鍵の海で踊る兎

裏耕記

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第一章 始まりの春

11th Mov. ハンバーグと裏切り者

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 ガラガラと音を立てる年季の入ったキャリーバッグ。
 至る所にシールが貼られていて、女の子らしさが溢れているのだが、子供のころに見ていたであろう変身ヒロインもののシールは、剝げたり掠れたりしていて見る影もない。

 気になるところは多々ある。しかし、これも彼女の人生の一部のような気がしてしまい、安易に触れようとは思えなかった。

 キャリーバッグを曳く彼女と、神田さんが演奏談議に花を咲かせながら歩き、僕は自転車を押しながら後ろを歩く。中野はというと、前の二人の会話に混ざればいいのに、僕の隣を歩いてくれている。

 さり気なくこういう行動できるところが格好良いんだよな、こいつ。
 隣同士で歩いているとは言っても、二人の時の常で、あまり言葉を交わすこともなく、てくてくと歩いているだけなんだけどさ。僕もあまり話す方じゃないし、中野も僕の時は無理して話をしようとはしない。

 中野はそれで楽しいのか疑問に思うものの、僕は何となく、その空気感が心地良い。

「おっ! 見えてきた。さあ、お肉食べるぞ~」

 伏見さんの元気な声で、目的地に着いたことが知らされる。
 ここは駅から少し離れた大通り沿い。かえでホールから程近いところにある、ドンキーさんがびっくりするハンバーグレストラン。

 演奏後にはお肉を食べたいという主役の意見で、ここに決まった。


 西部劇のような内装に、特徴的なメニュー。
 今日は休日という事もあり、結構混んでいる。

「中野と野田は頼む物決まった?」

 普段来ないお店なので、メニューを前に悩んでいたら、神田さんから声がかかる。彼女たちは早々にメニューを決めたようで、おしゃべりが始まっていた。

「俺は決まったかな。野田がもう少しかかりそうだ」
「ごめんね。あまり来ない店だから、目移りしちゃって。ハンバーグは好きだから、尚のこと悩んじゃうんだ」

「それ分かる! どれも美味しそうだもんね!」
「美味しそうって、あんた。メニュー全部食べ尽くしたじゃない」
「えっ⁈  伏見さんって大食いチャレンジでもしてんの?」

「千代ちゃん、誤解受けるようなこと言わないでよ! 違うからね! 来る度に頼んだことのないメニューを頼んでいっただけだから!」

 いつものように顔の前で手を振る伏見さん。

 彼女の言葉を信じるなら、来る度に食べたことのないメニューを頼み続け、お店のメニュー全てを制覇したということのようだ。決して、一度に複数のメニューを並べて平らげてきた訳ではないらしい。

「ここにはよく来るんだね」
「私も千代ちゃんも、ここが好きなの。お話が長くなる時は、大きなポテト頼んだり、パフェ頼んだり。どれもこれも美味しいの」

「そっか。普段は自転車で通り過ぎるだけだから、あまり来たことないんだ。家の近くにもなかったし」
「そっかそっか。私たちも、ここに来るためにバスを途中下車だもん。それも仕方ないよ」
「確かに駅から少し離れてるのが面倒よね。立川駅の側にもないし」

「そうなんだよ。常連の伏見さんのおすすめってある?」
「私はねぇ、パインバーグかな!」

「パインって、このパイナップルが乗ってるやつ?」
「そうそう! ジューシーで甘酸っぱさがハンバーグにメチャ合うの!」

 パイナップルか……。パイナップル。
 温かいやつは苦手かもしれない。かといって、伏見さんのおすすめを聞いておいて違うのを頼むわけにもいかないし……。

「そういや、温かいパイナップルは好き嫌いがハッキリするって言うよな。野田、この店の初心者ならオーソドックスなやつにしてみたらどうだ?」

 と、中野から的確なフォローが飛んでくる。

「そうだね。まずは良くあるチーズの乗ったやつにしてみようかな」
「それも美味しいよね! やっぱり王道は外れが無いと思う!」

 おすすめのパイナップルが却下されたのに、気にする様子の無い伏見さん。彼女の反応に少し安堵した。

「じゃあ、店員さん呼んで頼んじゃおう」


 結局、みんなのメニューは見事にバラバラで被ることはなかった。
 中野はポテサラパケットディッシュ、神田さんはおろしそバーグディッシュ、そして伏見さんはガリバーバーグディッシュのパイン乗せ。

 伏見さんの頼んだガリバーバーグは写真で見ても明らかにデカい。グラムで言うと倍以上ある。小柄な伏見さんのどこに入るのか不思議でならない。

 先に来たドリンクで喉を潤しながら、中野と視線が交錯する。互いに苦笑い。
 その様子を察した神田さんはニヤニヤしながら伏見さんをイジる。

「紬《つむぎ》さ、大食いだと思われてるよ? いいの?」
「えっ? 違うの! 発表会はすっごいエネルギー使うからだよ! 普段は、300グラムの方しか食べてないからね!」

 伏見さんの必死な説明を受けるが、追加情報でも大食いは確定のようだ。
 メニューでは、標準サイズのハンバーグが150グラム。そして、オプションとして300グラムの大きいハンバーグに変更が出来るようだ。しかし伏見さんが頼んだガリバーサイズは400グラム。

 大きさの違いがご理解いただけただろうか。
 食べ盛りの男子高校生の中野で300グラム。同年代の女子高生 神田さんは150グラムである。ちなみに僕は150グラムだ。彼女は日常的に300グラム。充分良く食べる子認定だ。

 彼女は大食いという称号が不本意なようなので、あえて触れないでおくのが正解だと思う。そのくらいの気配りは僕にも出来る。

「ピアノってカロリー使うんだね。あんなに凄い演奏なら、それも納得って感じだよ」
「ああ、あれは凄かった。マジで鳥肌もんだったよ」
「えぇ~!? そんなことないって。私の腕前なんて全然だから!」
「あれだけの仕上がりなら、相当練習してきたんでしょ。素直に褒められておいても良いんじゃない?」

「えへへ。そうかなぁ。千代ちゃんから見ても良い出来だった?」
「もちろんじゃない! ここ数年で一番の出来だったよ! それにすっごく綺麗だった」

「綺麗⁈ 私が⁈ またまたぁ~。千代ちゃん上手なんだから! ハンバーグあげちゃう!」
「食べきれないからいらないわよ。それに私、おかずにパイナップル許せない派だから」

「えぇ~、裏切りもの~。野田君もパイナップル選んでくれないし……」

 ジト目の流し目という高等テクニックで、流れ弾を飛ばしてくる伏見さん。あのおすすめの話は、中野のフォローで無事に終わったと思っていたのにな。まずい、なんか言わないと……。

「でもさ! 神田さんの言うことも分かるよ! 伏見さん、本当に綺麗だった! 僕の人生で、こんなに綺麗な人を見たことないって思うくらいに! 現に見惚れちゃって拍手も忘れちゃったくらいだし」

 僕の精一杯のフォローで、まるで演奏前のような静寂が店内に広がってしまった。
 神田さんは表情が凍り付き、当の伏見さんは、顔を真っ赤にして俯《うつむ》いてしまう。

「……おいおい。さすがの俺でも、それはフォロー出来ねえよ」

 必死に助けを求めて中野を見るが、返ってきた言葉はそれだった。
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