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紀州藩主編
第三話
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同年 七月も下旬。父である紀州藩第二代藩主 光貞に呼び出された。
それを受け、俺は、紀州藩の司令部である評定の間ではなく、奥の私室へと向かう。
父上の私室の中でも、最も生活の色濃い部屋が目的の場所である。
そこへ赴くのは、つい最近になってから。先代藩主の綱教兄上が亡くなってからだ。
あれ以来、父上は臥せがちとなった。もう身なりを整えて座って会う段階も過ぎてしまっている。床に横たわる痩せた父と枕元に座る俺。いつの間にやら、それが当然の風景となってしまった。
「元気にしておるか? 頼方よ」
「はっ。おかげさまを持ちまして」
もう話をするのさえ苦しそうだ。過ぎ去る時間の無常さを感じずにはいられない。
「それなら良い。健やかに過ごしてくれ。それが最後の望みじゃ」
「最後などとはとんでもない。まだまだお元気でいただかねば」
「世事は良い。もう己をつなぎとめる気力がのうなってしもうた。そろそろ終いじゃ」
「……これほどゆっくり話せるのは、今月に入ってからですね」
父上は瞼を閉じ、瞑目するように。深く呼吸をする。
「そうじゃな。なんやかんやと会話をすることは無かったな。すまぬ。家族の温かさを与えてやる事ができなんだ」
「いえ。さような事は」
「悪かったと思っておる。お前の命を守るためとはいえ、幼き身に過酷な人生を歩ませてしまった。何より城へと呼び戻すことになった事は今でも悔いておる」
「そんな! おかげで父上や母上に会う事が出来ました」
「確かにな。それだけが救いであるが、その代償が重すぎる。きっかけとなった次郎吉も綱教も病死だと思うか?」
「……次郎吉兄上はまだしも、綱教兄上には何かあったのではと」
「そうじゃ。……良いか。頼方。尾張者にだけは心を許すな。あやつらと我らは不倶戴天の仇敵ぞ」
「そこまでですか?」
「そこまでどころか、これ以上ない程の怨敵ともいえる。向こうも同じであろうがな」
「なぜそこまで?」
「すべては宗家がいけぬのだ。いや、我らも欲に駆られたか。将軍後継者に不安が出て以来、尾張と紀州は暗い世界で争ってきた」
「暗い世界でですか」
「さよう。徳川家は長寿の家ながら、早死にするものが多すぎると思わんか?」
「はい。不思議な家だと思っていました」
「不思議でも何でもない。全ては人の業が引き起こしたもの。各々が次の将軍の座を狙って暗殺を繰り返してきたからよ」
「さすがにそれは。お身内ですよ?」
「まだ穢れを知らぬ お主だからそう思っても仕方ないであろう。お主にも心当たりがあるだろう。数年前に命を落としていたやもしれんのだぞ」
そう言われて、さくら殿の誘拐事件を思い出す。あの誘拐事件は、さくら殿が目的ではなく、俺を狙っていた。そしてその背後には大きな藩が絡んでいる事は察することができた。
将軍位を尾張と紀州で争っていたのは、当時も変わらない。嫌でも黒幕が見えてきてしまう。俺はなるべく見ないように背を向けていた。
しかし認めざるを得ないようだ。少なくとも父上は何かを掴んでいる。
「それは確かに。やはりあれは尾張が?」
「うむ。公表されていないが、我が子たち四人とも似たようなことが起きている。それで命を失ったのが綱教と次郎吉じゃ。綱教は藩主となって実権を渡したからと、儂が手を引いたのが失敗じゃった。まさか、かような仕儀になるとは」
「立派な兄上でありましたのに……」
「ああ。だからこそ許すまじ。尾張の血筋を根絶やしにしてくれようぞ」
「それでは、こちらも同じように思われてしまうのでは? 連鎖が止まりませぬ」
「すでに止まるような状況ではない。そも、藩が設立された段階から宿命づけられておったのだ。お爺様(徳川家康)の得意技じゃな。全ては監視と対立。それに集約される」
「神君家康公は何をお求めだったのでしょうか?」
「全ては宗家のためじゃ。だというのに家光公から怪しくなった。男色に走り跡継ぎを作らぬとはな。知っておるか? かの春日局卿は、男色の家光公のため、男勝りな大柄な女を探し、男装の格好をさせて子作りをさせておったのだぞ。民百姓が汗をかいて働いておるというのに。その血税で左様な下らぬことをしておったのだ。お家のために。考えれば我らも変わらぬか。身内同士で子を殺し合っているのだからな」
「嘆いていても仕方ありませぬ。存在意義というのならば、自分達で高めていくしかありませぬ」
「若いというのは良いな。頼職を支えてやってくれ」
「命にかえましても」
その日の対面はそれで終わった。それ以降、父上は一気に萎んでいくように老いた。
まるで今まで背負っていた物を託して悔いが無くなったとでも言うように。
そうして、あの日から一週間もしないうちに父上は危篤状態へと陥った。
それを受け、紀州藩からは早馬が駆け江戸へと向かった。
就任以降まだ戻らぬ新藩主 頼職に父上の危篤を伝えるためだ。
おそらく数日には江戸へと情報が届き、さらに二週間ほどかけて、紀州藩へと戻ってくるだろう。
こうして第三代藩主 綱教兄上の死去から半年ほど。新藩主の就任、父上の危篤。かつてないほど慌ただしい夏が続く。
それを受け、俺は、紀州藩の司令部である評定の間ではなく、奥の私室へと向かう。
父上の私室の中でも、最も生活の色濃い部屋が目的の場所である。
そこへ赴くのは、つい最近になってから。先代藩主の綱教兄上が亡くなってからだ。
あれ以来、父上は臥せがちとなった。もう身なりを整えて座って会う段階も過ぎてしまっている。床に横たわる痩せた父と枕元に座る俺。いつの間にやら、それが当然の風景となってしまった。
「元気にしておるか? 頼方よ」
「はっ。おかげさまを持ちまして」
もう話をするのさえ苦しそうだ。過ぎ去る時間の無常さを感じずにはいられない。
「それなら良い。健やかに過ごしてくれ。それが最後の望みじゃ」
「最後などとはとんでもない。まだまだお元気でいただかねば」
「世事は良い。もう己をつなぎとめる気力がのうなってしもうた。そろそろ終いじゃ」
「……これほどゆっくり話せるのは、今月に入ってからですね」
父上は瞼を閉じ、瞑目するように。深く呼吸をする。
「そうじゃな。なんやかんやと会話をすることは無かったな。すまぬ。家族の温かさを与えてやる事ができなんだ」
「いえ。さような事は」
「悪かったと思っておる。お前の命を守るためとはいえ、幼き身に過酷な人生を歩ませてしまった。何より城へと呼び戻すことになった事は今でも悔いておる」
「そんな! おかげで父上や母上に会う事が出来ました」
「確かにな。それだけが救いであるが、その代償が重すぎる。きっかけとなった次郎吉も綱教も病死だと思うか?」
「……次郎吉兄上はまだしも、綱教兄上には何かあったのではと」
「そうじゃ。……良いか。頼方。尾張者にだけは心を許すな。あやつらと我らは不倶戴天の仇敵ぞ」
「そこまでですか?」
「そこまでどころか、これ以上ない程の怨敵ともいえる。向こうも同じであろうがな」
「なぜそこまで?」
「すべては宗家がいけぬのだ。いや、我らも欲に駆られたか。将軍後継者に不安が出て以来、尾張と紀州は暗い世界で争ってきた」
「暗い世界でですか」
「さよう。徳川家は長寿の家ながら、早死にするものが多すぎると思わんか?」
「はい。不思議な家だと思っていました」
「不思議でも何でもない。全ては人の業が引き起こしたもの。各々が次の将軍の座を狙って暗殺を繰り返してきたからよ」
「さすがにそれは。お身内ですよ?」
「まだ穢れを知らぬ お主だからそう思っても仕方ないであろう。お主にも心当たりがあるだろう。数年前に命を落としていたやもしれんのだぞ」
そう言われて、さくら殿の誘拐事件を思い出す。あの誘拐事件は、さくら殿が目的ではなく、俺を狙っていた。そしてその背後には大きな藩が絡んでいる事は察することができた。
将軍位を尾張と紀州で争っていたのは、当時も変わらない。嫌でも黒幕が見えてきてしまう。俺はなるべく見ないように背を向けていた。
しかし認めざるを得ないようだ。少なくとも父上は何かを掴んでいる。
「それは確かに。やはりあれは尾張が?」
「うむ。公表されていないが、我が子たち四人とも似たようなことが起きている。それで命を失ったのが綱教と次郎吉じゃ。綱教は藩主となって実権を渡したからと、儂が手を引いたのが失敗じゃった。まさか、かような仕儀になるとは」
「立派な兄上でありましたのに……」
「ああ。だからこそ許すまじ。尾張の血筋を根絶やしにしてくれようぞ」
「それでは、こちらも同じように思われてしまうのでは? 連鎖が止まりませぬ」
「すでに止まるような状況ではない。そも、藩が設立された段階から宿命づけられておったのだ。お爺様(徳川家康)の得意技じゃな。全ては監視と対立。それに集約される」
「神君家康公は何をお求めだったのでしょうか?」
「全ては宗家のためじゃ。だというのに家光公から怪しくなった。男色に走り跡継ぎを作らぬとはな。知っておるか? かの春日局卿は、男色の家光公のため、男勝りな大柄な女を探し、男装の格好をさせて子作りをさせておったのだぞ。民百姓が汗をかいて働いておるというのに。その血税で左様な下らぬことをしておったのだ。お家のために。考えれば我らも変わらぬか。身内同士で子を殺し合っているのだからな」
「嘆いていても仕方ありませぬ。存在意義というのならば、自分達で高めていくしかありませぬ」
「若いというのは良いな。頼職を支えてやってくれ」
「命にかえましても」
その日の対面はそれで終わった。それ以降、父上は一気に萎んでいくように老いた。
まるで今まで背負っていた物を託して悔いが無くなったとでも言うように。
そうして、あの日から一週間もしないうちに父上は危篤状態へと陥った。
それを受け、紀州藩からは早馬が駆け江戸へと向かった。
就任以降まだ戻らぬ新藩主 頼職に父上の危篤を伝えるためだ。
おそらく数日には江戸へと情報が届き、さらに二週間ほどかけて、紀州藩へと戻ってくるだろう。
こうして第三代藩主 綱教兄上の死去から半年ほど。新藩主の就任、父上の危篤。かつてないほど慌ただしい夏が続く。
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