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第1章 卵が暴れるソーサレス

「ミリアムの課題を手伝ってる時に教わったのよ! 文句ある!?」

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「……」
 ミリアムとの一件の翌朝である。
 アレクシアは気だるげに身を起こすと、枕元に置いてあった眼鏡を掛けた。本来は眼鏡をかける前にシャワーを浴びるのだが――

(シャワーを浴びる気にならないわ)
 なんとも言えないかったるさが浴室へ向かうのを阻害した。
 ミリアムとの間に起きた問題を片付けるためにも脳をたたき起こさなければならないのだが、アレクシアはベッドから下りることができなかった。

「ヨランダに突っつかれたとはいえ、あんなこと言っちゃうなんて……」
 かったるさの原因は昨日の罪悪感であるらしい。
 それを解消するためにも、やはりシャワーを浴びて目を覚まさなければならないのだが、罪悪感が邪魔をする――少女は進退きわまっているようである。
 シャワーを諦めたアレクシアは再び枕に頭を預けて目を閉じた。そして考えを巡らせる。

(授業はもうないし……どうやって謝ろうかしら)
 アレクシアたち最上級学年は卒業論文の提出が終わり、卒業考査も結果発表までが終了していた。
 つまり、卒業式までの二ヶ月弱は長期休暇扱いになっており、現在、授業を受けているのは卒業考査の結果が振るわなかった者か、卒業後の進路に向けて自発的に指導を受けている者だけである。
 大抵の生徒は仲の良い者同士で旅行に繰り出すなど、学生としての最後の自由を満喫しているはずなので、友人の多いミリアムがこの町にいる可能性は低い。

(とにかく探して謝らないと!)
 昨日の友人への振る舞いは猛省に値するものだった――さすがのアレクシアも理解しているらしい。彼女はベッドから飛び降りると、ぶんぶんと頭を振って意識をはっきりとさせ、素足のまま浴室へ向かう――だが不意に、ノックの音が響いた。
 この五年の間、アレクシアの部屋を訪れるのはミリアムか、設備保守の担当者、もしくは――ヨランダ相手の深夜決戦に――頬をひきつらせた管理人しかいなかった。
 設備点検の予定表は張り出されていなかった上に、昨晩はヨランダと揉めていない。

「ミリアム!?」
 淡い希望が気持ちを軽くしたのか、アレクシアは何か羽織るのも忘れてドアへと向かい、ノブを回した。

「昨日はごめんなさい! 気が立ってたっていうか、感情が突撃寸前だったっていうか――」
 だが訪ねてきたのは事務の女性だった。
 年齢は二十代前半だろう。眼鏡をかけ、整った顔立ちをしているが、鋭い目つきが近寄り難い雰囲気を振り撒いている。全校生徒の中でトップの近寄りがたさを誇るアレクシアが、それをどうこう言えたものでもなかったが。

「……えっと?」
「おはようございます」
 それはさておき、事務の女性は眼鏡の位置を直すと、やはり事務的に続けた。

「クリフォード様がお呼びです。至急出頭するようにとのことです」
「至急って……なにかあったんですか?」
「なにも言付かっておりません」
 言い終わった女性は当惑した様子のアレクシアには構わず、半ば強引に封筒を握らせると、つかつかと床を鳴らしながら去っていく。

「……不愛想な人ね」
 ドアを閉めたアレクシアは、ぽつりとつぶやいた。
 全校生徒の中でトップの無愛想さを誇るアレクシアが、それをどうこう言えたものでもなかったが。
 なんにせよ、問題は解決していないどころか増えたようである。
 とりあえず手の中にある問題を確認しようと封筒を開けたアレクシアは、その一瞬後、脳を自らの絶叫で叩き起こす羽目になった。

「なによこれ!?」
 封筒の中に入っていたのは紙切れ――退学の申請書だった。


「……」
 執務室の椅子に深く腰掛け、クリフォードは目を瞑って感覚を研ぎ澄ましていた。
 
「ふむ」
 少しして、強い気配がクリフォードの索敵範囲に入って来た。
 次いで、だだだ、という階段を踏みつける音が結構な速度で近づいてくる。

(悪く思うなよ……アレクシア)
 クリフォードは誰とも結ばれることなく、ただ魔法の発展に力を注いできた。
 そんな彼にとって”破壊の”と恐れ称えられる自身の技術を受け継ぐに足る少女――アレクシアは特別な存在だった。
 入学直後の十二歳という幼さで魔法を編み上げ、教えれば教えるだけ魔法の技術を増していく少女。素晴らしかった。その一言に尽きる。
 だが気の強かったアレクシアは、魔法の上達と共に気性の荒さもその度合いをぐんぐんと増していった。それに気づいたクリフォードだったが――彼女に与えるのは強力な魔法だけで充分だと思っていた。
 社会で生きていくために必要なものは、勝手についてくるだろうと軽んじていた。
 教えるべき者が教えることを放棄した結果。それが現在のアレクシアという結果すがただった。あらゆる敵を倒せる魔法使い――倒すことしかできない人間。

(お前を……人間とすら思っていなかったのかも知れんな)
 強い悔恨と共にクリフォードが目を開くと、乱暴に研究室の扉が開け放たれた。
 そこに立っているのはアレクシア。唯一の教え子。

「これ何よ!?」
「ふぉーっふぉっふぉっ」
 椅子から立ち上がったクリフォードが、机に叩きつけられた退学届けを悠然と見下ろして笑った瞬間、アレクシアが赤い雷撃を放つ――

「なにって聞いてるんだけど!?」
「恥を晒すよりはここを去った方がましじゃろうという意味じゃよ」
 至近距離で放たれた雷撃を片手で受け止めつつ、クリフォードは穏やかな口調で答えた。
 もちろんアレクシアが納得するはずもなく、彼女は激昂の色を濃くした表情で最高導師を睨みつけ――気を落ち着けるためか、大きく息を吸い、怒りに震える声を吐き出す。

「……説明して」
「まずはこれを見よ」
 アレクシアの足元の絨毯が、ぶすぶすと音を立てて燃え上がっていくのを気配で感じてはいたが、クリフォードは消火せずに分厚い書類を机に置いた。
 表紙には――

「破壊魔法の集束についての考察? わたしの卒業論文よね。これが、一体、なんなの?」
 提出済みの卒業論文が、なぜこの事態の説明になるのかという疑問がアレクシアを冷静にさせたらしく、絨毯は全焼を免れた。
 冷静になったアレクシアが、別の目標に対して怒りの炎を放射する準備に入ったとも言えるが――その目標である最高導師もまた冷静な口調で返したが――

「お主の論文かの?」
「そうよ。どう見たってわたしの……うそ!?」
 言葉を介した冷静なやりとりは、アレクシアの絶叫で唐突に終わりを告げた。
 あるべきものがないという現実を捉えた学生が叫ぶ。

「署名がない!? きっちり署名したはずなのに!」
「じゃがここにあるのは名無しの論文じゃぞ?」
「え!? いや、でも! わたし以外にお爺の授業受けてないんだから、署名が無くたって誰のものか分かるでしょ!? 筆跡とか!」
「その言い訳を宮廷でもされてはかなわんな」
「じゃあ、署名するわよ! 今!」
「駄目じゃ」
「はあ!?」
 クリフォードは懐からペンを取り出したアレクシアに、ぴしゃりと言い放つと、言い縋る――というか首でも絞めてくれようかと身を乗り出した教え子に、そっぽを向いた。
 
「その考えが宮廷でも通ると思っておるのか? 重大な過ちを犯しておいて、それを後から訂正できる機会など無いのじゃぞ。もしこれが国家間の契約であったなら、貴様の首ひとつでは足りぬのだ。そのような者に卒業証書をくれてやる訳には――」
「ふざけんじゃないわよ!」

 ばきっ!
 
「おおおおお!?」
 そして、教え子を陥れる心苦しさに両目を瞑っていたクリフォードは、白い輝きをまとった一撃を回避することができず、後方の本棚にめり込まされた。怒り心頭に発したらしい可愛い教え子アレクシアは、拳を振り抜いたままの体勢で、犬歯を剥き出しにする。

「黙って聞いてれば好き勝手な理屈並べて! わたし一人で国の安全に関わる契約書に署名なんかする機会あるわけないでしょ!? 文書官が何人も立ち会ってチェックするに決まってんじゃない! 馬っ鹿じゃないの!」
「じゃからと言って暴力はいかんぞ!? 大体いつの間に生命魔法なんぞ覚えた!?」
 アレクシアが右の拳にまとわせている白い輝きは筋力強化など、肉体能力の強化を主たる効果とした生命魔法特有の色である。破壊の魔法使い同士の決戦の火ぶたが切って落とされる寸前の今にあっては、大した情報ではないが。

「ミリアムの課題を手伝ってる時に教わったのよ! 文句ある!?」
「ええい! 破壊魔法の授業料だけで生命魔法まで習得しおってからに……」
「割り増しで払ってもいいけど、授業料の払い込み期間はとっくの昔に終わってるわよね?」
 めり込んでいた本棚から脱したクリフォードは悔し気に下唇など噛み締めながら呻き、アレクシアは右手を輝かせたまま、あかんべーを見舞う。

「よかろう! 生徒が理事長⦅わし⦆に危害を加えればどうなるか……分かっておるのだろうな!?」
「わたしは南方を治めるライラメル家の長女でお爺様は王宮魔法使いよ! 理不尽に権力を振りかざすなら、こっちだってそういう手段に訴えるわよ!? 中庭のお掃除係にしてあげるんだから!」
「保護者の権力に頼らねば反抗すらできんのか!?」
「先に権力振りかざしたのはそっちでしょうに、都合の悪いこと忘却してんじゃないわよ! 脳味噌すっかり白骨化してんじゃないの!? 電撃で頭すっきりさせてあげたって良いわよ!?」
 本格的な魔法力の展開を始めたアレクシアは、クリフォードに稲妻をまとわせた人差し指を向けた。
 そして――

「ほ・ざ・けぇええ!」
 ついに”破壊の”クリフォードが戦闘態勢に入った。
 あらゆるものを木っ端微塵にする破壊魔法の使い手が、右の手のひらに赤い灯す――

「きゃあっ!?」
 それと同時、アレクシアの体はふわりと浮き上がり、彼女は壁に叩きつけられた――といってもめり込むような威力ではなく、どすん、といった程度だったが。

「このお爺、よくもやったわね!? こっちも手ぇ出させてもらうんだから!」
 それでも怒髪天を衝く状態のアレクシアにとっては、血圧を急上昇させる事態であったらしく、大魔法院主席卒業――予定――者としての実力を発揮する。

「やってみるが良い! 儂は”破壊の”クリフォードじゃぞ! お主の貧弱な魔法など南風も同然――いや、さっき文字通り手を出されたような気がするんじゃが!?」
「ごちゃごちゃと……」
 両手をわななかせて抗議するクリフォードに構わず、アレクシアは全身から迸らせた幾条もの赤い雷撃を頭上で集束させ、破壊の雷球を形成した。本来は赤色であるはずの雷球は、赤を通り越して赤黒く輝いている。

「なんと見事な……」
 破壊の魔法使いにとっては芸術とも呼べる代物を目にした”破壊の”クリフォードが恍惚と呟く――その一方で、アレクシアは苦痛に表情を歪ませていた。これから放つのは、全身全霊、全力全開の一撃――

「うるさいのよ!」

 きゅおんっ!

 雷球は唐突に鋭い楕円形へと形を変えると、目にも止まらぬ速度でクリフォードの足下に着弾し、眩しすぎて純白にすら見える爆光が研究室を染め上げる――次の瞬間、研究棟に在る全てのものが木っ端微塵に粉砕された。
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