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紀州藩主編

第十話

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 藩の改革は端緒についた。

 今、正確な財務状態の把握のために、依頼した帳簿の再作成が仕上がるのを待っている。
 費用と収入については先の話の通りである。

 今までは財政赤字であったが、病巣を取り除いた事で費用は圧縮され、収入を増加
 する見込みが立った。これだけでも黒字へと転換するだろう。

 しかし、借入金の返済を考えると心許ない。そして今のままでは、いずれまだ不正役人が蔓延る事だろう。今は家臣どもをうまく処断できたから引き締められているが、俺の子孫達が藩主となったころは、また弛んでくるだろう。

 それをさせないためにも今のうちに改革を断行するつもりだ。

 まず手始めに経費を圧縮する。
 藩主家族にかかる費用については一番手を入れやすい。そこで高額となっている衣服費用を抑える事にした。

 普段は絹物の最上等の物を着ているが、木綿にした。木綿は主に下級武士たちが着る布地で家臣たちは良い顔をしなかった。

 しかし、俺は言いたい。金が無いのに、見てくれだけ整えてどうすると。
 中身の伴わない見栄など虚栄に過ぎぬ。紀州藩では中級藩士も絹物を着ているからな。その金の出どころは言うまでもない。

 そういうものを着たいのであれば、藩の財政を立て直し、その対価である俸給で購えばよいのだ。
 それでこそ絹物の価値が出ようものだ。

 当たり前のように絹物を着て、ありがたみを感じぬのであれば一度思い知るべきだ。金が無いという現実を。

 さらに食事も引き締める。贅沢な膳は不要だ。一汁三菜のみ。庶民からすればこれでも贅沢だ。本来、贅を楽しむのは国を支える農民であるべきだ。長年支えてきてくれた彼らに報いる方法も考えねばならん。
 改革案にもあるが順次導入していくつもりだ。

 武士は贅を楽しむのではなく、武芸に勤しめば良い。それに金をかけるのは構わん。
 武士は民を守るからこそ税を受け取る権利があるのだ。本分を守る事こそ武士の存在意義を示すことに他ならない。

 この質素倹約を率先して藩主が行う事で狙う二次的な効果がある。
 着物のように目に付くものを木綿に変えると家臣たちもそれに倣わざるを得ないはず。藩主より上等の着物を着ていられる厚顔な家臣は、今の紀州藩にはいないだろう。
 俸給を自主的に返納している家臣どもも、木綿に変更すれば、暮らしはずいぶん楽になるのではないかな。


 ああ、子供の話が出たが、政信から嫁を取るよう願われた。理子の事もあったので、そんな気にはなれなかったが、世継ぎを作るのが急務だという正論を覆せる理屈はなかった。
 俺の気持ちだけの問題なのだ。だがひとつだけ譲れない事がある。正室は娶らない。
 俺の正室は理子だけなのだ。


 世継ぎ問題は武家の悩みの種。しかし立場が上がれば上がるほど、自分の家の事だけでは済まなくなる。今の将軍家を見れば、良くわかるであろう。
 将軍家の家督継承の不安定さは各地の大名を翻弄し、無駄な政治争いを生む。世継ぎを作らぬのは社会悪ですらある。

 これに関わる大名家でも死ななくてよい若者が命を落としている。俺が背を向けていれば紀州藩でも同じことが起こりかねない。
 当事者としてそれは認められない。

 俺に話が合った段階で、もう嫁候補は選出されているという。
 義父上の子で別家の加納家に養子になった加納 久通。こいつは裏方として連絡の繋ぎなど、以前から密かに動いてもらっていた。今回、俺が紀州藩主になった事で、誰に遠慮する必要もないので側近となっている。

 それで嫁候補だが、この加納 久通の叔父にあたる大久保 忠直の娘で須磨というらしい。ここでも大久保殿の一族が関わってくる。江戸の手が入っているのではと、少し穿った見方をしてしまう。

 しかし、大久保 忠直は家老であった義父上の実の弟であるし、血筋の面でも問題はない。あとは俺が手を付けるかどうかだけ。

 嫁取りについては同意するしかなかったので、とりあえずこの問題は終わった。
 落ち着いた頃にでも会うだけ会ってみようと思う。


 そして伊澤殿を筆頭に良識派と言われた数少ない家臣たち。こやつらも薬込役である庭番忍びによる身辺調査により、国家老派との関わりについて調べてある。
 国家老派に所属していたかったとは言っても、政治対立によって敵対派閥に所属しただけの場合も考えられるし、本心から国家老派のやり様を苦々しく思っていたのとでは、信頼度に違いが出る。

 そこで、引き揚げたのは、勘定役の伊澤殿、郡代の藤堂殿、そして気の強さで同僚から煙たがられていた有馬 氏倫という男。こいつは良識というより正義漢といった感じで国家老派とはうまく仕事ができなかったらしい。閑職に回されていたのを先述の加納 久通が推挙してきた。

 それと城内に詰めない下級官僚はここに入れていない。
 この引き揚げた者たちが俺の腹心となるので城内にいない者達は除いている。
 できれば、黒川 甚助師や黒川 巳之助も引き揚げたかったが、彼らは代官であることに拘った。
 俺も彼らの心意気を感じ無理にとは言わなかった。


 それと紀州藩の収入を調べていると驚くべき内容があった。
 既に隠居されていた父上 二代藩主 光貞公が一七〇一年に間口税というのを導入していた。
 このころは既に三代藩主である綱教兄上に実権が移っていて、能力も経験もある兄上の藩政に手を出す必要はなかった。
 俺が思うに、兄上の運営が楽になるよう父上が泥をかぶったのではないかと思う。

 間口税の導入は領民に対する増税に他ならない。増税で喜ぶ民などおるまい。
 兄上が行えば、これから長い治世で躓くことになりかねない。しかし紀州藩は当時から財政赤字。そこで父上は自分が悪者になる事で、財政に寄与しようとしたのではないかと思った。

 それを知った時、ありがたく間口税を使わせてもらう事にしようと決めた。
 これから増税はしたくなかったが、単純に収入が多いのはありがたい。
 それに間口税は課税が楽だ。建物の持ち主さえわかれば、道を歩けば税額を算定できる。
 その分、煩雑な回収方法になっている税を廃止することでバランスを取ろうと思う。

 そして治水における公共事業を大々的に行う事により引き締めた経済を動かす一助にする計画を立てている。

 一七〇七年に起きた宝永地震の復旧もほぼ手つかずの状態だ。これにも予算を割り振り雇用を創出する。ある程度復旧して来れば、この地震で落ち込んだ税収も持ち直してくるだろう。
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