αと嘘をついたΩ

赤井ちひろ

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第二章 リ,スタート

8 長月 虚勢と真実と

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「旨いか」
 甘いかとは聞かなかった。旨いか。
「はい、美味しいです、すごく」
 意図を図りかねて顔色を見ながらしか会話ができない。
「あの、神無月さん」
「これな、甘みを感じるように凄い工夫したんだよ」
 ――甘くてあってるのか?
「こっちはどうだろう」
 なんとなく不安ではあったものの、神無月の新作にかける情熱に負けた紫苑は試作の味見をさいげん無くする羽目になった。
「あーん」
「自分で食べられます」むっとした顔をする紫苑を神無月は存外嬉しそうに見つめ、チョコレートソースをかけたバニラアイス程に甘ったるい笑顔で話していた。
「良いから、食べさせてあげたいんだ」
 この距離感絶対おかしい。ゼロ距離にもほどがある。
「ほら、自分でやるって言ってもさ、これ一口サイズにサーブしてる間にお腹いっぱいになっちゃうよ」
 サクサクのパイ生地の中には小田原産鰺が4センチくらいに折り重なっていて、中には薄切りポテトと梅が仕込まれていた。
 オーブンで焼き上げた香ばしい鯵の脂の香りは、嗅覚を刺激するには十分すぎた。
「パンに着けたらおいしそうな脂ですね」
「全体の味はどうだい」
 ちょっと濃いような、紫苑がそう考えていると神無月のさりげない一言が突き刺さった。
「オメガならこれは濃く塩辛く感じるんだろうけど、アルファにはちょっと甘いかもしれないな」
 紫苑は直ぐに確かめたくなるのをぐっと堪え、スローモーションのように優雅な動作を心がけ、東條が切り分けた一口サイズのパイをもう1つ口に入れる。
 やはり凄く濃くて塩辛い。でもここでそんなこと言ったら僕はオメガですと言っているようなもんだ。
 紫苑は何一つ言葉を発することが出来なかった。
 オメガを毛嫌いしている神無月にバレて、例え1%でも神無月に嫌われる、そんな状況にはしたくない。
 同僚ってポジションをゲットした紫苑にとっては、それは永遠に続く命題だった。
 神無月に嘘を重ねる。それは紫苑の心に辛い哀しみを蓄積させる事に他ならない。悩んだ末紫苑は若干の嘘を交えて、それでも本音を優先した。
「そうですか?僕にも塩辛いけど……オメガではないですし複雑な気分です」
「ん?塩辛い?」
「食べてみてくれませんか」
 今度は紫苑がフォークに刺したパイを東條の口もとに付き出した。
「あーん、か」
 東條は大きな口をあけ、少しばかり前屈みになった。
「違います。早く受け取って下さい」
 両手をポケットから出さない東條に軽い嫌みをいいながら、口の中に押し込んだ。
 神無月は一口サイズのパイをモグモグと咀嚼する。飲み込んだままなにも言わないもんだから、二人の間には冷たい空気が流れ込み、紫苑が精一杯張った虚勢は音を立てて崩れそうであった。
 ――神無月さん。紫苑はズボンを掴みながら、横にあったペットボトルの水を一気に喉奥に流し込んだ。

 
 
 



 
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