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籠城戦失敗
サル来たる
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登場人物
竹中半兵衛=私
竹中久作=弟
阿古=愛妻
木下藤吉郎=サル。豊臣秀吉。籠城戦の敵。
※ ※ ※
永禄8年7月10日
サルが来た。
いや禿げたネズミですかね。
まあ、どちらでも良いですね。
その人は木下藤吉郎と名乗っていたようですが。
以前、散々打ち負かしてあげた織田家の家臣とのこと。
声がデカいだけの貧相極まりない男でした。
阿古はサルと楽しそうに話していました。
気に入りませんね。
私の方が阿古を楽しませるのは上手いはず。
四書五経を諳んじる私にとってみれば話題に事欠きませんので。
たしか、彼は今孔明と有名な私に会いに来たと言ってましたかね。
それについては悪い気はしませんが、織田家に仕官してほしいのでしょう。
人がたくさんいて面倒なことに関わるなんて、するわけないでしょうに。
浅井家もゴタゴタと面倒ばかりでしたが、美濃に帰っても同じのようですね。
愛妻の阿古と静かに暮らしたいのですよ、私は。
弟の久作ですら少し離れた麓に住ませているというのに。
阿古との時間を邪魔しないでもらいたいものです。
久作には、私の代わりに窓口になってもらっています。
私への来訪者の応対も義父殿への訪問も弟の役目。
斎藤家には嫌われているのでね。
浅井家にも少し心当たりはありますが。
そういう事情もあって私が出歩くと危険が多いのです。
だから致し方ないのですよ。
つまり籠城こそが最善手。
阿古と書に囲まれた長閑な日々を過ごすことにしましょう。
永禄8年7月15日
久作、来たる。
米と味噌、野菜などの当座の食糧を持ってきました。
それらは義父殿の差し入れです。
これが断たれれば、我が家は干上がります。
古今東西、戦には補給線は誠に重要なのです。
義父殿は美濃三人衆の一角。
有力な国人領主ですから、我らの生活を支える程度は朝飯前。
存分に縋るとしましょう。
そう言えば先日のサル、いやネズミでしたかね。
ふむ、ややこしい。サルで統一しましょう。こちらの方が字数が少ないですから。
先日訪れたサルは、弟の久作を私だと勘違いしたらしいのです。
勘弁してくれと言いたいですね。私の方が断然良い男なのは明白。
間違えるのは失礼でしょう。
阿古に聞いてみなさい。必ずや私の方が良い男だと答えてくれるはずです。
私の予測はよく当たるのです。
永禄8年8月29日
暑い。晴れが続く。
こう暑いと書を読むのも不快でありますね。
愛する阿古も暑そうです。
扇子で扇いでいても、大粒の汗が噴き出ています。
この暑さでは扇子や団扇だけでは限界がありますね。
団扇をいくつか付けて回転するカラクリでも作ってあげますか。
それとも団扇に鳥の羽でも付けてあげるのも良いかもしれません。
そうすれば格好良いですし、風力が上がって涼しいでしょう。
季節柄とはいえ、この天気は困ったものです。
こうも雨が降らないとなると、畑仕事をせねばならぬではないですか。
梅雨が懐かしい。あの時期は良かった。
久作の責めるような目を気にせず書を読めたのですから。
永禄8年12月11日
久しぶりに体験するほどの大雪。
しっかりと積もりそうです。
冬は良い。畑が休みだ。
好きなだけ書を読める。合間に妻と飲む白湯がうまい。
書に没頭できる素晴らしい日だというのに、サルが来ました。
だから昼寝でもしてやろうかと考えたのですよ。追い返す口実にはもってこいでしょう?
まったく、相変わらず声がでかい。
久作と麓から歩いてきているのでしょう。遠くからでも声が聞こえてきています。
久作もこんな雪で大変でしょうに。
いや、あいつは別に気にしていないのかもしれません。雪でも槍を振り回している奴ですから。
その日は結局サルと会ってしまいました。
妻の阿古が、在宅だと素直に伝えてしまったのです。
阿古は嘘が苦手なのです。しかし声を大にして言いたい。決して妻を責めていません。
妻の素直さは、彼女の魅力の一つなのです。
それにしてもサルめ。
私に仕官を勧めてくるとは。
晴れた日には畑を耕し、雨の日は書を読む。
傍には、愛する妻がいる。
このような素晴らしい日々を捨ててまで仕官するわけがないでしょう。
補給線はしっかり確保できています。籠城戦はまだまだ継続可能なんですよ。
気持ちが折れない限り、籠城は続くのです。
そうそう、サルは大雪の日に二度目の訪問。
大変さを滲ませて譲歩を引き出す心算のようでした。
大変なら家に籠っていれば良いのです。
おおかた古の三国志にある三顧の礼になぞらえて、また来る気でしょう。
まあ、わかっていますが知らないフリをしてあげましたよ。
これこそ知らん顔の半兵衛さんです。
ふむ。それにしてもサルが劉備で私が孔明ですか。
悪い気はしませんがね。
どちらかというと、私は張良の方が好きなんですよ。
永禄9年3月8日
久作来る。
食料とともに。
すべて一人で担いでくるとは。
相変わらず体を使うのが好きなようです。
さっさと帰ってくれて良いのですがね。
そのデカい図体が居座れば、書を読むのに邪魔じゃないですか。
ニヤニヤとしながら突き出してきた文。
義父殿からのようです。
私の勘では今すぐ破り捨てた方が良いと囁きました。
しかし、阿古だけならまだしも久作がいては、それも叶わず。
仕方なしに文を開けたのですよ。
案の定、見ない方が良かったと後悔しました。
義父殿曰く、儂の新しい主君である織田信長様の下で働くのはどうか、だそうだ。
働くわけないでしょう!
阿古とのんびり暮らすのが私の幸せ。
それとたくさんの書に囲まれることも幸せですけど。
その書を朝から晩まで読み耽ることも幸せですけど。
働いたら、のんびり暮らせないではないですか。
私の籠城戦は、働いたら負けなのです。
永禄9年5月3日
サル来る。
三度目の訪問。
いやに神妙な面持ちで、いつものようにおしゃべりをしない。
気持ち悪いですね。
懐より取り出したるは、文が一つ。
無言で差し出す様は猿回しに仕込まれた芸のようでした。
私は嫌な予感を感じながら、文を改めました。
そう、予想通り義父殿からの文です。
その内容は、簡潔にして単純明快。
私はこれを見て天を仰ぎました。
『働け』
いやはや、サルに搦手を押さえられましたか。これは私の負けですね。
補給路を敵方に抑えられたようです。
これでは、籠城戦もままなりません。
サルから提示された降伏条件は、織田家直臣としての登用と高禄の保障。
どちらも興味ありませんね。
しかし、城を落とされた敗将に選択肢などないものです。
素直に飲むことにしましょうか。
これにて私の籠城戦も終わりです。
それにしても私もまだまだ甘い。
義父殿の性質を読み間違えました。
仕方ありませんね。
今少し人の機微に敏くなれるよう研鑽してくるとしましょうか。
とりあえず、三顧の礼を受けて渋々腰を上げたことにしておきましょう。
いくらか外聞も良くなることでしょうし。
ああ、晴耕雨読の日々は遠のいてしまいました。
竹中半兵衛=私
竹中久作=弟
阿古=愛妻
木下藤吉郎=サル。豊臣秀吉。籠城戦の敵。
※ ※ ※
永禄8年7月10日
サルが来た。
いや禿げたネズミですかね。
まあ、どちらでも良いですね。
その人は木下藤吉郎と名乗っていたようですが。
以前、散々打ち負かしてあげた織田家の家臣とのこと。
声がデカいだけの貧相極まりない男でした。
阿古はサルと楽しそうに話していました。
気に入りませんね。
私の方が阿古を楽しませるのは上手いはず。
四書五経を諳んじる私にとってみれば話題に事欠きませんので。
たしか、彼は今孔明と有名な私に会いに来たと言ってましたかね。
それについては悪い気はしませんが、織田家に仕官してほしいのでしょう。
人がたくさんいて面倒なことに関わるなんて、するわけないでしょうに。
浅井家もゴタゴタと面倒ばかりでしたが、美濃に帰っても同じのようですね。
愛妻の阿古と静かに暮らしたいのですよ、私は。
弟の久作ですら少し離れた麓に住ませているというのに。
阿古との時間を邪魔しないでもらいたいものです。
久作には、私の代わりに窓口になってもらっています。
私への来訪者の応対も義父殿への訪問も弟の役目。
斎藤家には嫌われているのでね。
浅井家にも少し心当たりはありますが。
そういう事情もあって私が出歩くと危険が多いのです。
だから致し方ないのですよ。
つまり籠城こそが最善手。
阿古と書に囲まれた長閑な日々を過ごすことにしましょう。
永禄8年7月15日
久作、来たる。
米と味噌、野菜などの当座の食糧を持ってきました。
それらは義父殿の差し入れです。
これが断たれれば、我が家は干上がります。
古今東西、戦には補給線は誠に重要なのです。
義父殿は美濃三人衆の一角。
有力な国人領主ですから、我らの生活を支える程度は朝飯前。
存分に縋るとしましょう。
そう言えば先日のサル、いやネズミでしたかね。
ふむ、ややこしい。サルで統一しましょう。こちらの方が字数が少ないですから。
先日訪れたサルは、弟の久作を私だと勘違いしたらしいのです。
勘弁してくれと言いたいですね。私の方が断然良い男なのは明白。
間違えるのは失礼でしょう。
阿古に聞いてみなさい。必ずや私の方が良い男だと答えてくれるはずです。
私の予測はよく当たるのです。
永禄8年8月29日
暑い。晴れが続く。
こう暑いと書を読むのも不快でありますね。
愛する阿古も暑そうです。
扇子で扇いでいても、大粒の汗が噴き出ています。
この暑さでは扇子や団扇だけでは限界がありますね。
団扇をいくつか付けて回転するカラクリでも作ってあげますか。
それとも団扇に鳥の羽でも付けてあげるのも良いかもしれません。
そうすれば格好良いですし、風力が上がって涼しいでしょう。
季節柄とはいえ、この天気は困ったものです。
こうも雨が降らないとなると、畑仕事をせねばならぬではないですか。
梅雨が懐かしい。あの時期は良かった。
久作の責めるような目を気にせず書を読めたのですから。
永禄8年12月11日
久しぶりに体験するほどの大雪。
しっかりと積もりそうです。
冬は良い。畑が休みだ。
好きなだけ書を読める。合間に妻と飲む白湯がうまい。
書に没頭できる素晴らしい日だというのに、サルが来ました。
だから昼寝でもしてやろうかと考えたのですよ。追い返す口実にはもってこいでしょう?
まったく、相変わらず声がでかい。
久作と麓から歩いてきているのでしょう。遠くからでも声が聞こえてきています。
久作もこんな雪で大変でしょうに。
いや、あいつは別に気にしていないのかもしれません。雪でも槍を振り回している奴ですから。
その日は結局サルと会ってしまいました。
妻の阿古が、在宅だと素直に伝えてしまったのです。
阿古は嘘が苦手なのです。しかし声を大にして言いたい。決して妻を責めていません。
妻の素直さは、彼女の魅力の一つなのです。
それにしてもサルめ。
私に仕官を勧めてくるとは。
晴れた日には畑を耕し、雨の日は書を読む。
傍には、愛する妻がいる。
このような素晴らしい日々を捨ててまで仕官するわけがないでしょう。
補給線はしっかり確保できています。籠城戦はまだまだ継続可能なんですよ。
気持ちが折れない限り、籠城は続くのです。
そうそう、サルは大雪の日に二度目の訪問。
大変さを滲ませて譲歩を引き出す心算のようでした。
大変なら家に籠っていれば良いのです。
おおかた古の三国志にある三顧の礼になぞらえて、また来る気でしょう。
まあ、わかっていますが知らないフリをしてあげましたよ。
これこそ知らん顔の半兵衛さんです。
ふむ。それにしてもサルが劉備で私が孔明ですか。
悪い気はしませんがね。
どちらかというと、私は張良の方が好きなんですよ。
永禄9年3月8日
久作来る。
食料とともに。
すべて一人で担いでくるとは。
相変わらず体を使うのが好きなようです。
さっさと帰ってくれて良いのですがね。
そのデカい図体が居座れば、書を読むのに邪魔じゃないですか。
ニヤニヤとしながら突き出してきた文。
義父殿からのようです。
私の勘では今すぐ破り捨てた方が良いと囁きました。
しかし、阿古だけならまだしも久作がいては、それも叶わず。
仕方なしに文を開けたのですよ。
案の定、見ない方が良かったと後悔しました。
義父殿曰く、儂の新しい主君である織田信長様の下で働くのはどうか、だそうだ。
働くわけないでしょう!
阿古とのんびり暮らすのが私の幸せ。
それとたくさんの書に囲まれることも幸せですけど。
その書を朝から晩まで読み耽ることも幸せですけど。
働いたら、のんびり暮らせないではないですか。
私の籠城戦は、働いたら負けなのです。
永禄9年5月3日
サル来る。
三度目の訪問。
いやに神妙な面持ちで、いつものようにおしゃべりをしない。
気持ち悪いですね。
懐より取り出したるは、文が一つ。
無言で差し出す様は猿回しに仕込まれた芸のようでした。
私は嫌な予感を感じながら、文を改めました。
そう、予想通り義父殿からの文です。
その内容は、簡潔にして単純明快。
私はこれを見て天を仰ぎました。
『働け』
いやはや、サルに搦手を押さえられましたか。これは私の負けですね。
補給路を敵方に抑えられたようです。
これでは、籠城戦もままなりません。
サルから提示された降伏条件は、織田家直臣としての登用と高禄の保障。
どちらも興味ありませんね。
しかし、城を落とされた敗将に選択肢などないものです。
素直に飲むことにしましょうか。
これにて私の籠城戦も終わりです。
それにしても私もまだまだ甘い。
義父殿の性質を読み間違えました。
仕方ありませんね。
今少し人の機微に敏くなれるよう研鑽してくるとしましょうか。
とりあえず、三顧の礼を受けて渋々腰を上げたことにしておきましょう。
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