黒祓いがそれを知るまで

星井

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生きたい身体

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 目的の男を見つけたのは、南地区の貧困地域に入った時だった。ボロボロの木材で建てられた小屋が立ち並び、皺を伸ばされてもいない洗濯物が低い屋根の上に投げ出されて縄で括られて干されている。
 隊服姿の俺に気付いた住民たちは一瞬こちらを見たが、すぐに男たちはカードゲームへ興じて顔を逸らし、女達は面倒そうな表情を浮かべて屋内に入っていった。
 既に何人かの隊員が来たのかもしれない。
 奥へ行くにつれ、子どもたちが俺を指差して何やら囃し立てている。無邪気なその行動を咎めるつもりもなく、ただ一瞥して通り過ぎた。
 鼻につく得体の知れぬ生臭さは、ここの生活の悪さ故なのだろうか。
 嗅いだことのある匂いだ、と思ったと同時に、そいつは立っていた。

「……驚いたな。ここから川の向こうが見えるのか」

 中央地区から入れば平坦な地だと思っていたが、貧困地区の奥に入ればそれが間違いだったと知る。
 元々は山だったのだろう。手前にある川はこの貧困地区を囲むように緩やかなカーブを描きその中心に人々が住んでいたのだ。
 証拠に、ここから見える下の景色はどこまでも広がるような雄大さだった。
 男の隣に並んで、ただその景色に息を飲む。
 下を見れば絶えず聞こえる水流の音と、日の光に反射して水面が薄い緑の光となってきらめいている川だ。その向こうには生い茂った木々の渦がどこまでも続き、川の向こう側は未だに誰も入らぬ地なのだと想像出来た。
 この国は、故郷よりも遙かに小さい。
 その理由がこの隣の生物のせいだとしても。
 此処での頂点は彼でも人間でもない。
 きっとこの、自然なのだ。

「誰も僕を知らないんです」

 男が言った。
 その言葉にちらりと横を見て、相も変わらずの無表情に肩を竦め俺は頷く。

「ここの生まれだったのか?」
「……さあ、そうだった気がしたんですけど、違うのかもしれません。母に会いたかったのに、母は居ないし……、そもそも母だったのか妻だったのかよく思い出せない」
「そりゃ、お前はからそうなるんだろう」
「一人じゃない……。そうなんですか」

 いびつな人形のような表情をして男がこちらを見る。
 見開かれた瞳の色はよく見るこげ茶色で、一体誰がこの男を人間ではないと思うだろう。

「集めてたんだろ? 迫間となり影となり、真我に」
「ああ」

 するとひどくゆっくりと男が口許を緩めて目を細めた。
 その時初めて男は隣に立つ人間が俺であることに気付いたようだった。
 愉快そうに歪んだ表情に、気を引き締める。


「あなただったんですね」
「俺を知ってると?」
「知ってるも何も……」

「先程、お会いしたでしょう」
「……ああ」

 ごくり、と唾を飲み込んで答えれば男は満足気に頷き空を見上げた。
 森の上を浮かぶ夕と夜の境に貼りつく、無数の星を見ているようだった。

「真我は、なぜ生まれる」
「……ひとはなぜ、生まれると?」

 微笑んで言われ、口を閉ざす俺に男は自身の両手を見下ろして言った。

「でも、この感覚は久しぶりだ。生きている……僕は、生きているし誰もが僕を認識する」
「だがお前は、人間じゃない」

 その瞬間、男の存在がグっと濃くなったかのような感覚に陥り、初めてそれがこいつの殺気なのだと気付いた。覚えのあるその感覚は、暗い表情をして佇む迫間の者を前にした時と似ている。
 囁き声のような虫の鳴き声と、無数の星灯りが俺たちを見下ろしていた。
 血の通わないはずの生き物は、人とよく似た見た目で俺に言うのだ。

「この時を待っていたんだ。この時を……」
「会いたい人に会えたのか?」

 男は動かない。

「……お前のその指は数十年前に落とされたものだろう。ということはそれ以前からお前は多くの人を食っていたはずだ。……会いたかった人はまだ生きているのか? 覚えているのか? そもそもお前は、」
「黙れ!」

 突如激昂した男が驚く速さでグ、と俺の首を掴んで遮った。
 その手のひらが冷たく、無機物のような感触に俺は笑った。

「……ぐ……、やっぱり……人じゃねーじゃん」

 陶器のように冷たいその感触にどこか安堵して喉を締め付ける男の腕を掴む。ぎりぎりと込められた力は頸動脈を圧迫し、息苦しさに唇を開いた。
 すると突然、次には興味をなくしたように男の指が首から離れた。
 一気に肺に空気が入り込んだせいで膝を折り激しく咳き込むが、そいつは直前の殺気さえ消して空洞の瞳で遠くを見つめ、ふと俺に視線を戻した。
 いびつな行動だった。脈絡もなく、理屈もない。
 これは、生きているものじゃない。

「僕は一体、誰なんです?」
「……は」
「違う。誰でもいい。こうしてここにいられれば……なんだっていい」
「っ、本当に? 人間の真似事がしたいだけだったのか? お前の目指していたものはそうじゃなかったはずだ」
「ちがう、誰かに話を聞いてほしかった」

 それは痛いほどの、重い言葉。

「誰かにちゃんと伝えたかった。なのに誰も見てくれない。聞いてくれない。僕はただ、以前のように……っ」

 声を荒らげた男に俺は眉を下げて必死な彼の形相を見つめた。
 ぶれるように重なる顔面に、一瞬だけいくつもの顔が見えて、おびただしい数の魂を融合するのはやはり無理のある事なのだと悟る。
 見た目は完全に人間になりながら、男は自分が何者なのか、何がしたいのかどうすればいいのか分からないようだった。
 人になると言う事は数時間でどうこうできるものではない。
 その存在は誰かの目にとまっても、彼には中身のない生活が待ち受けているのだ。
 そう、まるで……、

 まるで、この世界に来たばかりの俺のように。

「あ、あれ」

 ざ、と砂利を踏む音がして俺は自分が無意識に後退っていた事を知った。
 自身の両手を見れば一瞬だけ真っ黒になったように映って、暗闇のせいだと思い直す。
 なのに、この違和感は何なのだろう。
 目の前に佇む男を見る。
 動揺しているように後退る俺を彼は何も言わず無表情でじっと見つめている。
 一瞬叫び出したくなって、グ、と拳を握り締めた。
 なのに問わずにはいられない。
 聞きたくないのに、唇は勝手に開いて言葉を紡ぐ。

「……俺だけ何故、お前らの声が聞こえたんだ?」
「同じ、だから」
「同じ……?」

「気付いてなかったんですね」

 空洞の目で、
 俺を。

「俺を食わなかったのはなんで……?」

「同じ、真我だから」


 ───真我だから。


 ああ。
 黒ずんでいく手足に震えが走って首を振る。
 いや、これは夜だからだ。街灯のないこの地で日が沈んで黒くなったように見えるだけだ。
 しっかりしろ。
 この男の言う事など、信じなくていい。

「それで、僕たちから逃げ回っていたんですね。本当はのに、思い出したくなくて」
「まさか……そんなわけ、」
「真我は情報を共有する。……あなたと話せたのがなによりの証拠だ」
「でも、俺は……迫間の者の声が聞こえなくなった」
「はは。あなたならよく知っているでしょうに」

 呆れたように眉を下げて男が首を傾げる。

「霊は、生者に助けを求める」

 生者に。

 言われて血の気が引いていく。
 走馬灯のように駆け巡る記憶に、呼吸が止まる。
 眠れないと相談しに来る名も知らぬ隊員達、信じてもいないのに仕方なく来た上司、ハイクに憑いていた動物霊。
 俺が相手にした迫間の者は、すべてあの事務室に助けを求めてきていた人間に憑いていた。
 困っていると駆け込んできたあの金髪の美しい青年を思い出し、愕然とする。

「でも、その後は俺に憑いたし……それに、会話が出来た霊だっていた……!」
「もう、よしてください。あなたも僕も同じなんです」

 真我が人のかたちになれると知る今、核心に触れたような気がして取り乱し声を震わせる俺を、男がただ無表情で見る。
 その表情にすら心が乱され、発狂したくなる感情を抑えるように唾を飲み込んだ。

 俺が真我で……、しかもこの男と同じだとして、じゃあどうなる?
 アーシュは、エンリィは、陛下は、騎士団は……俺を……。

「ナツ!」

 暗闇を引き裂くような鋭い声がして、びくりと肩を震わせた。
 駆け寄る足音が複数聞こえ、星灯りの下、肩で息をするアーシュが男を今にも殺しそうな視線で見つめていた。

「……アーシュ」

 真っ黒だった手足が、濃紺色の隊服から覗くただの身体の一部となり、安堵で息が漏れる。
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