黒祓いがそれを知るまで

星井

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 暇は人を駄目にする。
 頬杖をつきながらぼんやりと窓の外を眺めている俺の視界に、何かから逃れるように走っていく男の姿が目に入る。その直後に慌ただしく走る濃紺色の隊服を着た数人の男が走り去っていった。
 怒声を上げ、通行人をかき分けながら逃げる男を追いかける姿は、なんというかまぁ、それなりに面白い。
 だがそんな風景にもすっかり慣れてしまった俺は、大欠伸をして机の下の記帳を眺めた。
 今月に入って来た客が二人。
 買い上げていったものは少額の置物で、売り上げはほぼない。

「……やばいよなこれ、店を畳むっていうレベルじゃないぞ……」

 と言いつつ椅子に尻が張り付いたように動く気もない俺は、もう一度欠伸をして狭い店内を見渡した。
 それと同時にカランカランと店のドアが乱暴に開き、物凄い快活の声が店中に響き渡った。

「よぉ、相変わらず潰れそうな店だな! むしろなんで潰れないのかみんな不思議だろうな!」
「うん、冷やかしならお帰りくださいー」

 そいつを見るなり手の甲を揺らして追い払うジャスチャーをした俺に、男は気にした様子もなくずかずかと足を踏み入れてくる。
 濃紺色の隊服を着た元同僚。ハイクは俺と目が合うとにんまりと笑みを作って店内の商品に目を移した。

「……なんだこれ、不気味な人形だな」
「触ったら呪われるぞ」

 動物の身体に人間の頭をした陶器の置物を正に今触ろうとしていた男は、俺の言葉にぴたりと動きを止めた。
 頬杖をつきながら冷めた目でそれを見ていると、そんな俺に気まずげに目線をよこしたハイクが、はぁ、と頭を掻いて目前に立つ。

「……お前が駐屯地を辞めるって聞いた時、どうするのか心配だったけど。まあ元気そうで安心したわ」
「その節は大変お世話になりました。ご覧の通り、私はすこぶる元気です」

 棒読みで言えば、ハイクは気にした素振りもなく笑みを浮かべ、カウンター越しの椅子に腰を掛ける。
 変わらない調子のこの男はいつだって飄々として、何も考えていないように見えるが本質はそうじゃない。
 長く付き合っていけばいくほどにわかるハイクの適当さに、一体どれだけ救われてきただろう。

 あの日、真我として散った俺に真っ先に気付いたのはアーシュだったと言う。
 ここに戻ってきて早々に、エンリィが笑いながら兄上が大変だったと漏らした。

『人を襲わなかった大型の真我を討伐してから、ナツヤが忽然と消えたものだから……。あの真我がナツヤだったと言って聞かなかったんだ』
『……ふ、ふうん』
『まさか、嘘だろう……?』

 思わず顔に出た俺に目敏く気付いたエンリィが、目を見開いた。
 そうして伝えるつもりもなかった事の顛末を二人に洗いざらい話す羽目になり、すべてを聞き終えた後、彼等はこう言ったのだ。

『真我の形をしていたが、お前は真我じゃなかった』
『だけど俺は……、確かに影になり化け物となった』
『……違う。お前は知らずに魂の欠片となり女の霊に連れられてこの世界に来たと言ったが、お前の肉体は向こうで生きていた。死んでないのなら、それは真我じゃない』
『……アーシュ……』

 俺を刺したあの感触を忘れられない、と彼は言う。
 だが、結果的に俺の魂を解放し戻せたのなら、何も間違っていなかったのだと毅然とした瞳で言い切った。

『私にはお前が何であるか重要じゃない。たとえお前が真実に真我であろうとも、お前の魂は奴等とはまったく違う』

 真我をも殺せず、人を食おうともせず、むしろ霊を解放してきた俺を、あの真我と同じだとは到底思えないと。

『私は誰も傷つけることができない、あなたが好きになった』
『……エンリィ』
『お前がなにになろうと、なんであろうと、私は受け入れる』
『アーシュ……』

 ふたりの言葉に、震える手のひらで目を覆って、揺れる視界に嗚咽をかみ殺した。

 ───おまえの頑張りを、ちゃんと見ているよ。

 俺は、裏切っていなかったのだろうか。
 この美しい男達を、穢していなかったのだろうか。


 母は何も言わなかったが、俺はわかっていた。
 あの世界に生きていたあの頃の俺は、確かに疲れていたのだ。
 見える能力にも、理解されない環境にも、愛にも。
 そうして着物の女に毎晩囁かれ続け、ひどく参っていたのだけは覚えている。あの霊に付きまとわれていたのだって、きっと俺が弱っていたからだった。
 だから、あの場所じゃない何処かへ行けるのなら、と一瞬でも思った俺を霊は離さなかったのだ。
 きっと、そういうことだった。

 けれどシュライル王国で俺は何年も暮らしてきた。
 まるで人生をリセットするかのように、何もかもを最初から築いて。
 その生に疑問を感じたのは、彼等に守られ、真我の苦しみを知ったからだろう。
 愛されるという事がどれだけ凄い事なのか、俺は忘れていた。
 生きるという事がどれだけ苦しいのか痛いのか、そして愛おしいものなのか忘れていたから。


「……まさか戻ってこれるとはな」
「うん、よくわかんないけど真我の声聞こえなくなったのは良かったな」

 ぼりぼりと勝手に机上の菓子を口に入れていたハイクが何でもない事のようにそう言って、一瞬固まる。

「……おまえってほんとに……」
「なにこのお菓子、うますぎぃ」

 一切緊張感のない男にイラっとして、その言葉に反応せず無表情で視線を記帳に下ろす。

 ここに戻ってから真我の声が聞こえなくなった。
 同じ真我だからこそ意思疎通が出来ていたとしたなら、ちゃんとした魂とちゃんとした肉体でここに戻った以上、それは自然な事だろう。
 不思議な事に、俺がいなくなってから真我の出現が極端に減ったというこの国は、少しずつ他の事にも目を向ける余裕ができたようだった。

 あの化け物になった時、手当たり次第に迫間の者たちを口に入れた事は正解だった。
 アーシュの剣で解放された大量の魂は、ようやく本人の元へ戻っていったのだろう。

 第一部隊としての役割がなくなった俺は、以前から考えていた事務員の仕事を辞め、小さな店を構えた。
 他国の雑貨を輸入して売るその商売は、悲しい事に鳴かず飛ばずだが恐らく誰も気にしてはいない。
 なぜなら誰かが悲しみにくれた生を終えた時、時折その欠片はその場に残される。
 ならばその魂を元の場所へ戻してやることこそが、俺の仕事だからだ。

「……んでハイク、お前はただ菓子を食いに来ただけなのか?」
「いやぁさぁ……実は……」




 霊を見たいか、と言われたら否と即答できる。
 だが見える以上その能力を受け入れ、率先して使うことに悲しみを覚えなくともいいのだと、最近になってようやく受け入れることができた気がしている。
 この国では、取り残された残留思念が時折実体を持つからだ。

「ただいま、ナツヤ」

 店仕舞いをすませ、夕食の買い物をして帰宅したのは一時間ほど前。
 いつものようにキッチンに立ち料理をしていると、やさしい声が玄関から聞こえて、恋人の帰宅に一瞬手を止めた。

「おー、おかえり」

 隊服姿のエンリィの姿をちらりと見て笑うと、花が咲いたように彼も笑うのでなんだか恥ずかしくなって視線を逸らす。
 そのまま静かに背後に立たれ腰をそっと抱かれるが、敢えて反応はせずにいた。
 彼は俺が消えた事がトラウマとなったのか、駐屯地を出て店を構えると言った俺に当然のようにくっついてきた。
 目を離せない、恐ろしい、怖い。この三点を悲しげな瞳で言われ、拒むことなど出来なかったが、今思えば完全にしてやられた感はある。
 ほんの少しだけ大人になった彼は、ほんの少しだけ俺を振り回すようになって、ほんの少しだけ余裕を持つようになった。
 そうして俺と同じ歳を取って歩んでいたアーシュは、俺のいない一年間はひどく荒んでいたようだが、戻ってからはあっさりと穏やかになったという。
 まるで子どもみたいな行動をしていたアーシュと、大人になったエンリィ。
 その原因がすべて俺であることに、それなりに反省はしている。

「今日も美味しそうだ」
「……これが? なんだろうな、お前って紳士すぎて不安になるわ」

 性格的にも手が込んだものを作る気はしないのだが、エンリィは常に俺の料理を喜ぶ。盛り付けの才能もなく、ただ焼いただけのものや適当に味付けをして炒めたものでも、必ず俺を褒めるのだ。
 いや確かに悪い気はしないし、っていうか俺、こいつに言いように動かされてるのか?

「そう言えば、さっき兄上と会ったんだ。今日はこちらに来ると……」
「え、マジ。足りるかな……」

 いい加減離れろ、とエンリィを振り払い、慌てて残りの食材を確認しにいく俺のうしろをエンリィが笑ってついてくる。
 無言でその男に肉と野菜を渡し、切れ、と包丁を持たせれば彼は笑みを消して真剣な目つきでまな板に向かった。
 その、たどたどしい手つきに思わず噴き出しながら顔を上げる。


 真我は、これからも生まれ続けるだろう。
 人が生まれ死ぬように、彼等もまた生まれ、生に足掻く。
 その道を正すことができるのは一つの剣だ。
 だが彼等になる前の源と話し、この世から解放できる者はそう多くない。
 売れない雑貨を店に並べながら、暗い顔をした人間の相談に乗る俺は、あの頃と何も変わらない人生を送っている。

 それでいいと誰もが俺に言う。
 これでいいと、俺も思う。


「……おかえり、アーシュ」


 ふたりが傍にいてくれるのなら、なんだって、いいんだ。














 了
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