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第1章 卵が暴れるソーサレス

「なんでわたしが冒険者なんかに……」☆

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銀髪お姉さんのヴィオラです。
よろしくお願い致します。
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 大魔法院フェーンの分厚い正門が、がしゃん、という重い音と共に閉じられた。

「休学って寮まで追い出されるの……?」
 正門と向かい合って立ち尽くすアレクシアに、守衛の男性も少し困ったような顔をしていたが、門が開けられることはないだろう――住むところを失ったアレクシアは、胸中で怨嗟のごとく呻く。

(あのお爺……私に何の恨みがあるのよ……!)
 それから視線を上向ければ、昨日まで魔法を学んでいた校舎が今日も変わらず建っている。変わったものと言えばアレクシアの立場。
 そして――

「爪……爪をペンチで剥がすくらい……ぐすん……!」
 柱の陰から恨めし気にアレクシアを睨んでいるケアリー教師長。彼女の爪で、がりがりと引っ掻かれている正門の柱くらいだろう。

「目に塩を振りかけることすら許されないなんて……こんな教育は間違っています」
「……」
 アレクシアは、ケアリーの呪詛のような呟きから逃げるようにその場を離れた。


「お嬢ちゃん、美味しいパンはどうだい?」
「自分で食べたら?」
 混雑した昼過ぎの大通りを足早に進んでいくアレクシアに露店の男が声を掛けたが、少女は見向きもせずに通り過ぎた。
 素っ気ない態度ではあったが、よくあることなのか、男は特に気にした様子もなく、他の通行人に次々と声を掛けていく。
 大通りを飛び交う、同じような声をいくつも聞き流しながら進むうちに、アレクシアは広場に到着した。
 そして、広場の入口のど真ん中で、汗ばむ手のひらを握りしめる。

(卒業式までに復学できなかったら留年よね……あのお爺、私になにさせたいのよ!)
 制服で何度拭っても、手のひらの冷たい汗を拭い去ることはできなかった。


 広場中央の噴水周辺は、食事をとる労働者たちでひしめき合っていたので、アレクシアは広場隅のベンチに腰を下ろした。鞄を足元に置き、両手で頭を抱える――

(家には帰れないわ……もしママにばれたら、明日には縁談が組まれてもおかしくないし!)
 ちなみにアレクシアの実家であるライラメルの屋敷は、ここ南端の街ギズウォーにある。
 父であるライナスは南の要塞フェイロの指揮を執るため、そちらに詰めているので不在であり、その間は妻であるオーレリアが町の一切を取り仕切っていた。つまり、この町を境界の国で有数の経済地域に発展させたのは彼女である――その恐ろしいほどの辣腕は、アレクシアにも発揮されるのだろう。

(いや! 絶っ対にいや!)
 アレクシアは母の笑顔を想像して顔を青ざめさせると、両手で抱えていた頭をぶんぶんと振った。
 と――

「いいざまですね」
 唐突に背後から声が掛けられた。それと同時、うなじには冷たい感触。
 動けば殺される。そんな確信が背筋を凍りつかせ、少し遅れて全身に冷や汗が浮かぶ。

「……」
「ククク!」
 ゆっっっくりと首だけで振り向くと、そこにはケアリーがいた。アレクシアのうなじに何かを押しつけ、嘲るような笑みを浮かべている。
 ここが人気ひとけのない暗がりで、欲を言えば、もう片方の手に特大のクレープを持ってさえいなければ、十分な恐怖を与えることができたかも知れない。

「クリームついてますよ」
「負け惜しみですか……ククク!」
 負け惜しみじみたことなど言いつつ、ケアリーはハンカチで口元を拭った。

「ここで人殺しなんかしません……よね?」
 アレクシアは、うなじの冷たい感触をなんとか遠ざけようと上半身をそれとなく捻ってみたが、動かしたのと同じ軌跡で感触も追尾してくる――アレクシアの動きを完全に予測トレースしなければできない芸当であり、ケアリーの実力を示す指標でもあるだろう。

(ていうか、尾行されてるなんて気付かなかったんだけど!? 今だって……)
 さらにこの人混みの中、少女が刃物?を突きつけられているというのに、誰もそのことに気づいていない。
 周囲の人々はケアリーの殺気や気配どころか、存在すら感じ取っていないのかも知れない。特大のクレープを持っているというだけでは説明がつかない事態である。
 そんな考えを見透かしたのか、ケアリー教師長は得意げに言う――

「私は教師長ですよ」

 ぐいっ!

「きゃあ!?」
 言うついでに右手に力など込め、アレクシアに悲鳴をあげさせた。それでも周囲の人々が視線を向けることはなく――ケアリーは恐ろしい声音で続ける。

「クリフォード様は、あなたが学ぶべきことを学んだなら、すぐにでも復学の許可をお出し下さるそうです」
「お爺が? 本当に!?」
 そして、降って湧いた希望にアレクシアが歓喜の声を張り上げた瞬間、ケアリーは、にこりと微笑んだ。額に禍々しい怒りのマークを張り付けて。

「お爺などと! お呼びしないように! 言ったでしょう!?」
「切れちゃうから! うなじは大事な部位だって知ってるでしょ!?」
 うなじに冷たいなにかがめり込まされる感触に、さすがのアレクシアも絶叫したが、やはり周囲の人々は――

『なんだ!?』
『どうしたのかしら?』
「あれ……?」
 周囲の視線がこれでもかとアレクシアに集まった。再び背後を見やればケアリーは既にいなかった。特大のクレープも見当たらない。
 と――

『冒険者ギルドに行きなさい』
 耳元にケアリーの声が聞こえてきた。
 アレクシアはきょろきょろと辺りを見回したが、教師長の姿はどこにも見当たらない。魔法によるものなのだろう――不気味なことこの上ないが。

「血なんか出てないでしょうね……」
 それはそれとして、アレクシアが眉をひそめながらうなじに触れてみると、何やらべたべたとしたものが付いている。

「甘い匂い……なにこれ?」
『さあさあ、食後にアイスはどうだい!?』
「……」
 アイス屋の威勢のいい呼び込みが聞こえたので、アレクシアは、ハンカチを濡らすために噴水の方へと向かった。


(冒険者……ねえ……)
 アレクシアは嘆息と共に呟いた。
 広場の噴水で濡らしたハンカチでうなじを拭いつつ、また嘆息する。

(便利屋、なんでも屋、盗掘屋、ならず者、人生の落伍者……)
 ついでに彼女固有の別名が、ぽんぽんと飛び出す。
 ちなみに冒険者とは、民間や公の組織からの依頼を請け負う者たちの通称である。
 仕事の内容は、行事の警備や施設の点検、さらには護衛や討伐など多岐に渡る。要は、戦える便利屋であり、需要は高い。
 だが戦う力をもつ彼らの中には道を踏み外す者も多く、世間からの評価は高くはない――冒険者とはそんな職業である。
 それはさておき、広場から重い足取りで歩むこと二十分、アレクシアは冒険者ギルドの前に立っていた。看板を見上げて呻く。

「『杖より上質な剣の亭』ですって……魔法使いにけんか売ってるのかしら?」
 それから眉など潜めたが――名前はともかく、分厚い煉瓦を積んで建てられた五階建て。南端の町の経済規模に相応しい、立派な外観の建物ではあった。宿屋も兼ねているのか、空き室有りの看板が立っている。

「なんでわたしが冒険者なんかに……」
 外観は少女の慰めにならなかったようだが、引き返そうにもあてはない。
 アレクシアは、どんよりとした表情で冒険者ギルドの扉を開けようと――したところで声をかけられた。

「お前、泣きそうなツラしてる奴だな」
「は?」
 声の方を見やれば女性がいる。
 年齢は二十代前半だろう。やや褐色の肌に、肩まである銀色の髪。女性にしては長身な部類に入るであろう背丈に、すらりとした体。

(……勝った)
 アレクシアは女性の胸の膨らみを一瞥し、ふっと余裕の笑みを見せた。
 銀髪の女性はアレクシアの反応をうかがっているのか、じっとアレクシアを見つめている――

「別に泣いてないわよ。人助けが趣味なら他をあたって」
「待て待て」
 女性の視線を不快に感じたらしい少女は、適当に答えてギルドに入ろうとしたが、女性はアレクシアの肩を掴んだ。物理的な威力があったなら、分厚い煉瓦すら穿ちそうなアレクシアの視線にすら耐えて続ける。

「お前、冒険者志望の奴だろ? オレと組まないか?」
「間に合ってます」
「こう言っちゃなんだが、オレは結構やれるぞ? で、お前さんはどう見ても一人だし、ここは……」
「二人に見えなくて良かったわね」
 だがアレクシアは女性の手を乱暴に払いのけ、一人でギルドの門をくぐった。

「……聞いてはいたが、気難しいったらないな」
 銀髪の女性は気を取り直すように襟を正すと、少し遅れてアレクシアの後を追った。
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