黒祓いがそれを知るまで

星井

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恋しい男

09

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 口から出た己の言葉に呆然としていると、俺の身体はくるりと方向転換をして部屋を出ていく。
 イーニアスが俺の身体を動かしているのだ。その感覚は自分であって自分じゃない、何とも言えぬ感覚だった。

「ナツヤ、待て!」
「エンリィ……悪い、暫く俺は俺じゃなくなる」

 自分の意志も話せるし、やろうと思えば自分で身体を動かせるだろう。そんな感覚を確かめながらも、俺はひとまずイーニアスに従うことにした。こいつがいつまでも此処にいるのには理由があり、その理由を取り除かない限り魂は完全にならない。
 そんなのはもう御免だ。

 イーニアスの足取りは確かで、目的地を知っているようだった。スタスタ歩く自分の身体を隣で見下ろしているような感覚だ。後ろから心配げなエンリィが追いかけてくるが何も質問してこない辺り、この行動の理由を既に把握したのだろう。
 迷いなく進む足は見慣れた部屋を通り過ぎた。目的地は直ぐに分かる。
 先程出たばかりの自室だった。
 イーニアスはその気配を感じていたのだろうか。どこまでもホラーな男は、俺の部屋のドアを開け一目散に駆け寄る。

「隊長……!」

 輝くような金髪。白い肌に紫と桃の瞳。
 隊服のボタンを寛げ、ベッドの上に座っていたのはアーシュだった。

「……」

 顔色も変えずアーシュは俺を無言で見上げた。

「兄上が何故……」

 背後の呟きに思わず心中で天を仰ぐ。
 どうせこうなるならエンリィの部屋に行くんじゃなかった……!

「無事で良かったです……! ずっと、ずっと気掛かりで……!」

 そう言ってイーニアスがアーシュの足元に泣き崩れる。
 放つ声は確かに俺の声なのに、まるで違う人間が言っているようだ。その違和にアーシュも気付いたのだろう。
 足元に崩れる俺を彼はじっと見つめ、そうしてふわりと微笑んだ。

「お前が私を庇ったから、無傷で済んだ」

 アーシュはその言動から相手が誰だかわかったのだろうか。
 そうとしか思えない発言を躊躇わずに言った彼に、俺は驚愕しながらも見守る事にした。
 元々アーシュは俺に疑問を持つことはしない。それはこの世界に来てから彼と過ごす時間が圧倒的に多かったのもあるだろう。

「隊長、ずっと……ずっと、お慕いしておりました」

 グズグズと鼻を啜りながら、イーニアスがその美しい瞳を見ながら言った。息を飲んだのはエンリィだ。声が俺なのもあり、頭では理解していてもその違和感に抗っているのだろう。
 予想通りのその言葉に、俺はただ見守るだけだった。
 彼が強烈な思いを残して迫間になった理由は、アーシュへのひたむきな思慕だろう。若くして命を落としたことに疑問はなく、それよりも伝えられなかった様々な事を意図せずに零れ落としてきたことに、彼はずっと苦しんでいたのだ。

「……知っていた」

 アーシュが言う。そうして俺の頬を優しく包むように手のひらを押し当てる。
 期待させるその行動を残酷で非道だと思いながら、イーニアスはこれこそ彼なのだと思うのだ。
 いつだって、誰にだって彼は優しく平等だった。
 悲しいのは死んだことではない。憎いのは真我に負けた事ではない。
 ただ、会えなくなる事が寂しく、つらい。

「……貴方を傷つけるもの全部、取り除きたかったんです」

 第二部隊に入れた時の喜びをあなたは知らないだろう。つらく苦しい訓練もその姿を見るだけで消化されていったことも。
 傍にいられる選択肢は端からこれだけしかないのだと理解はしていた。
 花ような美しい瞳は、いつだって近くを見てはいない。あなたはいつもどこか遠くを見ていた。
 伝えなくても良かった。その背中を護るためならなんだってしたし、出来た。
 それだけで、生きていけた。

「だけど、まだ何もしていない」

 あの鋭い牙と長い爪の先があなただとわかった時、確かにこれは自分の番だと瞬時に分かったのだ。きっとこうする為に生きてきたのだと分かったのだ。
 激痛は一瞬だった。そうして初めて気付く。
 この身は不死身ではなかったのだと。あなたを護る事がずっと続いていくはずだとどこかで驕っていたのだと。愚かな自分にうんざりして、そして気が付けば此処にいた。

「……護られたよ。充分、お前に助けられた」
「隊長……っ、あなたをずっと護りたかった……、護りたかったんです……」

 こんなのはひどい。
 こんなのは……。

「いいんだ。お前は充分生ききった。だからもう、悔やまなくていい」
「……っアンシュル」

 その名を呼んだのは、イーニアスだったのか俺だったのか。

 生ききった。
 生きると言う事は死ぬと言う事だ。
 いずれ終わりは来る。誰しもに。
 だからどんな場面でも人は今を生きるのに、全力だ。

 口角を上げたままだったアーシュが、目の前のその唇を優しく食んで、イーニアスが目を見開いた。
 ついでに俺と後ろにいたエンリィも同じ顔をして固まる。

「おれっ……」

 舌足らずな発音で媚びるような声を上げて、イーニアスは悦びに震える。
 焦がれるほど愛した人からの、くちづけだった。
 それがどんな意味であるか、彼が憐れみを憶えて慰めたのかも分かっていた。
 けれど、イーニアスに迷いはなかったようだ。寧ろこの好都合に、乗っかった。

「おねがい……っ」

 ちょちょちょちょ!
 焦ったのは俺だ。咄嗟にエンリィを振り向いたが、ぐいっと首が直ぐに元に戻り更に慌てる。
 イーニアスめ、目先の獲物に夢中で俺の介入を無視しようと必死だ。
 だがこれは俺の身体だ。半分は自分の意志で動けない状態だが、もう半分は動かせる。

「エンリィ、とりあえず出ろ! ……隊長、好きです……好き……」
「はわわわ……」

 物凄く情けない声がしてバタン、と扉が閉まる音がした。
 バタバタバタと慌ただしい音を上げて足音が遠ざかっていく。この状況に耐えかねたエンリィが出て行ったのだろう。
 それもそうだ。自分の兄と知人が男同士で乳繰り合っている姿なんて普通なら見たくないはずだ。
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