37 / 51
不動の荷車(全14話)
3.忍術指導
しおりを挟む
「いたいた。哲太。こんにちは」
「おう、日向じゃねえか。どうした?」
ここは神田多町にある稲荷神社。
家出屋が絡んだ事件で知り合った浮浪児の哲太の塒だ。
日向は、その事件で助け出したおみよの様子を聞きに来たのだ。
「ちょっと松風を買いに来たついでに会いに来てみました。おみよちゃんの具合はどうですか?」
「ううん……わざわざ、ありがとな。でもまだ人と会うのが怖いみてえだ。本当なら真っ先に挨拶させなきゃならねえんだけどな。すまん」
哲太は十四歳という事もあって、こういった対応ができるようだ。
浮浪児と言う印象からは少し違って思える。
「良いんです。おみよちゃんも被害者なんですから」
「助かるよ……」
被害者という言葉に俯いてしまう哲太。
ジャリジャリと地面を足で撫でて無言になる。
日向は少し変な間が出来たので雰囲気を変えるように話を変える。
「それにしても、おみよちゃんが真っ先に挨拶するべきなんて、哲太は常識人なんですね!」
「あったりまえだろ! 浮浪児なんて町の恩情で生かしてもらってるんだ。礼儀知らずでは生きていけねえんだよ」
「……浮浪児さんも大変なんですね」
少し照れ臭そうだ。
褒められる事に慣れていない哲太は話を変えた。
「さん付けされる身分じゃねえよ。……そんな事よりさ! そうだ! 忍術教えてくれよ!」
「え~? 忍術ですか~? 良いですよ」
「俺が頼んでおいてアレだけど、簡単だな! 良いのかよ!」
断るのかと思いきや、すんなりと承諾。
言い出した哲太のツッコミが冴え渡る。
「まあ、減るもんじゃないですし。で、どんなのが良いですか?」
「浮浪児狩りの役人から逃げれるようなやつが良いな」
「うーん、じゃあ隠れ身の術ですかね」
「おっ、聞いたことあるぞ」
江戸っ子は忍者話が大好きだ。
真田十勇士など忍者が活躍する話は講談でも良く扱われる人気の演目である。
「講談なんかでも扱われますからね。仕組みも単純ですよ」
「そんなんで身を隠せんのか?」
「もっちろん! 意識を逸らして、風景に紛れるだけですから」
「町中でどうやって紛れるんだよ」
「じゃーん。これです」
懐から取り出したるは、中々年代を感じさせる草臥れた黒っぽい風呂敷。
「真っ黒じゃねえか。それにしても、ぼろっちい風呂敷だな。変な斑があるぞ」
「これって真っ黒じゃないんですよ。この斑は、みたらし団子の染みですね」
「は? みたらしの染み? もしかして、それって忍びの秘伝だったりするのか?」
「まっさかぁ! お団子を持って帰るときに付いちゃったので、染めただけですよ」
「なんだよ! とんでもない秘密があるのかと思ったよ。でも黒って昼間は使えねえよな」
実のところ、真っ黒じゃないところが忍びの秘伝でもあるのだが、その世界のことを知らぬ哲太には気が付きようもない。
「これは明るくても使えますよ。日が強ければ物陰に隠れて、これを被れば見えないものです。日が落ちれば言わずもがなですね」
「本当かぁ~?」
風呂敷をヒラヒラとさせる日向。
みたらしの染みがついた風呂敷が忍術と言われて、中々納得できない哲太は、ついつい疑ってしまう。
「じゃあ、試してみましょう! きっとこれの凄さを理解できるはずです」
「まぁ見てみるか」
それではと勇んで移動する日向と対照的に面倒な事になったと後悔している様子の哲太。
稲荷神社の境内から出ると、斜向かいに天水桶が鎮座しており、小さいながらも、クッキリとした影を作っていた。
日向は、あそこが良さそうですと天水桶を見て呟く。
少し離れて見ているように指示を出すと一人だけで天水桶の側に行く。
足元の小石を拾って哲太の方へと振り返ると手を振って合図を出す。
固唾を飲んで見守る哲太。その様子は、日向を見失うまいと真剣そのもの。
三拍のほどの間。哲太の集中が強まったのを見計らい、日向は持っていた小石を哲太に向けて宙高く放り投げた。
思わず、その石に意識を向けてしまった哲太は、日向の事を思い出し、視線を戻す。
しかし彼女の姿は見えなかった。
ただ、哲太はそこにいるはずと知っているので、じぃっと目を凝らす。
何となく天水桶の影に何かあるようにも見えなくないが……。
すると、そこへ、とことこと歩み寄る犬。
成犬になったばかりと思える黒い柴犬だ。随分痩せてしまっているが。
その柴犬は天水桶に近づくと、影の辺りをうろうろしながら、スンスン嗅ぎ続けている。
「――ぷっ! おい日向! 犬に見つかったみたいだぞ。お前の隠れ身の術」
すると影がひらりと捲れ上り、しゃがみこんでいた日向が姿を現す。
柴犬は、めくれ上がった風呂敷に目が行っていて日向の事は気にしていないようだ。
「わんちゃん。邪魔しちゃダメです! ……ん? 風呂敷が気になるの?」
隠れ身の術に使用していた風呂敷を右に左に振ると、柴犬の顔も右に左にと風呂敷を追いかける。
なんとも愛らしい姿に日向は抱き着いてしまった。
「可愛いですね! あなたは。風呂敷の匂いを嗅ぎ続けるなんて、どうしたのです? もしかして、お団子好きなのかな?」
柴犬を撫でながら、話しかける姿は絵になるのだが、忍術指導の話はどこへやら。
もう興味は犬にしかないようだ。
「こいつ野良だな。近頃、見かけるようになったやつだ」
忍術話が終わってしまった事を察したようで、離れていた哲太が近づいてきて説明する。
彼曰く、最近見かけるようになった柴犬で野良犬らしい。
「お団子好きなの? 随分瘦せてしまってますね。お腹空いてるなら帰りに食べてきますか」
「わん!」
少し草臥れたしっぽがこれでもかとブンブン振られる。
その動きは、日向の言葉を理解しているようにも見える。
「お返事できるの~! 賢い子ですね! 決めました! 一番美味しいみたらし団子を食べさせてあげます。ついてくるのです!」
そういうが早いか、さっさと走り出す日向。
その後をしっかりと付き添う黒い柴犬。
「あいつ、ここへ何しに来たか忘れてんじゃねえのか」
置き去りにされた哲太は、文句を言わずにはいられなかった。
「おう、日向じゃねえか。どうした?」
ここは神田多町にある稲荷神社。
家出屋が絡んだ事件で知り合った浮浪児の哲太の塒だ。
日向は、その事件で助け出したおみよの様子を聞きに来たのだ。
「ちょっと松風を買いに来たついでに会いに来てみました。おみよちゃんの具合はどうですか?」
「ううん……わざわざ、ありがとな。でもまだ人と会うのが怖いみてえだ。本当なら真っ先に挨拶させなきゃならねえんだけどな。すまん」
哲太は十四歳という事もあって、こういった対応ができるようだ。
浮浪児と言う印象からは少し違って思える。
「良いんです。おみよちゃんも被害者なんですから」
「助かるよ……」
被害者という言葉に俯いてしまう哲太。
ジャリジャリと地面を足で撫でて無言になる。
日向は少し変な間が出来たので雰囲気を変えるように話を変える。
「それにしても、おみよちゃんが真っ先に挨拶するべきなんて、哲太は常識人なんですね!」
「あったりまえだろ! 浮浪児なんて町の恩情で生かしてもらってるんだ。礼儀知らずでは生きていけねえんだよ」
「……浮浪児さんも大変なんですね」
少し照れ臭そうだ。
褒められる事に慣れていない哲太は話を変えた。
「さん付けされる身分じゃねえよ。……そんな事よりさ! そうだ! 忍術教えてくれよ!」
「え~? 忍術ですか~? 良いですよ」
「俺が頼んでおいてアレだけど、簡単だな! 良いのかよ!」
断るのかと思いきや、すんなりと承諾。
言い出した哲太のツッコミが冴え渡る。
「まあ、減るもんじゃないですし。で、どんなのが良いですか?」
「浮浪児狩りの役人から逃げれるようなやつが良いな」
「うーん、じゃあ隠れ身の術ですかね」
「おっ、聞いたことあるぞ」
江戸っ子は忍者話が大好きだ。
真田十勇士など忍者が活躍する話は講談でも良く扱われる人気の演目である。
「講談なんかでも扱われますからね。仕組みも単純ですよ」
「そんなんで身を隠せんのか?」
「もっちろん! 意識を逸らして、風景に紛れるだけですから」
「町中でどうやって紛れるんだよ」
「じゃーん。これです」
懐から取り出したるは、中々年代を感じさせる草臥れた黒っぽい風呂敷。
「真っ黒じゃねえか。それにしても、ぼろっちい風呂敷だな。変な斑があるぞ」
「これって真っ黒じゃないんですよ。この斑は、みたらし団子の染みですね」
「は? みたらしの染み? もしかして、それって忍びの秘伝だったりするのか?」
「まっさかぁ! お団子を持って帰るときに付いちゃったので、染めただけですよ」
「なんだよ! とんでもない秘密があるのかと思ったよ。でも黒って昼間は使えねえよな」
実のところ、真っ黒じゃないところが忍びの秘伝でもあるのだが、その世界のことを知らぬ哲太には気が付きようもない。
「これは明るくても使えますよ。日が強ければ物陰に隠れて、これを被れば見えないものです。日が落ちれば言わずもがなですね」
「本当かぁ~?」
風呂敷をヒラヒラとさせる日向。
みたらしの染みがついた風呂敷が忍術と言われて、中々納得できない哲太は、ついつい疑ってしまう。
「じゃあ、試してみましょう! きっとこれの凄さを理解できるはずです」
「まぁ見てみるか」
それではと勇んで移動する日向と対照的に面倒な事になったと後悔している様子の哲太。
稲荷神社の境内から出ると、斜向かいに天水桶が鎮座しており、小さいながらも、クッキリとした影を作っていた。
日向は、あそこが良さそうですと天水桶を見て呟く。
少し離れて見ているように指示を出すと一人だけで天水桶の側に行く。
足元の小石を拾って哲太の方へと振り返ると手を振って合図を出す。
固唾を飲んで見守る哲太。その様子は、日向を見失うまいと真剣そのもの。
三拍のほどの間。哲太の集中が強まったのを見計らい、日向は持っていた小石を哲太に向けて宙高く放り投げた。
思わず、その石に意識を向けてしまった哲太は、日向の事を思い出し、視線を戻す。
しかし彼女の姿は見えなかった。
ただ、哲太はそこにいるはずと知っているので、じぃっと目を凝らす。
何となく天水桶の影に何かあるようにも見えなくないが……。
すると、そこへ、とことこと歩み寄る犬。
成犬になったばかりと思える黒い柴犬だ。随分痩せてしまっているが。
その柴犬は天水桶に近づくと、影の辺りをうろうろしながら、スンスン嗅ぎ続けている。
「――ぷっ! おい日向! 犬に見つかったみたいだぞ。お前の隠れ身の術」
すると影がひらりと捲れ上り、しゃがみこんでいた日向が姿を現す。
柴犬は、めくれ上がった風呂敷に目が行っていて日向の事は気にしていないようだ。
「わんちゃん。邪魔しちゃダメです! ……ん? 風呂敷が気になるの?」
隠れ身の術に使用していた風呂敷を右に左に振ると、柴犬の顔も右に左にと風呂敷を追いかける。
なんとも愛らしい姿に日向は抱き着いてしまった。
「可愛いですね! あなたは。風呂敷の匂いを嗅ぎ続けるなんて、どうしたのです? もしかして、お団子好きなのかな?」
柴犬を撫でながら、話しかける姿は絵になるのだが、忍術指導の話はどこへやら。
もう興味は犬にしかないようだ。
「こいつ野良だな。近頃、見かけるようになったやつだ」
忍術話が終わってしまった事を察したようで、離れていた哲太が近づいてきて説明する。
彼曰く、最近見かけるようになった柴犬で野良犬らしい。
「お団子好きなの? 随分瘦せてしまってますね。お腹空いてるなら帰りに食べてきますか」
「わん!」
少し草臥れたしっぽがこれでもかとブンブン振られる。
その動きは、日向の言葉を理解しているようにも見える。
「お返事できるの~! 賢い子ですね! 決めました! 一番美味しいみたらし団子を食べさせてあげます。ついてくるのです!」
そういうが早いか、さっさと走り出す日向。
その後をしっかりと付き添う黒い柴犬。
「あいつ、ここへ何しに来たか忘れてんじゃねえのか」
置き去りにされた哲太は、文句を言わずにはいられなかった。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
吉宗のさくら ~八代将軍へと至る道~
裏耕記
歴史・時代
破天荒な将軍 吉宗。民を導く将軍となれるのか
―――
将軍?捨て子?
貴公子として生まれ、捨て子として道に捨てられた。
その暮らしは長く続かない。兄の不審死。
呼び戻された吉宗は陰謀に巻き込まれ将軍位争いの旗頭に担ぎ上げられていく。
次第に明らかになる不審死の謎。
運命に導かれるようになりあがる吉宗。
将軍となった吉宗が隅田川にさくらを植えたのはなぜだろうか。
※※
暴れん坊将軍として有名な徳川吉宗。
低迷していた徳川幕府に再び力を持たせた。
民の味方とも呼ばれ人気を博した将軍でもある。
徳川家の序列でいくと、徳川宗家、尾張家、紀州家と三番目の家柄で四男坊。
本来ならば将軍どころか実家の家督も継げないはずの人生。
数奇な運命に付きまとわれ将軍になってしまった吉宗は何を思う。
本人の意思とはかけ離れた人生、権力の頂点に立つのは幸運か不運なのか……
突拍子もない政策や独創的な人事制度。かの有名なお庭番衆も彼が作った役職だ。
そして御三家を模倣した御三卿を作る。
決して旧来の物を破壊するだけではなかった。その効用を充分理解して変化させるのだ。
彼は前例主義に凝り固まった重臣や役人たちを相手取り、旧来の慣習を打ち破った。
そして独自の政策や改革を断行した。
いきなり有能な人間にはなれない。彼は失敗も多く完全無欠ではなかったのは歴史が証明している。
破天荒でありながら有能な将軍である徳川吉宗が、どうしてそのような将軍になったのか。
おそらく将軍に至るまでの若き日々の経験が彼を育てたのだろう。
その辺りを深堀して、将軍になる前の半生にスポットを当てたのがこの作品です。
本作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。
投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。
鄧禹
橘誠治
歴史・時代
再掲になります。
約二千年前、古代中国初の長期統一王朝・前漢を簒奪して誕生した新帝国。
だが新も短命に終わると、群雄割拠の乱世に突入。
挫折と成功を繰り返しながら後漢帝国を建国する光武帝・劉秀の若き軍師・鄧禹の物語。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
歴史小説家では宮城谷昌光さんや司馬遼太郎さんが好きです。
歴史上の人物のことを知るにはやっぱり物語がある方が覚えやすい。
上記のお二人の他にもいろんな作家さんや、大和和紀さんの「あさきゆめみし」に代表される漫画家さんにぼくもたくさんお世話になりました。
ぼくは特に古代中国史が好きなので題材はそこに求めることが多いですが、その恩返しの気持ちも込めて、自分もいろんな人に、あまり詳しく知られていない歴史上の人物について物語を通して伝えてゆきたい。
そんな風に思いながら書いています。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
家事と喧嘩は江戸の花、医者も歩けば棒に当たる。
水鳴諒
歴史・時代
叔父から漢方医学を学び、長崎で蘭方医学を身につけた柴崎椋之助は、江戸の七星堂で町医者の仕事を任せられる。その際、斗北藩家老の父が心配し、食事や身の回りの世話をする小者の伊八を寄越したのだが――?
剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―
三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】
明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。
維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。
密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。
武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。
※エブリスタでも連載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる