黒祓いがそれを知るまで

星井

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生きたい身体

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 こうしている間にも何処かで、新たな真我が生まれている。人間が苦しみ絶望した生を終える度、魂の欠片はそこに取り残される。
 たとえ本人は上へ昇れていたとしても。
 意図せずにその思いは不思議な現象となり、この世界に現れるのだ。

「……あれ」

 日が陰り始めた道端で、ふと足を止める。
 そうして自身の両手を眺めて嘆息した時だった。

「ナツヤ!」

 遠くから濃紺色の隊服を着て走り寄る青年に顔を上げた。

「……エンリィ」


「無事でよかった……っ」

 ぎゅう、と抱き締められ一瞬息を飲んだ。
 大分人通りも多くなったこの場で、躊躇いもせず俺を抱き締めるエンリィの表情が鬼気迫る勢いで、抵抗も出来ずに受け入れてしまった。

「なんだよ、無事に決まってんだろ」
「……隊員が食われたと話を聞いて、気が気でなかった」

 肩先に顔を埋めたエンリィがそう言ってもう一度俺の身体を締め付ける。その腕に抱かれながら、俺は片手をエンリィの腕にかけてなんだか泣きたくなった。

「食われたのは俺じゃない」

 俺は、食われない。
 知っているだろ?

 笑う俺の言葉に彼は身体を離して複雑そうな表情で見下ろす。

「だが絶対だとは限らないはずだ」

 その言葉に曖昧に頷いてエンリィの視線から逃れるように俯いた。
 それでも仲間を失った事には変わりない。互いに晴れない顔で、前を向いて歩き始める。
 この年下の男は、なぜこうも俺の心を突き刺してくるのだろう。
 人目も気にせず俺を抱き締める腕も思いも、真っ直ぐでひたすらで、眩しい。

「……エンリィ」
「なんだ」

 話したい事がある。
 言わなければいけない事がある。

「エンリィ」
「……どうした」

 中央地区に入り通行人の人々に目をやり、血だらけの男がいないのを確認して、アーシュの行方を気に掛けながら言い淀む俺に、エンリィが異変を感じたのだろう。
 そっと指を握られ、初めて自分の手が震えていることに気付いた。

「……イーリス殿下を襲った真我が……、人のかたちになった」
「は……?」

 その反応は正に無垢で、短く息を吐いた俺の様子にエンリィはすぐにぎゅっと指を握る力を込める。
 俺を気遣うように見つめる彼は、自身の感情などどうでもいいようにも思えた。
 こんなにも年下の男に気を遣わせてしまっている。
 そんな自分がどこまでも情けなくて、悔しい。

「……真我が人のかたちに?」
「ああ」

 繋がれた指をそっと離して止まっていた足を進める。
 睨み付けるように前を向いて歩く俺に、エンリィも何か感じるところがあったのだろう。しばらく何かを訊きたそうな表情を浮かべて俺を窺っていたが、そのうち同じ様に前を向いて歩く。

 いつかの大火事のあった場所を通り過ぎる。視界に入る花束の数に怯みそうになって、それでも活気を取り戻しつつある商店街に、立ち止まり時を無駄にする生き物などいないのだと気付いた。

 たぶんそれは、俺だけだ。

「……ナツヤ」
「……」

 こんな時なのに思い出すのは過去の事ばかりだ。

 幼い頃から見ていた人ならざる者たち、囁き声、前触れもなく襲う金縛りと悪夢。
 ──しゃんとせえ。
 泣く俺を励ます祖母は、それでも同じように一緒になって泣いてくれる唯一の理解者だった。
 ──ばあちゃんも怖いよ。だけども、怖がっているのは向こうも同じ。なっちゃん、安心しな。あの人らはもうほとんどが救われている。
 悪霊だとか、地縛霊だとか、そういうものじゃない。
 ただ、気掛かりな事があるとその一部分の魂だけが時折取り残される。
 だから心配せんでいい。なっちゃんが悲しくなったり可哀想だと感じたりしてる人たちは、本当はもう新しい生を歩んでいるから。
 取り残された魂すべてを真剣に見ようとせんでも、いいんだよ。


「私は姉上を知らない」

 頭上から降ってきた声は、柔らかい。エンリィはそう言って考え込んでいた俺を見下ろし吐息をついた。

「だから、父上や兄上が追い続ける真我を憎まなければならないと、許してはならないのだと、考えるまでもなく当然の事として認識していた」
「……」
「私が産まれた頃には姉上は最初からいなかったし、知らされたのも大分後になってからだ。……父上と兄上が長く傷付いていたから、他の兄弟間でも姉上の話題は出なかった」

 買い物を楽しむ女たちが声を上げて笑っている。
 その横を子どもたちが駆けて行って、遠くに行くなと親が声を張り上げていた。
 真我に恐怖するこの国の日常は、驚くほどに明るい。暗く沈んだ顔をして生きているのかと思いきや、決して彼等は俯いて日常を過ごしてはいない。
 最初の頃はそのギャップに驚愕しては感心していた。
 今だって、隊服を着ている男達があちこちで見かけるのに、住民は真我がいないと分かるとあっさりと外出する。それだけ警戒する隊員達の指示を信じているのもあるだろうが、そもそも根本的な強さが人々に備わっているのだ。

 そんな中をエンリィと俺はただ前を向いて佇んでいた。小指を絡める王子は無意識なのかしきりに力を込めては放しを繰り返している。

「……本当は、真我をどう思えばいいのか分からない。兄上……アンシュル以外の兄上は、討伐隊を望まなかったし、私は父上に覚悟がないのならするなと一蹴されて第四についた。姉は強くて美しい女性だったと聞いたが、私にはそれだけしか知らない……まるで他人のような人だ」
「……そうだな」
「姉上を殺した真我が殺されるのなら、それは多くの人の想いを救えるだろう。そういった意味では倒されるべき存在だとそう思う」
「うん」

 エンリィは俺に気を遣っているのだろうか。
 真我を殺せないと言った過去の俺を、声を聞くと言った俺を……目前にして嘔吐した俺を。

「……人のかたちなった真我は、一体何が目的でそうなった?」
「……違う。そもそも人になるつもりで真我になったんだ」

 口許を緩めてそう言えば、エンリィが一瞬息を飲んで、そうして俺の正面に立つ。

「好きだ」
「……なんだよ突然」
「ナツヤ、好き」

 心配そうに桃色の濃い桃紫色をした瞳が俺を見つめて照れたように笑う。
 その顔を見て、やめろと腕を前に振る。こんな道端で馬鹿じゃねえの、と言えば、彼はまた満足気に声を上げて笑った。

「思いつめた顔をしてるから」
「……悪かったな」

 やはり不安だったのだろう。
 笑った俺に安心したような顔をするエンリィに、そう言えば勤務中じゃないのかと問えば、あ、と眉を上げるものだから今度は俺が声を上げて笑う番だった。

「隊長にバレたら……、いやでも隊長がこの前サボってた事言えばなんとかなるか」
「なんなんだよお前の隊は」

 ハイク率いる第四部隊の仲睦まじさに肩を揺らせ、いいから任務に戻れと手の甲を向ければエンリィは口許を緩めたまま頷いて踵を返した。

「ああそうだ、体はもう大丈夫なのか?」
「……いやまだぜーんぜん駄目だからね、夜は真っ直ぐ帰るんだぞ!」

 思わず真顔で返した俺に、こちらを振り向いたエンリィがニヤリと笑って意味深に手を振るのに物凄く不安になりながら、俺もまた歩き出した。



 路地裏、娼館のゴミ置き場、賭博屋の裏庭、人が寄り付かなさそうな場を敢えて探すが、どこにでもいそうなあの男の姿もなければ、アーシュの姿もない。
 あの男が血の付いたシャツを着替えてしまったら、まず一目だけでは分からなくなる。念のため道行く人々の右指を確認し、それでも見つかりそうもない空気に溜め息を吐いて顔を上げた。
 真我は、最後の人間を糧にして変化を遂げたはずだ。二足歩行が出来て人々が恐れない自身の身体を、今頃どう思っているのだろう。
 現実味のない表情をして佇んでいたあの男は、喜びでも怒りもない感情で俺を見ていた。
 彼は会いたかった人間を見つけたのだろうか。
 それとも、やり残してきた何かを達成させているのか。

「……っ」
 
 薄暗くなった町を走る。体力の続く限り、前を向いて。



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