黒祓いがそれを知るまで

星井

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真我

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 真我は俺の横を通り抜けて、真っ直ぐにアーシュへと向かっていた。その横腹を俺が咄嗟に出した剣がたまたま腹を割いたのだ。
 あいつは、俺を殺そうとはしていなかった。むしろ、意思疎通ができる事に驚いていたようだったし、俺を襲うつもりはないようだった。
 それどころかまるで仲間だと認識したように、俺の背後に標的を定めて一直線に走ってきた。
 最期に、何故……と言わんばかりに振り向いた、眼球のない真っ暗な頭部が俺を責めるように見た気がした。
 ──みんな、そうだ。
 真我のあの言葉を思い出し、逃げ出したくなる衝動に駆られる。

「……ナツ」

 穏やかな声がして、そこに初めてアーシュがいる事に気付く。
 息が苦しい。呼吸がうまくできない。

「落ち着け。ゆっくり、息を吐け……」
「はっ……はっ……はっ」
「そうだ、ゆっくり、吸って……吐いて……」

 言いながらアーシュが俺の耳に左指を差し込んで、そうしてそのまま抱き寄せてきた。
 何も心配することはない、とでも言うように、ゆっくりと側頭部を撫でられ、右腕で身体を抱きしめられる。
 その温もりに、俺はようやく息が出来るような気がして身体を預けた。
 俺より背の高いアーシュの肩下からのろのろと腕を回しその体温に包まれる。
 いつの間にか第二部隊の姿もなく、空き地はアーシュと俺の二人きりだった。隊服にしみ込んだ嗅ぎ慣れたアーシュの香りに、心が落ち着いてくる。

「……あの声は嫌なんだ、あんな、叫び声は聞きたくない……」
「ああ。わかってる」
「……俺を襲わないんだあいつらは俺を……」
「そうだな」

 髪の毛を擽られるように撫でられて、一切否定しないアーシュを見上げて俺はただ混乱のまま言葉を繋げた。
 アーシュは俺を決して否定しない。
 疑わない。
 ずっとずっと、そういう存在だった。

「お前の能力は、きっとこの国に来る為に必要だった」

 霊が見えると言った俺を、此処ではない他の世界で住んでいた俺を、アーシュはいつでも真面目な顔で受け入れてきた。
 どんなに俺が取り乱し拒絶しても、こうして抱き寄せる腕を振り払えないのを知っていて、彼は何度でも肯定するんだ。


「……駐屯地の裏庭に真我がいるんだ……。どうしようアーシュ……」
「何とかする。お前はこのまま帰れ」
「……アーシュ……悪いな……ありがとう……」

 きっとアーシュは、俺が馬鹿で弱くて、途方もなく愚かな事を愛している。
 そしてそんな俺を愛してくれるアーシュを、俺も愛しているのだ。



 駐屯地に着く頃には俺も大分落ち着き、裏庭の真我をどうしようか悩んでいた。アーシュは二つ返事で了承したが、その意味はあの真我の退治だ。
 その場を見たくはない。だが俺がアーシュに吐露した理由は、あれをあのままには出来ないとどこかで理解していたからだ。
 外に逃がしても真我は誰かが見つけ、必ず始末される。生き延びる時間が増えたとしてもそれは確定されている。
 あの怯えた真我は最近では俺の姿を見て寄ってくるようになったほどだ。
 寂しい、が口癖のあいつはカタコトの言葉で俺に何かを伝えようと必死だった。
 真我は孤独なのだ。まるで、この世界にたったひとり、無責任に放り出された俺のように。


「……アーシュ、やっぱり俺が何とかするわ」
「何とかって……ナツには無理だろう?」

 裏庭へと続く道で俺は立ち止まりアーシュを引き留めた。
 眉を寄せたアーシュが俺をじっと見下ろしてくる。

「……あいつは、小さいし……せいぜい食えるのは小動物くらいだ。俺が誰もいない山とかに連れて行って……逃がしてくる」
「……確かに真我は成長しないと言われてるが……」

 アーシュは戸惑ったように言い、その声音と雰囲気から納得は出来ていないのが分かる。だが俺にはあの小さな真我をアーシュに退治させるのも嫌だし、襲わない相手を始末するその理不尽さに疑問を抱いていた。

「……俺を襲わないんだ。なら、殺す理由がない……」
「……分かった」

 俯いて呟いた俺にアーシュが深く溜め息をついて言う。呆れているのは分かっている。でも、これは俺の問題であって誰かの問題じゃない。
 少なくとも、俺はそう思っていた。

「じ、じゃあ……アーシュは先に戻ってていいから」

 そう言って裏庭に歩を進める俺に、アーシュはただ佇んでいる。去らない気配に思わず振り返ると、アーシュの後方から大きな体躯が近寄ってくるのが見えて、目を見開いた。

「なんだぁ、アンシュルか。こないだの真我討伐はうまくいったか」
「……陛下。お久しぶりです」

 肩先まで伸ばした金髪に、無精ひげだらけの顔。端麗な目鼻立ちは隣の息子に血を分けていることが良くわかる。アーシュが、珍しく固い口調で返答するのに俺はなんだか嫌な予感に後退った。
 それに気付いた男が俺を見て口を開く。

「……ん? ああ、こいつか? アンシュルの男ってのは」

 ラシュヌ陛下はそう言って、快活に笑った。
 そして言うのだ。

「息子が男とデキてるって言うから、どれほどの美人かと思えば……なんだアンシュル。こんなその辺にいそうな男がいいのか?」

 そう言って腕組みをしながら笑うラシュヌ陛下に、アーシュは不快な表情を隠しもせず言った。

「ええ。私にはナツが必要で、ナツの代わりなど何処にもいない」
「……!」

 息を呑んだのは俺だ。
 けれど息子の厳しい口調にラシュヌ陛下は面白そうに目を細めて微笑んだだけで、気にした様子もなく続ける。

「俺は子作りさえすれば何も言わないさ。嫁の顔を見たのか? 式の準備もあるだろう」

 ぎり、と唇を噛み締めたアーシュに、俺は咄嗟に目を逸らす。
 アーシュの結婚が決まったのは確かに最近だ。それきりその話題は俺たちの中で出る事はなかったのでアーシュがいつどこで誰と結婚するなんて考えなかったし考えたくもないままだった。
 愛人関係でいることを拒みもしなかったし、それが俺の答えなのだ。
 そしてあるはずのわだかまりに気付かないふりをし、飲み込んできた。

「……俺、これで……」

 この場からいたくなくて、そのまま裏庭に行こうとした俺に、ラシュヌ陛下が眉を上げて問う。

「向こうは裏庭なはずだ。そんなところに何の用だ?」
「……いや、……あの」

 その観察力に驚愕し、咄嗟の言い訳も言えずにいた俺にアーシュが口を開く。

「陛下、用がない貴方こそ戻られた方がいいのではないですか。護衛もおらぬようですし、隊員達が探しているはずです」

 だがアーシュのその言葉にラシュヌ陛下は確信したように頷いて、それに俺はゾっと背筋を震わせた。
 この人は、駄目だ。
 圧倒的なその存在感と威圧的な空気もそうだが、この人は何もかもを知っている。理解している。
 きっと、誤魔化せない。

「随分、こいつの事になると饒舌になるんだなアンシュル? なあに、裏庭を覗いたらすぐ戻る」
「……っ」

 案の定、陛下はニヤニヤと笑いながら自身の息子に言い、俺の元へ近寄る。ゆっくりと歩を進めるその姿は身分格差のないこの世界でも、王族らしいオーラを纏っていた。
 アーシュがこうして饒舌になるのに俺も驚いていた。陛下と直接会うのはこれが初めてではないが、あの時は俺もアーシュもただの友人だったし陛下も俺を一瞥しただけで声をかけられる事もなかった。
 アーシュは、俺との仲を陛下に告白したのだろう。恐らくその理由は明白で、それを退けられた陛下の理由も明白だった。

「ま、待ってください……」

 だが今は真我の事が先だ。颯爽と俺の横を通り抜け裏庭に行く陛下の後を俺は慌てて追いかける。迷いのない歩みは、既に何が隠されているのか知っているような足取りだった。

「……ほう」

 ガサガサ、と素早い動きをした黒い影を陛下はすぐに見つけたようだった。草むらに隠れるその背中は真っ黒い見た目をしているせいでうまく隠れられない。
 震える小さな背が、針のような毛を逆立てているのがすぐにわかった。だがその小さな変化までわかる人間はいないだろう。

「こんなものを隠して何をしていた」

 陛下は迷わず追いかけてきた俺に向けて問う。言葉を詰まらせた俺に口許を緩めながらもその瞳は笑っていない。探るように俺を見つめ、固まっている俺に吐き捨てるような仕草で背のマントを払った。
 腰鞘から出したのは剣ではない。その隣の短いナイフだ。
 一瞬で状況を察した俺は、慌てて陛下の目前に立った。無意識での行動だった。

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