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第十四話「虹のたもとには、君がいるのかもしれないね」
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「遅れて、ごめんなさい……!」
あかりは結局、約束の時間の語分遅れで美容室へ到着した。ホテル内が広すぎて、軽い迷子になっていたのだ。サロンで迎えてくれた家永は、別にいいと不機嫌でもない様子で頷く。
「とりあえず、店長に挨拶な」
こっち来い、と手招いて歩き出す。
サロン内も、とても高級感あふれる場所ではあったが、どこかリラックスも出来る空間でもあった。シャンプーなどの香りが鼻孔をくすぐり、なんだかそれだけで、ワンオクターブは背伸びしている気がする。白熱灯の明かりが、やけに優しい。客もちらほら居たが、家永曰くあかりは別室でカットやカラー、着替えにメイクをするそうだ。
「店長さんて、どんな方ですか?」
「すごくいい人だよ。怒るとホント怖いけど」
言葉を交わし、奥のカットルームへ通される。その間も他の美容師たちに、丁寧且つ笑顔で挨拶をされて まごまごしながらも、あかりは笑顔で挨拶をし返した。すると。
「あら。家永くんたら……見事な原石を連れて来たわね!」
カットルームの中には、60代くらいの。しかし若々しいヘアスタイルとファッションに身を包んだ女性が居た。しかし年齢と服装がアンバランスなわけでもなく、年相応の落ち着きが出ているのだから貫禄がある。あかりは惚けたが、直ぐに、はじめまして。と挨拶をする。
「初めまして。店長の伊達百合恵といいます」
「初めまして、染美川あかりと申します」
笑い皺が花びらのような、そんな優しげな女性だった。笑顔は、心がほぐれてホッと落ち着くようなものだ。
今日はよろしくお願い致します、とあかりがお辞儀をすると、ご丁寧にどうも。そう言って、やはり笑顔で頷く。
「従業員に訳は話しておいたし、シャンプー台のセットはしておいたから、存分に綺麗にしてさしあげなさい。家永くんの大切なお客様だからね」
じゃあ、と伊達は手をひらつかせて歩いて行った。あかりはおずおずと頭を下げると、家永はくしゃりと髪を撫でて荷物を預かる。
「コート、預かるから」
「はい」
「眼鏡も。視えるか?」
「はい、多少は大丈夫です」
ありがとうございます。あかりはコートを脱ぎ、眼鏡を外して家永に預けた。それから手渡された全身が覆い隠されるクロスを着て、シャンプー台のある席に着くと椅子をゆっくり倒され、顔に布をかけられる。家永はさっそく腕をまくった。
「綺麗にするからな。」
寄り添うような声色で言われると、布越しにあかりは顔をほころばせ、じわじわ赤くなる。家永にこの表情を見られたら、きっと笑われるに違いない。だから、布がかかっていて良かったと、心底思う。
「お願いします。」
髪を洗いはじめると、あかりは既に恍惚の表情。心地よいシャンプーの香りとお湯の温度、シャワーの強さで心地よさの頂きに登頂していた。目蓋を閉じ、ただひたすら家永の指や指の腹を頭皮に感じ、思わず幸せなため息がこぼれる。
「あとで、染めた後も髪洗うから」少し早めに終わらせるぞ。終わった後にトリートメントもする。そう言われ、あかりは「ありがとうございます」と、心が ほどけてゆくことを感じていた。
髪を拭いている間はホットタオルを首裏に当てられ、それが終わるとそっと椅子を起こされる。あかりはぼうっとしていたが、家永にカットをする席に案内され、腰かけた。
目の前の鏡の自分は、今までの自分より魅力ある自分になれるだろうか。そんな淡い期待を寄せて。
ドライヤーで髪を乾かすときは、少し髪型について話した。
「とりあえず染めて、結べる程度にもするから」
髪を染めて少し明るくして、ボリュームのある髪をすいて顔周りにレイヤー入れて。お前は割と小顔だから、それをもっと活かす・と、家永は真剣ながらも、愉しげに話してくれた。はい。あかりは幸せでいっぱいで、このみにくいアヒルのような自分が白鳥にまでいかずとも、それなりにはなると、いいと。心から思っていた。
やがて、カラー前のカット。背中から腰にかけてまでの髪を、ばっさりいくということで緊張もしたが、家永はあかりの背後に回ると、両肩に手を置いて鏡のなかで二人は見つめあう。
「これからお前に〝魔法〟をかける。
……スッゲー可愛くなるから、覚悟しとけ。」
無邪気に小さく笑う彼に、はい。といつも通りあかりは返事をして、笑顔で頷いた。
「おねがいします。家永さん」
「ああ」
動く丸椅子の席に着いて家永は髪の状態を見たあと、ばっさりと直ぐに髪を切った。おお、大胆です……。そんなことを思い、緊張をしている間もカットは続く。
「ビビっただろ。俺がこんな場所で働いてて」
カットをしながら言う家永に、そりゃあもう、とあかりは頭を動かさないように返事をした。「とても、びっくりしました……」
「すごいホテルの一角で営んでいる、美容室だったんですね」
「ああ。まぁ、店長がスゲーだけなんだけど。全国のあちこちの一流のカットマン呼び寄せて、厳選した店員でサロン開いてるってわけ」
「じゃあ、家永さんも一流さんですね」
「んー? まあな!」
はは、と笑う家永は活き活きしていた。水を得た魚のように髪を流れるような動作で、カットしてゆく。
ハサミのカシャカシャする音は、あまりに慣れているようで、一、二本のハサミで様々なテクニックを意図せず披露してゆくのだ。今まで見てきた美容師は、カットの仕方や凝る部分によってハサミを幾つも替えていたが、彼はどうやら違うらしい。
こんなすごい人に綺麗にしてもらえるんだ。もらえているんだ、と、あかりはなんだか誇らしくなって、幸せをかみしめるように微笑んでいた。
トップにレイヤーを入れ、毛先の質感を少し軽めにカットすることで明るいヘアスタイルを演出する。顔周りにも施しカットしたレイヤーで、家永の言う通り小顔効果もあるようだ。直ぐ近くで家永の顔が側にある前髪を切る時は緊張をしたが、厚めのバングで前髪を伸ばしっぱなしに流していたあかりは、少し若返ったようにも見える。
よし、とカットが終わるとあかりは鏡の中の自分がまるでの別人になり、驚きに驚く。こんなに、こんなに普通の女の子みたいになれるんだ。感動を憶え、これだけでもう充分であったが、家永はカラーをすると言って見本を見せてきた。「ベージュ系で」
「グレーがかってもいる。グレージュ、っていうんだ。この色」
「やさしい色ですね、なんかとても大人っぽいです」
「ああ。柔らかさを演出できるから……黒髪だと重い印象を与えるけど、こっちだとトーン明るくなって、顔全体も華やかになる。いいか?」
「はい。お任せします」
そればっかだなと家永は少し呆れていたが、あかりはクスクス微笑んで頷く。信じてますから。「家永さんの、努力と確かな腕を」だからお任せなんですよ、と言う。
「はあ。まぁいいか。そっちのほうがやりがいあるわ」
「ふふ」
笑いながら、顔の皮膚と髪の根元が薬品で荒れたり汚れないように、専用のクリームを塗ってゆく。それからカラー用の茶色いタオルを首に巻かれ、黒いクロスを着せられると、家永は丸椅子に座り丁寧に薬剤を塗った。ツン、とした香りが少し不思議な感じであるし、頭の地肌まできちんと染めるとなると地肌にぴりぴりした痛みもあるが、それがあるからこそ手を抜いたりしていないで本気で挑んでいてくれることを、肌に感じる。
会話はあったりなかったりだが、話すことといえば学校のこと。最近、いじめがまるで無いんですよ、と嬉しそうに言う。そりゃ深理が居るからな、なんて家永は小さく笑っていた。が、それもそうなんですけど、とあかりは目を伏せじんわり赤くなる。
「家永さんに、髪を朝、結んでセットしてもらいだしてから、です。…深理ちゃんが、びっくりすること言ってたんですよ。最近ジミ川が可愛いって、男の子たちが裏で騒いでるって言ってました。本当にびっくりですけど……嬉しいですね」
「まぁお前、そこまで容姿、言う程わるくねーし。わるかったとしても、努力してりゃ、魅せられるやつもおのずと出てくるもんだよ。あとは、暗い服装とか重ったるい雰囲気だけで判断されたんだろ。それに、お前自身だって変わった」
「え? ……そうですか?」
ああ、と家永は頷く。カラー剤を塗り終え、特殊なラップのようなものを髪に巻きつける。それから髪に薬品が染み込むよう、リング状の機械を回転させて髪を温めだすと、手が空いて少しの時間があるので2人は作業をせずに少し話した。
「変わったよ。良い意味でな」
「……自覚、ないですよ?」
「んーそうだな。でもまあ、一番に自覚できるのは。いじめた奴らに反抗できたことだろ」
「あ、確かに……。でも、それなら」
「? なんだよ」
家永さんのお優しい人柄のお陰ですよ。口元に指をやって、まるでくすぐったそうに、あかりは小さく笑った。
「頼ったり、頼ってくれる人が居るだけで……ヒトって、どこまでも変われるんだなって思います……本当に」
「俺、別にお前ばかりに、特別優しくしてるつもりねーけど」
「自然体なんですよ。そういうところが、人としてとても素敵だと思うんです」
だから、少なくともわたしが変わったのなら、それは家永さんのお陰です。そう言って視線を鏡にやり、後ろに居た家永と目を合わせて、笑いかける。
「わたし、最近はもう、毎日……生きることが楽しい。時々お母さんのことを考えて泣いてしまうこともあるけれど、そちらの感覚のほうが大きいんです。そういう日々を与えて下さったのは、家永さんです。ありがとうございます」
今更かもしれないけれど、とあかりは苦笑する。しかし、家永は惚けて赤くなるも、目を背けて。次第に、おもむろに手で口元を押さえた。目の前の少女の気持ちを改めて知って、ぐうっと、喉へ突き上げてくるような嬉しさを覚える。色彩感のある風が吹きつけたように、華やいだ気分になった。
なんだ、これ。なんでこんなに、嬉しいんだ。わかっている気持ちの理由だからこそ、赤くならずにはいられなくて、挙句俯いてしまったが。
「いつまで可憐な子の言葉で喜んでるのかしら? 家永くん」
「は、はいっ!?」
声が裏返り、立ち上がるとそこには、アイスティーを木製の漆塗りお盆に乗せて持ってきた伊達が居た。くすくす笑っている彼女は、どうぞ。とあかりにそれを出す。
「あ、ありがとうございます……!」
「外はすごく乾燥してるからね。此処では加湿器も使っているけれど、咽喉。渇くでしょう? 家永くんがこういうことをすべきなんだろうけれどね、許してあげてね。彼はあなたとのおしゃべりに夢中だったみたいだから」
「てんちょ、ちが……! ていうか申し訳ないです、俺がお茶出しをすべきでした! 失礼しました……!」
「かまわないわよ。見てて微笑ましいから、わたしまで若返る気分だしね」
席を立ち、頭を下げて謝る家永の姿を見てあかりは驚いていたが、それほど伊達は信頼できる店長であり、どこかでは家永の言う通り恐いのかもしれない、と思う。
けれど今は、そんなことはどうでもいいほどに楽しい時間だ。お茶を口にして、口内を潤す。酒飲みが酒に酔うように、あかりはその紅茶の香りに酔っては、目をちょっぴり恍惚とさせ、とても心地よい気分になる。
「おいしいです……! すごくホッとします」
「それならよかった」
「ちゃんと時間見ておくのよ」また来るわねと伊達はあかりに微笑み、退室してゆく。はあぁ、とため息をついた家永は頭を抱えていたが、ごくごく紅茶を熱心に飲んでいるあかりを見て、またため息をついた。「あかり」
「何か飲みたいなら飲みたいって言えよ……。や、気づかなかった俺も俺だけど」
「いえ、嬉しくて忘れていました。伊達さんのお言葉で気づきました……って、家永さん家永さん! こ、この紅茶、氷まで紅茶ですよ!」
「声でかい」
「す。すみません」
すごい。おいしいし、ここまで気を遣っていただけるなんて、とあかりは目を輝かせる。家永はそんな彼女に小さく苦笑し、まあここまで喜んでもらえるなら良かったか。
ふぉぉお、と高級アイスティーで感動している無邪気な彼女を見て、感じたのだ。
それからしばらくして、髪の染まり具合の様子を見て頷く。「染まったな」
「髪洗ってトリートメントもするから、こっち来い」
「はい!」
再び呼び寄せると、あかりは子犬が尻尾を振るように、嬉しげに笑って頷く。その彼女の姿があまりに愛らしくて。「っとに困るよなあ、」この感情。そう思い、家永は苦笑して独り言をつぶやいた。
あかりは結局、約束の時間の語分遅れで美容室へ到着した。ホテル内が広すぎて、軽い迷子になっていたのだ。サロンで迎えてくれた家永は、別にいいと不機嫌でもない様子で頷く。
「とりあえず、店長に挨拶な」
こっち来い、と手招いて歩き出す。
サロン内も、とても高級感あふれる場所ではあったが、どこかリラックスも出来る空間でもあった。シャンプーなどの香りが鼻孔をくすぐり、なんだかそれだけで、ワンオクターブは背伸びしている気がする。白熱灯の明かりが、やけに優しい。客もちらほら居たが、家永曰くあかりは別室でカットやカラー、着替えにメイクをするそうだ。
「店長さんて、どんな方ですか?」
「すごくいい人だよ。怒るとホント怖いけど」
言葉を交わし、奥のカットルームへ通される。その間も他の美容師たちに、丁寧且つ笑顔で挨拶をされて まごまごしながらも、あかりは笑顔で挨拶をし返した。すると。
「あら。家永くんたら……見事な原石を連れて来たわね!」
カットルームの中には、60代くらいの。しかし若々しいヘアスタイルとファッションに身を包んだ女性が居た。しかし年齢と服装がアンバランスなわけでもなく、年相応の落ち着きが出ているのだから貫禄がある。あかりは惚けたが、直ぐに、はじめまして。と挨拶をする。
「初めまして。店長の伊達百合恵といいます」
「初めまして、染美川あかりと申します」
笑い皺が花びらのような、そんな優しげな女性だった。笑顔は、心がほぐれてホッと落ち着くようなものだ。
今日はよろしくお願い致します、とあかりがお辞儀をすると、ご丁寧にどうも。そう言って、やはり笑顔で頷く。
「従業員に訳は話しておいたし、シャンプー台のセットはしておいたから、存分に綺麗にしてさしあげなさい。家永くんの大切なお客様だからね」
じゃあ、と伊達は手をひらつかせて歩いて行った。あかりはおずおずと頭を下げると、家永はくしゃりと髪を撫でて荷物を預かる。
「コート、預かるから」
「はい」
「眼鏡も。視えるか?」
「はい、多少は大丈夫です」
ありがとうございます。あかりはコートを脱ぎ、眼鏡を外して家永に預けた。それから手渡された全身が覆い隠されるクロスを着て、シャンプー台のある席に着くと椅子をゆっくり倒され、顔に布をかけられる。家永はさっそく腕をまくった。
「綺麗にするからな。」
寄り添うような声色で言われると、布越しにあかりは顔をほころばせ、じわじわ赤くなる。家永にこの表情を見られたら、きっと笑われるに違いない。だから、布がかかっていて良かったと、心底思う。
「お願いします。」
髪を洗いはじめると、あかりは既に恍惚の表情。心地よいシャンプーの香りとお湯の温度、シャワーの強さで心地よさの頂きに登頂していた。目蓋を閉じ、ただひたすら家永の指や指の腹を頭皮に感じ、思わず幸せなため息がこぼれる。
「あとで、染めた後も髪洗うから」少し早めに終わらせるぞ。終わった後にトリートメントもする。そう言われ、あかりは「ありがとうございます」と、心が ほどけてゆくことを感じていた。
髪を拭いている間はホットタオルを首裏に当てられ、それが終わるとそっと椅子を起こされる。あかりはぼうっとしていたが、家永にカットをする席に案内され、腰かけた。
目の前の鏡の自分は、今までの自分より魅力ある自分になれるだろうか。そんな淡い期待を寄せて。
ドライヤーで髪を乾かすときは、少し髪型について話した。
「とりあえず染めて、結べる程度にもするから」
髪を染めて少し明るくして、ボリュームのある髪をすいて顔周りにレイヤー入れて。お前は割と小顔だから、それをもっと活かす・と、家永は真剣ながらも、愉しげに話してくれた。はい。あかりは幸せでいっぱいで、このみにくいアヒルのような自分が白鳥にまでいかずとも、それなりにはなると、いいと。心から思っていた。
やがて、カラー前のカット。背中から腰にかけてまでの髪を、ばっさりいくということで緊張もしたが、家永はあかりの背後に回ると、両肩に手を置いて鏡のなかで二人は見つめあう。
「これからお前に〝魔法〟をかける。
……スッゲー可愛くなるから、覚悟しとけ。」
無邪気に小さく笑う彼に、はい。といつも通りあかりは返事をして、笑顔で頷いた。
「おねがいします。家永さん」
「ああ」
動く丸椅子の席に着いて家永は髪の状態を見たあと、ばっさりと直ぐに髪を切った。おお、大胆です……。そんなことを思い、緊張をしている間もカットは続く。
「ビビっただろ。俺がこんな場所で働いてて」
カットをしながら言う家永に、そりゃあもう、とあかりは頭を動かさないように返事をした。「とても、びっくりしました……」
「すごいホテルの一角で営んでいる、美容室だったんですね」
「ああ。まぁ、店長がスゲーだけなんだけど。全国のあちこちの一流のカットマン呼び寄せて、厳選した店員でサロン開いてるってわけ」
「じゃあ、家永さんも一流さんですね」
「んー? まあな!」
はは、と笑う家永は活き活きしていた。水を得た魚のように髪を流れるような動作で、カットしてゆく。
ハサミのカシャカシャする音は、あまりに慣れているようで、一、二本のハサミで様々なテクニックを意図せず披露してゆくのだ。今まで見てきた美容師は、カットの仕方や凝る部分によってハサミを幾つも替えていたが、彼はどうやら違うらしい。
こんなすごい人に綺麗にしてもらえるんだ。もらえているんだ、と、あかりはなんだか誇らしくなって、幸せをかみしめるように微笑んでいた。
トップにレイヤーを入れ、毛先の質感を少し軽めにカットすることで明るいヘアスタイルを演出する。顔周りにも施しカットしたレイヤーで、家永の言う通り小顔効果もあるようだ。直ぐ近くで家永の顔が側にある前髪を切る時は緊張をしたが、厚めのバングで前髪を伸ばしっぱなしに流していたあかりは、少し若返ったようにも見える。
よし、とカットが終わるとあかりは鏡の中の自分がまるでの別人になり、驚きに驚く。こんなに、こんなに普通の女の子みたいになれるんだ。感動を憶え、これだけでもう充分であったが、家永はカラーをすると言って見本を見せてきた。「ベージュ系で」
「グレーがかってもいる。グレージュ、っていうんだ。この色」
「やさしい色ですね、なんかとても大人っぽいです」
「ああ。柔らかさを演出できるから……黒髪だと重い印象を与えるけど、こっちだとトーン明るくなって、顔全体も華やかになる。いいか?」
「はい。お任せします」
そればっかだなと家永は少し呆れていたが、あかりはクスクス微笑んで頷く。信じてますから。「家永さんの、努力と確かな腕を」だからお任せなんですよ、と言う。
「はあ。まぁいいか。そっちのほうがやりがいあるわ」
「ふふ」
笑いながら、顔の皮膚と髪の根元が薬品で荒れたり汚れないように、専用のクリームを塗ってゆく。それからカラー用の茶色いタオルを首に巻かれ、黒いクロスを着せられると、家永は丸椅子に座り丁寧に薬剤を塗った。ツン、とした香りが少し不思議な感じであるし、頭の地肌まできちんと染めるとなると地肌にぴりぴりした痛みもあるが、それがあるからこそ手を抜いたりしていないで本気で挑んでいてくれることを、肌に感じる。
会話はあったりなかったりだが、話すことといえば学校のこと。最近、いじめがまるで無いんですよ、と嬉しそうに言う。そりゃ深理が居るからな、なんて家永は小さく笑っていた。が、それもそうなんですけど、とあかりは目を伏せじんわり赤くなる。
「家永さんに、髪を朝、結んでセットしてもらいだしてから、です。…深理ちゃんが、びっくりすること言ってたんですよ。最近ジミ川が可愛いって、男の子たちが裏で騒いでるって言ってました。本当にびっくりですけど……嬉しいですね」
「まぁお前、そこまで容姿、言う程わるくねーし。わるかったとしても、努力してりゃ、魅せられるやつもおのずと出てくるもんだよ。あとは、暗い服装とか重ったるい雰囲気だけで判断されたんだろ。それに、お前自身だって変わった」
「え? ……そうですか?」
ああ、と家永は頷く。カラー剤を塗り終え、特殊なラップのようなものを髪に巻きつける。それから髪に薬品が染み込むよう、リング状の機械を回転させて髪を温めだすと、手が空いて少しの時間があるので2人は作業をせずに少し話した。
「変わったよ。良い意味でな」
「……自覚、ないですよ?」
「んーそうだな。でもまあ、一番に自覚できるのは。いじめた奴らに反抗できたことだろ」
「あ、確かに……。でも、それなら」
「? なんだよ」
家永さんのお優しい人柄のお陰ですよ。口元に指をやって、まるでくすぐったそうに、あかりは小さく笑った。
「頼ったり、頼ってくれる人が居るだけで……ヒトって、どこまでも変われるんだなって思います……本当に」
「俺、別にお前ばかりに、特別優しくしてるつもりねーけど」
「自然体なんですよ。そういうところが、人としてとても素敵だと思うんです」
だから、少なくともわたしが変わったのなら、それは家永さんのお陰です。そう言って視線を鏡にやり、後ろに居た家永と目を合わせて、笑いかける。
「わたし、最近はもう、毎日……生きることが楽しい。時々お母さんのことを考えて泣いてしまうこともあるけれど、そちらの感覚のほうが大きいんです。そういう日々を与えて下さったのは、家永さんです。ありがとうございます」
今更かもしれないけれど、とあかりは苦笑する。しかし、家永は惚けて赤くなるも、目を背けて。次第に、おもむろに手で口元を押さえた。目の前の少女の気持ちを改めて知って、ぐうっと、喉へ突き上げてくるような嬉しさを覚える。色彩感のある風が吹きつけたように、華やいだ気分になった。
なんだ、これ。なんでこんなに、嬉しいんだ。わかっている気持ちの理由だからこそ、赤くならずにはいられなくて、挙句俯いてしまったが。
「いつまで可憐な子の言葉で喜んでるのかしら? 家永くん」
「は、はいっ!?」
声が裏返り、立ち上がるとそこには、アイスティーを木製の漆塗りお盆に乗せて持ってきた伊達が居た。くすくす笑っている彼女は、どうぞ。とあかりにそれを出す。
「あ、ありがとうございます……!」
「外はすごく乾燥してるからね。此処では加湿器も使っているけれど、咽喉。渇くでしょう? 家永くんがこういうことをすべきなんだろうけれどね、許してあげてね。彼はあなたとのおしゃべりに夢中だったみたいだから」
「てんちょ、ちが……! ていうか申し訳ないです、俺がお茶出しをすべきでした! 失礼しました……!」
「かまわないわよ。見てて微笑ましいから、わたしまで若返る気分だしね」
席を立ち、頭を下げて謝る家永の姿を見てあかりは驚いていたが、それほど伊達は信頼できる店長であり、どこかでは家永の言う通り恐いのかもしれない、と思う。
けれど今は、そんなことはどうでもいいほどに楽しい時間だ。お茶を口にして、口内を潤す。酒飲みが酒に酔うように、あかりはその紅茶の香りに酔っては、目をちょっぴり恍惚とさせ、とても心地よい気分になる。
「おいしいです……! すごくホッとします」
「それならよかった」
「ちゃんと時間見ておくのよ」また来るわねと伊達はあかりに微笑み、退室してゆく。はあぁ、とため息をついた家永は頭を抱えていたが、ごくごく紅茶を熱心に飲んでいるあかりを見て、またため息をついた。「あかり」
「何か飲みたいなら飲みたいって言えよ……。や、気づかなかった俺も俺だけど」
「いえ、嬉しくて忘れていました。伊達さんのお言葉で気づきました……って、家永さん家永さん! こ、この紅茶、氷まで紅茶ですよ!」
「声でかい」
「す。すみません」
すごい。おいしいし、ここまで気を遣っていただけるなんて、とあかりは目を輝かせる。家永はそんな彼女に小さく苦笑し、まあここまで喜んでもらえるなら良かったか。
ふぉぉお、と高級アイスティーで感動している無邪気な彼女を見て、感じたのだ。
それからしばらくして、髪の染まり具合の様子を見て頷く。「染まったな」
「髪洗ってトリートメントもするから、こっち来い」
「はい!」
再び呼び寄せると、あかりは子犬が尻尾を振るように、嬉しげに笑って頷く。その彼女の姿があまりに愛らしくて。「っとに困るよなあ、」この感情。そう思い、家永は苦笑して独り言をつぶやいた。
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