磨彼ふしぎ

しばとまと

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第六話「夜があって、朝がきたこと」

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「家永さん、御夕飯出来ました」

 マネキン相手にカットの練習をしている間でも、話しかけても問題ないと、家永には言われている。仕事現場では、それがしょっちゅうだからだ。

 母に作ってもらって大事にしていた、オレンジ色にギンガムチェック、少しだけレースのついたエプロンをし、あかりはいつも通り、夕飯を作る。
 キッチンから出て報告すると、ああ・と、家永はこちらも見ず熱心に取り組んでいるようであったが、返事をくれた。


「先に食べてて。わり、もうちょいかかる」
「はい」


 返事をし、エプロンを外して椅子にかけた。
 水道で手を洗い、きちんと拭いて時計を見ると、もう二十一時半時過ぎだ。家永に合わせて自分も夕食を作っていたが、二十時過ぎに職場から帰ってきて、すぐにカットの練習をする彼は、別段珍しくもない。
 つまりあかりは、リビングのテーブルで一人で夕食をとる事は、まあ、多々あるのだ。

 夕食の感想を言ってくれるのは、自分が寝る前に部屋に来て、肩などのマッサージをしてくれる時か、先にあかりが寝てしまったときは、翌朝の朝食中かだ。
 家永が何処かツンツンとしているも、律儀で優しいと感じるのは、そういう一面を知ったから。注文を付けられる事もあるが、厭だとはちっとも感じていない。次の料理に活かす、とても良いエッセンスだからだ。

 ──長いもと、エビのクリームグラタン。長いもに粘り気があるので、ホワイトソースはゆるめに。しめじや長ねぎも加えて具だくさんグラタンの出来上がりだ。
 他には、ベーコンとほうれん草のバター炒めに、彩りのコーンを添えて。阿児出汁のレタスと玉ねぎのしゃきしゃきお味噌汁に、炊き立ての雑穀入りご飯。

(今日も、うまくできた。)

 あかりは満足し、こくりと頷いて口元を上げる。

 食べながら、手を忙しく動かしている家永を見つめていたが、彼は自分の視線も気にならない様子で、熱心にカットの練習に励んでいる。昼間に菱山が言っていた事を思い出した。

(誰より努力家。)

 口が悪く、粗暴な態度をとる事も少なくはないが、彼はそういう人間なのだ。根はとても真面目だからこそ、応援したくなる。

 食事を終えるとそっと箸を置いて、食器を手にして「ごちそうさま」と言うと、キッチンへ向かうべく席を立つ。……


 ──「家永さん。あのう」

 声をかけられ、どうしても満足のいかないカットを ひたすら練習していたが、視線をあかりにやる。
 佇み、コーヒーと砂糖、ミルクをお盆の上に置いて持ち、彼女は小さくお辞儀をした。「遅くまで、お疲れ様です」


「い、いらなかったら結構なんですけれど。勝手にコーヒーメーカーお借りして、淹れました。よかったら」
「おー。サンキュ」


 家永は一息入れるため、ハサミを丁寧にテーブルへ置く。指と指を交差させて大きく伸びをした。
 あかりはコーヒーと砂糖を入れて、ティースプーンでよくかきまぜている。「お砂糖は、角砂糖三つ」


「ミルクは一つ、で、あってますか?」
「ああ。よく覚えたな」
「この数日で、家永さんはお酒以外で苦めなものが、少し苦手なのかなと、見ていて感じたので」


 どうぞ。マグカップを差し出すと、家永は礼を言って口にした。すると、きょとんとし、彼は あかりを見る。「なあ」


「豆、替えた?」


 あかりは何故か ぎくりとした様子で視線をうろつかせたが、赤くなりながら俯きつつも頷く。「タリーズのコーヒー豆が、お安く手に入ったので」わたし、母の影響でタリーズが好きで、それで家永さんにもよかったら良いものをと。──しどろもどろになるが、少し上目づかいで問いかける。「い、いけませんでしたか、ね」


「いや。美味い。くせがないな、コレ」
「よかったです」
「ああ。スタバのよく飲んでたから、久々にタリーズもいいわ。気分も変わって……てかまさかコレ、小遣いで買ったんじゃないだろな」


「……。」あかりは更に、図星を突かれ視線を泳がせる。慌てて言葉を探しているようであったが、それを見て、はああ。とため息をついて家永は肩を落とす。「小遣いくらい、自分に使えって」


「珈琲代くらい出すから」
「……次は、気を付けます」
「そーしろ。てか、座れよ」


 立って俯いていたが、カーペットに座り息をつく。暫く、珈琲の香ばしい匂いと、家永との優しい沈黙が漂っていた。
 ──母以外の誰かと二人きりでの沈黙なんて、辛いだけだと思っていたが、なんだか今はただ、毛布ですっぽり包まれたように、安心している。
 一方で家永はというと、カットをしているマネキンの毛先を弄って、なんか違うんだよな。──思考しつつ、息をついた。

 そのあと、安心に乗じて問いかけても良いだろうかと。「あの」声をかける。家永はコーヒーを口にしながら視線を寄越した。


「昼間、学校帰り、兼本さんと、名渕さんにお会いしました」
「あ? ああ、あいつら? 変なのだったろ」
「えと。個性的でしたが、優しい方々でした。そこで家永さんの事、お聞きしたんですけれど」
「ああ」

「アイドルが、お好きなんですか?」「むぐっ」


 ──飲んでいた珈琲を軽く噴きかけ、なんとか飲み込む。やがて赤くなりながら、あいつら次会ったらボコす……と闘志を燃やしはじめていたが、あかりは真剣な面持ちで、続ける。


「あの。わたし、それで困る事とかは、全くないので。お部屋に、その。グッズとか置いて頂いても、全く構いません」
「……。嬉しいけど、複雑だな」
「でも、オタクっていう領域とお聞きしたので。わたし、母がジョニーズの大ファンだったんですよ。だからこれといった偏見もないんです。慣れっこです」
「ああ、そういや小母さん、うちの母さん誘って、ジョニーズライブ行ったとか言ってたわ」


 はい、と視線を持ち上げてあかりは頷く。「ですので」


「本当に、お部屋にポスター貼ったりなんなりって……しても構いません、よ? というか、そもそも家永さんのお部屋ですし」
「別に、我慢してるわけじゃねえよ。ただ今は、忙しいだけで」
「そうですか……」


 ならいいんですけれど、と、ホッとしてあかりは小さく苦笑する。夕方からあった、心のつかえが取れたようだった。一方で、そこまで考え込むヤツなんだな、コイツ。家永はそう思い、これからは少し気を付けようと思うと、携帯が鳴る。おもむろに手を伸ばし、タッチをすると、「誰だろ」メッセージSNSでない事で呟き、店の上司か誰かかな、と呟くと。


「……」
「……」
「……」
「……家永さん?」


 画面を見て固まっている家永に、どうかしたかな、と少し不安になったが、それも杞憂。「おい、あかり!」彼は立ち上がって、非常に嬉しそうにガッツポーズを作った。


「祭りだ! デートすんぞ!」
「え?」

「ライブチケット当たった奴が、仕事で行けなくなったんだよ! 二人分! し・か・も! かなり座席が前のだって! 半額で譲るとか言っててなあああ、とにかく行くぞ! いいな!?」
「は、はい」


 しゃー! と家永はソファーの上で立ち、完璧にはっちゃけている。惚けているあかりを置いてけぼりにしていた。わくわくした気持ちを隠しきれない様子で、熱心にメッセージを返している。
 やっぱりアイドルが好きなんだ、と思ったが、それであれば、もっとアイドルに詳しい人を誘った方が良いのではないかとも考え、正直におずおず問いかけると。


「別にいいって、お前最近がんばってるし。ライブ行った事あるか? あー、アイドルじゃないアーティストとかのでもさ」
「いえ……。母に誘われても、わたしはちょっと場違いな気がして。いつもお留守番でした」
「もったいねえ! あの俺たちファンと、まおまおたちとの一体感! 冬でも汗をかくほどの熱烈な歓声! 歌に合わせた掛け声! サイリウム振りまくった次の日の心地よい筋肉痛! 何もかも、クッソ楽しいんだぜ!!」


 ……ここまで活き活きとした家永を見るのは、初めてかもしれない。もちろん仕事の事でカットなどの練習をしている彼も、活き活きしてはいたが、これとはまた別だ。あかりは、

(ライブって、そんなに楽しいものなんだ……!)

 と、淡い期待を寄せる。


「そのかわり、ライブは三ヶ月くらい先だから、まだまだ時間ある。それまでに自分磨いて、出来る限り! 魅力的になれよ」


 家永は、真剣だが。期待を寄せた瞳に、あかりを映す。じいっと見つめられ、思わず固まったが、彼はそのあと──とても強い意志を宿した様子で、続けた。


「自分で人生を楽しもうとしたり、綺麗になる努力をしない女性を、俺は隣に絶対歩かせねえ。それだけは決めてんだ。」


 勢いに吞まれそうになり、あかりは思わず言葉を失うが。返事をしなきゃと、慌ててうわずった声で。


「はい。が、頑張ります!」


 めいっぱいの心で、返した。家永は、何処か神妙にまで思えるほどの様子をやめ、へらっと笑う。「ああ、イイ返事。」

 完璧に、良い意味でペースを乱されているわけである、あかりだが──マイペースな彼が、そうだ・と、タンスから取り出した段ボール箱のガムテープを、ビリリと音を立てて剥がしだす。そこから大量のCDとDVDを出して、どん! と、テーブルの上へ置いた。


「MMO48(えむえむおー・ふぉーてぃーえいと)、通称“モモシハ”な! で、俺が学生時代から集めたCDの数々だ。どうだ、すげーだろ。全部、初回限定モノだぜ」
「へえ、すっごく多いですね……可愛い人ばっかりです」
「な! とりあえずお前、せっかくライブ行っても、曲わかんなかったらつまんねーから、これ全部聴いて備えろな。サイリウムの振り方とか掛け声とかは、DVD観て研究! いいな!」
「は、はい!」


 更にイイ返事だと家永は頷き、メッセージを送り終えると、
「今日の晩飯なに?」
 いつもあんがとな、とご機嫌に問うので、あかりは答えた。
「どういたしまして」


「具だくさん、長いものグラタンとか。その他、もろもろです」
「っし! こっち終わらせて、たらふく食って、今日はよく寝る! んでライブグッズ買い込むために、明日からまた、がっつり仕事!」
「でも、あの、もう頑張りすぎて疲れていませんか? カットの練習は、早寝して明日の朝にでも」


 違うね、と家永は無邪気に笑って、マネキンの頭をぽんぽんと撫でて言う。


「今日出来ない事は、明日も出来ない。明日出来ない事は、今日は出来る! つまりやると決めたら、思い立ったが吉日って言うだろ。今日しかないんだよ」


 だから俺はやるから、お前は風呂入って先寝とけ。そう言うと、家永は再びハサミを手にしてマネキンのカットの状態を見ながら、こうも、付け足した。


「これで最近練習してるのは、週末にお前に“ふしぎな魔法”をかけるためなワケ。お前は週末に向けて、学校行って、辛くない程度に自分磨くためにでも、勉強しとけな。それには睡眠が大事だろ。よく食ってよく寝て、よく笑うんだよ」


 それが人生楽しむ一つの方法。
「あとは好きなものに、情熱を注ぐとか」
 良いエッセンスにはなるよな、と小さく笑って言う家永にあかりは惚けていたが、──カットを頑張る家永の努力の成果である、マネキンを見て、不意に少し赤くなってしまう。同時に、感動で涙が込み上げる。

(こんなにも、優しくされるの、やっぱり久しぶりすぎます。)

 まさに、今にも涙が溢れてしまいそうだったので「お風呂お先に、頂きますっ!」ペコリとお辞儀をし、すぐリビングを飛びだした。


(週末、わたしはきっと、今より綺麗になれる。ならそれまで、わたしが出来る限りの努力を、出来る限りに、めいっぱいしよう……!)


 髪やお肌の状態をよくして、姿勢を正して、きちんと歩いて喋って、洗練された人になれたらいい。出来ればいつか、家永が隣に歩かせてくれるような、そんな女性になりたい。

 あかりは、微笑み。嬉しさと温かさのあまりの反動で、涙をぽろぽろ零しながら、脱衣所へ向かったのだ。
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