9 / 88
第二章 リ,スタート
8 長月 虚勢と真実と
しおりを挟む
「旨いか」
甘いかとは聞かなかった。旨いか。
「はい、美味しいです、すごく」
意図を図りかねて顔色を見ながらしか会話ができない。
「あの、神無月さん」
「これな、甘みを感じるように凄い工夫したんだよ」
――甘くてあってるのか?
「こっちはどうだろう」
なんとなく不安ではあったものの、神無月の新作にかける情熱に負けた紫苑は試作の味見をさいげん無くする羽目になった。
「あーん」
「自分で食べられます」むっとした顔をする紫苑を神無月は存外嬉しそうに見つめ、チョコレートソースをかけたバニラアイス程に甘ったるい笑顔で話していた。
「良いから、食べさせてあげたいんだ」
この距離感絶対おかしい。ゼロ距離にもほどがある。
「ほら、自分でやるって言ってもさ、これ一口サイズにサーブしてる間にお腹いっぱいになっちゃうよ」
サクサクのパイ生地の中には小田原産鰺が4センチくらいに折り重なっていて、中には薄切りポテトと梅が仕込まれていた。
オーブンで焼き上げた香ばしい鯵の脂の香りは、嗅覚を刺激するには十分すぎた。
「パンに着けたらおいしそうな脂ですね」
「全体の味はどうだい」
ちょっと濃いような、紫苑がそう考えていると神無月のさりげない一言が突き刺さった。
「オメガならこれは濃く塩辛く感じるんだろうけど、アルファにはちょっと甘いかもしれないな」
紫苑は直ぐに確かめたくなるのをぐっと堪え、スローモーションのように優雅な動作を心がけ、東條が切り分けた一口サイズのパイをもう1つ口に入れる。
やはり凄く濃くて塩辛い。でもここでそんなこと言ったら僕はオメガですと言っているようなもんだ。
紫苑は何一つ言葉を発することが出来なかった。
オメガを毛嫌いしている神無月にバレて、例え1%でも神無月に嫌われる、そんな状況にはしたくない。
同僚ってポジションをゲットした紫苑にとっては、それは永遠に続く命題だった。
神無月に嘘を重ねる。それは紫苑の心に辛い哀しみを蓄積させる事に他ならない。悩んだ末紫苑は若干の嘘を交えて、それでも本音を優先した。
「そうですか?僕にも塩辛いけど……オメガではないですし複雑な気分です」
「ん?塩辛い?」
「食べてみてくれませんか」
今度は紫苑がフォークに刺したパイを東條の口もとに付き出した。
「あーん、か」
東條は大きな口をあけ、少しばかり前屈みになった。
「違います。早く受け取って下さい」
両手をポケットから出さない東條に軽い嫌みをいいながら、口の中に押し込んだ。
神無月は一口サイズのパイをモグモグと咀嚼する。飲み込んだままなにも言わないもんだから、二人の間には冷たい空気が流れ込み、紫苑が精一杯張った虚勢は音を立てて崩れそうであった。
――神無月さん。紫苑はズボンを掴みながら、横にあったペットボトルの水を一気に喉奥に流し込んだ。
甘いかとは聞かなかった。旨いか。
「はい、美味しいです、すごく」
意図を図りかねて顔色を見ながらしか会話ができない。
「あの、神無月さん」
「これな、甘みを感じるように凄い工夫したんだよ」
――甘くてあってるのか?
「こっちはどうだろう」
なんとなく不安ではあったものの、神無月の新作にかける情熱に負けた紫苑は試作の味見をさいげん無くする羽目になった。
「あーん」
「自分で食べられます」むっとした顔をする紫苑を神無月は存外嬉しそうに見つめ、チョコレートソースをかけたバニラアイス程に甘ったるい笑顔で話していた。
「良いから、食べさせてあげたいんだ」
この距離感絶対おかしい。ゼロ距離にもほどがある。
「ほら、自分でやるって言ってもさ、これ一口サイズにサーブしてる間にお腹いっぱいになっちゃうよ」
サクサクのパイ生地の中には小田原産鰺が4センチくらいに折り重なっていて、中には薄切りポテトと梅が仕込まれていた。
オーブンで焼き上げた香ばしい鯵の脂の香りは、嗅覚を刺激するには十分すぎた。
「パンに着けたらおいしそうな脂ですね」
「全体の味はどうだい」
ちょっと濃いような、紫苑がそう考えていると神無月のさりげない一言が突き刺さった。
「オメガならこれは濃く塩辛く感じるんだろうけど、アルファにはちょっと甘いかもしれないな」
紫苑は直ぐに確かめたくなるのをぐっと堪え、スローモーションのように優雅な動作を心がけ、東條が切り分けた一口サイズのパイをもう1つ口に入れる。
やはり凄く濃くて塩辛い。でもここでそんなこと言ったら僕はオメガですと言っているようなもんだ。
紫苑は何一つ言葉を発することが出来なかった。
オメガを毛嫌いしている神無月にバレて、例え1%でも神無月に嫌われる、そんな状況にはしたくない。
同僚ってポジションをゲットした紫苑にとっては、それは永遠に続く命題だった。
神無月に嘘を重ねる。それは紫苑の心に辛い哀しみを蓄積させる事に他ならない。悩んだ末紫苑は若干の嘘を交えて、それでも本音を優先した。
「そうですか?僕にも塩辛いけど……オメガではないですし複雑な気分です」
「ん?塩辛い?」
「食べてみてくれませんか」
今度は紫苑がフォークに刺したパイを東條の口もとに付き出した。
「あーん、か」
東條は大きな口をあけ、少しばかり前屈みになった。
「違います。早く受け取って下さい」
両手をポケットから出さない東條に軽い嫌みをいいながら、口の中に押し込んだ。
神無月は一口サイズのパイをモグモグと咀嚼する。飲み込んだままなにも言わないもんだから、二人の間には冷たい空気が流れ込み、紫苑が精一杯張った虚勢は音を立てて崩れそうであった。
――神無月さん。紫苑はズボンを掴みながら、横にあったペットボトルの水を一気に喉奥に流し込んだ。
0
お気に入りに追加
63
あなたにおすすめの小説
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
零れる
午後野つばな
BL
やさしく触れられて、泣きたくなったーー
あらすじ
十代の頃に両親を事故で亡くしたアオは、たったひとりで弟を育てていた。そんなある日、アオの前にひとりの男が現れてーー。
オメガに生まれたことを憎むアオと、“運命のつがい”の存在自体を否定するシオン。互いの存在を否定しながらも、惹かれ合うふたりは……。 運命とは、つがいとは何なのか。
★リバ描写があります。苦手なかたはご注意ください。
★オメガバースです。
★思わずハッと息を呑んでしまうほど美しいイラストはshivaさん(@kiringo69)に描いていただきました。
幸せな復讐
志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。
明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。
だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。
でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。
君に捨てられた僕の恋の行方は……
それぞれの新生活を意識して書きました。
よろしくお願いします。
fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。
花いちもんめ
月夜野レオン
BL
樹は小さい頃から涼が好きだった。でも涼は、花いちもんめでは真っ先に指名される人気者で、自分は最後まで指名されない不人気者。
ある事件から対人恐怖症になってしまい、遠くから涼をそっと見つめるだけの日々。
大学生になりバイトを始めたカフェで夏樹はアルファの男にしつこく付きまとわれる。
涼がアメリカに婚約者と渡ると聞き、絶望しているところに男が大学にまで押しかけてくる。
「孕めないオメガでいいですか?」に続く、オメガバース第二弾です。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
金色の恋と愛とが降ってくる
鳩かなこ
BL
もう18歳になるオメガなのに、鶯原あゆたはまだ発情期の来ていない。
引き取られた富豪のアルファ家系の梅渓家で
オメガらしくないあゆたは厄介者扱いされている。
二学期の初めのある日、委員長を務める美化委員会に
転校生だというアルファの一年生・八月一日宮が参加してくれることに。
初のアルファの後輩は初日に遅刻。
やっと顔を出した八月一日宮と出会い頭にぶつかって、あゆたは足に怪我をしてしまう。
転校してきた訳アリ? 一年生のアルファ×幸薄い自覚のない未成熟のオメガのマイペース初恋物語。
オメガバースの世界観ですが、オメガへの差別が社会からなくなりつつある現代が舞台です。
途中主人公がちょっと不憫です。
性描写のあるお話にはタイトルに「*」がついてます。
兄のやり方には思うところがある!
野犬 猫兄
BL
完結しました。お読みくださりありがとうございます!
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです!
第10回BL小説大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、そしてお読みくださった皆様、どうもありがとうございました!m(__)m
■■■
特訓と称して理不尽な行いをする兄に翻弄されながらも兄と向き合い仲良くなっていく話。
無関心ロボからの執着溺愛兄×無自覚人たらしな弟
コメディーです。
その執着、愛ですか?~追い詰めたのは俺かお前か~
ちろる
BL
白鳳出版に勤める風間伊吹(かざまいぶき)は
付き合って一年三ヶ月になる恋人、佐伯真白(さえきましろ)の
徐々に見えてきた異常な執着心に倦怠感を抱いていた。
なんとか元の真白に戻って欲しいと願うが──。
ヤンデレ先輩×ノンケ後輩。
表紙画はミカスケ様のフリーイラストを
拝借させて頂いています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる