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子供の行方(全17話)
4.哲太、風呂に入る
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哲太の逡巡は、案内してきた番頭にも感じられたようだ。
しかし、それを表に出すほど人生経験が少ないわけではない。ましてや若くして大店の番頭になったほどの男だ。
こんなところで子供に考えを悟られるような下手は打たない。
会った時から一貫して変わらない猫なで声で中へ入るよう促す。
「さあ、入った入った。ここは家出した少年少女たちの楽園さ。飯も菓子もあるぞ。布団はふかふか。風呂だってある。希望があれば手習いや算術も教えてやるからな」
無言で従う哲太。
その足取りは喜びに満ち溢れている訳でもなく、戸惑いを感じさせた。
自分に入り込む異物を拒否するかのように。
中に入ってみれば、そこは確かに楽園のような場所だった。
清潔な衣服。一人一組の分厚い布団。風呂には湯まで張っているそうだ。
さらには食っても食っても食いきれないほどの飯。頬が落ちてしまいそうに甘い菓子。それらが誰に構うことなく好きなだけ食えた。
浮浪児として生きてきた哲太にとって、想像をはるかに超える贅沢な暮らし。
それを何の見返りもなしに逗留させてくれるのだ。
「とりあえず湯にでも入っておいで。そんな恰好じゃ皆に嫌われちまうからね。風呂から出たら好きに過ごせばいいさ。おもちゃも沢山あるよ」
連れていかれた湯殿には、長屋の一部屋よりも広い空間に大人が三人も入れそうな湯舟が鎮座している。
よくある蒸し風呂ではなくて、しっかり湯に浸かれる豪華な風呂。城持ち大名の屋敷でも、これほどの湯殿を備えている所はないだろう。
哲太は生まれて此の方、風呂に入った事なんぞ無かった。浮浪児には、川で汗を流したりするのが関の山だ。
浮浪児が町の銭湯に行こうものなら、店主どころか利用客から摘み出される事だろう。
哲太は湯殿の入り口で裸になると手桶を手に取った。
その手桶に湯を掬うと湯殿の端っこにしゃがみ込むと掛け湯をする。
埃だらけで、くすんだ髪から茶色い湯がザバザバと流れ落ちる。張られた湯が幾分減ってしまうくらいまで掛け湯をすると、やっと透明の湯になった。
他にも似たような子が来たのだろう。手桶があった側には、しっかり汚れを落とせるヘチマのスポンジと米ぬかの入った巾着がある。
哲太はヘチマを取るとゴシゴシと身体を擦る。肌の色が変わるほど、ボロボロ垢が落ちていき、ヘチマの繊維の隙間を埋めていく。
次第に垢が出なくなってやめたのだが、それは垢が落ちきったのか、ヘチマがスポンジの用を成さなくなったからなのかわからない。
哲太は、それで満足したようだ。最後に二、三度掛け湯をして、湯船に浸かった。
うぅぅ。と声にならない声を出す。念入りに擦った肌には湯の熱さが染みるのだろう。
「まさかこんなところで生まれて初めての風呂に入るなんて。人生わかんねえもんだな」
風呂は哲太の緊張も解きほぐした様で独り言が多くなる。
「本当におみよはここに居続けるてんのか? こんな屋敷、俺なんて尻がむず痒くて堪んねえぜ。あんな贅沢なもん食ったら腹壊して死んじまうよ」
ませているとは言え、まだ子供。大いなる冒険の果てに辿り着いたこの場所。やっと一息つけると風呂に浸かれば油断もしよう。
「何とかしておみよを見つけ出さねえとな。さてさて、どうしたもんか」
それに彼は知らなかったのだ。風呂というのは湯を冷まさないよう、すぐ外に火の番がいる事を。
そして隠しておくべき思惑は既に相手に伝わってしまったという事を。
すっかり風呂の魅力に憑りつかれ、のぼせる程に浸かっていた湯船から出ると、リラックスした様子で脱衣所に戻る。
そこには、着てきた襤褸はなく、綺麗な袷と帯が置いてあった。
綺麗すぎる着物に戸惑いながらも着付ける哲太。
廊下に出てみれば、鶴松が待っており、案内を再開する。
「この先は、娯楽室だ。中にあるおもちゃは好きに使っていいし、茶を飲みながら駄弁っていても良い。中では孤立しないように、うちの店の使用人もいるから、何かあったら声をかけるんだよ」
こう締めくくった鶴松は、自分の役目は終わりとばかりに足早に去っていく。
説明では何でも自由にしていいと言っていたが、哲太が聞きこんできた噂では、少し違っていた。
噂では、使用人からも良く声をかけられて、色々と質問をされるそうだ。
どうして家出をしたのか、歳はいくつか、親は何の仕事をしているのか、兄弟は居るのか。話が上手で、ついつい身の上話してしまうんだと言っていた。
基本的にはいつまでも居て良いそうだが、大抵は数日逗留すると、使用人から一度帰るように促される。
その時には親にも連絡がされていて、逗留中に聞いた事情を説明してくれてたりと、帰ってからも問題が起きないように配慮までしてくれる。
一応、ここの存在は秘密と約束させられるが、このような夢のような話を黙っていられる訳もない。
そうして子供同士の噂話として、この楽園の事が、まことしやかに伝わっていくのだった。
しかし、それを表に出すほど人生経験が少ないわけではない。ましてや若くして大店の番頭になったほどの男だ。
こんなところで子供に考えを悟られるような下手は打たない。
会った時から一貫して変わらない猫なで声で中へ入るよう促す。
「さあ、入った入った。ここは家出した少年少女たちの楽園さ。飯も菓子もあるぞ。布団はふかふか。風呂だってある。希望があれば手習いや算術も教えてやるからな」
無言で従う哲太。
その足取りは喜びに満ち溢れている訳でもなく、戸惑いを感じさせた。
自分に入り込む異物を拒否するかのように。
中に入ってみれば、そこは確かに楽園のような場所だった。
清潔な衣服。一人一組の分厚い布団。風呂には湯まで張っているそうだ。
さらには食っても食っても食いきれないほどの飯。頬が落ちてしまいそうに甘い菓子。それらが誰に構うことなく好きなだけ食えた。
浮浪児として生きてきた哲太にとって、想像をはるかに超える贅沢な暮らし。
それを何の見返りもなしに逗留させてくれるのだ。
「とりあえず湯にでも入っておいで。そんな恰好じゃ皆に嫌われちまうからね。風呂から出たら好きに過ごせばいいさ。おもちゃも沢山あるよ」
連れていかれた湯殿には、長屋の一部屋よりも広い空間に大人が三人も入れそうな湯舟が鎮座している。
よくある蒸し風呂ではなくて、しっかり湯に浸かれる豪華な風呂。城持ち大名の屋敷でも、これほどの湯殿を備えている所はないだろう。
哲太は生まれて此の方、風呂に入った事なんぞ無かった。浮浪児には、川で汗を流したりするのが関の山だ。
浮浪児が町の銭湯に行こうものなら、店主どころか利用客から摘み出される事だろう。
哲太は湯殿の入り口で裸になると手桶を手に取った。
その手桶に湯を掬うと湯殿の端っこにしゃがみ込むと掛け湯をする。
埃だらけで、くすんだ髪から茶色い湯がザバザバと流れ落ちる。張られた湯が幾分減ってしまうくらいまで掛け湯をすると、やっと透明の湯になった。
他にも似たような子が来たのだろう。手桶があった側には、しっかり汚れを落とせるヘチマのスポンジと米ぬかの入った巾着がある。
哲太はヘチマを取るとゴシゴシと身体を擦る。肌の色が変わるほど、ボロボロ垢が落ちていき、ヘチマの繊維の隙間を埋めていく。
次第に垢が出なくなってやめたのだが、それは垢が落ちきったのか、ヘチマがスポンジの用を成さなくなったからなのかわからない。
哲太は、それで満足したようだ。最後に二、三度掛け湯をして、湯船に浸かった。
うぅぅ。と声にならない声を出す。念入りに擦った肌には湯の熱さが染みるのだろう。
「まさかこんなところで生まれて初めての風呂に入るなんて。人生わかんねえもんだな」
風呂は哲太の緊張も解きほぐした様で独り言が多くなる。
「本当におみよはここに居続けるてんのか? こんな屋敷、俺なんて尻がむず痒くて堪んねえぜ。あんな贅沢なもん食ったら腹壊して死んじまうよ」
ませているとは言え、まだ子供。大いなる冒険の果てに辿り着いたこの場所。やっと一息つけると風呂に浸かれば油断もしよう。
「何とかしておみよを見つけ出さねえとな。さてさて、どうしたもんか」
それに彼は知らなかったのだ。風呂というのは湯を冷まさないよう、すぐ外に火の番がいる事を。
そして隠しておくべき思惑は既に相手に伝わってしまったという事を。
すっかり風呂の魅力に憑りつかれ、のぼせる程に浸かっていた湯船から出ると、リラックスした様子で脱衣所に戻る。
そこには、着てきた襤褸はなく、綺麗な袷と帯が置いてあった。
綺麗すぎる着物に戸惑いながらも着付ける哲太。
廊下に出てみれば、鶴松が待っており、案内を再開する。
「この先は、娯楽室だ。中にあるおもちゃは好きに使っていいし、茶を飲みながら駄弁っていても良い。中では孤立しないように、うちの店の使用人もいるから、何かあったら声をかけるんだよ」
こう締めくくった鶴松は、自分の役目は終わりとばかりに足早に去っていく。
説明では何でも自由にしていいと言っていたが、哲太が聞きこんできた噂では、少し違っていた。
噂では、使用人からも良く声をかけられて、色々と質問をされるそうだ。
どうして家出をしたのか、歳はいくつか、親は何の仕事をしているのか、兄弟は居るのか。話が上手で、ついつい身の上話してしまうんだと言っていた。
基本的にはいつまでも居て良いそうだが、大抵は数日逗留すると、使用人から一度帰るように促される。
その時には親にも連絡がされていて、逗留中に聞いた事情を説明してくれてたりと、帰ってからも問題が起きないように配慮までしてくれる。
一応、ここの存在は秘密と約束させられるが、このような夢のような話を黙っていられる訳もない。
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