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第四章 会いたい
50如月 唯一の帰還者
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紫苑が覚悟を決めたその頃、バンビーノの店内ではピリピリした空気が漂っていた。
「美月……」
ガシャーン。キッチンから鍋の落ちる音がした。
「シェフ?」
「失礼いたしました」
明らかに声は緊張を隠せず、目の下には隈ができていた。
「顔色悪いよ」
「気のせいですよ」
もくもくと体は動き、きっと筋肉は別の回路で働いているのだと誰もが思った。目の前のお客様はもとより、フロアで働く涼風すらそこには存在していないと思っていそうな静かな空気。神無月自身と世界とを遮断したその空気感は、痛い程に良く解った。まさにそう思うしかない位の憔悴ぶりであった。
「まだ……諦めていないのか?」
手からリンゴが落ちグシャリと割れた。ゆっくりとそれを床から拾った神無月は流しのゴミ箱に割れたリンゴを捨てると、そのまま射るような視線を投げ掛けた。
「諦める?何を」
「いや……」
会長はそれだけ言うと口をつぐんだが、横に居たおでんやのご主人はわって入るように言葉を繋げた。
「もう紫苑君は帰っては来ないよ」
無言だった。
「もし拐った相手が本当に白城なら神無月君には分が悪すぎだよ。白城家は警察上層部とも繋がりがある。警察は実際に何か起きなきゃ動かない。それは事実上紫苑君がこの世に既に存在しないことを意味するよ」
神無月は包丁をまな板に突き刺した。
「シェフ……」
周りの動揺をよそに、シェフの恐慌に少しも怯まず勝手にエスプレッソマシンからコーヒーをいれてきた細身の男が言った。
「それに多分何かあっても表沙汰にはならないよ。あの時だってそうだったから」
そう言った細身の男は洋菓子店の若旦那だった。
「若旦那……嫌なことを思い出させてしまったな」
「もう済んだ事ですよ」
「この前からそうだ。乗り込もうとしたのを止めたり、今じゃないと言ったり、あんた達は当事者じゃないから好き勝手な事をいえんだよ!」
神無月の声が怒りで震えていた。
「ああ当事者じゃない。でもかつての当事者としてなら、あんたが知らない事も沢山見てきたよ」
ぴくんと包丁をもつ指先が動いた。
「かつての当事者……ってどういう事だ」
コーヒーに砂糖をいれている若旦那に神無月が食いついた。
「食いつくね。そりゃそうか」
「若旦那、頼む、教えてくれ」
「あまり思い出したくは無いんだけどね……」
空を見つめ砂糖を三つ四つと無意識に落とした。
「砂糖……入れすぎで」
神無月の台詞を首を振り、無言で静止したのはおでんやのご主人だった。
ただならぬ空気に神無月はそれ以上を避けた。
「コーヒー……昔はブラックだったんですよ。でもあれを境に白城にそう躾られました」
若旦那は自嘲気味にいった。
「白城という男はオメガ狩りが趣味でね。しかもいかにもオメガってのには興味がない」
「オメガ狩り……」
嫌な響きに眉根が寄った。
「アルファは狩るものオメガは狩られるもの、彼はそういう持論です」
若旦那は左脇腹のシャツをめくり刺し傷を神無月に見せた。
「どうしたんですか、それ」
小さく喉仏が上下に動いた。
「白城にやられました。口答えをしたので。そして今現在唯一の帰還者だと思います」
「唯一の帰還者、だと?」
神無月の声が地を這うようにゆれた。
「美月……」
ガシャーン。キッチンから鍋の落ちる音がした。
「シェフ?」
「失礼いたしました」
明らかに声は緊張を隠せず、目の下には隈ができていた。
「顔色悪いよ」
「気のせいですよ」
もくもくと体は動き、きっと筋肉は別の回路で働いているのだと誰もが思った。目の前のお客様はもとより、フロアで働く涼風すらそこには存在していないと思っていそうな静かな空気。神無月自身と世界とを遮断したその空気感は、痛い程に良く解った。まさにそう思うしかない位の憔悴ぶりであった。
「まだ……諦めていないのか?」
手からリンゴが落ちグシャリと割れた。ゆっくりとそれを床から拾った神無月は流しのゴミ箱に割れたリンゴを捨てると、そのまま射るような視線を投げ掛けた。
「諦める?何を」
「いや……」
会長はそれだけ言うと口をつぐんだが、横に居たおでんやのご主人はわって入るように言葉を繋げた。
「もう紫苑君は帰っては来ないよ」
無言だった。
「もし拐った相手が本当に白城なら神無月君には分が悪すぎだよ。白城家は警察上層部とも繋がりがある。警察は実際に何か起きなきゃ動かない。それは事実上紫苑君がこの世に既に存在しないことを意味するよ」
神無月は包丁をまな板に突き刺した。
「シェフ……」
周りの動揺をよそに、シェフの恐慌に少しも怯まず勝手にエスプレッソマシンからコーヒーをいれてきた細身の男が言った。
「それに多分何かあっても表沙汰にはならないよ。あの時だってそうだったから」
そう言った細身の男は洋菓子店の若旦那だった。
「若旦那……嫌なことを思い出させてしまったな」
「もう済んだ事ですよ」
「この前からそうだ。乗り込もうとしたのを止めたり、今じゃないと言ったり、あんた達は当事者じゃないから好き勝手な事をいえんだよ!」
神無月の声が怒りで震えていた。
「ああ当事者じゃない。でもかつての当事者としてなら、あんたが知らない事も沢山見てきたよ」
ぴくんと包丁をもつ指先が動いた。
「かつての当事者……ってどういう事だ」
コーヒーに砂糖をいれている若旦那に神無月が食いついた。
「食いつくね。そりゃそうか」
「若旦那、頼む、教えてくれ」
「あまり思い出したくは無いんだけどね……」
空を見つめ砂糖を三つ四つと無意識に落とした。
「砂糖……入れすぎで」
神無月の台詞を首を振り、無言で静止したのはおでんやのご主人だった。
ただならぬ空気に神無月はそれ以上を避けた。
「コーヒー……昔はブラックだったんですよ。でもあれを境に白城にそう躾られました」
若旦那は自嘲気味にいった。
「白城という男はオメガ狩りが趣味でね。しかもいかにもオメガってのには興味がない」
「オメガ狩り……」
嫌な響きに眉根が寄った。
「アルファは狩るものオメガは狩られるもの、彼はそういう持論です」
若旦那は左脇腹のシャツをめくり刺し傷を神無月に見せた。
「どうしたんですか、それ」
小さく喉仏が上下に動いた。
「白城にやられました。口答えをしたので。そして今現在唯一の帰還者だと思います」
「唯一の帰還者、だと?」
神無月の声が地を這うようにゆれた。
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