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青年藩主編

第二十六話

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「河原には浪人と思われる遺体が八体のみ……か」

 あの後、城に戻り町方の役人に遺体が転がっていた事のみを伝え、引き取りを依頼した。
 その報告が来たのは翌日。忍びの二名の遺体は消えていたようだ。これはまだ敵が残っているという証左になるのだろう。

 結局のところ、黒幕ははっきりしない。交渉役の忍びは「殿の敵」というような意味合いの事を言っていた。その言葉を素直に信じるのであれば、父、光貞のように藩主の立場、つまり大名が黒幕という事になる。

 その前提でいくと、少なくとも紀州藩主の父や、同じく分藩された兄 頼元などは除外できる。
 何故なら身内であれば、あんな回りくどい事をしなくても、城内に手引きできるどころか、奥の間にも呼び込めるだろう。そうなればバレにくい毒殺や不慮の事故を装い殺す事も難しくない。

 それに忍びは「光貞の血筋」という言葉に拘っていた。
 総合的に考えると、藩を跨いだ何かしらの政治争いに巻き込まれたと考えるのが妥当だろうか。

 あれやこれやと考えてみたところで、何か状況が、はっきりするわけではないのだが、ついつい考え込んでしまう。
 結局のところ、敵は全滅したわけでもないのは、政信からの報告の通り。遺体の処理の件もある。間違いないだろう。
 つまり、まだまだ気の抜けない日々が続くと言う事だ。
 今回の件で痛感した武芸の技術向上にしても、丸一日やってはいられない。水野の稽古はしんどすぎる。せいぜい一刻が限度だ。それ以上になると家出したくなる。

 と言ってみたものの、今の俺に藩主としての仕事はない。あるとすれば、現地に行かせた部下からの報告に署名することくらい。その部下とて俺の意向ではなく紀州藩国家老の久野の意向を汲んで動いている。大っぴらに悪さはしないだろうが、紀州藩でも横行している、賄賂、中抜きは行われているだろう。報告書に挙げられる収穫高は、既に中抜きされた後の数字である。お役目経験の無い紀州藩士の部屋住みの子が葛野藩の実務を担っているのだ。当然、実家に相談し、実家のやり方を踏襲する。つまり紀州藩の腐った部分が、そのまま葛野藩にも導入される。
 そんな人間が遠隔地で好き勝手やっている。その食べ残しが報告書として回ってくる。それがわかっていても、口を出せず唯々諾々として署名する。阿呆くさい。

 他にやる事を考えてみるが特にないんだよな。書類は毎日来るわけでもないから、溜まることはない。来たら目を通して署名する。四半刻もあれば充分だ。かと言って蔑ろにはできない。信頼性の低い報告だったとしてもな。

 藩主は自由だけど不自由だ。藩主と言えど自分の思うままなんて出来やしない。旧態依然の組織では、俺は生きていけない気がする。息苦しすぎるのだ。

 いつか藩内人事を刷新して、藩政改革するために山波政信の住まう屋敷に行って藩の政治について議論することにしよう。さくら殿もいるかもしれない。くさくさした気分がいくらか和らいだように感じる。


 山波屋敷を訪うと、勝手知ったるかのごとく裏手に回る。もう何度ここへ来たのだろうか。

 見えてくる物置を改築した政信の離れ。竹で作られた戸を叩くと入るよう促される。
 何度も繰り返したこの流れは、歩き方、戸の叩き方で家主に誰が来たかを告げてくれる。俺は名を名乗らずとも、政信へ来訪が伝わるようだ。

「また来た。邪魔をする」
「殿、よくぞお越しを。今、茶を持ってきます。お掛け下さい」

 いつものように、政信が茶を取りに行く。普通、迎えた主人が来客を置いて茶を取りに行くなんて有りえない。決して独り身でも家人がいないからではない。さくら殿がこちらに来る理由を無くすためなのだ。

 般若は消えたが、妹愛は消えるはずもない。まだ彼の眼から忍んで会う日が続きそうだ。

 と思っていたのだが、今までと違いさくら殿も積極的に会いに来てくれるようになった。母屋の入り口に待機していて厠へ立つときなど、母屋に立ち入れば、すぐに会えた。今までは偶然を装っていたので、行きに会えば、帰りに会う事は無かったのだが、帰りも話す機会を得るために待っていてくれる。

 偶然会って立ち話という体裁をとっているのだが、行きも帰りもでは偶然とは言えぬだろう。それでも、さくら殿の母上は承知しているようで、そんな俺たちを見ても黙認してくれている。
 おそらく政信も黙認してくれてるのではないかと思う。妹への愛情は疑いようもないが、妹に嫌われる事を徹底して実行できるとも思えない。

 もし妹に嫌われようものなら、彼は生きていけないだろう。賢い政信がそのような愚かな過ちを犯すとは考え難い。なんやかんやと邪魔をしつつも、仕方ないと諦めている部分を感じるし、やりすぎて妹の顰蹙をかう事を恐れているようにも思える。

 先ほどだって、廊下で立ち話をしている俺たちを陰から睨んでいたのだから。その姿は嫉妬に狂う恋敵のようだった。なにか方向性が違う気もするが、深く考えてはいけない。彼は彼の世界に生きている。それで平和なのだ。

 真面目な話に戻る。政信との政策論争はとても楽しい。だけでなく有意義でもある。
 葛野藩は紀州藩の縮尺版として捉え、紀州藩の問題をどう解決するのかというのが大目標である。

 俺が紀州藩の現状で問題視しているのは、三つ。藩運営、人事評価、情報収集だ。
 今、ある程度、形になっているのは、人事評価のみ。人事評価は以前さくら殿が話していた案が骨子になる。これは、兄であるまさのぶの創案であるので、現実的な実施可能性を高めるだけで良かった。

 現状の人事は家柄評価。生まれによって無能でも家柄の限度まで出世をする。親からすれば子々孫々繁栄を保障された安心安全な制度設計である。これは戦国の気風そのままの発想だ。命を賭けるなら残された家族の保障が無ければやっていられない。
 しかし今は太平な世の中。徳川の世となり江戸幕府が開闢され百年近い。

 戦国の気風は人事制度には無用の長物となっているのが現実だ。こう言ってしまうと武士の心構えがなっていないなど反論が出そうだが、それを否定している訳ではない。戦国の世で能力が高かった者が勝ち残ったように、平和な世でも能力がある者が出世すべきなのだ。

 今の家格主義を取っ払うのは無理であるというのは政信との共通認識だ。
 出来ない困難に挑戦するより、少しでも藩政を良くするために動くべきだ。家格主義を土台にしつつ、能力のある者を抜擢する為、一代限りの加増を検討している。これは家に付与される俸給ではなく、個人に付与される点が異なっている。その者が隠居しても子には引き継がれない。これにより有能な者を抜擢しやすく、無能な者を将来藩政に携わる事を排除できると考えている。

 これの欠点は家臣への俸給が増えてしまう事。
 この欠点の対策として、根本的な対策は財政改革である。収入を上げるか費用を減らすか。これらが必要になる。このあたり藩運営の議題として話し合いはしているが、これと言った改革案は出来ていない。
 人事評価の副次的な効果として、不正が減るだろうと考えている。怠惰は出世の妨げになるし横領を許す雰囲気は少なくなっていくだろうと予想している。悪さに手を染めずとも収入を上げる方法はあるし、監査官である目付も有能な者を抜擢すればより効果的であろう。
 そうなると今まで、代官の横領によって目減りしていた収入は増え(元に戻り)、費用の水増しが無くなれば出費も減る。
 この辺りも含め現実的な改革案になってきているのではと思っているのだ。

 他の二つについては朧げな形は見えそうだが、これと言った核になるものが見出せていない。まだまだ要検討だな。
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