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生きたい身体
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「こいつがそうか」
「っアーシュ、待て!」
男の腕を持ち上げたのは素早く動いたアーシュの部下だったようだ。
右腕を持ち上げられた男は俺を見たまま、ただされるがままで何の感情も示さない。
その右指が一部分失われているのを確認したアーシュが、腰鞘からゆっくりと剣を抜いた。
「陛下に殺すなと言われてる!」
「……馬鹿だなナツ、そんなもの建前に過ぎない」
囁くような声音でアーシュが言った。
そうしてしずかに、男に背後に向き直る。
その細い刀身が驚く速さで躊躇もなく、男の背を貫くのをこま切れの映像をつなぎ合わせたかのような視界で捉える。
驚愕に目を見開く俺とは反対に、逃げもせずに受け止めた張本人が衝撃で足を踏み出して、笑った。
「……ああ、残念だなぁ。やっぱり、痛くない」
泣きそうなその笑みは、突き刺さるその肉を割いていないことに気付いたゆえの反応なのか。
血すら流れぬその肉体に、ようやく彼は知るのか。
「馬鹿野郎……、こんな事しなくても……っ」
「こんなこと? ……こうして生まれた以上、足掻くしかない」
上へ行けず、思いは強くなり、手足が生えた。
生きてきたあの頃の記憶に長く苦しめられ、かたちとなった。
色のないせかいを歩き回り、生者の熱に誘われ、ほしかった感情をさがして。
なぜ、ここにいるのか。
なぜ、生まれたのか。
「もう一度人として生まれたい。それだけだったんです」
呟いた男の声は確かに多くの悲しみが渦巻いているような、切なさの混じる哀願だった。
もう一度……。
息を呑んだ俺に、背中から胸を貫通する剣の切っ先を見下ろして、男は途切れた指を俺へ伸ばした。
その、指先からぱらぱらとほころびを帯びる彼の身体が、一瞬にしてすべてが粒子となっていく。
息を止めて次の瞬きをしたときは、彼だったものは地面に小さな山を作っていた。
そこから、ふわふわと小さな白い玉のようなものが上空にあがっていくのを呆然とながめる。
影たちの魂だ。
瞬時にそう理解して、その色が黒色ではない事に安堵した。
真我の消滅は魂の消滅に繋がる。つまりそれは、彼等がようやく元の場所へ戻れた証拠だ。
「…………」
痛いほどの無音が周囲を包んでいた。
星灯りの下で足元の砂をじっと見つめる討伐隊は何を思うのか。
真我の最期と同じ最期を彼等は見た。あれは確かに、人間ではなく真我だった。
びゅう、と風が吹く。
舞い上がる粒子は風に乗り、星空を高く飛んで消えていく。
見上げた空に無数の星が見え、遠くの川のせせらぎは、変わりもしない世界を示しているかのようだ。
この世界では、取り残された思念が実体を持つ。
ちいさな魂の欠片が新たに息をして、まるで目に見えないものでも確かに存在しているのだと人々に訴えるかのように。
「……ナツ」
固い声で呼ばれ、顔を上げた。
暗闇の中に消えていく隊員達の背が見え、帰路につく彼等を後ろに、アーシュが俺を見ていた。
薄い桃色の瞳に後悔は浮かんでいない。
だがどこか晴れない表情で俺を見るアーシュは、正面に立つ俺の手を引っ張り上げ、自分の頬に引き寄せた。
そのぬくもりに彼が確かに生きていると実感して、なんだか泣きたくなった。
「大丈夫か」
「お前こそ」
執念の真我を倒し、甘えるように俺のてのひらに唇を寄せる彼に誘われるがまま、その頭を抱き寄せる。
憎んできた相手は今日仲間を食べ、そしてとうとう人のかたちになり、言葉を発した。
その事がどれだけ彼を、傷つけただろう。
唇を噛み締めてアーシュを抱き寄せる。頭を下げて俺に縋るように肩に顔を埋めた彼が力強く俺の背に腕を回した。
柔らかな金髪を撫でながらこみ上げてくるのは愛おしさだ。
真我を殺せないと泣いた俺に、彼は一度だって責めなかった。あいつらから情報を聞き出し、指のない真我を探せと頼める時間はいくらでもあった。
それでもアーシュが何も望まなかったのは、ひとえに俺を想っての事だろう。
優しい男だ。俺には勿体ないくらいに。
離れたくないな、と思う。
残酷で苦痛だらけの不思議なこの世界でも。
手放したくないなと思う。
ここが俺の居場所じゃなくても。
のろのろと顔を上げるアーシュに口許を緩めて頷く。
じっと見つめてくる彼の顔が一瞬だけ近付き、その唇が俺の口許をかすめて去っていった。
ゆっくりと前を向き、背を並べ歩く。
暗闇の中のこの地を、忘れはしないだろう。
さびれた煉瓦の建物、砂利だらけの道、光の少ない夜の町。
唸るあの黒い生物と、血にまみれて消える人々の思い。
眩しいくらいの金色の髪を揺らし、真っ直ぐに未来を見据える桃紫色の瞳。
濃紺色の隊服と、細く尖った剣。
統率のとれた男達の苦悩と責任、生への力強さ。
「……ナツ、どうした」
俺は一体、どうやってこの世界に来たのだろう。
「……泣いているのか」
「っアーシュ、待て!」
男の腕を持ち上げたのは素早く動いたアーシュの部下だったようだ。
右腕を持ち上げられた男は俺を見たまま、ただされるがままで何の感情も示さない。
その右指が一部分失われているのを確認したアーシュが、腰鞘からゆっくりと剣を抜いた。
「陛下に殺すなと言われてる!」
「……馬鹿だなナツ、そんなもの建前に過ぎない」
囁くような声音でアーシュが言った。
そうしてしずかに、男に背後に向き直る。
その細い刀身が驚く速さで躊躇もなく、男の背を貫くのをこま切れの映像をつなぎ合わせたかのような視界で捉える。
驚愕に目を見開く俺とは反対に、逃げもせずに受け止めた張本人が衝撃で足を踏み出して、笑った。
「……ああ、残念だなぁ。やっぱり、痛くない」
泣きそうなその笑みは、突き刺さるその肉を割いていないことに気付いたゆえの反応なのか。
血すら流れぬその肉体に、ようやく彼は知るのか。
「馬鹿野郎……、こんな事しなくても……っ」
「こんなこと? ……こうして生まれた以上、足掻くしかない」
上へ行けず、思いは強くなり、手足が生えた。
生きてきたあの頃の記憶に長く苦しめられ、かたちとなった。
色のないせかいを歩き回り、生者の熱に誘われ、ほしかった感情をさがして。
なぜ、ここにいるのか。
なぜ、生まれたのか。
「もう一度人として生まれたい。それだけだったんです」
呟いた男の声は確かに多くの悲しみが渦巻いているような、切なさの混じる哀願だった。
もう一度……。
息を呑んだ俺に、背中から胸を貫通する剣の切っ先を見下ろして、男は途切れた指を俺へ伸ばした。
その、指先からぱらぱらとほころびを帯びる彼の身体が、一瞬にしてすべてが粒子となっていく。
息を止めて次の瞬きをしたときは、彼だったものは地面に小さな山を作っていた。
そこから、ふわふわと小さな白い玉のようなものが上空にあがっていくのを呆然とながめる。
影たちの魂だ。
瞬時にそう理解して、その色が黒色ではない事に安堵した。
真我の消滅は魂の消滅に繋がる。つまりそれは、彼等がようやく元の場所へ戻れた証拠だ。
「…………」
痛いほどの無音が周囲を包んでいた。
星灯りの下で足元の砂をじっと見つめる討伐隊は何を思うのか。
真我の最期と同じ最期を彼等は見た。あれは確かに、人間ではなく真我だった。
びゅう、と風が吹く。
舞い上がる粒子は風に乗り、星空を高く飛んで消えていく。
見上げた空に無数の星が見え、遠くの川のせせらぎは、変わりもしない世界を示しているかのようだ。
この世界では、取り残された思念が実体を持つ。
ちいさな魂の欠片が新たに息をして、まるで目に見えないものでも確かに存在しているのだと人々に訴えるかのように。
「……ナツ」
固い声で呼ばれ、顔を上げた。
暗闇の中に消えていく隊員達の背が見え、帰路につく彼等を後ろに、アーシュが俺を見ていた。
薄い桃色の瞳に後悔は浮かんでいない。
だがどこか晴れない表情で俺を見るアーシュは、正面に立つ俺の手を引っ張り上げ、自分の頬に引き寄せた。
そのぬくもりに彼が確かに生きていると実感して、なんだか泣きたくなった。
「大丈夫か」
「お前こそ」
執念の真我を倒し、甘えるように俺のてのひらに唇を寄せる彼に誘われるがまま、その頭を抱き寄せる。
憎んできた相手は今日仲間を食べ、そしてとうとう人のかたちになり、言葉を発した。
その事がどれだけ彼を、傷つけただろう。
唇を噛み締めてアーシュを抱き寄せる。頭を下げて俺に縋るように肩に顔を埋めた彼が力強く俺の背に腕を回した。
柔らかな金髪を撫でながらこみ上げてくるのは愛おしさだ。
真我を殺せないと泣いた俺に、彼は一度だって責めなかった。あいつらから情報を聞き出し、指のない真我を探せと頼める時間はいくらでもあった。
それでもアーシュが何も望まなかったのは、ひとえに俺を想っての事だろう。
優しい男だ。俺には勿体ないくらいに。
離れたくないな、と思う。
残酷で苦痛だらけの不思議なこの世界でも。
手放したくないなと思う。
ここが俺の居場所じゃなくても。
のろのろと顔を上げるアーシュに口許を緩めて頷く。
じっと見つめてくる彼の顔が一瞬だけ近付き、その唇が俺の口許をかすめて去っていった。
ゆっくりと前を向き、背を並べ歩く。
暗闇の中のこの地を、忘れはしないだろう。
さびれた煉瓦の建物、砂利だらけの道、光の少ない夜の町。
唸るあの黒い生物と、血にまみれて消える人々の思い。
眩しいくらいの金色の髪を揺らし、真っ直ぐに未来を見据える桃紫色の瞳。
濃紺色の隊服と、細く尖った剣。
統率のとれた男達の苦悩と責任、生への力強さ。
「……ナツ、どうした」
俺は一体、どうやってこの世界に来たのだろう。
「……泣いているのか」
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