黒祓いがそれを知るまで

星井

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真我

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 休日に駐屯地を出て買い出しに繰り出したり、飲みに行ったりして町をふらふらすることは嫌いじゃない。
 気掛かりな事を抜かせば毎日だって繰り出してもいいんだが、いかんせん見たくないものの姿を見たり、何かヤバいものを目撃したりするのに少しだけトラウマを抱えている。

「あー……」

 口を開け誰もいない路地をただひたすら歩く。
 ここ最近、余計な仕事が増えたせいでなんだか非常に疲れていた。その原因の張本人はアーシュが俺の部屋にいたあの日を境に、ぱったりと姿を現さない。
 それもそうだろう。俺の部屋に自分の兄が慣れた様子でいただなんて、色々悪い方向に考えるに違いない。俺にはゲイでビッチの通り名がある。つまり、エンリィは兄の同性愛疑惑に苦しんで、俺を避けているのだ。

「いっそここが男だけの世界だったら天国だったのになぁ」

 誰もいないのを良いことに物凄い小声で呟き、ふぁ、と欠伸をする。
 買い出しも終わったし帰るか、と夕暮れ時の道をトボトボと歩く。
 この国の町の中心部はそれなりに栄えているが元の国のような輝くネオン街に巨大な乗り物が休まず走ったりするわけではない。
 娯楽と言えばパブや食堂でみんなで飲んで踊ったりしてバカ騒ぎしたり、入り組んだ路地裏の方は賭博屋や売春宿があったりするだけだ。
 ほんの少し時代がゆっくりで、でもかつてはあったはずの生活。人が住めばどこも似たような歴史を歩むのだろうか。
 ここでの生活も既に十年以上経っている。
 若くて、今よりもっと希望に溢れていて、ひねくれながらも全てを楽しんでいた俺も、もう三十四だ。今更生活を変える気もなかったし、変わるはずもないと思っていた。
 
 人通りの少ない住宅地を何ともなしに歩いていると、通り過ぎた家と家の隙間に何かがいたような気がして、足を止めた。

「……いやぁ……見ない方がいいか」

 いやでもただの動物だったらアレだし……と少しもじもじして、気になり始めた俺は仕方なく通り過ぎた場所へ後ろを向いたまま、引き返す。
 袋小路のそこは住宅の廃棄物を出す場だったのだろう。
 鼻につく異臭がして思わず眉を顰めると、暗く影になった奥で、小さなそいつがブルブルと震えているのが見えた。
 真っ黒な体に、四つの手足。
 期待していた子猫ではない。捨てられた子犬でもないその正体に頬を引き攣らせて後退る。

「……やっぱり無視すればよかった」

 それは小型の真我だった。小さな身体はとてもじゃないが何かを襲うようには見えない。
 事実、極端に小さな真我は無防備だ。それこそ悪戯に犬猫に噛まれ遊ばれて死ぬこともあるし、見つけた人間が足で踏み潰したりと早急に始末される。
 その姿が大きければ大きいほど簡単に人を食らう生物である以上、それは仕方ないことで、珍しくもなんともないのだ。
 故に、俺のようにこんなチビでも逃げようとする奴は稀だろう。

「……寒ィ……暗イ……サビシイ……」
「……っ」

 この声さえ聞こえなければ、俺だっていくらでも……。
 じっとその小さく黒いものを見て考えたが、すぐに首を振ってその場から離れた。
 嫌な汗が背中を伝い、鼓動が早まる。踵を返し袋小路を抜け、走り出そうとした時、大きな影がぬ、と出てきて勢い余ってぶつかってしまう。

「すみませ……っ」
「そんなに焦って何処へ行く?」

 ぐい、と手首を掴まれ顔を上げ、俺は目を見開いた。
 濃紺色の制服を纏い足首まで届く深紅のマントを背負うその人物は、この国の人間なら誰でも知っている。
 少し白が混じった金色の髪に落ち着いた目元。瞳は桃紫色で皺のついた口元はそれでも男が端正なことを隠しはしない。
 見上げるほど背が高く、年齢を感じさせぬ逞しい体躯。化け物を好んで退治したがり、護衛泣かせだと評判な男は、俺を見てニヤリと笑った。

「……これはラシュヌ陛下。ど、どうもこんにちは」

 掴まれた手首を振りほどき、ハハと渇いた笑いを上げてさっさとその場を離れようと陛下の横を通り抜けようとする。
 だが再度腕をがし、と掴まれやっぱり無理か、という絶望が襲った。
 陛下の背後には無表情の濃紺色の制服を着た男達が佇む。どいつも陛下並に背が高く逞しい。
 第一部隊の連中だ。エリートの中のエリートで真我退治もお手の物。大抵は第二で経験を積み、その中でも特別に優秀の者が第一に行く。
 そんな猛者たちを随えるラシュヌ陛下は、騎士団をこよなく愛するある意味変態だ。
 戦う事と女が大好きと自ら豪語する彼は、何もかもが豪快で、そして血生臭い。
 俺は、この人が途轍もなく苦手だった。

「……ほう? 面白いのがいるじゃないか。相変わらず鋭いだな」
「……いえいえそれほどでも。それじゃ俺急いでいるんで……」
「まあ待て。そう急ぐこともあるまい。ナツヤ、まさかあんなチビ助を殺せないなどと言うまいな? あんなもの、子どもでも仕留めるぞ」
「……はは、そうですか」

 だらだらと汗を流しながら、頬を引き攣らせて目を逸らした。
 この人の強引さは、満腹の肉食動物が食べもしないのに獲物を狩り、いたずらに弄ぶのと似ている。
 要するに悪趣味なのだ。

「……寒イ……助ケテ……怖イヨ……」
「っ」

 遠くで少し高い小さな声が聞こえてきて、俺はびく、と肩を震わせた。
 そして咄嗟にラシュヌ陛下を見上げ、すぐに後悔する。
 面白そうに口許を緩めた男が口を開く。

「……聞こえるのか? チビ助は何と言ってる?」
「っ……さあ、よくわかりません」
「はは、まあいい。それじゃあナツヤ、これで仕留めてこい」

 グイ、と腹に拳を押し付けられ、俺は恐る恐るそれを見下ろした。
 大きな拳から除く銀色の刃。
 ぱ、と手を開き無理矢理押し付けてくるそれを落とさぬために仕方なく握りしめる。
 ナイフは柄も銀で出来ているのか、やたらと重い。
 見上げれば陛下が満面の笑みで首を傾げた。震えながらナイフを握りしめた俺に、行って来いと背中を押してくる。
 その勢いに一歩だけ足を踏み出して、俺は固まる。
 小さな黒い物体が怯えたように身体を引っ込めるのが見えた。こちらがその存在に気付いているように、向こうにも俺たちの存在がしっかりと認識されてる。
 あれは生きてるのだ。意志もあるし、常に己の死に敏感で、いつも警戒し怯えている。

「……はっ……はっ」

 なのに呼吸を荒げているのは俺だ。
 吐き気を催すくらい、ぐるぐると目の前が回っている。びく、と隠れようとしている小さな真我がか細い声で言うのだ。

「……怖イ……来ルナ……寂シイ……」

 握りしめたナイフがガタガタと震えている。
 何を迷う。こいつらは人を食らい、多くの命が犠牲になっている。イーニアスのように真我に殺されたがため、迫間になる者だっている。
 殺せ。
 殺さなきゃ、お前の大事な人間が食われるんだ。

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