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ソウツがそう言って困ったように眉を下げた。
甲板に立ち、暗闇の波を見ながら二人で話していると軍人達はそっと踵を返して仕事に戻ったようだ。
海風が吹き時間が経つとともに寒さが強くなるが、着物に似た前を左右に合わせた黒服から真っ白な首を剥き出しにしている彼は気にした様子もなく喋るので、見ているこちらが寒くて耐えられない。
堪らずに自分のマフラーを解いて、剥き出しの白い首筋を覆ってやる。
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それはそうとサウレ国ってちょっと日本と似てるのかな。軍人達もなんというか独特の空気を出していて規律的というか冷たいというか、そんな感じがするのにいざ対面するとひどく丁寧に扱われる。
こういった空気感ってお客様をもてなすあの故郷を思い出してしまうんだけど、服もちょっと似通ってるし。
マフラーを巻く手を動かしながら考えてると、ふと我に返って視線を上げた。
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「ありがとうございます。話に夢中で寒さにも気付いてなかった。……暖かい」
「いや、なんだ、その……気持ち悪かったよな、ごめん」
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とは言え俺はもう四十近いおっさんだ。さぞかしソウツは気持ち悪かっただろう。
「お聞きしていた通り、優しい方だ」
「……その、噂ってなんなんだ。俺はそんな大層な立場じゃないけど」
「何を仰います、同業者には恐らく一番知れ渡っていますよ。サウレのような窮屈な国に住む私の耳にも入るくらいですから」
そう言ってソウツは少し寂し気に眉を下げた。
星灯りの元、波の音が絶え間なく耳を擽っている。冷たい風は頬を常に叩いていて、ゆっくりと動き出した船に俺たちは無言で前を向き直った。
「……沈没船は二十年前に行方不明となった軍船なんです。まさかシュライルの領海内で見つかるとはと彼等も大変驚いたようで」
「君は、サウレ軍に所属しているわけではないのか?」
「ええ。一応国に仕えている黒使ですが、元々は母が国家公認の偉大な黒使だったんです。その頃は黒使という名ではありませんでしたけどね。ですがその母がつい先日に亡くなり、今回は息子の私に白羽の矢が立ちました。……正直、いくら母と同じ黒使と言えども母と私では力量が違うので、途轍もなく不安で……」
「それは、責任重大だな」
「でしょう? 私はまだ若輩者で、大きな任務を一人で受けるのにはまだまだ未熟なんです。出来る限りの事はやると約束しましたが、案の定、件の船には沢山の……彷徨い人と」
「真我、か」
はい。
と柔らかな声がして俺たちは同時に口を噤んだ。
同じ能力がある人間と出逢うのは、実をいうと初めてだ。いや、元の世界でももしかしたらどこかで会っているのかもしれないが、そもそもそう言った発言をする機会がほとんどない。
大抵頭がおかしいと思われるだけなのでたとえ何かを見て何かおかしな出来事が起きても他人の前で表に出すことはなかった。霊能者として活動していても、それは変わらない。
だから、同じ能力者だと言われるとどういった態度で接すればいいのか正直わからない。
それでもなぜか嫌ではない不思議な感覚で、俺は揺れる船上で暗闇の海を眺める。
僅かな船の明かりが水面を照らして、無数の星空が反射して揺れていた。
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