吉宗のさくら ~八代将軍へと至る道~

裏耕記

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幼少期編

第二十一話

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 今夜、屋敷にお越し願いたい か。
 加納の養父上からの手紙が来た。十中八九、あの上申書の件だろう。視察より帰着して、すぐ手渡したから、あれからもう一月になるな。
 
 読まれた父上はどう思われただろうか。父上ならば現状の不合理に理解してくれるだろう。そう思いながら、水野を伴い、城下の加納屋敷に赴いた。

 この日は事前の約束があったので屋敷内で待たされず、すぐに養父上と会えた。またあの居心地の悪い思いをせずに済み、ありがたかった。

「新之助殿、お呼びたてして申し訳ございませぬ」
「いえ、上申書の件でお手を煩わせてしまいました。こちらこそ申し訳ございませぬ」

「ああ、その上申書の件じゃが……」
「はい!」

 俺は思わず食いついてしまった。

「ご期待に添えず心苦しいのじゃが、殿には目を通していただいたが、お取上げにはならなかった」
「なんと! 何故にございますか!」

「落ち着きなされよ。では、まず殿のお言葉を伝える。その場にて畏まりお受けせよ」
「はっ、すみませぬ」

 きっとわかってくれるだろうと思い込んでいた部分が大きかったからか、俺は思考が追い付かないまま、返事をして姿勢を改め頭を下げる。

「徳川新之助殿において上申されし儀、検討すれど用いることはなし。されども、その熱意、着想については一定の評価をするものである。引き続き、役目に邁進するよう求むものなり」

「お言葉ありがたく頂戴しました」
「うむ、某も中を見たがよいものだと思った。しかし藩として導入するほどではなかったようじゃ。しかし新之助殿の年齢からすれば十分すぎる内容だと考えております。儂は上申書を見て大変嬉しゅうございました」
「…………」

 養父上は褒めてくれているようだが、返事をすることもせず黙りこくっていた。
 なぜダメだったのか父上に問い正しくて堪らず、頭の中はそれのみだった。

 養父上も何がダメだったかを言ってくれないし、褒めてくれているのは慰めなのかもしれない。この度の上申書に書いた租税法の改善案は、己のみが良い考えだと思い込んでいただけだったのであろうか。

 何が足らなかったのだ。どうすれば認めてもらえるのだ。上申書をまとめるにも相当頑張ったのに。やはり人任せにせず直接説明すべきだったのか。

 こんな合理的な案のどこが間違っているのだ。間違っているのは今の仕組みなのに。改善せずこのまま、いくのであれば、あえて不便を受容するだけではないか。そもそもなぜこのような不合理な……

「新之助殿! 話にはまだ続きがあります」

 話が終わりではないと聞いて、もしやと思い一瞬で期待が膨らむ。内々の話では何かあるのかもしれぬ。

「上申を取り上げぬ以上、褒美は出せぬ。しかし今後の道行きの希望を叶える。との事でした」

 それだけか……俺は拍子抜けしてまた黙ってしまった。何と返答すれば良いか、わからない。

 道行き……道行きか。
 道行きという言葉が気になり、少しずつ脳が動き出す。今後の道行きとは、残りの期間で学ぶ職制を自分で決めて良いという事だろう。確か郡代職のあとは勘定奉行の下で、納戸方、作事方、それと材木奉行や鉄砲玉薬奉行などが予定されていたはずだ。

 今一度流れを考えてみる。今の郡代職は既に二ヵ月目に入っており、残すところ半月ほどしかない。次はどこにするにしても、この改革案は手放さざるを得ない。今の俺にとって満遍なく経験するよりも、この職務を深堀する方が価値がある。

 であれば今は引き下がり、褒美代わりに郡代職の期間の延長を希望する。その期間で、さらに調査をして多くの証言を集めれば父上は考えを改めてくれるやもしれない。
 次善の策としては悪くないか。熟考の末、そう結論を出した。

「ありがとうございます。であれば、今の郡代職を今少し続けたく」
「相分かり申した。殿にはそのようにお伝えしましょう」


 自分では渾身の出来であった上申書の改革案はあっけないほどのゼロ回答だった。全くの空振りといった様相だ。自分ではかなり手ごたえを感じていたので、こうなってしまうとは考えもしなかった。

 今は部屋に帰る道すがら。水野と少し蒸し暑い夜道を歩いている。

「水野。上申は、てんでダメだった。箸にも棒にも掛からなかったようだ。水野や黒川殿にも手助けしてもらったのに申し訳ない事だ」
「そうでしたか。残念ですが殿に熱意は伝わったのではないでしょうか」

「熱意な。伝わったやも知れぬが、結局何も変わっておらぬ。もうじき代官や手代はいつものように村々を巡回するし、来年も同じだ。再来年もその先も変わらぬ。結局、田野の件もどうにもならぬ。何も変わらぬなら何もしていないのと同じではないか」
「それで……若はどうなされるのですか?」

「このままでは引き下がれん。俺は見て見ぬふりはできぬ。田野の件も含め、租税法の改定も何とかしてみせる。そのために、郡代職をまだ続けさせてもらえるようお願いしてきた」

「そうですか。それであれば若の歩いた道はまだ途切れておりませぬ。その道の先に進むには先日まで歩んだ道が必要だったのではありますまいか。変化することだけが成した事ではないのではと某は考えまする」

「そうだと良いが……」

 その時の水野の言葉の意味を少ししか理解できていなかった。その言葉を反芻しながら、どうすれば父上に認めてもらえるかという事ばかりが頭を占めていた。
 そのためにも、第一手として、黒川殿に会いに行こうと思い定めた。
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