吉宗のさくら ~八代将軍へと至る道~

裏耕記

文字の大きさ
上 下
11 / 109
幼少期編

第十話

しおりを挟む

◇◇◇その日の夜 国家老屋敷にて(林 蔵人くらんど 視点)

「ご家老、二ノ丸御殿より落文が」

 俺はご家老の屋敷に着くと、いつものように庭先に両膝を付き、膝立ちの状態で明かりのついている書院に向かって声をかけた。

「またか。今度は何じゃ。京友禅は先日届けたばかりであるぞ」
「はて、私は落文を拾う程度しか能のない男にて」

 俺はいつものように過剰に謙り阿呆を演じる。
 文の内容など当然のように閲覧している。その内容から、ご家老が打ちそうな手を想定し、己の利益になるよう準備し、それとなく思考を誘導するのだ。

「主に学がないのは知っておるわ。 何を考えているのやら、ゴミの体裁をった文に香を焚きしめておるではないか。非常識すぎて呆れるわ」

 確かにそれは俺も思わぬでもなかったが、特に反応はせず平伏したまま文を読み終えるのを待つ。

 毎度のことながらではあるが久野の言い草には腹が立ったがな。

 国家老ともなれば世襲制で生まれながらに将来が決まっている。もちろん降格することも想像すらしていないだろう。

 生まれに恵まれ胡座をかいている男を掌の上で転がすことなど大して難しいことではない。

「…………」
「主は無能だが、妹がお方様付きの侍女のおかげで今の立場を得たぐらいだからの」

「真その通りにて、妹に足を向けて眠れませぬ」
「ふん、林よ、儂が引き立ててやったことを忘れるなよ」

 俺は国家老の派閥間で書簡のやり取りや連絡関係を受け持ち小遣いを稼いでいる。
 庭番は植木屋とさして変わらない職務のため、下士も下士、家格が最底辺の家臣が担当する。

 そのため、俸給は極めて少なく、年に米俵三十俵の扶持を得るのみである。金額に換算して三両ちょっと(現代では年収30万円程度)、農民ですら倍ぐらいの所得はある上、武士としての体裁を整えるための出費もない。

 街で職人にでもなれば三倍か四倍は稼げる。我らが正月くらいにしか食えない白米を毎日当たり前のように食っている。なぜこんなにも苦労せねばならぬのか嘆かずにいられようか。

 給与として支給された米はすべて換金してしまうが、それでまともに暮らせるわけがない。庶民の四分の一程度にしかならぬのだ。
 
 庭先で小さな畑を耕し、子らが川で魚を取ってこれればご馳走という有様だ。春の今の時期は山に入れば食うものは、得られるから良いものの冬にはそれも枯渇する。
 だから庭番の武士たちは困窮するばかりだ。

 そういった経緯で、まともに職務だけを行っても食っていけないので、ある者は庭園になる梅をくすねたり、またあるものは花を摘んで街角で振り歩いたりしなければならないのだ。皆が何かしら武士にあるまじき行為をしていかなければ生きて行けない。

 俺は運良く妹のお陰でお偉いさんとのコネができたおかげで、割の良い小間使のようなことをしているに過ぎない。馬鹿にされようと生き抜くためには耐えるしかないのだ。

 いつか殺してやろうと心には決めているがな。

 兎にも角にも不幸中の幸いと言えば良いのか、庭番のような下の下の者は武士連中の眼中にないため、こそこそ色んな屋敷に出入りしていても目立たない。

 そしてお役目柄、庭木や薬草などの調達のため、山を駆け回り探し集めている。見つけるまで時間がかかったり、成木を運ばねばならない日は明るいうちに帰る事もできないことがある。

 どのような事情があっても次の日に休むことなどできないから夜を徹して山を下るのだ。自然、獣に悟られぬような歩走が身につき、夜目も利く。

 そういう下地もあり家老の久野には、いいように使われている。
 しかし、しっかり太鼓持ちをしておかねば駄賃が減る。が、癪に障るので話を進めるよう促す。

「もちろんでございます。ご家老のおかげで今の生活を送れております。それにしても此度の文でお方様はなんと?」
「この度、城に登られた四男の進之介様へ意趣返しをしろと書いておる」

「意趣返しですか。ご家老様が手を下されるようなことではないように思えますが」
「大方、下らぬ事で騒いでおるのだろう。女の癇癪で書いた文など読む気もせん。ただ、どちらにせよ日の目を見ることのない四男だ。いずれは江戸かこちらで藩務につくのであろうし、今のうちに鎖をつけておいて損はあるまい」

「確かに。藩務の何たるかも知らぬ若造であれば、これからの教育次第で良い駒になるやもしれませぬ」
「とりあえず外回りをさせるか。郡代につけて連れ回してやれ。領内を嫌というほど歩かせれば音を上げるであろう」

「誰にやらせましょうや?」
「確か年末に郡代に口利きしたものが居ったであろう」

「新任の宮川殿でございますね」
「そやつじゃ。せいぜい嫌がらせをするよう言い含めておけ」

 俺は無言で両手を差し出す。

「なんじゃ?」
「そのようなお話は場内では出来かねます。どこぞ人払いできる店でなければ」

 ジャラン。銭が投げて寄越される。
「これで良かろう。もう去ね」
「ありがたき幸せ」

 久野が去るまで頭を下げ続ける。気配を感じなくなった俺は、投げつけられた銭を拾い集めながら数を数えた。
 一朱銀まであるではないか。

「これでうまいメシと酒が飲めるな」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

【完結】月よりきれい

悠井すみれ
歴史・時代
 職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。  清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。  純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。 嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。 第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。 表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳

勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません) 南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。 表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。 2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

悲恋脱却ストーリー 源義高の恋路

和紗かをる
歴史・時代
時は平安時代末期。父木曽義仲の命にて鎌倉に下った清水冠者義高十一歳は、そこで運命の人に出会う。その人は齢六歳の幼女であり、鎌倉殿と呼ばれ始めた源頼朝の長女、大姫だった。義高は人質と言う立場でありながらこの大姫を愛し、大姫もまた義高を愛する。幼いながらも睦まじく暮らしていた二人だったが、都で父木曽義仲が敗死、息子である義高も命を狙われてしまう。大姫とその母である北条政子の協力の元鎌倉を脱出する義高。史実ではここで追手に討ち取られる義高であったが・・・。義高と大姫が源平争乱時代に何をもたらすのか?歴史改変戦記です

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

異・雨月

筑前助広
歴史・時代
幕末。泰平の世を築いた江戸幕府の屋台骨が揺らぎだした頃、怡土藩中老の三男として生まれた谷原睦之介は、誰にも言えぬ恋に身を焦がしながら鬱屈した日々を過ごしていた。未来のない恋。先の見えた将来。何も変わらず、このまま世の中は当たり前のように続くと思っていたのだが――。 <本作は、小説家になろう・カクヨムに連載したものを、加筆修正し掲載しています> ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。 ※この物語は、「巷説江戸演義」と題した筑前筑後オリジナル作品企画の作品群です。舞台は江戸時代ですが、オリジナル解釈の江戸時代ですので、史実とは違う部分も多数ございますので、どうぞご注意ください。また、作中には実際の地名が登場しますが、実在のものとは違いますので、併せてご注意ください。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

処理中です...