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青年藩主編

第十七話

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「殿、この道を進むより右手に曲がった方が二本松への早道ですぞ」
「ああ、俺に考えがある。説明する間も惜しい。信頼して付いてきてくれ」
「承知。私はどこまでも殿に付いて参ります」

 余計な会話をせずとも信頼して従ってくれる関係が今は本当に助かる。
 少しでも二本松に早く着き体制を整えるためにも寸刻でも惜しい。
 二本松まで走るより、目的地までの距離は三分の一。体力の配分を頭から押しのけ、速度を上げる。
 一刻も早くあそこに向かわねば。

 和歌山城の外堀に沿って紀ノ川の河口に向かう。城からも目と鼻の先だ。徳利爺は本当に良い場所を占有している。今はそれが何よりも有り難い。あと少しだ。

 入り口の門番らしき者達へ目礼をしながら通り抜ける。門なんて上等なものはないが。彼らのエリアの入り口でよそ者が入らないようにしているのだ。彼らは、俺が誰だかわかったようなわかっていないような感じだった。
 今はそれでいい。止めないでさえいてくれれば後でいくらでも謝るさ。

 入り口を通過するスピードを維持したまま、奥へ奥へと進む。河原の石がゴロゴロとしていて走りにくいが速度は落としたくない。こういう時は経験がものを言う。
 水野は経験がなくとも速度が落ちない。達人ともなるといかなる状況でも自分の力を出せるようになるのか。違うな。達人に至るまでの努力の過程で強靭な足腰を手に入れたに違いない。

 あいつは居てくれるか。さらに奥に進み川岸に近づく。手作りの桟橋が見えてきた。

 いた! 目的の人物は船の手入れをしていた。

「寅! 頼みごとがある。舟を出してくれないか?」
「おうよ! 手入れは充分。すぐに出れるぜ」

 彼は、急な頼み事なのに理由も聞かず受け入れてくれた。俺と水野は、寅が手入れをしていた舟の中ほどに乗り込む。寅が揺れないように船べりを抑えてくれていたおかげで危なげなく乗船した。

 寅はというと同じように桟橋から飛び乗ってにも関わらず、ほとんど揺らすことなく後部の櫓があるところに着地した。

「さあ、お兄さん方どこまでいきましょう?」

 切迫した状況を感じたのか、少しおどけた様子で行き先を尋ねてくる。

「少し上流に行った二本松のあたりまで頼む」
「ヨウソロー。飛ばすぜ。しっかり掴まっていてくんな」

 寅が徳利爺の所に居てくれて助かった。これで体力を温存できるし、走るより早く着けるだろう。

 彼とは、数年前、河川の決壊の視察をしていた時に知り合った。一緒に船頭をしている長と武士となった巳之助、それと数人の小さな河原者集団を形成していたが、その集団は生活力に乏しく、長が魚を取って糊口を凌ぐ日々だった。
 見かねた俺は、余裕のある和歌山城の側、徳利爺の仕切る集団へ受け入れの打診をしたのだった。それがきっかけで仲が良くなったし、巳之助を黒川甚助に紹介、養子になるまでになった。武士となった巳之助を羨むこともなく、寅は長とともに川船で運送業を行っていた。

「それにしても殿、舟など良く思いつきましたな」
「ああ、走りながら奴らの裏を掻くにはどうしたら良いか考えていたら、思いついたのだ」

 そう。このままではさくら殿を助けることも出来ず、我らの命もないだろうと考え、舟で送ってもらう事にしたのだ。
 
 呼び出された目的地の二本松がある辺りも河原だし、同じ紀ノ川である。さらに水野が小さな桟橋があったはずという言葉を聞き、これしかないと思った。
 賭けだった。寅がいてくれなければ、余計な時間を食う事になったのだが、これでさくら殿を救出できる確率が少しは上がっただろう。

「急な頼み事ですまなかった。寅、仕事は大丈夫だったか?」
「さっき上がったばっかだから大丈夫さ。今は交代で長が出ていらぁ」

 仕事終わりだったのか、少し時間がズレていれば会えなかったかもしれない。幸先は良いようだ。

「寅がいてくれて助かった。感謝する」
「よせやい。感謝はこっちの方だぜ。巳之助を侍にしてくれてありがとうな」

 徳利爺の率いる集団への受け入れや今の待遇なんかに感謝しているのかと思いきや、巳之助の事で寅が俺に恩返しをするとは。
 そうだった。言葉遣いは相変わらず粗暴だが、こういう奴だったな。巳之助とは、いつも一緒にいて兄弟みたいに育ったって言ってたっけ。

「あれはあいつが優秀だったからさ。俺が侍にしたわけじゃない。たまたま養子を探しを探していた方がいたから紹介しただけだよ」
「俺は難しいことわかんねぇけど、お前に感謝してるよ。長とやる船頭も楽しいしな」

 前に会ったときはトゲトゲした雰囲気があったが働き始めて丸くなってきたように感じる。
 巳之助だけ出世する切っ掛けを作っただけに寅は思うところがあるんじゃないかと不安だったが杞憂なようだ。
 自分の事のように巳之助が出世したことを喜んでいるように見える。

「それは何よりだ。もっと話をしたいのは、やまやまなんだが、実は知り合いが誘拐されてな。呼び出しを受けた場所に向かっている所なんだ」
「なんだって!? じゃあ急がねえとな。俺も加勢してやるよ」

 寅は船頭をしているだけあって体つきが良い。そこらの大人でも二、三人なら叩きのめしてしまうだろう。

 俺らは二人。さくら殿を誘拐した首謀者が何人にいるかわからぬが、これほど用意周到なやつらであれば、危なげなく俺らを殺せるほどの人数をそろえているに違いない。一人でも味方が増えれば、どれほど心強いか。しかし……

「……いや。おそらく相手は武士だ。俺を殺したいのだろう。侍同士のいざこざに付き合わせるわけにはいかん。何かあったら、巳之助や長に顔向けできん。それよりお願いがある」

 この言い訳はズルかったな。侍同士とあえて線引きしたことで、それ以上、寅が加勢することを禁じてしまった。本当に巻き込みたくないんだ。楽しそうに船頭をしているお前の生活を奪うことはできないよ。すまん。

「……なんだよ?」
「二本松の側まで来たら、静かに舟を漕いでくれ。桟橋で俺らを降ろしたら、すぐに離れて戻っていてほしい。後を追って誰か仲間が来るかもしれん」

 寅は不満そうにしながらも後から来る仲間のためと言われて諦めたようだ。だが本当は、仲間なんて来ないことはわかっている。この道順は走りながら思いついた突発的なルートだ。妹を拐かされた当事者である山波政信は一直線に二本松を目指して進むだろう。
 
 でも、こう言っておけば、最悪な状況になっても寅が飛び込んでくることはあるまい。友誼に厚い寅なら、俺らが苦境に立たされれば危険を顧みず飛び込んできてしまいに違いないから。これでいいはずだ。

 侍の喧嘩は侍だけでやるのだ。無辜の民を巻き込むわけにはいかない。

 さくら殿は武家の子女とは言え、女子おなごだ。侍ではない。彼女は必ず無傷で取り戻して見せる。そして巻き込んだ首謀者どもには鉄槌を下すべく断固たる決意で戦わねばならない。それが我らの命であがなう事になったとしても。
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