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幼少期編

第十三話

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 二日目
 和歌浦を右手に見ながら南進する。
 昨夜は東照宮を出た後、近くの村に宿を借りた。その村は東照宮目当てで旅人が多く訪れることもあり、宿があったり家を貸し与えたりして収入を得ていたため、寝床には苦労しなかった。

 二日目はしっかりと距離を稼ぐ予定だったので、湯漬けをもらい、さっさと朝食を済ませると早めに出立した。

 数刻歩くと藤白神社へと至った。藤白神社は、熊野参詣道、紀伊路の藤代王子の旧址として、熊野一の鳥居と称されているらしい。

 呼び名は「藤代神社」「藤白権現」「藤白若一王子権現」などとも呼ばれているそうだ。そして紀州には縁深い鈴木姓の発祥の地とされる。

 神職も代々 藤白鈴木家が受け継いでいるらしい。このあたりは参拝した際に鈴木殿の説明の受売りだ。

 この藤白神社を起点として真南には進まず海岸線に沿って南西方面へ進みながら、目的地である有田郡を目指す。

 この辺りになってくると、右手に海が近いが左手は山だ。道は平坦ばかりではなく、山の裾野を歩くように高低差があり、上り下りが思っていたよりしんどい。

 見晴らしの良いところに至っては景色を眺めつつ休憩を取り、少しずつ距離を稼ぐ。

 加納屋敷にいた頃は、外を駆け回っていたので足腰には自身があったが、二日も歩き通しだと息が切れることが多くなった。

 何とか二日目の目的地である海部あま郡の加茂村に辿り着き、村で一番大きな村長むらおさの家と思わしき所へ行き宿を求める。

 そこは、村長の家ではなく、この地の代官が借り受けている家だった。

 この家の主人 加茂村代官の黒川甚助は初老で腰は曲がっていないものの、日に焼けて皺が多かった。少し垂れ下がった瞼の奥の瞳は聡明さと幾ばくかの哀しみを内包しているように見てとれた。

 全体的に見てみれば好好爺といった風情だった。その雰囲気の通り、人柄が良いようで徴税側の役人でありながら村人に好かれているようだった。それを表すように土間には村民からのお裾分けとして貰ったらしい野菜が堆く積まれていた。

 屋敷は武家屋敷ではなく農家としては大きいかなと感じる程度の大きさで土間に板の間と囲炉裏、奥に寝間があるように見受けられる。他に人の気配は感じない。
 

 まず挨拶を済ませた後、一宿の願いを終えると庭に回り井戸を借りた。
 昨日と違い道のりは長く険しく、汗やほこりまみれだったので家にあがる前に身を清めた。

 そこはかとなく薫った梅の香りに誘われて、周りを見渡してみれば、松と梅が一本ずつ植えられている簡素な庭が見えた。縁側のそばの小さな畑には葉物が植えられている。

 花や池など見栄えの良いものがなく実用重視の松や梅の木を選ぶあたりに戦国の気風を色濃く残した武士の香りがした。

 表に戻り土間にある板の間に腰をかけると、黒川が盤を持ち足を濯ごうとした。水野は驚いてそれを受け取り代わりに俺の足を濯いでくれた。

 俺は郡代や代官の職務について、ほぼ知識がないことが気になっていた。お付きの水野も領地持ちの家の子であるものの庶子だった事もあり、そのあたりの教育を受けていなかったから知識を得る機会が無いまま有田へと向かっている状況だったのだ。

 そこで経験豊富で村人からの信頼の厚い代官と偶々出会えた偶然に感謝しつつ、黒川に代官の職務や農民の暮らしぶりなどについて、眠りにつくまでのわずかな時間、教えを乞う事にした。

「それで新之助殿は某の話を聞きたいとの事ですが何をお話しして良いのやら。某は元服後、代官の下僚である手代としてお役目についた後は、ろくに出世もできず各地をたらい回しになっている程度の男でござる。若君にお話しできるようなことはござらぬと思うが」

「黒川殿のように経験豊富で民に慕われているお方が出世できぬ世がおかしいのです」

 黒川殿が己を卑下するような発言をするので、つい熱くなってしまった。

「左様ですな。城下でも黒川様のような方が代官を務めていらっしゃるとは聞き及びませんでした」と水野も同意する。

「私にとってはこの地に黒川殿のような方がいらした事は天の配剤に感じます。私は無知な若輩者です。ぜひ郡代や代官の職務についてご教示いただけないでしょうか?」

「某の知っているようなことでよければ、お話する事は吝かではございませぬが……同輩の先任の方はどちらに?」
「それがこの度の視察は私だけなのです」

「それはまた……何か事情があるのでしょう。わかり申した。それでは、代官の職務の概略と重要な点からお話しいたす。まず代官の最も大切な職務は、検見法の前提となる検見による石高の決定と坪刈による実状との擦り合わせが肝要にござる。一口に検見と言っても小検見と大検見に分けられ…………まず、小検見において心掛けねばならぬ事は、手代の性格と力量を正確に掴み下検分の妥当性を把握しておくことにあり申す。次に大検見におきましては…………」

 夜も更ける中、黒川殿の話は尽きることはなかった。

「代官といえども、その役割は税を正確に徴収するだけでなく…………また、たった数カ所の出来で全体の出来を決める坪刈は、刈り取る場所により影響を受けるため恣意性が高いだけでなく、確定するまでの時間は農作業を止めざるを得ないことからも…………」

 わからないことも多く質問を挟みたかったが、今は静かに聴くべきだと感じ、人生を代官の職務に捧げた男の言葉をただただ拝聴したのだった。

 話が一段落ついたのは日を跨いで幾分、時が経ってからだった。

 朝から歩き詰めだった俺の疲れの様子を見てとった水野が、やんわりと終わりにするよう願ってくれたのだ。黒川殿はまだまだ序の口だといった様子だったが、俺の年齢も鑑みて今日はここまでと悟ったようだ。

 それでも誇りを持っている自らの仕事について語れたことで、スッキリした表情になっているように思えた。

 早々と床についてしまいたかったが、教わった要点や疑問点や確認すべき事項などを日記に書き残した。
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