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紀州藩主編

第二十一話

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「大奥はこれで良いとして、あとやるべき事は無いか?」

「残すは老中や若年寄といった幕臣の抱え込みです。幸いにして間部、新井は尾張公を支持していますから、こちらへの協力は得やすいでしょう」
「幕臣の抱え込みとな。わざわざこちらに付くかな? 敵対すれば負けた時の傷も大きくなるぞ」

 中立は誰からも責められはしないが、誰が勝っても立場が良くなることは少ない。むしろ悪くなる可能性もある。
 はっきりとした対決姿勢があれば、中立なんて言っていられないものだが、将軍位争いは今の所、表立った話ではない。現将軍の家継様はご存命だからだ。
 だから、今のところ中立派は多いように思う。

「このまま尾張公に決まれば、間部、新井も居残り権力をふるうでしょう。それは自明の理。さすれば老中様方は相変わらず頭を押さえられたまま。協力を得るのはたやすい事」

 それはそうなんだがな。そこまで危険を冒すものなのか。
 だがそれは向こうが考えるべき事か。俺はやれることをやるだけだな。

「ではどうすれば良い?」

「殿には、城内で多くの幕臣と気さくにお話しいただければ充分です。あとは城内の方々にも届くように例の如く庭番忍びに噂を撒きます」

 情報操作……か。いや嘘をついているわけでもなし隠し事をするわけでもないから情報の拡散とでも言えばよいか。
 あまり好きではないのだがな。かといってそれより良い案を出せる訳でもなし。

「そうか。任せる」
「かしこまりました。薮田こちらへ」

 いつもながら、どこに控えていたのかわからぬほど気配を消している薮田がスッと現れる。
 これほどの短時間でここに来れるのであれば、最初から部屋にいたのかと疑う。しかしそんな事はないのは俺自身が知っている。部屋に入った時、俺以外に誰もいなかったのだから。

「はっ。ここに」

「薮田よ。聞いていただろう。そのように噂を流せ。それと老中様以下、間部達に反感を持つ方々へご挨拶に参れ。予算は潤沢にある。手土産も忘れぬようにな」

「承知」

「手土産とな?」
「ええ。さすがに重役の方々にご挨拶に伺うのに手ぶらでは参りませんから」

 それだけでないのは、明らかであるが、それ以上は聞くなという政信の態度を見て口を噤む。
 政信は俺のためにしか動かない。彼が聞くなと言うなら俺が口出すべきではないという事。黙っているのが彼の気持ちに答える事になるのだ。

「……そうか」
「ええ。雑事は私どもにお任せください」

 全てを押し付けてしまったようで申し訳ない気持ちになる。俺はいったいどこに向かって進んでいるのだろうか。葛野藩主となった時点でも望外の出世と言えたのに、何故か紀州藩主の座に着き、今は徳川幕府の将軍の座を得ようと画策している。

 これは俺が望んだものだったのであろうか。今にして思うと、どうしてこうなったのかわからない。
 周りの意思に引っ張られたのか、それとも天の配剤か。ここに至ってしまった以上、考えても仕方のない事なのに、己の不思議な人生を振り返らずにはいられなかった。

 あれこれ考えてみても、結論の出るものではない。少なくとも自分にかかわる人たちを不幸にしないよう心に誓うくらいしか出来なかった。
 そう思った瞬間にさくらの顔がちらつき、胸がギュッと締め付けられた。


 その後、最終的に天英院様とも双方納得の上、協定が結ばれた。
 やはり、大奥に居残るだけでは満足できず、せめて生活の維持を約束して欲しい
と懇願された。

 最初のうちは強く出てきたが、元々居残れれば儲けものくらいに思っていたのだろう。俺に正室がいない事も含んでいたのかもしれない。
 俺の側室と先の将軍の正室では、正室に軍配が上がる。ましてや天英院様は関白 太政大臣の近衛 基熙もとひろの娘だ。側室に収まれるような出自の家柄の女が敵う訳がないのだ。

 そういう経緯もあって、条件を吞んだ。生活費の保障もして。代わりに他の部分には手を入れる旨を承諾させ、月光院様とも協調体制を取ってほしいと依頼した。
 これで大奥は、俺の支持基盤となったのだ。



 一七一五年、その年は大きな大過もなく比較的落ち着いていたように思う。
 すでに年の暮れに差し掛かり江戸の紀州藩邸にも雪がちらつく。

 先月、俺の次子、小次郎が生まれた。めでたい。長福丸もすくすく育っている。
 心配事が一つ少なくなった。

 継友は予定通り権中納言に叙された。尾張公と間部詮房、新井白石の蠢動は着実に進んでいるようだ。

 しかし、それはこちらも同じ事。天英院様との話し合いは済んでおり、月光院様とも誼を通じている。天英院様から月光院様に御執り成しもあり、両者とも良好な関係を築けていると思う。

 幕臣たちとも積極的に会話をするようにしてきたので、御用部屋に顔を出すだけで随分歓迎されているように感じる。

 そして、現将軍の家継様というと、生来の病弱さに拍車がかかったようで体調を崩されることが多くなった。
 回数が多くなったせいで、もう隠しようの無い事実として周知されてしまっている。

 一度は危篤かと危ぶまれるほど風邪をこじらせたこともあった。
 残念ながら、家継様の在位はそう長い事でもないのかもしれない。
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