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第6章 土岐家の名君
8.熊千代という名の少年【中編】
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熊千代という少年は、二人の稽古を飽きもせず真剣に見ていた。
それは、ただ漠然と眺めているというものではなく、同じく剣術の道を歩んでいる者の視線であるというのは十兵衛には直ぐに分かった。
釣り好きの者は、他者が釣りをしているのを眺めているだけで楽しく、時間を忘れるというが正にそれであった。
(あの子の、剣術への熱意は並みではない・・・)
十兵衛は、帰蝶の稽古をしながら、自分達の稽古を観察している少年の剣術の腕前を見てみたいという気持ちが自分の中で芽生えてくるのを感じていた。
四半刻(30分)が過ぎ、帰蝶との稽古が終わりを迎えようとした時である。
『明智殿、スミマセヌ、宜しければ、宜しければ私と一回で良いので、立ち合い稽古をして下さりませんか?』
声に反応して、十兵衛が振り返ると、稽古を座って見学していた筈の熊千代少年が、既に立ち上がり辛抱たまらない様子で、十兵衛を見ていたのである。
『熊千代殿、気持ちは分かるが、大事な幕府の使者である細川晴広様のご子息に、万が一ケガをさせては、私だけの問題ではなくなってしまいます、ご自重くださいませ・・・』
十兵衛も自分の本音を殺し、大人の判断をして、その場をおさめようと考えていた。
しかし、その言葉を聞いた熊千代少年の次の言葉が、その考えを変えさせたのであった。
『そうですか、私は十兵衛殿と立ち合い稽古をしても、ケガをする事は想像できないのですが・・・』
『明日、父が連歌の会があると言っておられましたし、十兵衛殿もその連歌の会に参加するのですか?』
『・・・参加する予定ですが・・・それが何か・・』
『そうですか・・・それであれば、私も十兵衛にケガを負わせるわけにはいきませんね』
『・・・・熊千代殿、どういう意味ですか?』
『分かりませんか?』
『立ち合いをして、ケガをするのは私の方だとでも』
『それ以外に、どのように聞きようがありますか?』
そう言った熊千代少年の顔には、先ほどまでの礼儀正しさは消え、不敵な自信が浮かびあがってきていた。
『十兵衛殿、失礼ながら、私の外観、年齢で私の実力を測るのであれば、それは狭き眼と申すしかございません』
(この少年、不敵だ、私の子供の時によく似ている)
十兵衛は、しばらく考えた後、自分の考えの過ちを素直に認め、熊千代少年に詫びた。
『熊千代殿、スマヌ、立ち合いをする前に、お主が子供であること、年齢だけで剣術の腕が自分の方が上だと自惚れがあった。』
『お詫びというわけではござらぬが、ひとつ私と立ち会って下さらんか?』
『・・・・』
面白いことに、今度驚いたのは熊千代少年であった。
『十兵衛殿、・・・貴方様は、本当に稀有な方ですね・・』
『私のような、自分より年下の者の言葉に、失礼な物言いを怒らず、謝ってくだされたのは貴方様が初めてでございます』
『・・・先に非礼をしたのは私だ。大人だろうが、子供だろうが謝るのは当然です』
『貴方様が、そのような方で、いえ貴方という方に会えて私は嬉しいです』
『それでは、一手お願い致します』
熊千代少年は、そういうと帰蝶の元まで走っていき、木刀を借り十兵衛の前に嬉々として向かいあったのであった。
『それでは、いざ勝負!!』
熊千代は、そう言うと剣を両手に持ち構えたのであった。
驚くべき事に、その熊千代の構えには一寸の隙も無かった。まるで熟練の剣術家と立ち会っているような錯覚に陥りそうになる十兵衛であった。
十兵衛が、思い切って打ち込もうと、姿勢を変えると、その動作に合わせて姿勢を変える。
熊千代の構えの変化をみて、十兵衛もまた姿勢を変える。
二人は、まったく打ち合わない。時間だけが過ぎていく。二人の間で、試合をみている帰蝶にはそう見えたのである。
帰蝶が不思議に思ったのは、止まっている二人の額には汗が滝の様に滴っている事であった。
二人の息遣いだけが、その場の音である。
(このふたり、いつまで打ち合わないのかしら、・・まさかこのままずっと終わらないなんて、事ないでしょう・・・いやだわ、私、もう早く帰りたいのに・・)
帰蝶がそんな事を考えた時である。
『キェーイ!』と、熊千代少年が、ものすごい声をあげ、素早い踏み込みで十兵衛に打ちかかった。
帰蝶の目には、その早すぎる熊千代の打ち込みが、彼の持っている木刀が3本に見えたという。
恐るべき速さの3連突きである。蛇が獲物を飲み込もうとするように、早く、鋭く、その執拗な突きが、十兵衛めがけて飛びかかる。
十兵衛は、無駄な動きをせず、しっかりと別々の角度から突き刺してくる熊千代の容赦ない突きを全て受ける。
武芸の達人である斎藤義龍と、3か月間ほぼ毎日血を吐くような修行をした十兵衛だからできた芸当である。
熊千代は、得意の三連突きをうけられ、ほんの一瞬動きが止まる、正に一瞬の隙、その隙を逃さず、十兵衛は熊千代の無防備になった頭へ、木刀を打ち込んだ。
熊千代はもちろん、見ている帰蝶も思わず、目を瞑った。
でぇーんと地面に木刀がぶつかる音が響き、勇気を出して開けた帰蝶の目が見たのは手刀で熊千代少年の頭を打ち込んでいる十兵衛の姿であった。
十兵衛は、飛び込んだ刹那、自分の握っていた木刀をワザとおとし、素手、手刀で熊千代少年の頭を打ち込んだのであった。
『・・・参りました。私・・私の完敗です。』
『十兵衛殿、貴方様を見くびっていたのは私でした、スミマセン』
『私は、幼き頃より、塚原卜伝様から剣を習っておりました。まさか負けるとは』
少年の声には、悔しさはなく、それとは逆に、少し嬉しそうであった。
『末恐ろしい子じゃ、神童というものを、私は初めて知った気がする、熊千代殿、おぬしの剣技、見事じゃった』
熊千代を褒める十兵衛の声もまた、嬉しいという気持ちの響きがあった。
『二人とも、そんなに感動してないで、・・・私、はやく帰りたいの!私だけ帰っていい?』
帰蝶の声だけには、苛立ちの響きがあったのである。
それは、ただ漠然と眺めているというものではなく、同じく剣術の道を歩んでいる者の視線であるというのは十兵衛には直ぐに分かった。
釣り好きの者は、他者が釣りをしているのを眺めているだけで楽しく、時間を忘れるというが正にそれであった。
(あの子の、剣術への熱意は並みではない・・・)
十兵衛は、帰蝶の稽古をしながら、自分達の稽古を観察している少年の剣術の腕前を見てみたいという気持ちが自分の中で芽生えてくるのを感じていた。
四半刻(30分)が過ぎ、帰蝶との稽古が終わりを迎えようとした時である。
『明智殿、スミマセヌ、宜しければ、宜しければ私と一回で良いので、立ち合い稽古をして下さりませんか?』
声に反応して、十兵衛が振り返ると、稽古を座って見学していた筈の熊千代少年が、既に立ち上がり辛抱たまらない様子で、十兵衛を見ていたのである。
『熊千代殿、気持ちは分かるが、大事な幕府の使者である細川晴広様のご子息に、万が一ケガをさせては、私だけの問題ではなくなってしまいます、ご自重くださいませ・・・』
十兵衛も自分の本音を殺し、大人の判断をして、その場をおさめようと考えていた。
しかし、その言葉を聞いた熊千代少年の次の言葉が、その考えを変えさせたのであった。
『そうですか、私は十兵衛殿と立ち合い稽古をしても、ケガをする事は想像できないのですが・・・』
『明日、父が連歌の会があると言っておられましたし、十兵衛殿もその連歌の会に参加するのですか?』
『・・・参加する予定ですが・・・それが何か・・』
『そうですか・・・それであれば、私も十兵衛にケガを負わせるわけにはいきませんね』
『・・・・熊千代殿、どういう意味ですか?』
『分かりませんか?』
『立ち合いをして、ケガをするのは私の方だとでも』
『それ以外に、どのように聞きようがありますか?』
そう言った熊千代少年の顔には、先ほどまでの礼儀正しさは消え、不敵な自信が浮かびあがってきていた。
『十兵衛殿、失礼ながら、私の外観、年齢で私の実力を測るのであれば、それは狭き眼と申すしかございません』
(この少年、不敵だ、私の子供の時によく似ている)
十兵衛は、しばらく考えた後、自分の考えの過ちを素直に認め、熊千代少年に詫びた。
『熊千代殿、スマヌ、立ち合いをする前に、お主が子供であること、年齢だけで剣術の腕が自分の方が上だと自惚れがあった。』
『お詫びというわけではござらぬが、ひとつ私と立ち会って下さらんか?』
『・・・・』
面白いことに、今度驚いたのは熊千代少年であった。
『十兵衛殿、・・・貴方様は、本当に稀有な方ですね・・』
『私のような、自分より年下の者の言葉に、失礼な物言いを怒らず、謝ってくだされたのは貴方様が初めてでございます』
『・・・先に非礼をしたのは私だ。大人だろうが、子供だろうが謝るのは当然です』
『貴方様が、そのような方で、いえ貴方という方に会えて私は嬉しいです』
『それでは、一手お願い致します』
熊千代少年は、そういうと帰蝶の元まで走っていき、木刀を借り十兵衛の前に嬉々として向かいあったのであった。
『それでは、いざ勝負!!』
熊千代は、そう言うと剣を両手に持ち構えたのであった。
驚くべき事に、その熊千代の構えには一寸の隙も無かった。まるで熟練の剣術家と立ち会っているような錯覚に陥りそうになる十兵衛であった。
十兵衛が、思い切って打ち込もうと、姿勢を変えると、その動作に合わせて姿勢を変える。
熊千代の構えの変化をみて、十兵衛もまた姿勢を変える。
二人は、まったく打ち合わない。時間だけが過ぎていく。二人の間で、試合をみている帰蝶にはそう見えたのである。
帰蝶が不思議に思ったのは、止まっている二人の額には汗が滝の様に滴っている事であった。
二人の息遣いだけが、その場の音である。
(このふたり、いつまで打ち合わないのかしら、・・まさかこのままずっと終わらないなんて、事ないでしょう・・・いやだわ、私、もう早く帰りたいのに・・)
帰蝶がそんな事を考えた時である。
『キェーイ!』と、熊千代少年が、ものすごい声をあげ、素早い踏み込みで十兵衛に打ちかかった。
帰蝶の目には、その早すぎる熊千代の打ち込みが、彼の持っている木刀が3本に見えたという。
恐るべき速さの3連突きである。蛇が獲物を飲み込もうとするように、早く、鋭く、その執拗な突きが、十兵衛めがけて飛びかかる。
十兵衛は、無駄な動きをせず、しっかりと別々の角度から突き刺してくる熊千代の容赦ない突きを全て受ける。
武芸の達人である斎藤義龍と、3か月間ほぼ毎日血を吐くような修行をした十兵衛だからできた芸当である。
熊千代は、得意の三連突きをうけられ、ほんの一瞬動きが止まる、正に一瞬の隙、その隙を逃さず、十兵衛は熊千代の無防備になった頭へ、木刀を打ち込んだ。
熊千代はもちろん、見ている帰蝶も思わず、目を瞑った。
でぇーんと地面に木刀がぶつかる音が響き、勇気を出して開けた帰蝶の目が見たのは手刀で熊千代少年の頭を打ち込んでいる十兵衛の姿であった。
十兵衛は、飛び込んだ刹那、自分の握っていた木刀をワザとおとし、素手、手刀で熊千代少年の頭を打ち込んだのであった。
『・・・参りました。私・・私の完敗です。』
『十兵衛殿、貴方様を見くびっていたのは私でした、スミマセン』
『私は、幼き頃より、塚原卜伝様から剣を習っておりました。まさか負けるとは』
少年の声には、悔しさはなく、それとは逆に、少し嬉しそうであった。
『末恐ろしい子じゃ、神童というものを、私は初めて知った気がする、熊千代殿、おぬしの剣技、見事じゃった』
熊千代を褒める十兵衛の声もまた、嬉しいという気持ちの響きがあった。
『二人とも、そんなに感動してないで、・・・私、はやく帰りたいの!私だけ帰っていい?』
帰蝶の声だけには、苛立ちの響きがあったのである。
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